鉄道唱歌 東海道編 第11番 再び東海道本線に戻り、相模川を渡る 茅ヶ崎・平塚・大磯を行く

まずは原文から!

支線(しせん)をあとに立ちかへり
わたる相模(さがみ)の馬入川(ばにゅうがわ)
海水浴(かいすいよく)に名を得たる
大磯(おおいそ)みえて波すゞし

さらに読みやすく!

支線(しせん)をあとに立ちかえり
わたる相模(さがみ)の馬入川(ばにゅうがわ)
海水浴(かいすいよく)に名を得たる
大磯(おおいそ)みえて波すずし

さあ、歌ってみよう!

♪しせんをあーとに たちかえりー
♪わーたるさがみの ばにゅうがわ
♪かいすいよーくに なをえたるー
♪おおいそみえてー なみすずしー

(東海道線)
新橋駅→高輪ゲートウェイ駅→品川駅→大森駅→川崎駅→鶴見駅→東神奈川駅→横浜駅→大船駅→藤沢駅→大磯駅→国府津駅(→小田原駅・熱海駅)

※鉄道唱歌に関係ある主要駅のみ抜粋
※鉄道唱歌の当時の「神奈川駅」と、現在の「東神奈川駅」は別の駅
※小田原駅・熱海駅は鉄道唱歌の当時のルートには含まれない

横須賀から大船に戻り、再び東海道線をゆく 藤沢・平塚の湘南地域へ

横須賀観光を終えると、横須賀線を再び大船駅に戻り、藤沢(ふじさわ)・辻堂(つじどう)・茅ケ崎(ちがさき)・平塚(ひらつか)・大磯(おおいそ)方面へ向かいます。

この地域はいわゆる「湘南地域(しょうなんちいき)」と呼ばれ、相模湾(さがみわん)に接する海の綺麗なかつての江戸時代の東海道(とうかいどう)の区間になります。
箱根駅伝では、冬の海風がランナー(3区)に容赦なく吹きつける難所区間になります。

歌詞にある「支線(しせん)」とは、これまで何度も説明してきたように、現在の「横須賀線(よこすかせん)」のことです。
鉄道唱歌のできた当時(西暦1900年)は、横須賀線はあくまで東海道線の「支線」という扱いであったようです(1909年に「横須賀線」に変更)。

「馬入川」とも呼ばれる、相模川を渡る

馬入川(ばにゅうがわ)」とは、茅ヶ崎駅(ちがさきえき、神奈川県茅ヶ崎市)を過ぎてから渡る相模川(さがみがわ)のことになります。
源頼朝(よりとも)は1199年に、なんと馬から落ちて亡くなったと言われています。その場所が相模川というわけです。頼朝が馬から落ちた川ということで「馬入川」というわけですね
しかし、この「馬から落ちた」というエピソードには懐疑的(かいぎてき)な意見もあります。本当はどこかの無名な兵士に矢を打たれて死んだのでは、という説です。昔はどこの人間かすらもわからない無名な兵士に討たれることは不名誉なことであり、それならいっそ自害したほうが潔い、と考えられていました。
よって、この「馬から落ちたエピソード」は、実際には矢で討たれて死んだことを隠蔽するための「創作」だった、という説もあります。
皆さんは、どの説を信じるでしょうか。

相模川(馬入川)(神奈川県)

相模川は、山梨県では「桂川」と呼ばれる

なお、馬入川こと相模川は、上流の山梨県では「桂川(かつらがわ)」という名称になります。山梨県大月市(おおつきし)から東へ流れ、神奈川県に入って「相模川」という名称に変わり、相模湖(さがみこ)で徐々に進路を南へ変え、やがて相模線の鉄道路線に沿うような形で南下して相模湾に注ぎます。

桂川(かつらがわ)は、中央線鉄道唱歌第13番でも歌われていますね。また、山梨県大月市には、猿橋(さるはし)という虹のような(猿が手を繋いで橋をかけたような)橋があります。猿橋は、山口県岩国市(いわくにし)の「錦帯橋(きんたいきょう)」や長野県木曽郡上松町(あげまつちょう)の「木曾のかけはし」とともに、日本三大奇橋とされています。
(※ただし最後の1つは、富山県黒部市の「愛本橋」ともいわれます)

湘南最大のショッピングモール「テラスモール湘南」がある辻堂駅

辻堂駅(つじどうえき、神奈川県藤沢市辻堂)には、湘南最大級のショッピングモールである「テラスモール湘南」があります。飲食店などが充実していますので、「青春18きっぷ」や「北海道&東日本パス」の旅で疲れたときは、辻堂駅で途中下車して寄っていくとよいでしょう。

ちなみに辻堂の「」とは、昔でいう交差点のことをいいます。その交差点にあった有名なお寺(=お堂)にちなんで、辻堂という地名の由来になりました。また、昔でいう「分かれ道」は、追分(おいわけ)といいます。

