冬の【東京→北海道】鉄道旅11 函館→長万部 大沼・駒ヶ岳・森を過ぎ行く

函館観光を終え、函館駅を出発!

前日は函館観光でした。
今日からは函館駅を出発し、札幌へと向かいます。
函館駅から長万部駅(おしゃまんべえき)までは、「特急北斗」に乗車します。長万部から先は、函館本線の普通列車で倶知安(くっちゃん)・小樽(おたる)方面を目指します。

函館駅を「特急北斗」で出発!(北海道函館市)

特急北斗の車内はとても快適ですが、外国人観光客の方々がとても多く車内はほぼ外国人であり、日本人はほぼ私だけでした。(^^;)

座席に座れなかったため、半ば弾き出される形で、安定のデッキ族になってしまいました(^^;)むしろデッキの方が気楽でよくないですか?(^^)他の客との距離も近いため、外国人の方にナンパされそうになった(^^;)

坂道にも強い、特急北斗

新函館北斗駅(しんはこだてほくとえき、北海道北斗市)を過ぎると山岳地帯に入り、急な勾配を登ってゆきます。
普通列車の気動車・キハ40の場合は坂道に弱いのか、この区間の坂道を登るときはなかなか一苦労です。
しかし特急北斗の車両は性能が高いのか、グングンと坂道を登ってゆきます。

実際、この勾配区間(新函館北斗駅~仁山駅~大沼駅)はボトルネックになったため、七飯駅(ななええき)からは藤城支線(ふじしろしせん)という別ルートが存在しています。
藤城支線は新函館北斗駅を経由しない、勾配をゆるやかにしたやや大回りの別ルートになります。
今でも函館駅発の列車は、一部の列車が藤城支線経由のため、鉄道ファンを中心に人気路線となっています。

小沼・大沼・北海道駒ヶ岳(渡島富士)の横を過ぎ行く

坂道を登ってトンネルを出ると、窓の左側には真っ白で凍った小沼(こぬま)と、渡島富士(おしまふじ)・北海道駒ヶ岳(こまがたけ)が登場します。
そして北海道の松島ともいうべき、大沼国定公園(おおぬまこくていこうえん)を過ぎてゆきます。

渡島富士・北海道駒ヶ岳(函館本線の車窓より)(北海道)

渡島富士(おしまふじ)こと北海道駒ヶ岳(こまがたけ)は、1640年に大噴火を起こしました。
そのときの噴火で、元々あった山の頂上部分が吹っ飛んでしまったので、現在のような若干いびつな形になっています。

大沼公園北海道駒ヶ岳については、以下の記事でさらに詳しくわかりやすく解説していますので、ご覧ください

鉄道唱歌 北海道編 南の巻第8番 渡島富士・大沼公園

北海道駒ヶ岳の噴火が与えた、アイヌ民族への影響

北海道駒ヶ岳(渡島富士)(函館本線の車窓より)(北海道)

この江戸時代(1640年)の渡島富士火山噴火が原因で、周辺各地の川に火山灰が降り積もってしまい、アイヌ民族にとっては大事な川が汚れてしまいました。
川が汚れたことで、アイヌの人々にとって重要な魚釣りが思うように出来なくってしまい、それによって深刻な食糧難に陥ることになってしまいました。

そうなると今度は、魚の採れる綺麗な川をめぐって、アイヌ同士あるいは松前藩(まつまえはん)の人間とも争うようになりました

松前藩(まつまえはん)とは、函館の南西にある松前町(まつまえちょう)を拠点にしていた、江戸時代に北海道(蝦夷地)を統治するために置かれていた、日本人・江戸幕府による藩のことをいいます。

そこへさらに様々なトラブル要因(いずれ解説します)が重なった結果、アイヌ民族の松前藩への怒りが爆発してしまい、1669年に起こった「シャクシャインの戦い」という道南を巻き込んだ大規模な反乱の一因ともなってしまいました。
「シャクシャインの戦い」についての詳細は、また別の機会で詳しく解説します

大沼公園~森駅までは、駅間距離が長い

大沼公園の横を過ぎ行く(函館本線の車窓より)(北海道)

