長崎県大村市の観光・歴史について、西九州新幹線や長崎空港をはじめとする交通や経済の発展などを、わかりやすく解説してゆきます!
はじめに
大村市の「地理・歴史」を深く楽しむ旅へ!

大村駅(長崎県大村市)
さあ、今回は前回・前々回の大村湾の話に続いて、大村市の地理や歴史を深掘りしていきましょう!
このように、街が本来持っている様々な背景を知ることで、大村市の観光や旅行が何倍も面白くなってゆきます。
例えば、長崎街道の宿場町だった歴史を知れば、かつての古い街並みなどをを見る目がきっと変ってくることでしょう!
大村湾については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

大村線については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

大村市とは?九州のどこにある?

大村駅前の景色(長崎県大村市)
長崎県大村市は、九州地方の長崎県におけるほぼ中央に位置する都市です。
- 東側は、緑豊かな多良山系
- 西側は、以前にも解説した、波穏やかな大村湾
にそれぞれ面しています。
多良山系:長崎県と佐賀県にまたがる山々で、大村市の美しい景色の源となっています。
すなわち、海と山に囲まれた自然豊かな場所にある街であるというわけです!
長崎空港の存在(大村市)
この街の大きな特徴は、なんといっても長崎空港があることです。
すなわち、「長崎空港」という名前でありながら、県庁所在地の長崎市にあるわけではく、ここ・大村市にあるというわけですね。
しかも「大村空港」という名前ではなく、しっかりと県名を冠した「長崎空港」という名前であるというわけです。
このように、大村市は長崎県における「空の玄関口」としての役割も担っており、新幹線(西九州新幹線)の駅も出来たことで、交通の利便性がさらに高くなっています。
なぜ長崎市内に空港ができなかったのか
ではなぜ、県庁所在地である長崎市内に空港ができなかったのか。
これは長崎市における、独特な地形が最大の理由となっていました。
平地が圧倒的に足りなかったこと
まず長崎市は「坂の町」と言われる通り、山が海に迫っているような地形となっています。
そんな平地の少ない長崎市において、大きな飛行機が安全に離着陸できるような広大な平地のスペースを確保するというのは、物理的にとても不可能に近かったのです。
また、長崎市においては「霧」や「風」の影響も深刻でした。
長崎港周辺においてはどうしても地形的に霧が発生しやすく、そんな中において飛行機の安全な運航には不向きでした。
波が立ちにくい、おだやかな「大村湾」および「既存の自然の島」の活用
長崎市に空港建設のスペースが見つからない中、そこで目をつけたのが、波が静かで広大なスペースがある大村湾でした。
すなわち、世界初の海上空港として、元々大村湾に浮かんでいた自然の島である「箕島」を開発して、長崎空港を作ったのです。
したがって、確かに大村市(大村湾)だと長崎市からは少し離れていますが、安全面と効率面でにおいては最高の場所が選ばれたというわけですね。
長崎市の「ベッドタウン」としての特性(大村市)
また、大村市は長崎市や佐世保市へのアクセスもとても良くなっています。
「快速シーサイドライナー」を使えば、長崎市や佐世保市、さらには諫早市といった周辺の大きな都市へと素早くアクセスできます。
そのため、大村市はそれらの都市のベッドタウンとしても発展しています。
ベッドタウン:仕事は都会の職場へ通勤し、寝る(=ベッド)ことや普段の生活のときには自宅へ帰ってくるための、環境の良い郊外都市のことです。
西九州新幹線の開業で、大村市はどう変わった?
西九州新幹線が2022年9月に開業したことで、大村市の交通事情や人々の生活は、劇的に変わりました!
つまり新幹線の駅である「新大村駅」が街に新しく出来たことで、長崎駅までの所要時間が最速14分と、大幅に短縮されました。
これはすごいことですよね!
