声も可愛らしいキャラクター「春日部つむぎ」について、埼玉県春日部市の宿場町・鉄道・産業の歴史を交えて、わかりやすく解説してゆきます!
- 埼玉県春日部市を愛する「春日部つむぎ」さん
- おわりに・まとめ
埼玉県春日部市を愛する「春日部つむぎ」さん
今やYouTubeなど様々なメディアにおいてたくさん登場する「春日部つむぎ」さん。
彼女の声はとても可愛らしく滑舌もよくて癒される、まさに現代の人気キャラクターといっていいでしょう。
埼玉県春日部市の魅力を発信するキャラクター
まずは彼女の基本的なプロフィールから見ていきましょう。
春日部つむぎさんは、埼玉県春日部市の文化や魅力を発信する、地域愛にあふれたキャラクターです。
- 春日部市の「親善大使」を目指して活動している。→はじめは非公式に頑張っていたものの、2024年頃から春日部市からも認知されはじめ、ほとんど公式のような存在になっています。
- 実は「ずんだもん」でおなじみのSSS合同会社によるキャラクターではない(ここ、意外と勘違いされやすいポイントですね!)。
- 音声合成ソフトのVOICEVOXで、無料で誰でも声を使えるように公開されている。
彼女は性格は明るくて、また滑舌もよくて、声も可愛らしく、地元思いの良い子です!
「春日部つむぎ」の声も入っているソフト「VOICEVOX」とは
VOICEVOX(ボイスボックス)とは、
- 喋らせたいテキストを書いて入力して、
- 好きなキャラクター(例えば春日部つむぎやずんだもんなど)の声を選んで、
- テキストを正確かつかなり滑らかな発音で読み上げてくれる
という、とても便利で人気な無料の音声合成ソフトのことです。
ちなみに私は勉強用(地理や歴史など)のメモを書きためておき、それをVOICEBOXに入れ、(滑舌のよい)春日部つむぎの声で喋らせて勉強用・作業用BGMにしています!
ずんだもんについては、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

VOICEVOXとAIによる最新技術の関連性
また、VOICEVOXにおける彼女の「声」の正体についてお話しします。
このVOICEVOXにおけるしゃべり声におけるイントネーションがとても流暢で機械っぽくない・人間っぽいのは、AIによる最新のディープラーニング(深層学習)技術を使っているからということになります。
ディープラーニング:コンピュータが人間のように経験から学ぶ技術で、大量のデータから特徴を自動で見つけ出す仕組みのことです。
ディープラーニングがもたらす、とても人間味あふれる発音
つまり、VOICEVOXでは人間の普通な発音パターンをAIが学習し、それによって「機械っぽさ」が無い、自然な抑揚を再現しているというわけです!
すなわち、あの独特の「人間っぽさ」は、AIが膨大なデータを読み込んだ努力の結晶であるというわけですね。
このように、春日部つむぎさんの声が本当の人間の女の子っぽく、さらには感情がとてもこもっているように聞こえるのも、最新の技術の進歩のおかげであるというわけです!
地理:春日部市ってどんなところ?
彼女が背負っている本拠地である埼玉県春日部市は、地理的にも歴史的にも、とても興味深い場所となっています。
春日部市は、埼玉県東部に位置している街であり、
- 東北地方へと延びる道路である国道4号や、
- 江戸時代には同じく東北へのルートであった奥州街道や日光街道(※後述)を通って、北へと向かう旅人たちがワイワイと賑わっていた
というような、まさに歴史的に多くの人々やモノがここを通ってきた(あるいは宿泊したり休憩・食事・買い物などをしてきた)という、交通の要所となっています。
このように、春日部の町は古くから交通やモノを運ぶための物流の拠点として、非常に重要な役割を持ってきた都市であるというわけです。
江戸(東京)にも近く、北へ向かう人の多くはまずこの春日部を通ることになったわけですね。
交通の要所・春日部:国道と鉄道の歴史
先述の通り、まず春日部の地理を支える道と線路には、歴史上の深い物語があります。
「国道4号」とは?
