吉備の国・岡山県岡山市の観光・歴史に関連して、桃太郎の伝説・新型特急やくも・山陽鉄道の歴史などを、わかりやすく解説してゆきます!
歴史を学ぶ旅、岡山へ
今回は、岡山の観光について、一緒に学んでいきましょう!
岡山の観光の拠点・岡山駅

岡山駅(岡山県岡山市)
岡山へのアクセスは、山陽新幹線の停車駅である
- 岡山駅(岡山県岡山市北区)
がとても便利です。
すなわち、この岡山駅を拠点にすれば、岡山の数ある魅力あふれるスポットを巡ることができるというわけですね!
もちろん岡山の観光は、ただ景色を眺めるだけでもいいのですが、さらに深く楽しむためにこの地の歴史を知っておくと、なお観光の質が素晴らしくなることでしょう。

筆者、岡山駅より(岡山県岡山市)
江戸時代の岡山の中心「岡山藩」
岡山の歴史を語る上で外せない岡山藩は、かつて江戸時代に今の岡山県南部を治めていた、まるで大きな役所のような組織です。
江戸時代は現在のような「都道府県」「市町村」ではなく、約300ほどの「藩」という単位で存在していたというわけですね。
岡山藩について詳しくは、次回の記事でがっつり深く解説してゆきますね!
「岡山藩」という呼び名は江戸時代にはなかった?
実は江戸時代、現代の私たちが使う「~藩」という呼び方は、公的な場ではほとんど使われていませんでした。
「岡山藩」といった呼び名も当時は存在していなかったため、周囲の人々や領民(住民)たちは岡山藩のことを「池田家」(の領地)」や「池田さまのところ」などといったニュアンスで呼んでいたというわけです。
ちなみに「藩」という言葉が公用語として定着したのは、明治時代の廃藩置県の頃からということになります。
廃藩置県:明治時代に、それまでの「藩」を廃止して、新しく「県」を置いた政治的な改革のことをいいます。
岡山のシンボル・岡山城

岡山城(岡山県岡山市)
岡山城は本当にかっこいいお城ですが、
その黒い外観・デザインは織田信長・豊臣秀吉の時代のそれを継承している、いわゆる織豊系城郭とよばれるお城のタイプの大きな特徴と言えます。
織豊系城郭:織田信長や豊臣秀吉の時代のスタイルで作られた、豪華で軍事力の高いお城のことです。
宇喜多秀家による岡山城
岡山城は、江戸時代に入る前に宇喜多秀家(=次回に詳しく解説)という強い人により、当時のボス(上司)である豊臣秀吉の指導によって築城しました。
彼(宇喜多秀家)は、岡山の街の真ん中を流れる大きな川である旭川の流れを、(工事などによって)人為的に変えることて、川を「天然の堀(バリヤー)」として利用したのでした。
「旭川」の由来と、北海道の旭川との違い
ちなみに岡山の旭川と、北海道の旭川は、名前は同じですが、その由来は全く異なります!
岡山の「旭川」
まず岡山の「旭川」についても名前は諸説ありますが、
などの意味から、江戸時代頃にこの「旭川」という名前が定着したと言われています。
宇治の朝日山(あさひやま)説
また、岡山の「旭川」の由来に関する別の説としては、
- 京都の南側にあたる宇治にある山である「朝日山」に見立てて、
- とある昔の偉い人が、岡山を流れているこの川のことを「旭川」と呼ぶようになった
という説があるようです。

京都の宇治川。写真やや左側が岡山の「旭川」に関連していると思われる「朝日山」。(京都府宇治市)
すなわち、当時の知識人たちが
と感じたことが、「旭川」という名前の決め手になったのですね。
歌枕:日本の伝統的な和歌の中で、多くの歌人たちによって詠み継がれてきた、有名な名所や景色のことをいいます。
京都の宇治については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