これにより、大村市の人々にとっては長崎市への通勤・通学・買い物などがそれまでと比べて格段に便利になり、先述のベッドタウンとしての魅力がさらに高まることとなりました。
今後の大村市 何が期待される?
また、今後大村市においては、新しく出来た駅周辺の整備が進んでいくことにより、観光客が増えたり、あるいは企業誘致が進んだりしていくことで、今後は街のさらなる発展が期待できるということですね!
「企業誘致(街へ企業を招き入れる)」のメリット
ちなみに、企業誘致のメリットは、新しい会社が来ることで、地元に安定した雇用の創出(仕事が生まれること)が期待できることにあります。
また、雇用の創出とは、地域に新しい「仕事の場」を作り出し、多くの地元の人々が働けるための環境を整えていくことをいいます。
例えば、街に大きな会社がドーンと存在していれば、多くの市民が従業員としてそこへ働きに行けるというメリットが生じるわけです。
逆に、西九州新幹線開業のデメリットには何かある?
このように、西九州新幹線の開業にはメリットが多い一方で、いくつかのデメリットも考えられます。
例えば、最も大きな懸念点の一つは、いわゆる「ストロー効果」とよばれる、大都市への人口・人々の流出です。
ストロー効果:地方から都市圏へ人や物が吸い出されてしまう現象のことです。
すなわち、まるでストローで水を吸うように、人や消費が他の地域(大都市)へと流出してしまう様子から、こう呼ばれます。
都市部へのアクセスが向上したことで、「人口流出」の可能性も
すなわち、このように新幹線によって長崎市や福岡市(博多)などへのアクセスがとても良くなってしまうことで、かえって多くの大村市民が仕事・就職・進学・買い物や娯楽などために、いわゆる市外・大都市部へと出ていってしまうという可能性があるというわけです。
こうなると地元のサービスはピンチに陥る可能性があるとあるわけですね。
大村市の中心地と、新大村駅の新たな利便性
ちなみに在来線(大村線)をうまく利用すれば、北へ2駅で新大村駅に着くため、とても便利になっています。
というのも、大村市の中心的な駅である大村駅から新幹線の新大村駅までは、わずか約2.5km、2駅(約4~6分)で到着することになります。
したがって、在来線を乗り継ぐことで新幹線へのアクセスが非常に便利になったと言えますね!
「竹松駅」が昇格しなかった理由
また、既存の「竹松駅」が「新大村駅」へと昇格しなかった理由は、果たしてどのようなものだったのでしょうか。
まず、新幹線の駅を建設するためには、巨大なホームや駅舎が必要になります。
しかしながら、歴史的に住宅街として発展してきた竹松駅周辺はすでに住宅が密集しており、それ以上敷地を拡張・拡大するということは困難でした。
すなわち、竹松駅は地元の皆さんの歴史ある「生活駅」であるのに対して、新大村駅は新幹線と大村線をそれぞれ繋ぐための、新しい広域ネットワークの玄関口として建設されたというわけです。
すなわち、元々あった竹松駅を壊して改造するというのではなく、「新しい役割を持つ新大村駅を、隣に作った」というわけですね!
新大村駅と「最長片道切符」の関連性 (大村市の観光)
西九州新幹線の開業で、大村市は最長片道切符の新たな「聖地」に
従来の「肥前山口駅」に代わる「最長片道切符」のゴール駅に?
また、2022年の西九州新幹線の開業に伴い、大村市に新しく出来た新大村駅は「最長片道切符」の新たなゴール駅でたった時期がありました!
これは驚きですね!
最長片道切符:JR線の路線網の中で、同じ駅や区間を二度通らずに、一筆書きでたどれる最長の片道乗車券のことです。
やるには相当な日数・難易度を伴います。
以前は肥前山口駅(現在の江北駅:佐賀県)が終点でしたが、西九州新幹線が開通したことにより、ルートが変わりました。
すなわち、以前は肥前山口駅回りをぐるっと回ってゴールというシンプルなルートだったのが、西九州新幹線の線路が登場したことによって終盤ルートをさらにジグザグの複雑なルートに作れるようになったため、距離もさらに長くなりました。
しかし、新大村駅はわずか1年半でその座を降り、現在は隣の竹松駅が新たなスタート地点となっています。
したがって、新大村駅は「最長片道切符の歴史を刻んだ駅」として、鉄道ファンの聖地の一つになっていますよ。
最長片道切符のルート、大村市内で「南北逆転」!
