愛知環状鉄道の観光・歴史(岡多線からはじまった大迂回ルート構想や、沿線の名所など)について、わかりやすく解説してゆきます!
愛知環状鉄道
愛知環状鉄道の魅力的な世界へようこそ!

愛知環状鉄道・矢作川の景色(愛知県)
愛知県の東部を縦断する愛知環状鉄道(通称:愛環)は、実は知れば知るほど「普通の鉄道」とは違う興味深い背景を持っているわけですよ。
地元の方に愛されているだけでなく、鉄道ファンからも一目置かれるその正体を、いくつかご紹介しますね!
愛知環状鉄道の基本的知識:実は、「環状」ではない!?
また、愛知環状鉄道は確かに名前に「環状」と付いていますが、実際には東京の山手線や大阪環状線などのように「ぐるぐる」回っているというわけではありません。
実際には、岡崎駅から高蔵寺駅までをむすぶ約45キロメートルの「半円状」の形をした路線というわけです。
これは、当初の構想では本当に「ぐるぐる」まわる「環状」にしようというはずだったのが、後述するように様々な事情により頓挫してしまった、ということの名残というわけです。
英語で「Aichi Loop line」
愛知環状鉄道は、英語で言うと、
「Aichi Loop line(アイチ・ループ・ライン)」と呼びます。
完全に丸くないのに「Loop」と名乗るのが面白いですね!
確かに愛知環状鉄道は、先述の通り当初の計画では名古屋市の外側を大きく囲むという、文字どおり「中京圏の環状線」の一部になるはずだったのでした。
そしてその名残により、この「環状(Loop)というワードがついた」名前が付けられたというわけです。
愛知環状鉄道はどことどこを通る?
次に、愛知環状鉄道は具体的にどことどこを通っているのか、についてみてゆきましょう。

愛知環状鉄道と分岐する、東海道本線・岡崎駅(愛知県岡崎市)
まずは、愛知県の東部地域にある、岡崎市の岡崎駅から、JR東海道本線とわかれてのスタートになります。
- 岡崎駅(愛知県岡崎市)から、高蔵寺駅(愛知県春日井市)を結ぶ。
- 途中で豊田市という、「トヨタ自動車」で有名な日本屈指の工業地帯を、南北に進む。
- 途中で万博で知られる八草駅、陶磁器で知られる瀬戸市などを北上してゆく
- やがて、愛知県 春日井市の高蔵寺駅に至り、JR中央本線と合流する
- 高いところを走る高架区間が多く、車窓からの眺めがとても開放的!
高架方式:地面よりも高い場所に橋のような構造物を作って、その上に線路を通すことです。
踏切がなくなるため、渋滞が起きないというメリットがあります。
愛知環状鉄道の歴史:国鉄の「赤字線」から奇跡の復活
元々は国鉄の「岡多線(おかたせん)」からスタートした
この路線は、もともとは国鉄(今のJR)の「岡多線」という名前でしたが、当時は利用者が全然少なくて、ずっと赤字続きだったようです。
そのため、当初の「岡多線」構想を諦め、1988年に「第3セクター」として再出発すると、沿線の開発がどんどん進んでゆき、さらには世界の「トヨタ」へ会社通勤する人なども増え、一気に黒字路線へと成長しました。
赤字路線から、「トヨタ」の通勤客などで賑わい、黒字経営へ
すなわち、上記の流れをまとめると、
- 国鉄からほぼJR社として民営化するタイミングだった1988年に、
- 赤字でさっぱり儲からなかったため、国鉄から愛知環状鉄道に引き継がれた。
- 赤字だったものの、トヨタ自動車の本社ビル近くを通る路線ということもあり(他にも様々な要因により)、通勤客が非常に多くなり、黒字経営となった。
- このように、第3セクターの路線としては珍しく、経営が非常に安定している。
という経緯をたどっているというわけです。
「第3セクター」とは?
ちなみに第3セクターとは、国や地方自治体(公費)と、民間企業が共同でそれぞれ出資して、経営をしている団体のことをいいます。
いわば「半分は公(おおやけ)、半分は民間」みたいなイメージです。
愛知環状鉄道の場合は、
- 愛知県や沿線の市(公的機関)
- トヨタ自動車(民間企業)
などの機関・組織が、それぞれ出資(つまり予算を出す)・サポートをしているというわけです。
2005年愛知万博の多くのお客様が、愛知環状鉄道への「追い風」に
愛知万博の時に大活躍した「八草駅(やくさえき)」
愛知環状鉄道には、八草駅という駅があります。
この駅は、豊田市への中心駅の一つ・新豊田駅のやや北に位置します。

