冬の函館本線・小樽~札幌の鉄道旅と、札幌時計台の歴史などについて、観光・歴史に詳しくない方にもわかりやすく解説してゆきます!
小樽駅を出て、札幌へ 本日のラストスパート
朝、函館を出発して、夜に札幌に着く
小樽駅(北海道小樽市)を出るとからは札幌市へと向ってゆきます。
この日は朝に函館を出発したわけですが、もはやこの時点ではもう夜の時間帯であり、もう暗くなっており、札幌までのラストスパートです。
夜なので、海の景色は見えなかった
小樽駅~銭函駅の区間は日本海が美しい区間にはなるのですが、いかんせん夜なので、景色は絶望的です(^^;
詳しくは、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

ただし明日からは「帰り」の行程であり、翌朝に札幌駅を出発する予定なので、明日にはきっと綺麗な日本海の景色に出会えることでしょう。
札幌駅(札幌市)に到着
銭函駅(北海道小樽市)を過ぎてゆくと札幌市の広大な石狩平野に入り、
- ほしみ駅
- 手稲駅
- 琴似駅(いずれも北海道札幌市)
を過ぎると、やがて北海道最大の駅である
- 札幌駅(北海道札幌市)
へと到着します。
1日の長旅を終え、札幌駅に到着!
北海道の道庁所在地・札幌
北海道札幌市は人口約195万人の北海道最大の都市であり、北海道の道庁所在地です。
音威子府村の3,000倍もの人口がいる、札幌市
北海道最小の村である、人口約620人の音威子府村とは、実に3,145倍の開きがあります。
北海道各地の若い世代の人は進学・就職で次々に札幌(または東京)に出ていってしまうため、札幌市に人口が極端に偏ってしまっているのです。
本日の日程はここまで
本日の(朝・函館からの)行程はここまでであり、今夜は札幌に泊まります。
お疲れ様でした!
京都を参考に作られた、札幌の格子状の街並み
札幌市は明治時代に京都を参考に作られたため、街が格子状(ギンガムチェック)のような造りをしています。
だから札幌は京都のように、「~条」という地名が多いですよね。
これを条坊制といいます。
明治時代の「演武場」として始まった、札幌時計台

札幌時計台(北海道札幌市)
札幌時計台は、元々は札幌農学校における演武場といって、学生たちが農業を学ぶ傍ら、武術を学ぶための場所として造られました。
「少年よ大志を抱け」で有名なクラーク博士
札幌農学校は、現在の北海道大学の前身であり、初代教頭(事実上の校長)はあの
という言葉で有名なクラーク博士です。
では、なぜ札幌農学校で、農業のみならず武術まで習う必要があったのか。
それは明治時代に北海道で一般的になりつつあった、屯田兵という制度を見習ったためでした。
二刀流の武士であった、屯田兵
屯田兵とは、田んぼを耕したり、時に兵士として戦ったりと、いわば「二刀流」の兵士のことです。
- 「屯」は、兵士として駐屯するという意味
- 「田」とは、田んぼを耕すという意味
です。
明治時代になり、武士のプライドはズタズタに
明治時代になると江戸時代の士農工商が廃止され、四民平等となりました。
こうなると、それまで特権階級にいた元武士(士族)は、
- 四民平等で、誰もが苗字を持てるようになったこと(江戸時代までは苗字を名乗ることは武士の特権だった)
- 廃刀令で、刀が持てなくなったこと
などといった特権が無くなり、武士としてのプライドがズタズタになっていました。
しかし、そうはいっても北海道という未開の地を耕していかなければならないという事情があったのも、当時の日本としては見過ごせない事実でした。
その上、武士を廃されて仕事を失い、転職に失敗した武士を救う必要も当時はあったのです。
そうした元武士(士族)たちが、新しい職につくために北海道に移住してきて、屯田兵となったのでした。
田を耕し、いざというときは戦う屯田兵
屯田兵は、平時は基本的に田んぼや畑を一生懸命に耕したり、草ボーボーの原野を耕して切り開いてゆきます。
そして、北海道の生産性・生産力を高めるために(自分達の食糧も確保するために)作物を一生懸命に作ります。
その一方で、いざ外国と戦争になったときは戦う、という北海道防衛の役割をも担っていたのです。
北海道は日本の「端っこ」にあり、常に外国との武力衝突の危機にあったからですね。
札幌農学校の演武場・つまり現在の札幌時計台
こうした屯田兵のように「農業と武術の両方を備える」ために学生たちが訓練していたのが、札幌農学校の演武場・つまり現在の札幌時計台というわけです。
つまり元々は「時計台ではなかった」という事が、「がっかり」を生み出す要因となってしまったのでしょう。
札幌時計台の前のセイコーマート
札幌時計台の前には、セイコーマートがあります。
セイコーマートは、北海道ならではのコンビニ店であり、店内で作られたホカホカの弁当がとてもおいしいです。
セイコーマートは何故か埼玉県にもあるため、北海道のセイコーマートの味が忘れられない場合は、埼玉県の店舗に行くという方法もあります。
北海道開拓の拠点・札幌
札幌は、明治時代には北海道開拓のための、まさに拠点でした。
なぜかというと、江戸時代の北海道(蝦夷地)はほとんど手付かずの原っぱ(原野)が広がるばかりで、万が一外国から攻められた時の防御力がほぼ無い土地だったからです。
加えて、北海道には大量の石炭が眠っている土地だということが明らかになると、たくさんの人々が北海道へ移り住みました。
明治時代には国をあげて、北海道の開拓・開発が進められたのです。
当時は、何を動かすにも石炭はとても重要だった
当時は、何を動かすにも石炭が必要でした。
工場を動かすにも、機械を動かすにも、鉄道や船を動かすにも、とにかく石炭がエネルギー源として必要でした。
そして戦争になったときは、これらはさらに重要性を増します。
明治時代の当時は、戦場に兵士・武器・食糧を届けるのは鉄道が主流であり、その鉄道を動かすのは石炭だったからです。
つまり、当時は
という図式があったからですね。
本州から開拓にやってきた人にとって、北海道の地は極寒 だった
しかし、本州出身の人々にとって北海道はありえない程の極寒の地であり、経験したことのない寒さに多くの開拓者が耐えきれず、本州に帰ったりもしたそうです。
そうした開拓者の苦しみをを紛らわすために、遊女たちがたくさんいました。
遊女とは、男性がお金を払って男性が喜ぶような性的サービスを提供する女性のことです。
これが札幌の有名な歓楽街「すすきの」の原点になっています。
札幌の夜を堪能
この日の夜も、疲労でバタンキューだったので、セイコーマートのお弁当を食べて、さっさと寝ました(–)zzz
あとホテルでちょっと大変なことがわかり、嬉しくかったり驚いたりもしました。

疲れた~。ホテルにて就寝!
明日からは、「帰り」の行程
明日からは、「帰り」の行程になり、再び小樽方面へ戻ります。
今回はここまでです。
最後まで読んでくださってありがとうございます!
コメント