したがって、この説は先述の江戸時代の「朝日が昇るから」という説よりもさらに古く、しかも文化的な憧れが詰まったような名前であったと言えそうです!
「朝日川」という書き方
また、かつては「朝日川」という表記も使われていたとのことです。
昔は現代ほど漢字の表記に関しては統一されていませんでしたから、こうした「表記揺れ」が存在しているというわけですね。
このように例え漢字は違っていたとしても、そもそもの根底にある「明るく輝く太陽」というイメージは共通しているというわけですね。
また、後述するように岡山は晴れの日が多い「晴れの国」と呼ばれますが、川の名前にまで「朝日」や「旭」という明るい言葉が入っているのは、なんだか運命を感じます!
このように、岡山の旭川が、後述する北海道の旭川のように「日が昇る川(アイヌ語)」とはまた違った、平安貴族のような優雅な由来を持っていることがよく分かりますね。
北海道の「旭川」の場合は?(由来)
こちらはアイヌ語の「チュプ・ペツ(日が昇る川)」を意訳して「旭川」と名付けられました。
すなわち、名前の響きは同じでも、ルーツはそれぞれ独立したものなのです。
ちなみに北海道の「忠別川」は、そのアイヌ語が音として残った名前ですね。
北海道の「旭川」の地名の由来についての考察は、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

岡山の名君・池田氏
池田氏は、江戸時代を通じて岡山を(大きな問題や反乱を起こすこともなく)長く安定的に治めてきた、とても名高い名門の家柄・家系・一族のことです。
特に、そんな名高い池田家のなかでも池田光政は、岡山の英雄ともいうべき名君として非常に有名です。
名君:領民(住民)のことを第一に考え、優れた政治を行った、立派な大名さま・殿様のことです。
すなわち、「関ヶ原の戦い」での徳川家に対して大きな貢献を果たした功績によって、まずは姫路藩主となっていました。
その池田家が、後に幕府の命令により岡山にやってきて、晴れて岡山藩主となりました。
こうして岡山のトップとして君臨した池田光政は、人々の頭を良くして学力を上げるために学校を建てるなど教育に熱を入れ、さらには洪水・氾濫・干ばつなどを防ぐために水利事業に、とても力を注ぎました。
また、世界に誇る庭園である、後楽園を造営しました。
こうして池田氏は幕末まで大きな反乱・内輪揉め・失敗などを起こすこともなく、幕末まで池田氏はその子孫が幕末まで、岡山の地を治めていったのでした。
このように、池田氏は江戸時代、
といった具合で、住民(領民)たちからは物凄く信頼され、慕われ、感謝されていたのでした。
廃藩置県→岡山県へ
その後、廃藩置県によって、江戸時代の岡山藩の名前がそのまま引き継がれ、岡山県となったというわけです。
また、岡山は「桃太郎伝説」の舞台としても知られ、温暖で晴れの多い気候から「晴れの国」とも呼ばれています。

筆者、岡山駅より(岡山県岡山市)
岡山に関する、様々な基礎知識
地名(岡山)の由来

岡山駅(岡山県岡山市)
また、岡山では「273系・新型特急やくも」がデビューしたことで、「出雲大社」を思わせるようなデザインや、岡山の豊富な砂・山陰の夕暮れなどを彷彿させるようなオレンジ色(ブロンズ色)に変化しましたね!
岡山の地名の由来は、
を「岡山城」と呼んだことに始まります。
岡山城については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