愛知環状鉄道における豊田市の中心駅である、新豊田駅(愛知県豊田市)
日本初の「リニアモーターカー」とも交わる八草駅
八草駅(愛知県豊田市)は、愛知環状鉄道と、磁気浮上式のリニアモーターカーがそれぞれ乗り入れています。
そして、それぞれの路線が十字に交差しているという、まさに便利な接続駅・拠点となっているわけです。
この「日本初」の磁気浮上式鉄道リニモが通っており、しかもまるで「浮いて走る」かのような感覚は、まさしく未来の乗り物ですね。
八草駅は、この2005年の愛知万博の際に大活躍した駅です。
リニアモーターカーへの乗り換え客が「ここで急に増える」という様子は、まさに地域の「結び目」という感じですね!
そもそも「愛知万博(2005年)」とは?
ちなみに愛知万博は、2005年に開催され、世界中の文化が集まり、さらには愛知環状鉄道も大活躍したという、まさに多くの人々が盛り上がった熱い185日間でしたね!
また、そもそも万博(万国博覧会)とは、世界中の国々が「新しい技術」や文化を持ち寄るという「地球規模の祭典」「世界規模のビッグイベント」のことです。
つまり、人類の未来をみんなで考えるかのような、まさにワクワクするような大きな博覧会ですね!
八草駅・愛知万博の、愛知環状鉄道への貢献度まとめ
つまり、八草駅についてまとめると、
- 愛・地球博の時は、愛知環状鉄道・リニアとともに、メインの輸送手段として大活躍した駅である。
- 現在もリニアモーターカーとの乗り換え地点駅として、重要な役割を果たしている。
というわけです!
岡多線(おかたせん)の誕生秘話と、愛知環状鉄道が黒字である理由
愛知環状鉄道の前身である岡多線には、戦後の日本における、貨物輸送の大計画が隠されていたのでした。
愛知環状鉄道の原型:岡多線(おかたせん)とは?
名古屋を避ける「バイパス」計画
愛知環状鉄道の原型となる岡多線(岡崎〜多治見をそれぞれ結ぶ計画だった路線)は、
- 当時はあまりも貨物列車が多すぎて、
- パンク寸前だった名古屋駅周辺をスルーして、
- 名古屋の東を迂回して荷物を運ぶ
ための「貨物バイパス」として期待されていました。
当時は高度経済成長期で、東海道本線の貨物量がものすごかったわけです。
混雑が激しかった名古屋駅を、迂回するために造られた
したがって、わざわざ混雑する名古屋を通らなくても、岡崎駅から北上して多治見駅(岐阜県)へ抜け、そこから中央本線に合流させれば効率が良い!と考えられたわけです。
すなわち、当初の計画・構想→頓挫の流れとしては、
- 元々は瀬戸市あたりを経由して、そこから中央線に繋ぐという、壮大な計画だった。
- しかし、時代とともにトラック輸送が主役になっていったことで、貨物列車の需要が激減。
- 結局、国鉄時代は「全通」することなく、一部区間だけによる赤字ローカル線になってしまった。
という経緯があったわけです。
「バイパス路線」とは?
バイパスとは、混雑やトラブルとなっている中心部を避けて、なるべく目的地へ早くたどり着くために作られた、いわゆる「回り道」「迂回ルート」のことをいいます。
この「バイパス」という言葉は道路ではお馴染みの言葉はですが、道路だけでなく、鉄道でも使われる考え方です。
愛知環状鉄道も、まさに東海道本線のバイパスとして作られたわけです。
当初「岡多線」のゴールとなるはずだった、多治見駅(岐阜県多治見市)
多治見駅(岐阜県多治見市)とは、岡多線が当初に目指したゴール地点です。
多治見市は、日本一暑い街としても有名で、その情熱的な「暑さ(熱さ)」には驚かされますね!

当初の愛知環状鉄道のゴール予定地・岐阜県多治見市の街並み
多治見駅(多治見市)については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

現在の(実際の)ゴール地点・高蔵寺駅(愛知県春日井市)
高蔵寺駅(愛知県春日井市)は、路線の北側の終着駅です。
名古屋中心部へ向かう多くの通勤客で賑わう、地域の活気あふれる玄関口ですね!

