【広島・三原】地理・観光・歴史を、わかりやすく解説!【後編】

広島県三原市の観光・歴史について、初代三原駅の糸崎駅や、新幹線建設のさまざまな歴史・経緯などを、わかりやすく解説してゆきます!

  1. 今回も、広島県三原市の話題
    1. 今回は、三原市の鉄道の歴史
  2. 「初代三原駅」だった糸崎駅
    1. ​糸崎駅が「三原駅」だった時代の物語
      1. ​糸崎駅は、初代「三原駅」だった
      2. 当初は三原市街地への乗り入りが困難 そのため糸崎に駅ができた
      3. 機関庫やメンテナンス施設・拠点が作られ、糸崎駅は大きく拡張していった
      4. ​現在の三原駅の誕生と、「糸崎」への改称
      5. これにより、糸崎駅と三原駅の役割分担が明確に
    2. ​なぜ糸崎駅が重要だったのか
      1. かつての「糸崎機関区」の存在
      2. ​鉄道の要衝としての設備が充実していたこと
      3. ​糸崎機関区に備わった、巨大な給水塔と石炭補給場(貯炭場)
      4. 機関車の向きを変えてあげる​「転車台」
      5. かつて​機関区で延々と続けられていたメンテナンス作業
    3. ​鉄道職員たちの暮らしと「不夜城」の賑わい
      1. ​高給取りの専門職
      2. 「​詰所(つめしょ)」の熱気
      3. 眠らない町・糸崎
      4. 今でも残る、かつての糸崎の「にぎわい」の跡
  3. 三原の新幹線の歴史
    1. ​尾道の市街地を避けた新幹線ルート
      1. 「尾道の​美しい景観を守りたい」新幹線は市街地を大きく回避に
      2. 景観への懸念と、線路の忌避(きひ)
    2. 尾道と三原 どちらに新幹線駅を作るか論争
      1. ​広島~福山間の「空白地帯」争奪戦
      2. 当初の計画は「どちらか一つ」
      3. ​当初の本命は「新尾道」
    3. 三原市長による、必死の誘致活動
      1. ​長尾正三市長の熱意と戦略
      2. ​逆転の「三原駅」決定と尾道の焦燥
      3. 三原への客足流出
    4. ​新尾道駅の建設
      1. 今もなお広がる尾道の美しい景色
  4. おわりに・まとめ

今回も、広島県三原市の話題

前々回前回から解説している広島県三原市みはらしですが、前回は山陽道三原城の交通の歴史などをメインに解説してきました。

前々回の記事

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今回は、三原市の鉄道の歴史

さて今回は主に、三原市鉄道の歴史について、鉄道ファンや地元の歴史に詳しい方の間では有名な、非常に興味深いエピソードについて語ってゆきます!

「初代三原駅」だった糸崎駅

現在の三原駅みはらえき(広島県三原市)の開業前は、隣駅の

  • 糸崎駅いとざきえき(広島県三原市糸崎)

こそが初代の「三原駅」を名乗っていたのでした。

かつて「初代三原駅」だった糸崎駅(広島県三原市糸崎)

かつて「初代三原駅」だった糸崎駅(広島県三原市糸崎)

実は、今の糸崎駅いとざきえきが、かつては「三原」という名前を背負っていた時期があるのです!

​糸崎駅が「三原駅」だった時代の物語

尾道~糸崎間の景色(山陽本線)(広島県)

​糸崎駅は、初代「三原駅」だった

1894年(明治27年)に、当時の地元の金持ちたちによって作られた私鉄会社である山陽鉄道(現在のJR山陽本線の原型)が、広島まで延伸されたときに、現在の糸崎駅の場所に、初代の「三原駅」が作られました。

山陽鉄道さんようてつどう:明治時代にあった私鉄会社です。今のJR山陽本線を作った会社になります。

山陽鉄道の歴史については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください

【山陽鉄道の歴史】わかりやすく解説!
現在の山陽本線の原型となる、明治時代の山陽鉄道の歴史について、初心者の方にもわかりやすく解説してゆきます!はじめに:今回は、山陽鉄道の歴史​今回は、現在の山陽本線の原型となる、明治時代の山陽鉄道さんようてつどうの歴史を一緒に学んでゆきましょ...

