帰りの行程へ!来た道を折り返す 札幌を出発、小樽方面へ
札幌駅(さっぽろえき、北海道札幌市)からは、今度は逆方向へ戻ることになります。
つまり「帰り」の行程であり、来た道である小樽(おたる)・倶知安(くっちゃん)・長万部(おしゃまんべ)・函館(はこだて)方面へ向かいます。
なぜ来た行程を戻るのかというと、行きで来ることができなかった場所を(帰りならば)訪れられる、というメリットがあるためです。
例えば、「行き」の行程では小樽に着いた時点では「夜」になっていましたが、「帰り」の行程では「朝」の時間帯に小樽に着けるわけです。
昨夜に通りかかった小樽駅~銭函駅(ぜにばこえき)の区間ですが、この区間は日本海の景色がとても美しいのですが夜だったため、景色を眺めるのは絶望的でした。
しかしこの日の今朝は札幌駅を出たばかりなので、北の日本海の景色がバッチリ眺められました。
これも往復旅行のメリットですね。
この地域(手稲駅・ほしみ駅・北の日本海の車窓)についての詳細は、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。
鉄道唱歌 北海道編 北の巻第4番 日本海と石狩平野、そして手稲山の麓を走る
小樽に到着!1日ぶり
そして、1日ぶりの小樽駅(おたるえき、北海道小樽市)に到着です。
小樽駅のホームには石原裕次郎(いしはら ゆうじろう)の降り立ったホームがあります。
石原裕次郎(いしはら ゆうじろう)は、昭和を代表する俳優であり、兄である石原慎太郎(いしはら しんたろう)氏は1999年~2012まで東京都知事をされていました。
小樽で育った石原裕次郎は、天狗山(てんぐやま)でスキーをしながらで育ったそうです。
天狗山(てんぐやま:標高532.5m)は、小樽駅の南後ろにある山であり、ここからの夜景は札幌の藻岩山(もいわやま)、函館の函館山と並んで北海道三大夜景と呼ばれます。
また、1975年・41歳の時に小樽駅にロケで降り立ったことを記念して、裕次郎ホームというものがあります。
小樽駅の「むかい鐘」
小樽駅の玄関には「むかい鐘」という、人々に「今から列車が発車しますよ~」と音で教えていた鐘があります。
発車の時間になると、鐘の音が鳴って、人々はホームへと急ぐわけです。
今で言う「発車メロディー」の、明治時代版ともいえるかもしれません(ちょっと違うかもしれませんが)。
昔は、小樽駅から列車に乗る人が「鐘の音」を聴くと、駅のホームへみんなでダッシュするという光景が見られ、一斉にホームへと駆け上っていったそうです。
この音が始まるということは「列車発車時刻」であり、駅周辺は一気に賑わったといいます。
つまり小樽を発つ多くの旅人たちは、この鐘の音とともに、旅に出て行ったといえます。
寿司の名所・小樽市
小樽は「寿司の名所」としても名高いです。
市内に、実に100もの店舗があります。
小樽で寿司が盛んな理由として、やはり港湾都市だけあって、新鮮な魚が手に入りやすかったことが挙げられます。
北海道では「ニシン」のような、寒くて冷たい海に強い魚がたくさん採れます。
厳しい環境でも平気な魚は、その肉体がしっかり育つことが多く、そのため人間が食べるとすごく美味しいと感じるのです。
そんな魚がたくさん手に入る北海道・小樽では、昔の小樽の若者たちが切磋琢磨して、寿司を作る技術を磨き続けてきた結果、長い年月をかけて小樽の寿司は有名になったというわけです。
オタルナイ場所と、場所請負制
小樽は、アイヌ語の「オタルナイ」という言葉に由来しています。
「ナイ」とは、「川」という意味です。
なので江戸時代の小樽には、「オタルナイ場所」というものがありました。
「場所」とは、江戸時代に存在した「商売を行うための場所」のことです。
江戸時代は場所請負制(ばしょうけおいせい)といって、松前藩(まつまえはん)が商人に対し、北海道での商売をなかば「丸投げ」した制度がありました。
「丸投げ」ではなくもっと綺麗な言葉でいえば、「外注した」「任せた」「請け負わせた」ということです。