愛知環状鉄道と中央本線の合流点・高蔵寺駅(愛知県春日井市)
高蔵寺駅については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

かつての「大迂回貨物ルート」構想についてさらに詳しく
名古屋駅のパンクと、トラック輸送の台頭
愛知環状鉄道の原型となる岡多線が計画された当時はまだ、長距離輸送の主役は鉄道でした。
したがって、すべての荷物が鉄道に集中し、名古屋駅のような拠点は常に「満杯」状態だったわけです。
東海道本線は日本の背骨であり、貨物列車が数分おきに走っていました。
当時はまだ、トラック輸送よりも鉄道輸送の方が有利・一般的だった
1960年代の当時、まだ高速道路網が未整備だったため、大量輸送はまだまだ鉄道の独壇場・主流の手段でした。
すなわち、駅の線路が足りず、貨物をさばききれない「ボトルネック」が起きていたのです。
ボトルネックとは、まるでボトルの首のように、細くなっている場所のことをいいます。
これが存在すると、全体の流れがそこでせき止められてしまい、渋滞や遅れの原因となってしまう部分のことをいいます。
愛知環状鉄道という迂回ルートが出来たのも、当初は名古屋駅がボトルネックとなっていたからでした。
トラック輸送の普及 貨物鉄道の衰退
その後、高速道路である名神高速道路などが開通してゆき、工場と工場をそれぞれドア・ツー・ドアで運べるトラック輸送が主流になってゆきました。
鉄道だと、一旦駅で下ろしてから、さらに工場にまで運ぶという手間が必要だったため、それが不要なトラック輸送の方が便利だったのでした。
名古屋駅の変遷 「モノ特化」から「ヒト特化」へ
しかし、こうした名古屋駅の混雑解消は鉄道の「衰退」というわけでは決してなく、あくまで「役割の交代」だったと言えますね!
そして、その後の名古屋駅においては、貨物列車が元の場所から郊外の専用駅(名古屋貨物ターミナル駅など)へと移転しました。
そうして空いたスペースに、今度は「通勤電車」や「新幹線」をたくさん走らせるようになりました。
したがって、名古屋駅は時代の変化に合わせて、「モノの拠点」から「ヒトの拠点」へと劇的に進化していったというわけです。
岡多線の建設意義と、「超名古屋迂回ルート」構想
このように、名古屋を東に大きく迂回する、「超名古屋迂回ルート」という構想は、まさにその通り存在していました。
さらに詳しく深掘りしてゆきましょう。
東へ大きく迂回 太多線や城北線
国鉄は岡多線だけでなく、瀬戸線(すなわち、現在の東海交通事業城北線など)をも組み合わせて、まさに名古屋の外側に「大きな輪(ループ)」を作るという、まるで(同じく貨物路線として知られる)「東京の武蔵野線」のような壮大な計画を立てていたわけです。
そのため、もし岡多線が実現していて多治見へと繋がっていれば、そのまま太多線から多治見を北上してゆき、高山本線→岐阜へと直結する可能性も出てきたかたしれないわけです。
これにより、もしかしたら完全に名古屋を通らずして、関西方面・北陸方面へと抜けることができたかもしれない、というわけですね。
当初の貨物線の意義が無くなり、頓挫
しかし、こうした「夢のような構想」も、時代の変化によるトラック輸送へのシフト・転換によって、
という空気になり、建設意義がそもそも薄れてしまったのは悲しい事実ですね。
なぜ終点が「多治見」ではなく「高蔵寺」になったのか?
当初の計画では、ゴールは多治見駅でした。
しかし、結局最終的には高蔵寺駅がゴールとなったのには、様々な現実的な選択と、「時代やニーズの変化」が理由にありました。
高蔵寺ニュータウンの爆発的な成長

愛知環状鉄道と中央本線の合流点・高蔵寺駅(愛知県春日井市)
当時、高蔵寺駅の存在する春日井市においては、高蔵寺ニュータウンの建設が進んでゆき、多くの人が住むようになりました。
その結果、名古屋へと通う人が急増していました。
そのため、
という新たなニーズが出てきたというわけです。
建設コストの壁 多治見への山岳地帯を通せなかった
また、多治見方面へと抜けるためには、険しい山を越える長いトンネルを掘る必要がありました。
一方、高蔵寺駅であれば、途中に山が無くて平野続きであるため、比較的スムーズに中央本線に合流できるというメリットがあったというわけです。
最終的には、貨物よりも「通勤客」「通学客」へのニーズが優先された
したがって、
- 当初の貨物輸送の夢よりも、目の前にある「通勤・通学客」の利便性の方が優先された。
- 高蔵寺駅で中央本線に合流できれば、そのまま名古屋駅へと直通できるというメリットが大きかった。
すなわち、赤字に苦しんでいた国鉄にとって、コストの安い高蔵寺ルートは、現実的な選択肢だったわけですね。
かつて国鉄の夢見た「巨大環状線」は形を変えましたが、そのおかげで今の愛知環状鉄道が通勤・通学の足として黒字を出せていると思うと、歴史の不思議な縁を感じますね!
なぜ愛知環状鉄道は「奇跡の黒字」を成しえたのか?
多くの地方鉄道が赤字で苦しむ中、愛環がまさかの黒字を維持・キープできているのは、まさに
- 「最強の立地」(世界のトヨタがある)
- 「攻めの経営」
があったからですね。
「トヨタ自動車」への大量の通勤客