この最長片道切符のルートは「南北逆転」となりました。
すなわち、35年ぶりに九州から北海道へ向かう「北行」へと代わり、南北が逆転したというわけです。
現在の最長片道切符の状況(2024年4月1日以降)
先述の通り、新大村駅は2022年9月23日の西九州新幹線開業に伴い、一時的に「最長片道切符」の終点駅となっていました。
しかし、その座も約2年ですぐさま明け渡すこととなり、現在の終点駅は新大村駅ではなく、なんと北海道の長万部駅となっています。
現在のルートは、以下の通りです。
- 起点駅:竹松駅(長崎県大村市)
- 終点駅:長万部駅(北海道長万部町)
- 方向:九州から北海道へ向かう、つまり南から北へと向かうという「北行」
すなわち、この短い期間の間に、起点駅と終点駅がなんと同じ大村市内で入れ替わったというわけですね。
- 新大村駅(2022年時点での終点)→竹松駅(2024年以降の始点)
- 南行:北海道→九州へ向かうこと。長年こちらでした。
- 北行:九州→北海道へ向かうこと。35年ぶりにこちらになりました。
新大村駅が終点駅でなくなった理由
新大村駅が終点駅でなくなった理由は、主に大規模なルート変更などがあったことにあります。
最長片道切符 「南→北」へルートの変更理由
まず2024年4月1日に、北海道の根室本線の一部区間(富良野駅~新得駅)が廃止されたことなどにより、最長片道切符のルート全体がそもそも大きく変わってしまうこととなりました。
- このルートが廃止されたことで、北海道中央部を、ジグザグに距離を稼げなくなった。
- そのため、それまでは通っていなかった室蘭本線(長万部~苫小牧)の区間を通るしかなくなった。
- 北海道を一周するような「ループ」「6文字ルート」で締めくくる必要が出てきたため、袋小路となる宗谷本線は捨てざるをえなくなった。
- この「6文字ルート」で終わらせるには、北海道をゴール地点で終わらせる必要性がある。
- 北海道においてゴール地点となりうるのは、北海道をぐるっと一周回って6文字ルートとなることが可能な、長万部駅だけである。
- しかし、長万部駅の隣である静狩駅・二股駅をスタートにすると、長万部駅との距離がありすぎて、犠牲になる距離が大きくなる。
- そのため、新大村駅とわずか900mほどしか離れていない竹松駅がスタート地点として妥当だった(失う距離が少ないため)。
- 竹松駅がスタート地点として定まった結果、「新大村駅」をゴールとする「南行」ではなく、長万部駅をゴールとする「北行」となった。
補足説明:「6文字ルート」とは?