春日部市をも通る国道4号は、東京と青森をそれぞれ結ぶメインの大きな(かつ重要な)道路であり、鉄道でいうと東北本線や東北新幹線にほぼ準拠しています。
また、江戸時代の奥州街道や日光街道のルートを、ほぼ踏襲しています。
言い換えれば、奥州街道・日光街道の険しいジャリ道を、自動車も通れるようにキレイに舗装したものが国道4号というわけです。
も、こうした活気があるからかもしれません!
奥州街道とは?東武日光線などとの関連性
先述の国道4号の原型であり、またかつての春日部(当時は粕壁)をも通っていた奥州街道とは、
- 江戸時代に幕府によって整備された、
- 徒歩や馬などで約10日~20日ほどかけて、途中の宿場町に泊まりながら、
- 江戸(東京)から東北地方(現在の福島や宮城)を結んでいた、当時のメインルート
のことです。
この奥州街道はまだ道が現代のようにキレイに舗装されていない、江戸時代の道でした。
そのため、現代と比べたら砂利や険しい峠道も多かったのでしたが、それでも当時としてはキレイに整備され、画期的な道でした。
また、参勤交代の大名行列はもちろん、松尾芭蕉も江戸時代はじめの「おくのほそ道」における東北地方への旅で、この道を通りました。
また、
- 東京から日光へ向かう東武日光線や、
- 東京から栃木県・群馬県の内部まで向かう東武伊勢崎線
も、栃木県まではこれら街道に沿うように敷設されました。
奥州街道や国道4号も、歴史的な「東北地方へ向かうルート」
すなわち、国道4号や奥州街道は、昔も今も「東京から北へ向かうメインルート」であるというわけです。
したがって、春日部は古くからたくさん旅人やモノ・荷物、さらには参勤交代の大名行列が行き交うといった、とても多くの人々でガヤガヤ・ワイワイと賑やかな場所だったのです!
このように、春日部では今でも歴史的な街道が、現代の国道や鉄道へと別の形へ変えて生き続けているというのは、なんとも興味深いものを感じますね。
春日部つむぎさんがこの地を愛するのも、こうした活気があるからかもしれません!
鉄道のミステリー:なぜ東北本線は春日部を避けたのか?
ちなみに今のJR東北本線(宇都宮線)が春日部を通っていないのには、さまざまな歴史的な理由があります。
なるべく「真っ直ぐ」なルートを目指した
明治時代、当時の民間の金持ちの人々がお金を出しあって出来た私鉄会社である日本鉄道(現在のJR東北本線)は、なるれく最短距離のルートになるように、東京から北を目指して、まっすぐに線路を敷設していったのでした。
※なぜ民間の人々がお金を出しあって私鉄会社を作ったのかというと、1877年の西南戦争で国が予算を使い果たし、国に鉄道建設の余力が無かったからです。
春日部の街は、東北本線のやや東側に外れている
粕壁宿(すなわち春日部の街)や奥州街道・日光街道は、現在の東北本線のやや東側にあります。
そのため、東北本線の線路を敷設していくのに、
- 春日部に寄り道していると、かなり遠回りになってしまい、
- はるか北の東北地方への所要時間が、より多くかかってしまう
ということが考えられたからですね。
東北本線の原型・日本鉄道および、その日本鉄道に深く関わった岩倉具視については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

明治時代、東北本線(日本鉄道)はとにかく「真っ直ぐ」なルートにした→春日部は通らなくなった
このように、元々あった曲がりくねった街道沿いではなく、何もない直線のルートを選んで、東北本線の線路を敷いていったのでした。
すなわち、当時の建設技術では「早さ」と「安さ」が最優先だったのです!
しかしその結果として、元々宿場町として栄えていた粕壁(春日部)の町は、東北本線のメインルートから外れてしまうことになりました。
東武鉄道による逆転劇:取り残された粕壁宿(かすかべしゅく)を救った情熱
このように、せっかくの宿場町なのに、鉄道が来なかった当時の春日部の人たちのガッカリした顔も想像に難くないわけですが、そこで決して諦めなかったのが春日部のすごいところです!