松前藩(まつまえはん)とは、現在の函館の南西にある、松前町(まつまえちょう)を拠点としていた、江戸時代の武士(和人/日本人)による藩です。江戸幕府が蝦夷地のアイヌ民族を統治・管理するために置いた藩であり、アイヌ民族と何度もトラブルが起きていました。
ではなぜ松前藩が商人に対し、アイヌ民族との商売を「丸投げ」してしまったのかというと、松前藩はあくまで「武士」であり商売に関しては素人だったため、まず蝦夷地での商売がうまくいかなかったことが挙げられます。
商売がうまくいかないばかりか、むしろアイヌから不満を持たれ、反乱を起こされてばかりだったからです。
それもそのはず、松前藩ばかりが得をして、アイヌが不利になるような交易(物々交換)を行っていたからです。
例えば、アイヌが松前藩へ差し出す「魚」「毛皮」の方が多く、アイヌが松前藩から受け取れる「米」「食器」(=本州の産物)などの量が少なかったからです。
こんな事をするおかげで、また他の様々なトラブルが重なった結果、1669年の「シャクシャインの戦い」に代表されるような反乱が相次いだことで、松前藩による蝦夷地統治では埒(らち)があかなくなりました。
なので松前藩は、(商売に関しては素人である)武士自ら行うのではなく、(商売のプロである)商人に対してアイヌとの交易を任せることにし、その商売の拠点を「場所」といったわけです。
この制度を先述の通り、「場所請負制(ばしょうけおいせい)」といいます。
これは商人に「場所」でアイヌと交易させ、自由に利益を得させる代わりに、松前藩に対して一定の金額(運上金といいます)を納めさせるという制度です。
この仕組みによって、松前藩は(苦手で面倒な)商売はやらなくて済むようになった上に、安定した金(運上金)まで手に入るため、願ったり叶ったりの状態になったわけです。
ちなみにここでいう「利益」とは、本州の商品をアイヌに高く売り、アイヌ側の「魚」や「毛皮」などを安く買うことによる「差額」で得られる利益のことです。
ここで、松前藩が一方的に儲かるということは、逆をいえばアイヌ側にとっては一方的に搾取されるという形になるので、アイヌ側にとっては理不尽ですね。
このように(松前藩に任せられた)蝦夷地の商人は「場所」においてアイヌにとって理不尽な商売を行い、また奴隷のように働かせてしまったことで、過労死していくアイヌが続出することとなってゆきました。
そしてアイヌ民族の怒りが頂点に達したため、1789年には国後島で「クナシリ・メナシの戦い」という反乱が起こっています。
こちらはいずれ別の機会で、詳しく解説します。
小樽を出て、余市方面へ
小樽駅を出ると、間も無く余市駅(よいちえき、北海道余市郡余市町)に着きます。
余市町(よいちちょう)は小樽市市街地からほど近いため、小樽への通勤・通学圏にじゅうぶん入ります。
しかし、2030年の北海道新幹線・札幌延伸にともなって、余市駅は廃止されることになっています。
というか、函館本線の長万部~倶知安~小樽の区間(いわゆる山線)は、全線が廃止れる予定になっています。
他の「並行在来線」の区間と違い、「第三セクターへの移管」という救済措置もないため、地元の鉄道に依存していた人々は大きな移動手段を失うこととなります。
そして在来線廃止以降は、バスで代行されることになります。とはいえ、鉄道ならではの「定時性(決まった時間に到着して、決まった時間に発車する性質)」は、時間がタイトでシビアな通勤・通学客の人々にとってはやはり魅力なのです。
例えば北陸新幹線であれば、富山県・石川県・福井県の大半の在来線の区間が、第三セクターに移管されました。
理由は「新幹線が出来たから、もう在来線は不要だ」と言い出すと、今度は地元の人々の移動手段が無くなって困るからです。
なので、第三セクターへ移管という救済措置が取られているのです。
並行在来線と第三セクターの関係性は、以下の記事でもさらに詳しく、わかりやすく解説していますので、ご覧ください。