北海道では、基本的に一旦発車すると、次の駅まではかなり長いです
北海道では駅間距離(駅と駅の間の距離)が長く、一旦駅を出発すると次の駅までなかなか着きません。

ではなぜ駅間距離が長いのかというと、それは(途中に)元々存在していた駅が(人口減少などを理由に)廃止になったために、止まる駅数が必然的に少なくなり、結果的に駅間距離が長くなっているわけです。
北海道駒ヶ岳の周辺の線路(函館本線砂原支線(さわらしせん。大沼駅と森駅から東に延びて、北海道駒ヶ岳を大きく東に迂回するルートを経由する、函館本線の一部))にも、いくつかの廃駅跡があります。

そうした廃駅跡には、かろうじて駅の遺構が残っているのもあれば、解体されて面影が残っていないもの、信号場列車の行き違いを行うために、片方の列車が一時的に退避するための場所)として活用されている廃駅もあります。

廃駅跡めぐり廃線跡めぐりは鉄道マニアの心をくすぐるため、YouTubeでもたくさん動画がアップされています。私もたまに観たりします。

「渡島(おしま)」の由来

北海道の南西(左下)に突き出た半島のことを渡島半島(おしまはんとう)といい、函館~長万部のこの地域のことを「渡島総合振興局(おしまそうごうしんこうきょく)」の管内(かんない)にある、というような言い方をします

明治時代になって蝦夷地が北海道に改められてからは、北海道にも日本風の国名(律令国としての名前)をつけられるようになり、渡島国(おしまのくに)と呼ばれるようになりました。胆振国(いぶりのくに)・十勝国(とかちのくに)・北見国(きたみのくに)などもそうです。

渡島総合振興局(おしまそうごうしんこうきょく)は、この渡島地域の行政の中心機関のことになります。北海道はあまりに広いので、札幌市だけでは全道の面倒は見きれません。なので北海道は「振興局」によって、14の細かいエリアに分かれているのです。そのうち、函館を中心とする北海道の南西のエリアを、渡島総合振興局が管轄しているのです。

その渡島総合振興局の所在地はもちろん、人口約24万人で最も栄えている函館市になります。
渡島総合振興局の影響範囲が及ぶ(=管内にある)のが函館~長万部のエリアにあたるため、このまとまった地域を「渡島総合振興局管内(かんない)」といった言い方をするわけですね。

江戸時代、津軽海峡をはるばる「渡ってきた島」→渡島

渡島(おしま)は、元々は江戸時代にこの地域をよく訪れていた南部藩(なんぶはん)・津軽藩(つがるはん)の人たちが「わたりしま(渡り島)」と呼んだことに由来します。

江戸時代の本州の人々にとっては、津軽海峡という海をはるばるって来ると思われていたから、「わたりしま(渡り島)」と呼んだわけです。

それが
「わたりしま(渡り島)」→「おしま(渡島)」
に、時代とともに変化したというわけです。

つまり「渡島」の地名は、一見したらアイヌ語由来っぽくもありますが、実際には日本語由来だったわけですね

南部藩(なんぶはん)とは、盛岡藩(もりおかはん)の別名であり、現在の岩手県盛岡市(もりおかし)の原型となる、江戸時代の藩です。
南部氏(なんぶし)という一族が親・子・孫で代々支配していたので、「南部藩」と呼ばれるわけです。

南部藩・津軽藩は、江戸幕府からロシアの進出に備えて、蝦夷地の警備を命じられて、北海道に渡ってきたのです。
江戸時代後期にもなると、ロシアが「凍らない港」を求めて南の暖かい地域に進出してきたりしていました。ロシアは極寒の地なので、冬は海が凍ってしまい、軍艦が出せないために、南の暖かい地域に進出していたのです。
また、ロシアは当時鎖国中だった日本に通商(貿易をしてお互いに利益を出すこと)を求めて、根室や長崎にやってきたりもしていました。
しかし日本は「鎖国中」のため、こうしたロシアの動きを「侵略目的かもしれない」という感じで警戒するようになり、ロシアに近い蝦夷地の警備をすることになったのでした。
こうして、幕府に命じられた南部藩・津軽藩の人々が蝦夷地の警備にあたるため、北海道のこの辺りによく来ていたのです。

