網走駅から、釧網本線で釧路方面へ出発
網走駅(あばしりえき、北海道網走市)からは、釧網本線(せんもうほんせん)に沿って知床斜里(しれとこしゃり)・川湯温泉(かわゆおんせん)・摩周(ましゅう)・標茶(しべちゃ)、そして釧路(くしろ)方面へと向かってゆくことになります。
網走駅を「16時20分発・釧路行き」に乗れば、夜の20時01分には釧路駅に着きます。
この普通列車だと約4時間近くの乗車という、かなりのロングランにはなりますが、途中・川湯温泉駅(かわゆおんせんえき)で11分の停車時間があります。
そのため、途中の川湯温泉駅ではちょっと車両の外に出て、外の空気を吸うようにすれば多少は違います。
ただし、この便の列車だと後半の釧路湿原(くしろしつげん)あたりにたどり着く頃には夜のため、釧路湿原の美しい景色を見るのにはかなり厳しくなります。
なのでもう1時間ほど出発が早い「15:16分発・釧路行き」で網走駅を出られれば、釧路湿原近辺に着いた時点ではなんとか18:20頃の時間帯になります。
ただ、夏の時期であればまだ辛うじて釧路湿原が見られるかもしれませんが、いかんせん北海道東部ということもあり経度(けいど)のとても高い地域です。
そのため日の入り(日が暮れる)も早いため、「かなり薄暗い釧路湿原」を眺めることになる可能性も出てきます。
釧路市ともなると「東経144度の地域」になってくるために、夏でもかなり日の入りが早いのです。
やはりどちらにしても、釧路湿原の景色は翌日以降に回すことも考慮する必要があるかもしれません。
また、前日に北見・網走あたりで宿泊できれば、原生花園・釧路湿原の両方を見られる可能性も上がります。
終点の釧路までは長時間の乗車にはなりますが、ここからの景色は本当に素晴らしいです。
オホーツク海の景色・原生花園(広大な湿原)の景色・斜里岳(しゃりだけ)の雄大な景色など、本当に景色の素晴らしい区間が連続します。
ここは絶対に期待していていい区間になります。
釧網本線では本州ではなかなか見られないような、北海道・道東の雄大な大地の真髄がここにあります。
釧路と網走を結ぶ、釧網本線
釧網本線(せんもうほんせん)は、文字通り「釧路」と「網走」を結ぶ路線になります。
釧網本線は、明治時代に網走監獄(あばしりかんごく)の囚人(しゅうじん)によってできた路線です。
詳しくは前回のページでも解説しているため、ご覧ください。
釧網本線は元々、昭和の初めに「北海道の防御力・生産力を上げるため」といった、ある意味軍事的な目的で発展してきた背景が強かったといえます。
それは軍事に必要な物資・兵士・石炭などの資源を運ぶための性格を帯びた路線ということですね。
ただし戦後の平和な世の中になれば、今度は「観光路線」としての性格を強めることになります。
沿線人口の減少や自動車の普及(モータリゼーション)などの要因により、地域住民の移動の足としてはなかなか機能しにくくなっているといえます(ただし網走~浜小清水~知床斜里~清里町までの海沿い・平野部の区間は比較的人口が多く栄えた地域のため、通学需要などはそれなりに多くあるように感じます)。
なので釧網本線の駅名の中には「観光地の名前を借りた駅名」が多いといえます。
その例として、原生花園駅(1987年の新規開業)・知床斜里駅(元:斜里駅)・川湯温泉駅(元:川湯駅)、摩周駅(元:弟子屈駅)・釧路湿原駅(1988年に観光目的で新設された駅)などです。いずれも、観光地を意識した駅名になっています。
釧網本線の沿線上には、世界自然遺産として登録された知床半島(しれとこはんとう)・阿寒湖(あかんこ)・摩周湖(ましゅうこ)・釧路湿原などの観光地が多く存在します。
なので、これらの観光資源をうまく活用していくために、1990年代の前後になって新しい駅の設置や、また駅名の改称などが行われていったのでした。
網走駅を出発、オホーツク海沿いを進む 海のそば・北浜駅へ
網走駅を出ると、オホーツク海の海岸に沿って進みます。すると、左の窓の景色は、広大な海の景色が広がります。
海だけでなく、沿岸に広がる原野も圧巻のため、とても景色に見飽きることはありません。