「273系新型やくも」とは何か
さて、一気に話題が現代に飛びますが、鉄道ファンや岡山県民の皆さんが今もっとも熱い視線を送っているのが、まさに「新型やくも(273系)」なのです!
これはこれまでも岡山駅と出雲市駅(島根県)を結んでいた特急「やくも」の新しい車両で、2024年にデビューしました。
最新の技術による、劇的に進化した「乗り物酔い対策」
従来の「やくも」は、険しい中国山地で連続する急カーブを無理矢理に高速で走り抜くために、車体を傾けるときに激しく揺れるため「ぐったりはくも」などと呼ばれることもあったのでした(元ネタは「ゆったりやくも」)。
- 元々、山陰と山陽をそれぞれ結ぶ交通手段は、高速バスが圧倒的に有利で、強かった。
- そのため、鉄道は圧倒的に不利だった。
- なぜなら、険しい中国山地を縦につらぬく伯備線は、あまりにも急なカーブの連続であり、まともにやってはスピードを出せなかった。
- そこで、険しい中国山地を、なかば無理矢理スピードを出す方法が考え出された。
- それが「振り子方式」だった。
- しかしこの当時の原始的な「振り子方式」は、人間の三半規管を狂わせ、人間の感覚に誤作動を起こさせるため、それが「酔い」の原因になっていた
- その結果、「日本一酔う特急列車」「ぐったりはくも」などと呼ばれる始末に。車内にも「エチケット袋」が常備されていた。
- このように「特急やくも」では、長年にわたり、スピードを出す代わりに「乗り心地」が犠牲になっていた。
- しかし2024年デビューの「新型やくも」は、最新のテクノロジーで「酔い」を見事に解消し、エチケット袋も撤廃された。
このように、新型やくもは「車上型制御付自然振り子方式」という最新技術を使い、酔いの原因となる揺れを劇的に抑えています!
山陰・岡山の伝統を思わせる、新たな豪華デザイン
また、273系の「新型やくも」の車体は「ブロンズ色(青銅色)」であり、これは主に「山陰の夕陽」や「備前焼の赤み」などをイメージした、とてもリッチで高級感のある姿・ルックスをしています。
このように、「新型やくも」は岡山の伝統文化と最新のテクノロジーが見事に融合したという、最高にかっこいい特急列車なのです!
このように、歴史のロマンから最新の特急まで、岡山は本当にマニア魂をくすぐるような話題が尽きませんね!
「新型やくも」に乗って、池田家が整備した岡山の街並みを眺める旅、なんていうのも素敵だと思いませんか?
特急やくもについては、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

岡山に伝わる「桃太郎伝説」
桃太郎伝説は、岡山に伝わる、勇気と冒険のワクワクする物語ですね!
つまりこの「桃太郎伝説」は、かつて吉備津彦命が温羅という伝説の鬼を退治した、というお話がモデルになっていると言われています。
吉備津彦命:はるか昔の岡山(=吉備国)の一帯を平定したとされる、日本の神様たちの孫にあたる皇族・英雄のことです。
温羅:岡山県の吉備地方に伝わる、伝説の「怖い人」「強く大きな人」「鬼」のことです。
- 吉備津神社には、かつての大昔にこの地域に残る伝説である鬼退治の伝承が残っています。
- きびだんごは、岡山の有名なお土産になりました。
- この「鬼退治」のエピソードは「吉備津彦命」の伝説とともに、仲間と協力する大切さを教えてくれます。
また、温羅は単に怖い鬼というだけではなく、彼は岡山に「製鉄」の技術や、土木技術をもたらした恩人でもありました。
吉備津彦命と、天照大神の関係性は?
ちなみに「桃太郎」と同一人物・同一神とされる吉備津彦命の、天照大神から見た立ち位置とは、果たしてどのようなものでしょうか。
吉備津彦命は、日本の神様たちの家系図ベースで考えると、と天照大神の直系の孫にあたります。
つまり、わかりやすくいえば天照大神は桃太郎さんにとっての、遠いおばあちゃんにあたるというわけです。
このように吉備津彦命は、日本の大昔の第七代天皇である孝霊天皇の皇子(息子)にあたるため、「桃太郎」は神様の先祖の血を引いて受け継ぐ英雄ということになります。
以上まとめると、
- 天照大神(太陽の神様・日本のたくさんの神様たちの、偉大なご先祖)
↓(数代あと) - 神武天皇(日本の初代天皇)
↓(さらに数代あと) - 孝霊天皇(第7代天皇:桃太郎のお父さん)
↓ - 吉備津彦命(桃太郎のモデル)
となります。
このように、天照大神は吉備津彦命にとって、神様の世代でいうと10代以上も離れた「直系のご先祖様」にあたります。
したがって、桃太郎が鬼退治に持っていたあの強さや勇気は、太陽の神様・天照大神からはるか受け継いだ「神様の血筋」によるものだった、という見方もできるわけです!
岡山に晴れが多い理由
岡山は「晴れの国」とよばれるほど、年間を通じて晴れの日が多い地域になります。
ではなぜ、岡山に晴れの日がとても多いのかについて、詳しく分析してゆきましょう!
「四国山地」「中国山地」大きな山が、雨雲をブロックしてくれる
まず岡山という土地は、
- 南北を四国山地と中国山地という2つの「天然の巨大バリヤー」に囲まれ、
- それらの巨大な山が雨雲をブロックしてくれるという、
- 瀬戸内海式の気候の地域に位置している
ということが、「晴れの日が多い」要因です。
2つの巨大な山の上で、大量の雨に変換され降り注ぐ
すなわち、これにより、
- 日本海・太平洋側からの(水分をたっぷり含んだ)風が、
- これら(中国山地・四国山地)の険しい山によってブロックされる。
- このとき、水分を大量に含んだ空気は山に沿って登って行き、雲→雨へと変換される
- これにより、太平洋側(主に高知県など)や日本海側(鳥取県や島根県など)へ、それぞれ多量の雨を降らせることになる
ためです。
逆に、山の反対側の高知県・島根県・鳥取県などは雨(雪)が多くなる
逆にいえば、
- 台風などをもろに受ける高知県
- 日本海側からの雨風をもろに受ける山陰地方
は、岡山のようにいわゆる雨雲をガードしてくれる山が無いわけですね。
そのため、岡山の対極にある高知県や山陰地方は、年間を通じて雨が多い地域となってしまうというわけです。
天気のよい瀬戸内海
もちろん、これは岡山だけではありません。
例えば、広島をはじめとする瀬戸内海においても、年間を通じて天気の良い、まさに「温暖な気候」となります。
こういった地理的な条件により、岡山や広島といった瀬戸内海沿いの地域においては、
- 降水量が、年間を通して少ない
- 日照時間が長く、温暖な気候がもたらされる
という、まさに「晴れの国」と呼ばれるようになったのでした。
明治時代・山陽鉄道の駅として開業した岡山駅

