栃木県・日光の観光へ
今回は、私(筆者が)以前に栃木県の日光(にっこう)の観光に行ったときの話になります。
まずは宇都宮駅からスタート!「日光見ずして結構というなかれ」
まずは、東北本線・宇都宮駅(うつのみやえき、栃木県宇都宮市)からのスタートになります!
宇都宮駅からは日光線(にっこうせん)に乗り替えて、日光(にっこう)へと向かいます。
「日光見ずして結構と言うなかれ」
という、昔のことわざがあったりします。
つまり、奥州街道(おうしゅうかいどう。昔の人が約20日かけて、徒歩または馬で青森までかよっていた道)でさらに東北へ向かおうとする旅人であっても、宇都宮に着いた時点でまず(とりあえず)日光に寄っていきなさい、というような内容の意味になるでしょう。
奥州街道と日光街道、さらに日光の歴史などは以下の記事でも解説しておりますので、御覧ください。
鉄道唱歌 奥州・磐城編 第12番 「日光を見ずして、結構と言うなかれ!」日光は当時の最新の技術やこだわりの集合体
江戸時代までは先述の通り、奥州街道または日光街道(にっこうかいどう)で、徒歩または馬で時間をかけて来る必要がありました。ちなみに奥州街道と日光街道は、江戸(東京)~宇都宮までは道が共通です。宇都宮にある分かれ道(昔は追分(おいわけ)と呼ばれました)で、東北方面と日光方面へそれぞれ分かれてゆきます。昔は鉄道も高速バスもありませんでしたから、こうした(当時としては綺麗で大きな)街道を通って、はるばると日光参拝へ訪れていたのですね。
しかし明治時代になると鉄道(現在の東北本線と日光線)が開かれて、一気に人々の移動は便利になり、日光参拝・観光のハードルが下がりました。やがて日光は、日本人のみならず多くの外国人も参拝に訪れるようになるほどの、一大観光地として発展してゆくことになりました。
約40分の乗車を経て、日光駅に到着!
宇都宮駅を出発して約40分ほどして、日光駅(にっこうえき、栃木県日光市)に着きます。
栃木県日光市(にっこうし)をはじめとする日光(にっこう)の地は、古くから仏教の修行の地として栄えてきました。
中禅寺湖(ちゅうぜんじこ)や男体山(なんたいさん)のような、まるで神様が作ったかのような広大で、しかも神秘的な山々や湖が存在します。
その大昔、勝道上人(しょうどうしょうにん)というお坊さんによって発見されました。
むかしむかし、仏教の修行のために(日光の)山奥深くに入りこんだお坊さんが、たまたまこんな巨大な湖(=中禅寺湖)と巨大な山(=男体山/なんたいさん)を見つけて、その時は「ここは神様の造った楽園に違いない!」と思ったのかもしれません。
そのため、それ以降は「こんな神秘的な場所で修行をすれば、人々は報われ幸せになれる」と人々に信じられてきたのですね。
このように、山奥で修行をすることを修験道(しゅげんどう)といいます。
徳川家康を神様として祀(まつ)る、日光東照宮
江戸幕府を開いた徳川家康が最晩年を過ごした静岡・駿府(すんぷ)で亡くなってからは、まず遺骨は静岡県静岡市の久能山東照宮(くのうざんとうしょうぐう)に納められました。
その翌年、家康の遺言により、日光のこの地に遺骨が納められたのでした。そして、「関八州(かんはっしゅう。つまり関東地方)の総鎮守となるだろう」となるだろう」と宣言したのでした。
関八州(かんはっしゅう)とは、関東地方のことです。関東地方は武蔵国(むさしのくに)・相模国(さがみのくに)など8つの国があったので、関八州というわけです(現在は1都6県)。これは九州がかつて9つの国(現在は8県)だったので九州というのと同じです。
総鎮守(そうちんじゅ)とは、その地域の安全・治安・健康・豊作・繁盛などを守る、いわば守り神のことです。昔は常に争い・疫病・凶作・自然災害などの恐怖がありましたから、こうした総鎮守は人々にとって重要な心の拠り所(よりどころ)でした。
それが徳川家康を神様として祀(まつ)る、日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)という神社であり、関八州の総鎮守ということになります。
静岡県の久能山東照宮については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。
鉄道唱歌 東海道編 第19番 蒲原・由比・興津・清水の海沿いを行く
なぜ徳川家康は、日光の地で祀られることを選んだ?