当初は三原市街地への乗り入りが困難 そのため糸崎に駅ができた

山陽鉄道尾道から西へと延伸してきたときに、現在の三原駅付近は前回も解説した三原城の石垣やお堀がそのまま残っており、そのために工事が非常に難航していました。
これにより、三原市街地(城跡)まで線路を引いてくるのに時間がものすごくかかるため、仕方なく少し手前の平地である糸崎いとざき地域(当時は糸崎浦)に駅を作り、そこを暫定的に「三原駅」と名付けることになったのでした。

つまり、現在の糸崎駅は明治時代の開業当初は「三原駅」だったというわけです。

機関庫やメンテナンス施設・拠点が作られ、糸崎駅は大きく拡張していった

その後、2年間にわたりこの糸崎駅は山陽鉄道(当時)の終着駅だったため、今でも駅の敷地に膨大に広がっているような機関庫メンテナンス施設・拠点が作られてゆき、糸崎駅拡張してゆきました。

すなわち、このときまさに「鉄道の町」としての基礎が築かれていったというわけです。

​現在の三原駅の誕生と、「糸崎」への改称

​しかし、その約2年後、線路がさらに西へ伸びてくることになりました。
​1894年(明治27年)、ついに現在の場所に新しい駅ができました。
すなわち、三原の城下町のすぐ近く(すなわち、現在の三原駅の場所)に対して、新しい駅が作られることになったのでした。

これによって、それまでの三原駅(糸崎駅)は新しく出来た駅に「三原駅」という名前を譲ることになりました。
一方、もともとの(従来の)三原駅は、その地名(糸崎)をとって「糸崎駅」へと改名されました。
すなわち、今の三原駅は、実は「2代目」ということになります!

  • 初代三原駅:現在の糸崎駅(1892年から約2年間は、三原駅
  • 2代目三原駅:現在の三原駅(1894年12月に開業)

これにより、糸崎駅と三原駅の役割分担が明確に

また、これによって、

  • 三原駅は「旅客と街の玄関口」
  • 糸崎駅は「列車の操車・整備の拠点」

という、現在の運行系統の分断に繋がる役割分担が明確になったわけです。

​なぜ糸崎駅が重要だったのか

かつての「糸崎機関区」の存在

かつて存在した糸崎機関区は、当時の鉄道職員たちにとっての「聖地」であり、また町全体の経済をも潤すという、まさしく巨大な経済の心臓部・中心部でした。

機関区きかんく:昔の機関車を配置し、運転や整備を行うために、鉄道職員たちが働く・待機・休憩するためのエリアです。
今でいう「車両基地」ですが、当時はどちらかというと「職人たちの村」に近い雰囲気でした。
機関区とは?については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください
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​鉄道の要衝としての設備が充実していたこと

まだ​蒸気機関車(SL)が主役だった時代には、糸崎は大都市・岡山広島のそれぞれの中間地点に位置するという、まさしく完璧な「給油・メンテナンスポイント」という位置付けにありました。

そのため、当時の糸崎は広島と岡山の中間休憩地点みたいな感じで、最適の場所だったと同時に、多くの鉄道職員たちが働いていたというわけです。

​糸崎機関区に備わった、巨大な給水塔と石炭補給場(貯炭場)

また、蒸気機関車以前の記事(当サイト)でも解説したとおり、走るためのエネルギーとして大量の水と石炭を消費します。
蒸気機関車の動く仕組みなどについては、以下の各記事でも解説していますので、ご覧ください
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したがって、糸崎には巨大な
  • 給水塔きゅうすいとう:たくさんのを蓄えておき、蒸気機関車へものすごい速さで水を供給する
  • 貯炭場ちょたんじょう:たくさんの石炭(蒸気機関車にとっての「ご飯」)がおいてある
があり、ここで蒸気機関車のエネルギーをフルチャージして、次に来たるべき険しい山越えに挑んでいました。

機関車の向きを変えてあげる​「転車台」

また、蒸気機関車は基本的に前向きに走るのが得意です。
逆に言えば、後ろに走るのが非常に苦手というわけです。
そのため、機関車を地面の巨大な転車台てんしゃだいという大きな台の上に載せて、機関車の向きを「ぐるっ」と変えてあげるわけです。
糸崎で運行を終えたり折り返したりする機関車の向きを変えるためにも、転車台不可欠でした。
転車台とは何か?については、こちらの記事(当サイト)でも解説していますので、ご覧ください。

かつて​機関区で延々と続けられていたメンテナンス作業

また、こうした機関区においては、一日の運行を終えた蒸気機関車
  • 火を落とす
  • ススを払う
  • 車両の各部を点検する
こうした高度な専門技術を持つプロフェッショナルな鉄道職員たちが、24時間体制で働いていました。