筆者、岡山駅より(岡山県岡山市)
また、岡山市の中心駅である岡山駅は、明治時代の1891年に、いわゆる私鉄の山陽鉄道の駅として開業した駅という歴史があるわけですね。
山陽鉄道:明治時代にかつて兵庫県から山口県までを結んでいた、国内最大級の私立鉄道会社のことです。
山陽鉄道とは何か?については、以下の記事でも基本から解説していますので、ご覧ください。

そしてその後、1906年に軍事目的で国有鉄道として国に買い取られ、さらには戦後の現在のJR西日本の駅となったという歴史があるわけです。
そもそも「山陽鉄道」とは?
ここで山陽鉄道とは、まだ鉄道黎明期にあった明治時代に設立され、現在のJR西日本・山陽本線の前身にあたる私鉄(民間)の鉄道会社です。
すなわち、「鉄道建設ブーム」だった明治時代の当時、地元の金持ちたちがお金を出しあって作っていった私鉄会社になります。
私鉄会社が作られた理由
明治政府は、お金がなくて鉄道を自前で引けませんでした。
したがって、西南戦争の戦費で財政が苦しくなった政府は、民間の力を借りることにしたのです。
金持ちたちは、投資として鉄道に大きな魅力を感じたのですね!
- 現在の東北本線の原型を作った私鉄会社である日本鉄道の成功を見て、「民家の鉄道会社で線路を作っていこう!」というブームが起きた。
- 鉄道建設の予算を出す余裕が無くなっていた政府が、このような民間の鉄道建設を積極的に許可・推奨・推進していった。
- さらには、当時はいずれ来るかもしれない戦争に備えて、兵員や軍事物資を運ぶといっま軍事的な目的も、鉄道には重視された。
西南戦争:1877年、西郷隆盛を中心とした(「刀」や「苗字」「秩禄(給料)」などの武士の特権などを奪われた)士族(元・武士)たちが、明治政府に対して反乱を起こした、日本最後の内戦のことです。
日本鉄道およびそれを推進した岩倉具視については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

