岡山観光をするのに知っておくと楽しい歴史(備前国の成り立ち、岡山の川がもたらした恵みなど)について、わかりやすく解説してゆきます!
歴史を学ぶ旅、岡山へ
今回も前回に続き、岡山の観光・歴史などについての話題となります!
このシリーズは全3回であり、今回は第2回目【中編】になるので、まだ観られていない方は以下の【前編(第1回)】の方もご覧ください。


岡山駅(岡山県岡山市)
岡山藩の歴史
池田氏を中心に栄えてきた岡山藩
江戸時代は、岡山市を拠点した地域は、池田氏を中心とする岡山藩による支配となっていました。
岡山藩は、江戸時代に
- 備前国(現在の岡山県東部)
- 備中国の一部
をそれぞれ領有した藩になります。
岡山城に置かれた「藩庁」
藩庁は岡山城(岡山市北区)に置かれ、次回詳しく解説しますが、江戸時代のほとんどの期間を池田氏が治めたのでした。
藩庁:藩の政務を執り行った役所のことです。
県における「県庁」「市役所」などに相当する言葉です。

備前の国・岡山
はるか昔の岡山は、かつて備前国と呼ばれていました。
備前国(びぜんのくに)とは?
備前国とは、現在の岡山県南東部にあたる、かつての日本の古い国名です。
- 備前国:岡山市周辺
- 備中国:倉敷市周辺
- 備後国:広島県福山市周辺
- 美作国:岡山県津山市周辺
また、備前国の政治の中心地・中心機関となる国府は、現在の岡山市に置かれていました。
これは、現在でも岡山県庁が岡山市に置かれているのと似ていますね。
非常に大きな国だった「吉備国」
ちなみに備前国は、まだ飛鳥時代にあたるはるか昔の7世紀後半に、元々あった吉備国という非常に大きな国が、分割されて成立したのでした。
つまり、現在の岡山県に加えて、備後国にあたる広島県福山市までをも含めるような、非常に大きな国だったというわけです。
「吉備国」が3つの国に分割された理由
ではなぜ、「吉備国」は3つの国に分割されたのか。
- 吉備国は、かつてさまざまな理由により勢力を付けすぎていたため、
- 中央政府より、脅威に感じられてしまった
という事情・理由があったからです。
豊富な経済力が、当時の大和朝廷にとって脅威だった
当時の大和朝廷にとって、
- 豊かな生産力→吉井川・旭川・高梁川という岡山を代表する3つの大きな川が作り出した、広大な平地と米の生産量がある。
- 鉄の文化→吉井川が大量に運んできた、鉄(剣)の材料となる砂が豊富にある。
などといった羨ましい要素ばかりを持つ吉備国は、もし放っておくと自分たちの脅威になりかねないような存在に映ったのでした。
そのため、勢力を削ぐために吉備国は3つの国に分割され、それぞれ備前国・備中国・備後国となったのでした。
大和朝廷も恐れた、吉備国の強大な生産力
吉井川がもたらした広大な平地による高い農業生産力
また、この吉井川が大量に運んできた土砂によって作られた広大な平地・肥沃な土地は、「米作り」をするために最適な環境にあったのでした。
これは他の地域(国)には無かったような、羨ましくなるようなアドバンテージの土地だったでした。
こうした環境のおかげで、吉備国(昔の岡山県)は、当時の日本でもトップクラスのお米の生産量を誇ることができたというわけです。
吉井川がもたらす大量の砂から生まれる、たたら製鉄
また、吉井川の上流では歴史的に「たたら製鉄」が盛んであり、そこではクオリティの高い武器や農具を作る技術が極めて高かったのでした。
それに加えて、上流の中国山地からは、「切れ味の良い剣」を作るために必要な、これまたクオリティの高い良質・上質な「砂鉄」が流れ出してきていました。
このように、こうした「材料」や「技術」などの大きな「強み」をもとに、吉備国の人々は優れた武器や農具を作る「製鉄技術」を手に入れたというわけです。
大和朝廷の焦り 吉備国の生産力を削ぎたかった
また、
- 食料も武器も自給自足できる
- 独自の文化を持つ
といったスーパーハイスペック国だった吉備国は、中央の大和朝廷からみればまるで「もう一つの日本」がそこにあるかのような、決して見過ごすわけにはいかないような存在でした。
「吉井川の土」がもたらした、備前焼や剣(岡山)
岡山の東を流れる吉井川が運んできた豊かな資源は、はるか昔から、備前・岡山地域にとっては不可欠な工芸文化を支えてきました。
備前焼の土と、刀剣(備前伝)
戦乱が当たり前だったその昔、切れ味の良い「剣・刀」を作るためには、良質でクオリティの高い「鉄」と、高熱にするため火を焚くための「水」や「燃料」が必要です。
その点、吉井川の周辺(特に伊部地域)においては、古くから剣・刀を作るのに必要な鉄分を多く含んだ、粘りの強い「ひよせ」と呼ばれる土がたくさん堆積していました。
大昔は、吉井川は舟での「交通」の役割も果たした
また、昔は高速トラックも貨物列車もありませんでしたから、主に「川」「舟」で荷物運びをするのが主流でした。
そのため、吉井川の水運を利用して、上流から、
- 大量の鉄:いわゆる川が運んでくる、砂に混じった天然の原料
- 薪:鉄や剣を作るときに、高熱に燃やすための「燃料」として重要
といったものを大量に運んできたため、下流(備前地域)において最高のクオリティを誇った剣がたくさん生産され(打たれ)ることとなりました。
吉備国の「母なる川」だった吉井川
このように、吉井川はまさにはるか昔の岡山(吉備国)を支えてきた、「母なる川」「ものづくりの大動脈」だったのですね!
当時はまだ貨物列車も高速トラックも無かったため、陸路よりも船の方が便利でした。
そのため吉井川の存在は、中国山地な山奥に眠っていた資源を海へと運ぶ「天然のハイウェイ」として、人やモノ、情報をそれぞれ繋いでいたというわけです。
中国山地の削られやすい土地が、吉井川に大量の土をもたらした
また、吉井川の流れが運んでくる水に土が多く含まれているのは、中国山地のおかげであり、これも、地形の成り立ちが大きく関係しています!
中国山地は、もともと風化しやすい・粉々に砕け散りやすい「花崗岩」という岩石によって出来ています。
風化:岩石が空気や水、温度の変化などによって、ボロボロにもろくなっていくような現象のことをいいます。
風化によって削られた岩 その削られて出来た砂が、大量に下流へもたらされた
すなわち、雨や風の「風化」によって山が削られてゆき、細かくなった砂や土が、急流である吉井川によって、一気に下流へと運ばれました。
したがって、あの広い平野や良質な粘土の層は、長い年月をかけて山が(川によって)自らを削ってゆき、また川がそれらをプレゼントしてくれたものである、というわけです。
反対側の鳥取県・日野川付近でも行われていた、たたら製鉄
たたら製鉄は、反対側の鳥取県・日野川付近でも行われていました。