豊田市と矢作川(愛知県豊田市)
路線のすぐそばに、世界一の自動車メーカーであるトヨタ自動車の本社や工場が集まっています。
すなわち、毎日数万人単位の「通勤客」という、鉄道会社にとって「喉から手が出るほど欲しい」ような、安定したお客さんが確保されているわけです。
大学が集まる「学園路線」 多くの通学客
沿線には大学や高校が非常に多く、学生さんの通学利用がとても盛んであるというわけです。
特に、朝・夕方の時間帯は、会社員と学生の皆さんで車内がいっぱいになるほどです。
これは鉄道経営において、これ以上ない強みですね!
「愛・地球博」での大改造
さらには、2005年に愛知県で行われた万博に向けてより沢山のお客様を乗せられるよう、国から多額の補助金が出たことで、線路を2本にする「複線化」が大幅に進みました。
複線化:線路を上り用と下り用の2本にすること。
1本(単線)だと反対側の電車が来るまで待たなければなりませんが、2本あればスイスイ運行できます。
この複線化により、電車の本数を一気に増やすことができ、便利になったのでした。
さらに、このことで利用者がさらに増化するという「好循環」「正のループ」が生まれたわけです(ここだけは良い意味で「ループ」している!)。
万博+補助金 まさに「運を味方につけた」
このように愛知環状鉄道は、万博+国からの補助金という、まさに見事に運を味方につけたというわけです。
運も実力のうち、ということですね!
このように、もともとは貨物のための「裏道」として作られた線路が、今では地域を支える「主要ルート」に大化けしたというのは、本当に面白いお話ですよね。
沿線の名所紹介
愛知環状鉄道の名所:岡崎市と岡崎城

徳川家康の出身地・岡崎城(愛知県岡崎市)
岡崎市と岡崎城は、徳川家康が生まれた地です。
岡崎城は春の桜が絶景で、歴史の重みを感じて胸が熱くなりますね!
岡崎城については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

愛知環状鉄道の名所:矢作川

愛知環状鉄道の旅:矢作川(愛知県)
矢作川は、愛知環状鉄道に寄り添って流れる大河です。
車窓から見える雄大な川の流れには、いつも癒やされますね!

愛知環状鉄道の旅:矢作川(愛知県豊田市)
矢作川の用水
また、かつて矢作川の水は、まだ水道などのインフラが発達していなかった明治時代などにおいて、人々の生活における飲み水・農業・工業などに使う用水として使われてきました。
これを明治用水といいます。
この明治用水による豊かな水こそが、歴史的に愛知県東部に広がる三河平野を潤してきました。
そして、これによって潤された農業地帯こそが、まさに「日本のデンマーク」とも呼ばれた農業都市・安城市の基礎を築きました。
矢作川と秀吉のエピソード
また、この矢作川には、秀吉で知られるエピソードがあります。
すなわち、若き日の豊臣秀吉が、蜂須賀小六という武将と矢作橋で出会ったと伝わるエピソードです。

矢作川(愛知県岡崎市)
愛知環状鉄道の名所:豊田市
豊田市は言わずと知れた、世界に誇る「クルマの街」です。
豊田市およびトヨタ自動車の歴史については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

愛知環状鉄道の名所:瀬戸市
愛知県瀬戸市は、「せともの」の呼び名で知られる、いわゆる陶磁器で知られる街です。

愛知環状鉄道・瀬戸市駅(愛知県瀬戸市)
瀬戸市については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

おわりに・まとめ
愛知環状鉄道の奥深い地理や歴史を学んでみて、いかがだったでしょうか。
もともとは名古屋の混雑を避けるための「貨物バイパス」として計画されまざまな紆余曲折を経て、今の便利な通勤・通学路へと進化した背景には、驚きの連続がありましたね!
すなわち、路線のルーツを知ることで、一見すると普通の高架線も「ここは夢の跡なんだな」と感慨深く感じられるはずです。
これらの知識が加えることで、これからの観光や探訪が、より一層ワクワクする豊かな体験に変わるとよいですね!
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