​鉄道職員たちの暮らしと「不夜城」の賑わい

糸崎が最も輝いていたのは、そこに集まる「人」、つまりエネルギッシュ活気あふれる鉄道職員さんたちの力によるものでした。

​高給取りの専門職

機関士整備士は、当時としては極めて高い技術を要する花形職業でした。
したがって、非常に「高給取り」だった彼らのふところは非常に温く、町の店へとたくさんのお金を(娯楽などで)落としてくれまため、彼ら鉄道職員の皆さんは町からとても感謝されたというわけです。

「​詰所(つめしょ)」の熱気

また、仕事終わりの詰所つめしょにおいては、待ち時間を利用して、職員の皆さんが先輩・後輩関係なく将棋囲碁花札などで盛り上がるというのが日常風景でした。
詰所つめしょ:主に機関区などにおける、職員さんたちの待機場所です。
すなわち、こうした詰所における日常的な風景は、まさにこれから命がけで、蒸気機関車という「巨大な鉄の塊」を操ろうかとする男たちの、まさに「束の間の休息」だったというわけですね!

眠らない町・糸崎

鉄道は24時間、絶えず動いています。
たとえその日の仕事走り終えた電車であっても夜には休憩してメンテナンスしないといけません。
そのため、機関区の鉄道職員さんたちは、たとえ夜間であっても常にいつでも勤務できるようにする必要もあったわけです。
また、仕事を終えた後の「娯楽」も、鉄道職員の皆さんにとっては嬉しいひとときでした。
それゆえに、糸崎駅の周辺の飲食店旅館・娯楽施設は常に繁盛することとなり、町はまさに「不夜城ふやじょう」のような活気をていしていました。
不夜城ふやじょう:夜になっても灯火が消えず、賑わっている場所のことです。
糸崎は鉄道の灯りと、そこで遊ぶ人々の熱気により、夜通し明るかったと言われています。

今でも残る、かつての糸崎の「にぎわい」の跡

こうした糸崎の町にもたらされた利益は計り知れず、町からは鉄道職員の皆さんたちは非常に感謝され、当時の糸崎三原・尾道エリアの中でも独特の存在感を放っていたというわけです。
​今では機関区は廃止されているため、その頃の賑わいは消えてしまったかもしれませんが、それでも現在、糸崎駅のホームから見える広大な空き地は、
  1. かつて数え切れないほどの蒸気機関車たちが凄まじい音を立てて煙を上げ、
  2. 大勢の鉄道職員の皆さんたちが汗を流した
という、まさに輝かしい歴史の跡地なんですね。
そんなかつての活気面影を考えると、今の静けさが少し寂しく、またロマンチックに感じられるのではないでしょうか。

三原の新幹線の歴史

さて、ここからは三原新幹線の歴史について語っていきましょう。

​尾道の市街地を避けた新幹線ルート

1974年に岡山博多の区間で延伸開業した、山陽新幹線

​当初、そんな山陽新幹線のルート選定においては、尾道市は非常に難しい立場にありました。
簡単にいうと、尾道市街地の中には新幹線の線路は通らなかった(通せなかった・わざと通さなかった)というわけです。

「尾道の​美しい景観を守りたい」新幹線は市街地を大きく回避に

その根底には、尾道市民の人々の「美しい景観を守りたい」という思いがありました。
すなわち、尾道の山の手にある寺社仏閣や坂道の風景を、巨大な高架橋トンネルで破壊することへの強い抵抗感があったとちうわけです。

もしこれが、山陽新幹線を現在の在来線・尾道駅のある市街地の真ん中にでも通そうとすれば、あの風情ある山や坂道の風景を、巨大な高架橋トンネルでぶち抜くことになってしまうからですね。

景観への懸念と、線路の忌避(きひ)

よく知られている通り、尾道は坂と寺の町です。
すなわち、もしそんな美しい市街地に対して新幹線の高架橋を通したりすると、その美しい景観が壊れてしまうわけです。
そのため、当初の新幹線のルート選定に関しては、当時の尾道市民から強い慎重論が出てしまったのでした。

忌避きひ:嫌って避けることをいいます。当時は騒音問題などもあり、新幹線のことを「迷惑施設」と捉える風潮も一部にありました。
このように、尾道市においては市街地を通るルートを避け、新幹線の線路は「やや北の山側」を通るという形となりました。