ちなみに先述の説明で出てきた6文字ルートとは、例えば、
- 南側:諫早駅→(新幹線)→新大村駅→(新幹線)→武雄温泉駅→早岐駅→新大村駅
- 北側:新函館北斗駅→長万部駅→(北海道一周)→長万部駅
みたいな、まるで数字の「6」みたいなルートのことで、最長片道切符で最大限にまで距離を稼ぐためのテクニックです。
この場合は新大村駅と長万部駅が2回登場しています。
最長片道切符でゴールを締めくくるには、最後がこの「6文字」となることが多くなります。
同じ駅は、2回「通過」してはいけない
また、片道乗車券では途中で同じ駅を2回通過してはいけないというルールとなっています(ゴール駅の場合は2回目でもOK)。
そのため、この6文字ルートを逆に進むと新大村駅や長万部駅を2回通ることになるため、アウトになります。
スタート地点が新大村駅ではなく、一つ北の竹松駅となっているのも、新大村駅を2回通過することを防ぐためというわけですね。
…他にも複雑なルールがたくさんあるのですが、到底書ききれません(^^;
最長片道切符のルート
最長片道切符のルートについては、以下のサブサイト(鉄道旅行を究極まで!Extra)でも語っていますので、ご覧ください。

非常に高レベルな知識と経験が求められる「最長片道切符」
このように、最長片道切符は非常に複雑なため、これらの
- 複雑なきっぷのルール
- 全国の鉄道路線マップ
などが「ほとんど頭に入っている」くらいの高レベルが要求されますね(^^;)
スタート聖地としての大村市(竹松駅)
また、最長片道切符のスタート地点が大村市の竹松駅になったことで、多くの人が大村市へと観光に訪れるチャンスとなりえます。
過酷で壮大な旅のスタート地点
すなわち、ここから出発して、遥か彼方のゴールである長万部駅まで、日本列島をグルグル・ジグザグに蛇行しながら旅をするという壮大な物語が、ここ・大村市の竹松駅から始まることになったのです。
このように、全国の鉄道を極めた猛者たちが「旅立ち」を決意して集う街となったのです。
また、大村市や竹松駅へのアクセスは、西九州新幹線や長崎空港、あるいは快速シーサイドライナーなども併用することで、北の果て・稚内からスタートするより難易度は下がることも考えられます。
新たな「旅立ちの街」としての第一歩
さらには、大村には美味しいものがたくさんあります。
そのため、「過酷な旅の前の、最高のご褒美タイム」を大村で過ごせるというのは、旅人たちにとって大きな救いになるはずですよ!
一筆書きで地球4分の1の長さにも匹敵する1万kmを超える、「最長片道切符」の旅。
その最初の一歩を、大村市の竹松駅より踏み出す。
このように、大村市が新たな「旅立ちの街」として、これからどんな物語を紡いでいくのか、本当に楽しみですね!
大村市の製造業
大村市における製造業は、市の経済を支える(多くの雇用を生み出し、人々の生活を支える)ための、大きな柱の一つとなっています。
交通の利便性を生かした「製造業」
例えば、大村市では特に「電子部品」や「デバイス」などの製造が非常に盛んに行われています。
これらが盛んになれる理由は、空港や高速道路が近いために、作った製品を素早く各地へと出荷できるという、物流・交通面の強みがあるからですね!
こうした便利すぎるほどの物流の拠点がしっかりしていることは、大村市に存在する企業にとっても最大の魅力といえます。
「ボートレース大村」の存在
また、大村市においては「ボートレース大村(競艇事業)」の存在も不可欠なものとなっています。
ボートレース大村は、「競艇発祥の地」として有名で、今も多くのファンに愛される大村市の主要事業です。
そして、このボートレース大村から得られる収入も、市の財政へ大きく貢献しています。
競艇がそれまで大村以外になかった理由
ではなぜ、そもそも競艇がそれまで大村以外には存在しなかったのか。
まず「競艇(ボートレース)」という競技自体そのものが、そもそも戦後の日本において新しく生み出されたのでした。
戦後、日本の復興資金を稼ぐために「新しい公営競技」を作ろうという動きが始まりました。
そこで白羽の矢が立ったのが、モーターボート競走でした。
元々海軍の拠点だったことで、ボートレース技術がスムーズに浸透した
また大村の地はもともと海軍の拠点であり、ボートを扱う技術や施設があらかじめ整っていました。
それに加えて、当時の大村市長たちの熱烈な誘致活動がありました。
したがって、1952年に大村市において「ボートレース大村」が日本で(=世界で)初めて開催され、しかも大成功を納めたというわけです。
大村市の食の文化「大村牡蠣」「イチゴ」
そして、大村ならではの自然豊かな土地を活かした農業では、イチゴなどの果物が有名です。
さらには、大村湾の漁業も盛んであり、特に大村牡蠣などは冬の特産品として親しまれています。
つまり、こうした技術と自然の恵みが、この街の人々の生活を支えているというわけですね!