日野川(山陰本線)(鳥取県)
「たたら製鉄」の超重要拠点・鳥取県日野川流域
鳥取県の日野川流域は、岡山の吉井川と並んで「たたら製鉄」の超重要拠点でした。
実は、岡山側(山陽)からすると中国山地の向こう側にあたる鳥取側(山陰)は、日本全体の鉄生産を支えた「鉄の王国」の両輪だったのです!
日野川の鉄 さらに「北前船」で日本各地へ送られた
日野川で作られた鉄は、川を下ってからは日本海側の米子へと運ばれ、さらにそこから北前船に乗って、全国各地へ出荷されていったのでした。
北前船とは、まだ貨物輸送も航空輸送も無かった江戸時代、日本海を通って北海道と大阪を結んでいただ、巨大な船のことをいいます。
すなわち、岡山が「瀬戸内海ルート」なら、鳥取は「日本海ルート」で日本の経済を支えていたというわけですね!
なぜ鳥取でも岡山でも盛んだったのか
では、なぜ鳥取でも岡山でも、「たたら製鉄」が盛んだったのか。
それは、中国山地という大きな「宝の山」が、豊富な砂鉄をたくさん持っていたからです。
すなわち、中国山地を形作る花崗岩に、鉄の原料となる「砂鉄」がたっぷり含まれていたからですね。
岡山藩の特産品
岡山藩の特産品としては、以下のようなものがあります。
- 長船の刀剣
- 備前焼
長船とは(岡山県瀬戸内市)
長船とは、岡山県の地名です。

赤穂線・長船駅(岡山県瀬戸内市長船町福岡)
この地域は、日本刀の最も有名な産地の一つとして知られています。
剣が盛んな長船 その理由は?

赤穂線・長船駅(岡山県瀬戸内市長船町福岡)
また、岡山の長船で剣が盛んな理由は、先述の通り、これまでたくさん説明してきたのでもうおわかりだと思いますが、
- 良質な砂鉄が手に入りやすい、抜群の自然条件
- 山陽道と吉井川水運がそれぞれ交わる、非常に便利のいい交通の要衝の地にあること
- その「舟」により、作るための材料や、作った(売るための)成品が運びやすかったこと
- さらに商業都市・福岡(備前福岡)の市に集まるという市場性(つまり「売りやすさ」)があること
などにあります。
長船で作られた刀剣は、特に「備前刀」と呼ばれています。
また、その美しさと切れ味から、全国の武将たちにとても人気があったというわけです。
上記の長船駅を通り、兵庫県と岡山をそれぞれ結ぶ赤穂線については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

今回はここまで 続きは次回
おわりに:今回は長くなったので、続きは次回に解説します!
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