なので、この渡島地域のあちこちには、南部藩の武士の拠点となった「南部陣屋(なんぶじんや)」の跡地があります。
陣屋(じんや)とは、いわば「お城の小さいバージョン」のことです。
つまり、簡易な防御施設を備えた要塞のようなイメージです。
本気で立派なお城を造ると、逆に幕府への反乱の拠点となる恐れがあり脅威だったため、幕府は新しい城を建てる許可を(なかなか)出さない、という時代でした。

しかし、この南部藩と津軽藩は、戦国時代から様々なトラブルが原因で対立することが多く、お互いが(悪い意味で)様々な因縁の仲にありました。

そして江戸時代後期の1821年にその不満が爆発し、南部藩(盛岡藩)の武士が(参勤交代から帰ってきた)津軽藩の武士の殺害を企てるという未遂事件が発生しています。
これを「相馬大作事件(そうまだいさくじけん)」といいます。
相馬大作(そうまだいさく)とは、事件を企てた南部藩の人物が名乗った仮の名前(本名ではない)です。

相馬大作事件(そうまだいさくじけん)については、また別の機会で詳しく解説します

また、津軽藩も津軽藩で、道東の網走(あばしり)・オホーツク海近辺の警備にあたったところ、本州とは比較にならないほどの厳しい寒さに耐えきれず、武士が次々倒れていくという、「津軽藩士殉難事件(つがるはんしじゅんなんじけん)」という事件も起きています。
こちらもいずれ、別の機会で詳しく解説します

森町は、北海道で唯一の「まち」 静岡県との関係も!?

大沼公園駅(おおぬまこうえんえき、北海道亀田郡七飯町)・駒ヶ岳駅(こまがたけえき、北海道茅部郡森町)を過ぎると、やかて森駅(もりえき、北海道茅部郡森町)に到着します。

北海道森町(もりまち)は、北海道において唯一の「まち」になります。
「もりちょう」ではないんですよね 。

ちはみに静岡県遠州(えんしゅう)地方にも、森町(もりまち)があります。
静岡県周智郡森町かもりまちも、静岡県で唯一「ちょう」ではなく「まち」になります。

周智郡は「しゅうちぐん」と読みます。茅部郡は「かやべぐん」です。

遠州(えんしゅう)とは、浜松市浜名湖(はまなこ)などがある、静岡県西部のことをいい、遠江国(とおとうみのくに)のことです。
遠江国(とおとうみのくに)とは、静岡県西部にあたる、昔の呼び方です。

静岡県の森町の最寄駅は、天竜浜名湖鉄道(てんりゅうはまなこてつどう)の、遠州森駅(えんしゅうもりえき、静岡県周智郡森町)になります。
北海道の森駅と重複しないために、旧国名を意味する「遠州」をつけて、「遠州森駅」となっているわけですね。

遠州森の景色(静岡県周智郡森町)
遠州森の景色(静岡県周智郡森町)

ちなみに静岡県も広いので、昔は上記の遠江国を含めて、3つの国に分かれていました。残りの2つは、

静岡県東部:駿河国(するがのくに)
伊豆半島エリア:伊豆国(いずのくに)

です。

北海道の森町と、静岡県の森町の関係はある?

北海道の森町」と「静岡県の森町」に、何らかの関係があるのかについては不明であり、実に様々な説が唱えられています

そして北海道・静岡県それぞれの森町は、お互いに姉妹都市関係にあります。

北海道の森町の由来は、アイヌ語で「木がたくさん繁る場所(=)」を意味する「オニウシ」と呼ばれていた地名を、そのまま日本語の「森」に変えたものです

先述の大沼(おおぬま)も、アイヌ語の「ポロト(大きい沼)」を日本語に訳したものなので、ある意味そのままのネーミングになります。

ポロ(幌)=大きい

で、「大沼」です。
そのまんまのネーミングで、覚えやすいですね。

北海道東部(道東)にも、「トー」がつく沼や湖が多いと思いますが、そもそも「トー」がアイヌ語で沼・湖という意味する言葉になります
釧路湿原にある湖「サルルントー」や、阿寒湖(あかんこ)近くにある湖「オンネトー」などですね。