ではなぜ徳川家康が、日光の地で祀(まつ)ってくれと言ったのかに関しては、様々な説があります。
・久能山東照宮から富士山に向けて直線を引き、さらにその延長線上に日光の地がある(これはガチなので、ぜひ地図で確認してみてください!面白いですよ。)
・江戸城から真っすぐ北に直線を伸ばすと、日光の地にたどり着く。さらに永遠に北へ直線で辿ると、北極星にたどりつく。すべての星は北極星を中心に廻っている(地球から見た場合)ため、まるで徳川家康がこの世のすべてを北極星となって見守っているかのようにも思える。
あなたは、なぜ徳川家康が日光の地を選んだと思うでしょうか。
日光の神社と、「手伝普請」
日光東照宮は、三代目の徳川家光のときに大規模に(豪華に)改修されています。
そのとき、各地の藩に対して、手伝い(建設事業・公共事業など)をなかば強要し、無理やり建設費や材料費・人件費などを負担させて建設されました。
これを手伝普請(てつだいふしん)といい、各藩が幕府に逆らうための財力を持たせないようにするため、わざと費用を負担させ、さまざまな(公共の)建設工事をさせていったことをいいます。
この「手伝普請(てつだいふしん)」により、江戸時代には川の氾濫を防ぐための工事も行われたりしました。それは川の堤防を造ったり、川を広くして水を溢れにくくしたり、カーブを減らしてまっすぐな川にしたりすることです。
そういった工事は、他にも愛知県・三重県の木曽三川(きそさんせん)の工事や千葉県の印旛沼干拓(いんばぬまかんたく)などがあります。
それによって木曽三川工事における薩摩藩のように、過酷な工事によって多くの人々が犠牲になった藩もあります。
日光駅からは、バスで一気に山を登り、中禅寺湖へ
日光駅からはバスで、日光の観光の超目玉ともいえる中禅寺湖(ちゅうぜんじこ)や男体山(なんたいさん)、華厳の滝(けごんのたき)などがあるエリアまで、ぐんぐんと登ってゆきます。
標高1,269mにもおよぶとても標高の高い場所まで行くため、かなり急な坂とカーブの多い山道を登ってゆきます。
以前に神奈川県・箱根の山へ行ったときも急な坂と急カーブが多いと感じましたが、日光もそれに負けじと劣らない(むしろ日光の方がキツい?)険しさであると感じました。
なぜ山奥では急カーブが多いのかというと、カーブを多くして大回りするこで距離を稼ぎ、少しでも勾配をゆるくしているのですね。
直線距離で結ぶと急すぎて登れないばかりか、滑落(かつらく)事故の危険すらあるからです。
雪が積もる冬であるならば、なおさらですね。
こうした急カーブの連続をヘアピンカーブ、もしくは「つづら折り」といいます。
ヘアピンカーブはマリオカートではもはやお馴染みですね。あれは曲がりきれない・・・
標高1,269m・中禅寺湖へ到着!
バスで急で険しい坂道を約40分登り続け、ついに中禅寺湖(ちゅうぜんじこ)のエリアに到達します。標高1,200mを越える地点になるため、気温はかなり冷えます。
中禅寺湖(ちゅうぜんじこ)は、先述の通り勝道上人(しょうどうしょうにん)というお坊さんによって発見されました。
上人(しょうにん)とは、お坊さんに対して敬意をこめて付ける、敬称のようなものです。
大昔の仏教は山奥で修行することがメインであり、まるで神様のように大きく神秘的な山ほど、信仰の対象になりやすかったのです(それは富士山も同じ)。
昔の僧侶がこの地にたどり着いたときは、それはそれはこの世の楽園を見つけたかのように、感動したでしょうね。
中禅寺湖のそばには、男体山(なんたいさん:標高2,486m)がまるで富士山のようにそびえ立ちます。
華厳の滝に移動
そして、日光で最も有名な滝ともいえる、華厳の滝のエリアへと移動します。
華厳の滝(けごんのたき)は、先述の中禅寺湖から流れ出る滝です。
中禅寺湖も、過去に先述の男体山(なんたいさん)が噴火したときの堆積物(たいせきぶつ)によって、水が塞(せ)き止められて(水が溜まって)できた湖になります。
本当に滝の流れがすごくて、
「うおーすごい!」という感想しか思い浮かびませんでした(^^;
まるで松尾芭蕉が江戸時代の「おくのほそ道」における東北地方の旅で、日本三景・松島(まつしま)の景色を見たとき、「松島や ああ松島や」と、何一つ感想の言葉が口から出てこなかったのと同じですね。
日光駅へ戻り、東京へ帰宅
華厳の滝を見終えて、再びバスで山を降りて、先述の日光東照宮や陽明門(ようめいもん)あたりの観光を終えました。日光は国際的に有名な観光地であるためとても外国人の方々が多く、外国人にナンパされた後、再び日光駅から宇都宮駅に戻りました。
外国人の方とも英語でコミュニケーションしたりして、楽しかったです!
おまけ:筆者の自撮り写真
【注意】
この記事は、「旅行初心者に教える」ことを目的地として書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
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