長崎空港の存在(大村市)
長崎空港が大村市の街にもたらす、大きな収入・経済効果
そして、長崎空港が大村市にあるということは、非常に大きな経済効果をもたらしています!
長崎空港は、「長崎県の空の玄関口」としての役割を担い、人や物の流れを生み出します。
すなわち、
- 空港で働く人々の雇用
- 空港へ向かう人々を乗せるバスなど
- 旅行客による消費活動
が、そのまま市の大きな収入源となっているわけです。
したがって、空港があることで交通関連産業が栄えることはもちろん、他にも空港を拠点とした企業の誘致や、観光振興にもつながってゆくわけです。
このように、単に空港の運営自体そのものによる売上・利益だけでなく、それに伴ってついてくる間接的・付加的な経済効果もあわせて考えると、空港はやはり街の発展には不可欠な存在であると言えるでしょう!
世界で初めて「海の上に出来た」空港
長崎空港は、世界で初めての海上空港として、箕島という元々あった自然の島を開発して作られました。
それは、元々小さな有人島だった土地を拡張して作ったという、当時の驚くべき技術力によって作られたというわけです。
世界初の海上空港がそれまで無かった理由
もちろん1975年に長崎空港が誕生するまでにも、海を埋め立てて空港を作るという発想はあったのでした。
しかし、さまざまな制約により、なかなか実現には至りませんでした。
技術的なハードルが非常に高かった
海の上に巨大な滑走路を作るためには、強い波の力にも耐えることができるような、強固な護岸技術と、地盤沈下を防ぐための高度な土木技術が必要になってきます。
地盤沈下:埋め立てた土地などの地面が、「重み」などで少しずつ沈んでいってしまう現象のことです。
したがって、それまでは「陸地を削る」方が圧倒的に安くて簡単だったというわけですね。
騒音問題の深刻化
また時代とともにジェット機が登場し、それまでの陸上の空港周辺において大きな騒音被害が出てくるなどして、当時は大きな社会問題になっていました。
そのため、
- 技術は難しいが、海の上なら騒音を気にせずに、24時間運用できる
という海上空港のメリットが、コストをはるかに上回りはじめたのが、まさにこの「長崎空港」の時代だったというわけです。
大村湾という奇跡の条件
前にお話しした通り、大村湾は入り口が狭く、外海の荒波がなかなか入ってきにくい構造・地形になっています。
そのため、大村湾は世界で最初に海上空港を作るための「実験場」として、これ以上ないほど穏やかで最適な場所だったのですよ!
長崎空港の他への影響
長崎空港の建設技術は、言うまでもなくその後の他の空港建設にも応用されました(例:関西国際空港など)。
すなわち、長崎空港の建設で培われた「海を埋め立てて滑走路を作る」という画期的な技術は、その後の日本の巨大プロジェクトに計り知れない影響を与えました。
特に関西国際空港(関空)は、長崎空港という「偉大な先客」がいたからこそ誕生できたと言っても過言ではありません。
関西国際空港への技術移転:長崎が「教科書」だった
また、1994年に開港した関西国際空港は、世界初の「完全な人工島」による空港ですが、その建設に必要な基礎データは長崎空港から得られました。
例えば、それは地盤沈下の予測に関するデータと、それに対する対策の手法が確立されたことにあります。
一般的に、海を埋め立てると、土の重みで地面が沈みます(地盤沈下)。
しかし長崎空港では先述の通り、元からあった「箕島」という島を削り、その周りを埋め立てるという手法を取りました。
したがって、「どのくらいの厚さで埋め立てれば、どれくらい沈むか」という貴重な実例データが、日本で初めて手に入ったというわけです。
他の海上空港への広がり
長崎空港の成功を受けて、日本各地で「海の上なら24時間飛ばせる!」という海上空港ラッシュが起こりました。
- 中部国際空港(セントレア)
名古屋の沖合に作られたこの空港も、かつての長崎や関空の技術をさらに効率化して建設されました。 - 北九州空港・神戸空港
これらもすべて、長崎空港が開いた「海上空港」という扉の先にあります。 - 羽田空港の拡張(D滑走路)
羽田空港の新しい滑走路も、海の上にせり出す形で作られています。
したがって、現代の日本の空のインフラは、「大村湾から始まった」と言っても言い過ぎではないのです!