相模線との分岐駅・茅ヶ崎駅 相模国一宮・寒川神社へもここから

茅ヶ崎駅(ちがさきえき、神奈川県茅ヶ崎市)は、相模線との分かれ道となります。
相模線は、相模国(さがみのくに)一宮(いちのみや)である寒川神社(さむかわじんじゃ)が沿線にあり、また厚木駅(あつぎえき、神奈川県海老名市※)や海老名駅(えびなえき、神奈川県海老名市)を経由して、将来のリニア停車予定である橋本駅(はしもとえき、神奈川県橋本市)に至ります。
(※厚木駅は、海老名市の駅になります。厚木市の主な駅は、小田急線の「本厚木駅」あたりになります。)

サザンオールスターズで有名な、神奈川県茅ヶ崎市

神奈川県茅ヶ崎市(ちがさきし)はサザンオールスターズ桑田佳祐(くわた けいすけ)さんの出身地ということで、茅ヶ崎駅の東海道線の発車メロディーにはサザンオールスターズが1990年に発表した「希望の轍(わだち)」という曲が使われています。
当初はなかなか採用してもらえなかったそうですが、地元住民の皆さんの懸命な誘致活動により、2014年に晴れて採用されたようです。

サザンオールスターズ」は、1978年にデビューしたロックバンドであり、「希望の轍」の他に「勝手にシンドバッド」「いとしのエリー」「エロティカ・セブン」「愛の言霊(ことだま)」「TSUNAMI」などの大ヒット曲で知られます。

かつて東海道の宿場町「平塚宿」のあった、平塚市 バックには高麗山

神奈川県平塚市(ひらつかし)は、「関東三大夏祭り」の七夕祭りで有名で、平塚駅の発車メロディーにも「たなばたさま」が使われています。同じく七夕祭りで有名な中央線阿佐ヶ谷駅(あさがやえき、東京都杉並区)の発車メロディーにも「たなばたさま」は使われていますが、阿佐ヶ谷はジャズの街でもあるということで、ジャズバージョンとなっています。
また、平塚はお正月の箱根駅伝では、第3区から第4区へつなぐ中継所になっています。
そして、東海道五十三次の宿場町である「平塚宿(ひらつかしゅく)」がありました。平塚駅には、平塚宿の大きな浮世絵が飾られています。
なお、スーツさんが2020年に行われた「自転車で行く東海道の旅」で言及されていた件で興味深かったのが、平塚宿は、景色が綺麗な隣の大磯宿に客を取られて人気が無かったそうで、平塚宿はあの手この手で旅人を勧誘しようとしていたそうです。その誘い文句というのが、「これから大磯まで行くには、あの山(高麗山のこと。平塚と大磯の間にある、オニギリみたいな形の山のこと)を越えなければなりません。あの山は追い剥ぎが出るから危険です。今日はまだお部屋も空いていますから、悪いこと言わないから泊まっていきなさい」などと嘘をついて、平塚宿に泊めていたそうです。しかし、実際には高麗山(こまやま)を登らずに大磯まで行けるため、すぐに嘘だったことがバレるわけです。
私はスーツさんの「自転車で行く東海道の旅」シリーズが大好きなのですが(この旅を題材にした本も持っています)、スーツさんはよくこんな事知ってるなぁ、とスーツさんの知識の広さと深さに驚きました。

東海道五十三次・平塚宿の浮世絵。バックに高麗山が描かれている(平塚駅より)

画像の浮世絵(うきよえ)には、平塚宿のバックに高麗山(こまやま)が描かれています。浮世絵とは、江戸時代に歌川広重(うたがわ ひろしげ)という方が書かれた絵画(かいが)のことです。昔は現代でいうところの「インスタ映え」のようなものがなかったので、各地の「絵になる景色」は、こうして「浮世絵」などに収められてきたのです。本来、「浮世(うきよ)」とは「憂鬱な俗世間」みたいなマイナスのイメージなのですが、転じて「人生」「世の中」「世間」みたいな普通のイメージでも使われます。なので、「浮世絵」とは当時の世の中を風刺した絵、というような意味にもなります。

日本初の海水浴場、大磯

大磯(おおいそ)」は日本初の海水浴場とよばれ、また風光明媚な別荘地としても栄えてきました。
なぜ大磯が別荘地として栄えてきたのかというと、それは景色が綺麗なこともあるでしょうが、夏は海風で涼しく、冬は温暖な気候で暖かいからでしょう。
別荘地は、歴史的にこのように景色が綺麗で、夏は涼しく冬は暖かい場所が選ばれる傾向にあります。

大磯駅(神奈川県中郡大磯町)
大磯の海(神奈川県中郡大磯町)
大磯の海(神奈川県中郡大磯町)

大磯を過ぎると、二宮を経て、国府津・小田原方面に至ります!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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