鉄道唱歌 奥州・磐城編 第36番 盛岡を出発し、岩手県北部へ 石川啄木ゆかりの地
しかし小樽~余市間の区間は利用者がそこそこ多いにも関わらず、第三セクターへの移管という救済措置も取られず、完全に鉄道そのものが廃止されるとのことです。
そのため、余市駅(小樽~余市間の区間)の廃止の撤回を求める動き(存続のための動き)が地元を中心、少なからず行われている状況にあります。
この区間はとても通学・通勤の需要が多い地域だからですね。
余市駅を出て、倶知安方面へ
余市駅を出ると、ここからは山側へ向けて南下してゆきます。
日本海側とは離れてゆき、広大で真っ白な原野を過ぎてゆき、徐々に山岳地帯へと入ってゆきます。
そして然別(しかりべつ)・仁木(にき)といった、かつて明治時代に鉱山・マンガンなどを掘り出していた地域に出てきます。
仁木町の鉱山については、以下の記事でさらに詳しくわかりやすく解説しているため、ご覧ください。
鉄道唱歌 北海道編 南の巻第18番 然別、余市 ついに日本海側へ!
この区間が先述の通り、2030年に廃止されることは、本当に惜しいことです。それは真っ白な山々の景色がとても美しく、本州にはないまるで北欧のノルウェーの雪景色みたいで、本当に見ていて飽きないからです。
確かに、新幹線ができることで、仙台~盛岡~青森~函館~小樽~札幌の区間での人々の移動はより活発になり、大都市間での経済の活性化が期待されます。札幌~函館間を、「日帰り」で旅行することも可能になります。
しかし在来線廃止によってこの美しい車窓を失うことは、誠に惜しい限りではあります。
逆にいえば、今がまだチャンスということですね。
倶知安駅に到着!
やがて倶知安駅(くっちゃんえき、北海道虻田郡倶知安町)に着きます。
前日の「行き」の行程で来たばかりなので、1日ぶりの倶知安になります。
倶知安駅のホームにも、先述の小樽駅にもあった「むかい鐘」があります。
「むかい鐘」は、現代でいう「発車メロディー」にあたります。
昔はこの鐘を鳴らすことで、おそらくこの鐘の音が、人々に列車の発車時刻を伝えていたのでしょう。
そしてこの鐘の音を聴いた人々は、大慌てで駅のホームに走っていってのでしょう。
昔の人々の旅の始まりは、この「むかい鐘」からだったのです。
下衆・破廉恥な話。列車の中での恋!?(閲覧非推奨)
ここでちょっと下品な話をします!閲覧非推奨です!
余市駅→倶知安駅へ移動する途中。
あたりは真っ白な雪の中でした。
この時の列車の中で、イケメンでかなり背の高いお兄さんが、私のことをチラチラ見てたので、「私に気があるのかな?」と思い(勘違い?)、ちょっとテンション上がってしまいました!
彼は私の胸もチラチラ見てたので、エッチなお兄さんだなぁ♪と思いました!
20代の頃は太っていて非モテだった私は、こんなことでも嬉しいのです。
私が気を利かせて、彼に声をかけてあげればよかったのですが、私もシャイなのに加え、また私は彼と恋仲になるわけにはいかない諸事情があっため、自分から行くわけにもいきませんでした、、
もちろん旅行が終わったとき、そのお兄さんに抱き締められるところを想像しながら、●ちゃったのは内緒です!!笑
なんか旅行のときって、開放的な気分から恋が舞い上がるときってありませんか?
次回は倶知安から、長万部→函館へ
今回はここまでです。
次回は倶知安駅から、長万部(おしゃまんべ)を経て、函館へと戻る行程になります。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました!
おまけ:筆者の自撮り写真エトセトラ
ここでは、本文のスペースの都合上、載せきれなかった写真を上げてゆきます!
【注意】
この記事は、「旅行初心者に教える」ことを目的地として書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
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