なぜ世界中が長崎空港を注目したのか
さらに当時、世界中の航空関係者が大村湾に視察に訪れました。
その目的は主に「騒音」と「土地不足」の同時解決にありました。
というのも、当時の世界中の大都市が抱えていた、
という悩みを、長崎が鮮やかに解決してみせたからです。
すなわち、長崎空港は世界の空港建設の歴史を変えた「革命児」であったというですね。
大村市と長崎街道の歴史的な関係
かつての大村市は、江戸時代に小倉と長崎をそれぞれ結んでいた「長崎街道」にとって、非常に重要な場所でした。
当時の主要ルート・長崎街道
鎖国をしていた当時、長崎は日本で唯一の海外との窓口でした。
そのため長崎街道は、当時の海外の情報や文化、そして砂糖などの貴重な品々が日本へ運ばれてくるための、当時の主要ルートであったというわけです。
また、大村市内には、
- 主要な宿場である大村宿
- 小さな宿場の松原宿
がそれぞれありました。
松原宿は、かつて長崎街道の宿場町として栄えてきた場所であり、今でも当時の歴史的な風情が、町の中にも色濃く残っています。
大名の豪華ホテル「本陣」が置かれた大村宿
また、特に大村宿には、大名などが宿泊するための本陣が置かれていたのでした。
本陣:江戸時代に、大名や公家などの身分が高い人が泊まるために指定された、特別な宿舎のことです。
本陣はどこの宿場町にでも置かれるわけではなく、限られた(大きな)宿場町にしか置かれません。
なので、本陣が置かれるほどの大村は、それだけ大きな宿場町であったというわけですね。
「シュガーロード」として栄えてきた大村の町
したがって、大村市は、街道の宿場町として経済的に栄えてゆき、さらには「シュガーロード」とも呼ばれる砂糖文化の広がりにも深く関わってきたわけですよ!
ちなみにシュガーロードとは、江戸時代に長崎から小倉へ砂糖を運んだ、長崎街道の別名です。
当時の砂糖は(寒い日本では)育てにくく・手に入りにくく、しかも薬や高級品として非常に珍重されたため、砂糖はとても重要な商品だったというわけですね!
日本で砂糖の生産が(なかなか)できなかった理由
もちろん江戸時代くらいまでには、日本でも「砂糖を作りたい!」という情熱はありましたが、それには大きな壁がありました。
それは、日本の気候が、そもそも「砂糖作り」に合わなかったことにあります。
砂糖の原料となる「サトウキビ」は、もともとは熱帯の植物であり、寒い気候の場所では育ちにくいのです。
したがって、冬に寒くなる日本の本州では、なかなか育てるのが非常に難しかったというわけですね。
そのため、当時の日本では砂糖はとても貴重であり、そんな珍しい砂糖(シュガー)が、長崎街道において運ばれ、行き交っていたというわけです。
おわりに・まとめ
大村市の地理や歴史を学んでみて、いかがだったでしょうか。
例えば、長崎空港や新幹線の「交通の要衝」という側面だけでなく、
- 長崎街道の宿場町としての歴史
- 自然豊かな地理的条件
が、この街の「人口増加」という奇跡を支えていることが見えてきたと思います。
したがって、これらの知識を持つことで、あなたの大村市への観光・旅行・探訪がさらに楽しく、心に残るものになることでしょう。
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