尾道と三原 どちらに新幹線駅を作るか論争

​広島~福山間の「空白地帯」争奪戦

まず、広島~福山間のいわゆる「空白地帯」における争奪戦がはじまりました。

すなわち、​山陽新幹線の駅設置基準として、主要駅である広島駅福山駅の間(約100km)には、必ずどこかに駅が必要でした。

当初の計画は「どちらか一つ」

1975年(昭和50年)の山陽新幹線岡山博多間)の建設当時、福山駅広島駅という区間は、あまりにも長すぎました。
これだと、

  • 何か新幹線にトラブルがあったときに、途中で止まるための駅
  • のぞみ号などの通過待ちをさせるための駅

が存在しないことになります。

そのため、「(福山駅広島駅の間に)中間駅を作る」という方向で検討が進められていたというわけです。
そしてこのとき、立地的にも近い三原市尾道市のどちらに駅を置くかが、大きな争点となりました。

​当初の本命は「新尾道」

また、当初の本命候補は、あくまで「新尾道駅」でした。
地理的な中心に近いことや、観光地としてのネームバリューから、国鉄(当時)の内部でも新尾道駅が有力視されていたというわけです。

三原市長による、必死の誘致活動

​ところが、当時の三原市長である長尾正三ながおしょうぞうという方が、この状況を巻き返しにかかります。
長尾正三市長は、1960年代から70年代にかけて三原市長を務め、「新幹線の父」とも称される人物です。

​長尾正三市長の熱意と戦略

​まず、長尾正三ながおしょうぞう元市長の功績は、三原の歴史において極めて大きいと語り継がれています。

長尾市長は、

新幹線が来なければ、三原の発展はない

と確信し、強力なリーダーシップで誘致活動を進めました。

​すなわち、新幹線を何がなんでも誘致したいという「同意の署名」を集めたりり、

三原駅なら、在来線(山陽本線・呉線)と直接つながる
という、三原ならではの利用者にとって圧倒的な利便性を武器に、必死のロビー活動を展開してゆきました。
​ロビー活動政治家官庁などに働きかけて、自分たちの有利なように、物事を進めてもらうための交渉のことをいいます。

​逆転の「三原駅」決定と尾道の焦燥

こうした三原市による懸命な誘致活動の​結果として、新幹線の駅はついに三原駅に併設されることが決定しました。
しかしこの決定が下された瞬間、尾道市の空気は一変します。

三原への客足流出

こうして、1975年に三原駅が開業すると、尾道の利用客も便利さゆえに、一気に三原駅へと流れていってしまいました。

このように、かつて歴史的に商都あるいは「景観の美しい観光地」として栄えてきた尾道にとって、三原に遅れを取ってしまうということは、深刻な脅威となってしまったのでした。
すなわち、尾道はまるで「新幹線から見放された街」という危機感に包まれてしまったというわけですね。

​新尾道駅の建設

このような三原の成功を目の当たりにした尾道市は、なりふり構わず「自前で駅を作る」という請願駅の道を選んだのでした。
そこで、1988年に「請願駅せいがんえき」という形で、三原に遅れること13年、地元の全額負担に近い形で新尾道駅を誕生させたのでした。

請願駅せいがんえき:鉄道会社ではなく、自治体住民の側から「お金を出すから駅を作ってほしい」とお願いして作られる駅のことをいいます。

したがって、当初は自分たちで遠ざけたはずの新幹線を、今度は自分たちのお金(約62億円)を払って、(当初の「新尾道駅」構想を)山の中に呼び戻すことになったというわけですね。

今もなお広がる尾道の美しい景色

しかしながら、尾道はそれでも美しい景観が守られただけあって、今でも風光明媚な景色が広がる美しい観光地となっています。
そんな尾道の景色が広がるのも、新幹線という利便性を失ったことによって今に至るまで保たれてきたものもあるのかもしれませんね!

尾道の観光・歴史については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください

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おわりに・まとめ

いかがだったでしょうか。

今回・前回・前々回の計3回にわたり、広島県三原市の歴史や地理などについて学んできました。

特に小早川氏(小早川隆景)といった三原の英雄や、やっさ祭り・タコといった三原名物、あるいは糸崎駅三原駅さらには新尾道駅新幹線の鉄道の歴史、糸崎駅機関区の歴史まで、三原市の歴史は探せば探すほど興味深い点がたくさん出てきます。

三原市は、学ぶとたくさんの発見があるとても興味深い街です。
もし、今後あなたが三原市観光・旅行・探訪される際に、よりよく充実したものとなれば嬉しい限りです!

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