すなわち、後に東武鉄道が通ったことにより、かつての宿場町は再び活気を取り戻すことになるわけです。
東武鉄道は、街道沿い(江戸時代の奥州街道・日光街道のすぐそば)に線路を通したのでした。
すなわち、東武鉄道(伊勢崎線・日光線)は、先述の東北本線(日本鉄道)から取り残された宿場町や地元の需要を拾い上げるためというのも、建設の理由の一つでした。
つまり最初から人が多く集まる「粕壁宿」を通るルートを計画したというわけです。
すなわち、かつての元からあった「古い街道の賑わい」を、そのまま「鉄道の乗客」へと変えようとしたわけです!
鉄道がもたらした、今に残る春日部の賑わい
この素晴らしい決断のおかげで、春日部(粕壁)の江戸時代からの町は、明治時代からの鉄道の時代になっても、取り残されずに済みました。
春日部つむぎさんが今、春日部の名前を背負って活動できるのも、東武鉄道のルート選び・英断のおかげだったのかもしれませんね!
鉄道忌避説の真実:あわてて誘致した「オチ」はあったのか?
また、例えば
- 宿場町が蒸気機関車の吐く煙を恐れて鉄道を拒絶したものの、
- 後で後悔して、東武線を呼んだ
…というお話、実は半分正解で半分は「都市伝説」に近いんです。
かつて明治時代は、
- 「蒸気機関車の黒い煙で、洗濯物が汚れる」
- 「火の粉が散って、家や畑が火事になる」
などという理由で鉄道に反対したという説がありました。
すなわち、このような形で
というイメージが定着したというわけです。これを鉄道忌避説といいます。
鉄道忌避説:主に明治時代に鉄道が開通するときに、宿場町などが「蒸気機関車のはく煙で、環境が悪くなる」などの理由で反対したという説のことです。
ただし、最近の研究では否定されることが多いお話です。
このように、「火の粉で火事になる」など、当時の人々が蒸気機関車のことをまるで「巨大で真っ黒な化け物」などのように恐れたエピソードについては、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

むしろ危機感を持って鉄道を誘致した、粕壁宿
しかし、実際には粕壁宿の人たちは、むしろ積極的に鉄道を誘致しようと動いていたという記録があるそうです。
つまり、粕壁(春日部)の町に当初は鉄道が来なかったのは「反対したから」ではなく、あくまで
という技術的な理由が大きかったというわけです。
粕壁(春日部)の町を衰退から救う 東武鉄道の登場により逆転
しかしながら、東北本線(日本鉄道)に無視されてしまったことで街が一時的に衰退しそうになったのは事実です。
そこで、「このままではいけない!」と地元の有志の人々が立ち上がり、私鉄である東武鉄道を引っ張ってきた…という流れは、まさに起死回生の逆転劇ですね!
春日部つむぎさんも、そんな地元のガッツや不屈の精神を受け継いでいるのかもしれません。
松尾芭蕉も旅した『おくのほそ道』の足跡(春日部)
実は、あの有名な俳人・松尾芭蕉も、江戸時代の東北地方への旅行である「おくのおそ道」の旅で、江戸から東北に向かう途中で春日部に来ていたんですよ!
「おくのおそ道」東北への旅で訪れた粕壁(春日部)
江戸時代はじめの1689年、松尾芭蕉はまず江戸を出発して、東北(みちのく)地方へと向かうために、まず最初の宿泊地として「粕壁」を選んだのでした。
しかし、当時はあまりの暑さに体調を崩しそうになったため、例えば「つはものが夢のあと」(※)などのような句を詠む余裕もなかったと言われています。
※これは松尾芭蕉が岩手県の平泉を訪れたときの、かつての奥州藤原氏の金ピカの栄光をしのんで(切ない思いで)詠んだ句です。
かつて松尾芭蕉も訪れた岩手県・平泉については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

句こそ存在せず しかし今も残る芭蕉の足跡
したがって、いかにも「教科書に載るような名句」は、この地(春日部)では生まれることはありませんでした。
しかしながら、あの松尾芭蕉が旅をして歩いたのと同じ道を、今私たちが歩いていると思うと、なんだか不思議な感じがしますよね!