「遠州の小京都」静岡県の森町

静岡県の森町は、江戸時代からの風情ある町並みが存在するため、「遠州の小京都(えんしゅうのこきょうと)」とも呼ばれます。

小京都(こきょうと)とは、「まるで京都に似ている町」「京都と何らかの関係がある町」というイメージの言葉です。

江戸時代までの森町には、浜松市天竜区にある秋葉神社(あきばじんじゃ)へ人々が通うための道である秋葉街道の宿場町がありました。その町並みが、江戸時代の風情を残していて「小京都」と呼ばれるわけですね。

秋葉街道と付近の掛川市(かけがわし)については、以下の記事でさらに詳しくわかりやすく解説していますので、ご覧ください。

鉄道唱歌 東海道編 第25番 掛川に到着!袋井・磐田(中泉)を過ぎ、天竜川へ

北海道唯一の、地熱発電の地・森

北海道・森町は、北海道唯一の地熱発電(ちねつはつでん)を行っている地になります。
地熱発電(ちねつはつでん)とは、マグマから得られるエネルギーで発電することです。
北海道駒ヶ岳といった火山が周囲にたくさんある森町だからこそ、できる発電方法ですね。

いわゆる「再生可能エネルギー」の一つで、永遠に枯渇する心配の無いエネルギーということになります。たとえば火力発電だと、たくさんの石油エネルギーを必要するため、石油が枯渇したらどうしよう、という心配があります。また、火力発電は二酸化炭素の排出量が多い、という問題があります。

しかし地熱発電は、「マグマ」という無限に発生する自然のエネルギーを用いているので、コスパ的に良くなります。

こうして書くと「地熱発電って良いことばかりじゃない?」と思うかもしれませんが、何だって長所もあれば短所もあるのが、世の中というものです。
地熱発電は火山のマグマのエネルギーを使うため、もちろん火山などが周囲にある地域でなければ、そもそも地熱発電は行うことができません。
火山の地域で行うので、もし大噴火に見舞われたら発電所もろとも被害に遭うというリスクもあります。こうなると大規模停電になったり復旧に多大なコストがかかるという、本末転倒な事態になることも否定できません。
また、地熱発電は高いレベルの技術が必要ですから、職員や関係者がその技術や知識を勉強したりする手間・負担や、また研究開発のために時間やコストがかかるという弱点もあります。

なので、地熱発電はその導入には慎重に検討する必要もあることがいえます。メリットばかりではないため、町議会政治家の人達は、その導入について、十分に議論しなければいけないわけですね。うまく導入できれば、発電所を建設でき、発電所で働く人達の雇用がうまれ、地域の電力不足の解消電気料金の低下も期待でき、住民の人々のハッピーにつながるわけです。

八雲・国縫を過ぎ行く

森駅を出ると、窓の右側には広大な噴火湾(ふんかわん)が出てくるため、海沿いに走ります。
夏の晴れた日にははるか遠くの有珠山(うすざん)も見えたりもします。
途中、八雲駅(やくもえき、北海道二海郡八雲町)を過ぎます。

この区間については、以下の記事でもわかりやすく解説しているため、ご覧ください。

鉄道唱歌 北海道編 南の巻第10番 八雲、国縫に向かって進む

長万部駅に到着

やがて、長万部駅(おしゃまんべえき、北海道山越郡長万部町)に到着します。

長万部駅(北海道山越郡長万部町)
長万部駅にて(北海道山越郡長万部町)
長万部駅にて(北海道山越郡長万部町)

長万部駅では乗り換えに時間があったため、まで行ってみました!

長万部駅近くの海にて撮影!(北海道山越郡長万部町)
長万部駅近くの海にて撮影!(北海道山越郡長万部町)
長万部の海(北海道)

今回はここまでです。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました!

【注意】
この記事は、「旅行初心者に教える」ことを目的地として書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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