まずは原文から!
三保の松原(みほのまつばら)田子の浦(たごのうら)
さかさにうつる富士(ふじ)の嶺(ね)を
波にながむる舟人(ふなびと)は
夏も冬とや思ふらん
さらに読みやすく!
三保の松原(みほのまつばら)田子の浦(たごのうら)
さかさ(逆さ)にうつる富士(ふじ)の嶺(ね)を
波にながむる(眺むる)舟人(ふなびと)は
夏も冬とや思うらん
さあ、歌ってみよう!
♪みーほのまつばら たごのうらー
♪さかさにうつるー ふじのねをー
♪なーみにながむる ふなびとはー
♪なーつをふゆとや おもうらんー
(東海道線)
沼津駅→富士駅→富士川駅→興津駅→清水駅→静岡駅→安倍川駅→焼津駅→藤枝駅→島田駅→掛川駅→袋井駅→磐田駅(旧・中泉駅)→天竜川駅→浜松駅
※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ抜粋
清水駅からは、バスで「三保の松原」へ
前回した通り、清水駅(しみずえき、静岡県静岡市清水区)からバスに乗ると約15分~約20分ほどで「三保の松原(みほのまつばら)」という観光地に到着します。
三保の松原は無数の松と雄大な海岸線が続く大きな砂浜であり、また晴れた日には富士山も見える美しい観光スポットです。
そして向こう岸には伊豆半島の景色も見えます。
海の向こうの「田子の浦」
そして、富士山の麓あたりはだいたい富士市にあたります。また沼津市原(はら)地区や、富士市田子の浦(だごのうら)地区、吉原(よしわら)地区があるあたりになります。
なお、「田子の浦(たごのうら)」とは現在の静岡県富士市の港のある辺りをいいます。
水面に映る「逆さ富士」
「逆さ富士(さかさふじ)」とは、湖面や海面などに、逆さ(上下が逆)に映る富士山のことをいいます。
山梨県の富士河口湖(かわぐちこ)に映る「逆さ富士」は有名ですね。
夏も涼しく、海の上をこぐ船たち
「らん」というのは、「~だろう」という推量(すいりょう)の意味で用いられる言葉です。
そして、三保の松原の海には現在でも多くの船人が船を出していますが、ちょうど逆さ富士の位置を船人が眺めているようにも感じられます。
富士山の頂上は夏でも気温10度を下回る冬のような寒さですから、まさに冬の寒さが「逆さ富士」によって船人の目の前の海面に来るわけです。
そして船人たちは、「夏を冬とや思うのだろう」となるのでしょう。
余談になりますが、静岡県沼津市を舞台としたアニメ「ラブライブ!サンシャイン!!」 をご存知の方はわかると思いますが、アニメの舞台であり太宰治の小説「斜陽」の序盤が書かれた安田屋旅館のある沼津内浦三津(うちうらみと)海岸の向こう岸は、三保の松原や興津・清水区あたりでした。
逆に言えば、三保の松原からは伊豆半島をはじめ沼津市の内浦地区などを対岸に見渡せることになります。
私は沼津の内浦三津海岸に来たら、「向こう岸はちびまる子ちゃんの聖地なのかぁ~」と感慨にふけることがあります。(^^;)
かつて清水駅から出ていた路線「三保線」
清水駅からは昔、清水港線(しみずこうせん)と言う貨物路線が出ていました。
それは清水港まで貨物の荷物を運ぶ鉄道路線でしたが、現在は廃止されています。
廃止の理由は、やはりモータリゼーション(トラックなどの車で貨物を運ぶこと)にある貨物需要の減少にあります。
廃止直前の時期の利用客はほぼ近隣の高校へ通う生徒さん中心で、登校時の朝1本、夕方の下校時の1本のみだったといいます。
現在でも日本の松原方面へ向かう道路の脇には、線路の跡が残されています。
三保の松原の「羽衣伝説」
三保の松原は、「羽衣伝説(はごろもでんせつ)」で有名です。羽衣伝説とは、三保の松原をはじめとする全国に伝わる伝説です。
その大まかなストーリーを以下に示します。
ある日、三保の松原に羽衣をつけた天女が降りてきました。
天女は自分が身につけていた羽衣を松にかけて、海で戯(たわむ)れていました。
そこで、松原に通りかかったある男性がその美しい天女に一目惚れしてしまいました。
なんとか天女と結ばれたいのですが、どうしたらいいかわかりません。そこで、松にかけてあった羽衣を盗んでしまえば、天女は天に帰れないと思いました。
天女は「私の羽衣はどこ?」と言って、男性が実は盗んでいたのですが、「美しい踊りを披露すれば返してやる」ということで、天女はあまりにも美しい踊りを披露しました。やがて天女と男性は恋に落ちて結ばれました。
・・・というのが大まかな羽衣伝説の内容です。
これは割と全国共通です。
ただし、上記のストーリーはあくまで例にすぎません。
全国それぞれの地域によって様々あり、マイナーな違いがあるので、注意してください。
なお、羽衣伝説は滋賀県の琵琶湖の北にある余呉湖(よごこ)でも有名です。
以下余談にはなりますが、余呉湖(よごこ)は、賤ヶ岳(しずがたけ)という山を挟んで、向かい側に琵琶湖があります。
また、賤ヶ岳は豊臣秀吉が柴田勝家と戦った「賤ヶ岳の戦い(しずがたけのたたかい)」があった場所であり、また豊臣秀吉に尽くした7人の勇者である「賤ヶ岳の七本槍(しちほんやり)」が有名です。この7人の中には、難攻不落の熊本城を築城した加藤清正(かとう きよまさ)も含まれます。
「賤ヶ岳の七本槍」については、鉄道唱歌北陸編68番でも歌われていますね。
かつてより津波・高潮・海風から町を守ってきた「松原」
松原というものは、古くから津波を防ぐために防波堤の代わりとして使われてきました。
昔は防波堤などを築く技術が現代ほど無かったので、代わりに松の木を植えていくことで、松原として津波を防いでいたのです。
また 松原が美しく出来上がるとよい景観を作ることにも繋がります。これによって観光客も増えるメリットもありうるのです。
しかし、こうした昔の人々の努力によって植えられた松原が、もろくも津波によって流されてしまった大惨事がありました。
そう、あの東日本大震災です。
岩手県の陸前高田市(りくぜんたかたし)では、高さ約17メートルにも及ぶ津波が簡単に防波堤や松原を超えてしまい、高田松原(たかたまつばら)の松の木々はあっという間に流されてしまいました。しかし、ほぼ全ての松の木々が消失した中で、奇跡的にも残った一本の松がありました。それは陸前高田市の「奇跡の一本松」として知られています。
「日本三大松原」三保の松原
また昔は、「日本三大松原」と言うと「天橋立(あまのはしだて)」 「三保の松原」「箱崎の松」のように言われていたようです。
これは鉄道唱歌 山陽・九州編 第39番にも歌われていますね。天橋立とは、京都府の北部にある「日本三景」の1つです。また、箱崎(はこざき)とは九州・福岡にある地名で「筥崎宮(はこざきぐう)」で知られます。
しかし現代では福井県敦賀市の「気比の松原(けひのまつばら)」、「三保の松原」、そして佐賀県唐津市(からつし)の「虹の松原」という風に紹介されることが多いようです。
時代によって「日本三大松原」の定義は異なると思いますが、上記の例ではどちらにも「三保の松原」は入っています。
素晴らしいですね。
次はいよいよ静岡県の県庁所在地の駅、静岡駅に止まります!
注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
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