なんて想像しちゃいます。
世界最大級の放水路である、首都圏外郭放水路(通称:地下神殿)
次は、春日部市にある首都圏外郭放水路(別名:地下神殿)の正体についてみてゆきましょう。
「地下神殿」こと首都圏外郭放水路は、春日部の町にとっては、洪水・氾濫から町を守るための、まさにヒーロー・救世主のような施設です。
地下神殿が存在する理由:水害防止のため
なぜこのような「柱が並ぶ神殿」のようやものが存在するのか。
それは洪水・氾濫防止のためです。
古くから春日部周辺の地域は、利根川や荒川といった大きな川に囲まれた、まるで「お皿の底」にあるかのような低い土地であったのでした。
利根川については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

荒川については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

歴史的に「暴れ川」に悩まされてきた、春日部の町
このように、春日部の町は、昔から大雨が降るとすぐに洪水が起きる「暴れ川」の被害に悩まされてきたというわけです。
すなわち、洪水から街を守るために、溢れた水を地下へ逃がす巨大なトンネルが必要だったのです!
したがって、あの巨大な空間はただカッコいいだけではなく、春日部の人たちの命を守るための「盾」なんですよね。
そう思うと、あのまるで神殿のようなたくさんの、柱一本一本がより頼もしく見えてきます!
春日部つむぎさんの背景に、あの巨大な柱が並ぶ幻想的な風景を重ねると、なんともワクワクしちゃいますね!
麦わら帽子の秘密:なぜ春日部で有名に?
また、春日部市では古くから「麦わら帽子」の生産が盛んであり、今も伝統工芸として残っています。
江戸時代、春日部周辺の地域においてはお米の裏作として、副業として生活の足しにするために、「小麦」の栽培が盛んに行われていたのでした。
裏作:メインの「お米」を作っていない時期に、空いた時間を利用して、同じ田んぼで別の作物(小麦など)を育てることです。
麦わら帽子は「最強の副業」だった!
先述の通り、この「麦わら帽子作り」は、まさに農家の副業としてスタートしました。
当時はあくまで「お米」がメインの収入源であり、小麦は「(お米が作れない)冬の間のつなぎ」という扱いだったのでした。
そこで、収穫後に副産物として大量に出来てしまう「麦わら」を、そのまま捨ててしまうのはもったいない、という節約精神から生まれたのでした。
すなわち春日部の「麦わら帽子」は、家族全員で内職をして、少しでも家計を助けようとしたという、昔の人々の工夫の産物なのです!
大ヒット商品となった、春日部の「麦わら帽子」
この春日部の「麦わら帽子」は大ヒットとなりました。
明治時代には海外へ輸出されるほどの規模となり、もはや「副業」の枠を超えるほど、麦わら帽子作りは春日部を支える大産業へと成長しました。
このように、初めはあくまでも「おまけ」程度で始めたに過ぎなかった副業が、やがて大ヒットして世界に羽ばたくという現象は、まるで現代のネットでバズる現象に似ており、とても興味深い面ですね。
同じく麦わら帽子が盛んな、岡山県倉敷市
また、このような麦わら帽子の名産地は春日部の他にも、以前解説した岡山県倉敷市(浅口市周辺)も知られています。
干拓事業と「麦わら帽子」の深い結びつき 塩分に強い「麦」の栽培
岡山・倉敷市の麦わら帽子がなぜ盛んになったのかについてもみてゆきましょう。
江戸時代、当時の岡山藩のトップであった池田氏が、大規模な干拓を行いました。
つまり、
- 海を水門などによって閉じて、海水を干上がらせて、
- 陸地を作り、農地を広げていく
というような大規模な工事を行っていったわけです。
しかし、海を埋め立てたばかりの土地は、元々は海の底だったために、塩分が強い土地でした。
そのため、お米を育てるのが難しかったのです。
そこで、こうした「(かつて海の底だった)塩分の強い台地」に対して、
- 塩分に強い「綿」を作っていったり(これが倉敷で有名なジーンズの原点)、
- 裏作として、同じく塩分に強い「麦」を植えていく
ということが推奨されていったというわけです。
したがって、こうして「干拓」によって海を干上がらせてできた土地においては、塩分に強い「麦」を育てるのが一番の解決策だったのでした。
倉敷の干拓の歴史については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

副業としての「麦わら細工」
また、そうして麦を収穫した後には、先述の春日部のケースと同じように、大量の「麦わら」が副産物として残ることになります。
そのため、農家の人たちは、この麦わらを使ってまるで真田紐のように編むという「麦わら真田」を作り始めました。
すなわち、このようにして農家の人たちが副業で編み始めたのがきっかけだったというわけです。
これが、のちの麦わら帽子作りへと発展していったのです!