西南戦争については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

明治時代はじめは全国各地で「鉄道建設ラッシュ」だった
この山陽鉄道は、まさに「全国(私鉄)鉄道建設ラッシュ」のさなかにあった明治時代の1888年(明治21年)に設立されたのでした。
そして、
- 神戸(東海道線の終着駅)
- 下関(当時は馬関)
までをそれぞれ結ぶ鉄道路線を、建設・運営していったのでした。
山陽鉄道が下関まで延びた
そして明治時代当時の山陽鉄道が、ついに馬関(つまり今の下関)へと全ての区間がつながったのは、1901年(明治34年)のことでした。
当時「馬関」と呼ばれていた下関については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

すなわち、ここに神戸から下関までの山陽鉄道全線が開通し、西日本が一本のレールで結ばれることとなりました。
このように長い年月をかけて全通した瞬間は、きっと当時の人々にとっては感動的なことだったでしょうね!
- 当時の下関駅は、馬関駅という名前で開業しました。
- この全通により、九州への連絡が格段に便利になりました。
- 鉄道の開通により、それまでは「徒歩」や「馬」などがメインだった山陽地方の物流や人の移動が、劇的にスピードアップしました。
しかし一方、それまでは
- 山陽道という、江戸時代までの徒歩または馬による、何日間もかけて移動する道(陸のルート)
- 瀬戸内海の上を進む船(海のルート)
などのような移動手段がメインであったというわけです。
江戸時代までの山陽道とは何か?ついては、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

瀬戸内海の船との競合 国内初の食堂車などでシェア獲得強化
また、山陽鉄道は1894年の日清戦争において、
- 軍事輸送
- 明治天皇を、広島大本営まで送り届けるため
に、大きく貢献したのでした。
広島大本営:1894年の日清戦争において、明治天皇が広島で指揮を取るために、一時的な軍事拠点となった場所です。
広島大本営については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

鉄道と「瀬戸内海の船」との競合
さらに、当時まだ瀬戸内海の船と競合していた山陽鉄道は、当時としては珍しかった日本初となる食堂車や寝台車を導入するなどして、既存の船と対抗してゆきました。
競合:同じ目的のために、複数の相手が互いに競い合う状態のことです。
もちろん既存の船も、決して黙ってこれを見ていたわけではなく、価格を下げるなどして、鉄道に対抗してゆきました(しかし結果は、残念ながら鉄道の勝ちとなりました)。
こうして、山陽鉄道は船からお客様のシェアを勝ち取るためにサービス向上にも努めていたのでした。
競合の末、鉄道の時代に 瀬戸内海の船の衰退
先述の通り、瀬戸内海はかつて江戸時代までは船の交通がとても盛んでしたが、明治時代になると山陽鉄道の登場によって、両者の間で激しい競争が始まりました。
したがって、
- 鉄道は「速さ」で勝負
- 船は「安さ」で対抗
したというわけです。
どちらが便利か、当時の人たちも頭を悩ませたかもしれませんね!
しかし結局は鉄道の勝ちとなり、船は衰退を余儀なくされてしまいました。
- 鉄道は時間が正確であり、天候にも左右されにくいこと。
- それでも船には、重い荷物を一度に安く運べるという強みがあった。
- しかし最終的には、スピードに勝る鉄道(貨物列車)が主役になってゆき、船は衰退を余儀なくされた。
1906年 鉄道国有化へ
こうして民間の鉄道会社として始まった山陽鉄道ですが、国の軍事力強化のために1906年(明治39年)に「鉄道国有法」により国有化されたのでした。
そして戦後に国鉄(日本国有鉄道)を経て、現在のJR山陽本線となるに至っているというわけです。
今回はここまで・続きは次回
おわりに:岡山の吉備の国としての興味深い伝統や、岡山県岡山市の観光、さらには岡山藩・桃太郎の伝説・新型特急やくも・山陽鉄道の歴史などについて学んでみて、いかがだったでしょうか。
今回は長くなりましたので、続きは次回に解説してゆきます!
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