干拓→かつて海の底だった陸地→塩分に強い「綿」「麦」を育てた
このように、
- 岡山・倉敷のジーンズの原料となる「綿」も、
- 麦わら帽子の原料となる「麦」も、
すべては「塩分に強い植物を育てる」という、当時の人たちの熱くて強く切実な願いから始まっていると思うと、とても感慨深いものがありますね!
今では職人さんが減ってしまっていますが、軽くて涼しい春日部の麦わら帽子は、今も全国にファンがいるんですよ。
春日部つむぎさんも、麦わら帽子を被ってたら普通に可愛らしくて似合いそうですね!
春日部・野原ひろしの通勤事情
最後に、みんな大好き『クレヨンしんちゃん』のひろしさんの話題です!
春日部は、現代では『クレヨンしんちゃん』の舞台として、世界的に有名なアニメの聖地になっていることはよく知られています。
JR線の無い春日部市 東武伊勢崎線で通勤か
彼はおそらく、最寄りの春日部駅から東武伊勢崎線(スカイツリーライン)で都心へ通っているものも思われます。
春日部市街地にJR線は存在しないわけなので、私鉄の東武伊勢崎線で通勤しているというわけですね。
勤務先の「双葉商事」は東京都心部にある設定・描写が多く、毎日1時間近く列車に揺られながら通勤しているものと考えられます。
すなわち、彼は日本を代表する「頑張るサラリーマン」の象徴なのです!
満員電車に揺られて家族のために働くひろしさん…本当にかっこいいお父さんですね!
春日部つむぎさんも、駅のホームで通勤途中のひろしさんとすれ違っているかもしれません。
意外な豆知識:「春日部つむぎ」の苗字の由来
実は、彼女の名前にも面白いこだわりが隠されています。
苗字の「春日部」は、もちろん地名から取られています。
しかし、かつてこの地を治めていた「春日部氏」という武家が由来になっているという説があります。
つまり、彼女の名前を呼ぶことは、地域の歴史を呼ぶことと同じなんです!
地元の歴史を苗字に背負って、新しい時代の「声」として活動する彼女は、まさに春日部の希望の星ですね!
私も彼女の軽快なトークを聞いていると、ついつい埼玉県に行きたくなってしまいます。
おわりに・まとめ
以上、このように春日部の歴史を知ると、春日部つむぎさんというキャラクターへの愛着もさらに深まりますね。
歴史ある宿場町から、アニメという新しい文化の発信地へ。満員電車に揺られて家族のために働くひろしさん…本当にかっこいいお父さんですね!
そのバトンを受け取って、デジタルな存在である春日部つむぎさんが活動していると思うと、歴史の繋がりを感じてとても興味深いですね。
そんな、たくましくてちょっとお茶目な地元精神が、春日部つむぎさんの「明るく元気なキャラクター」にも反映されているような気がしますね。
彼女の元気な声を聞きながら、江戸時代から続く街道を探訪する…そんな休日も素敵だと思いませんか?
コメント