藻琴駅(もことえき)を過ぎると、やがて北浜駅(きたはまえき、北海道網走市北浜)に着きます。
北浜駅は、海の見える駅として有名です。オホーツク海までわずか20メートルという、まさに絶景の駅です。
他にも海が見える駅として、
北海道・室蘭本線・北舟岡駅(きたふなおかえき)
兵庫県・山陰本線・鎧駅(よろいえき)
新潟県・信越本線・青海川駅(おうみがわえき)
などがあります。
季節限定の駅・原生花園駅へ到着
やがて原生花園駅(げんせいかえんえき、北海道斜里郡小清水町)に着きます。
原生花園駅(げんせいかえんえき)は、おおよそ4月末~10月末の期間限定で営業している駅になります。
2024年は、4月25日~10月31日までの期間の営業になります。
つまり「冬は空いていない」ということですね。
したがって原生花園駅は「年中空いている(降りられる)わけではない」という点に注意しましょう。
原生花園(げんせいかえん)とは、簡単にいえば「人の手に依(よ)らないお花畑」のことです。
つまり人類が誕生してから、そのままの状態で存在しているお花畑、ということになります。
一般的なお花畑といえば、よりお花たちを綺麗に見せるために、人による何らかの手を加えたりして、綺麗にします。
観賞用という観点上、少しでも見栄えをよくするために「綺麗・手間がかからない・コスパの良い」などの条件が揃ったお花が選定され、植えられてメンテナンスされ、一般の人々に公開されることで「きれ~い!」と言ってもらえるわけです。
しかし原生花園の場合は、こうした「人によって育てられ維持管理されている」というわけではありません。あくまで「自然そのまんまの花や植物」からなっています。
そのため、独特のお花や植物が見られることで知られます。
もちろん北海道でなくてもこうした「自然そのまんまの植物」が生えている原っぱはあると思いますが、単に「草ボーボーで無造作に生えているだけの場所」というだけではさすがに「原生花園」とまでは言えず、「観光名所」にはなかなかなりにくいでしょう。
なので北海道の広大な原野だからこそ、原生花園はとても映えるし、観光名所として素晴らしいわけですね。
今や「観光資源」として重要な原生花園
原生花園は、北海道ではオホーツク海の沿岸あたりをはじめ、道東(北海道東部)から道北(北海道北部)にかけて、多く広く存在します。
言い換えれば、北海道の北東部にいけばよく見られるということです。
一方、北海道の南西部あたり(札幌や函館あたりなど)では、原生花園は(あるとは思いますが)あまり見られませんね。
原生花園は、今回紹介する小清水原生花園(こしみずげんせいかえん)が全国的に有名になったことから、それによって多くの観光客が訪れるようになりました。
これにより、他の地域でも地元のイメージアップを図るため、「原生花園」を次々に観光PRとして猛プッシュしていくようになりました。
もし原生花園が大バズリしたら、地元に観光客がたくさん訪れてくれるようになり、お金を落としてくれて町の発展につながり、雇用が生まれ人々の給料も上がり、経済効果の向上という嬉しい効果が期待されるというわけですね。
例えば小清水原生花園がメディアやネット等で取り上げられ超話題ともなれば、全国から(海外からも)たくさんの観光客が原生花園にやってきます。
そのため、近くの街である網走市のホテルを予約して、網走市で食事をして、網走市で宴会や打ち上げなどをやり、網走市でお土産を買って帰るといった購買活動・経済活動につながり、この地域(小清水町や斜里町などの町も含む)の経済が発展してくるようになるわけです。
なので原生花園は、観光資源として非常に重要な意味を持ちます。
釧網本線に駅(原生花園駅)が設置されるくらいですから、その重要性がわかります。
浜小清水を過ぎ行く
原生花園駅をさらに東へ進むと、浜小清水駅(はまこしみずえき、北海道斜里郡小清水町)を過ぎてゆきます。
小清水町(こしみずちょう)は、江戸時代後期に八王子千人同心(はにおうじせんにんどうしん)と呼ばれる武士たちによって、道路が建設されました。
その道路は、現在の標茶町(しべちゃちょう)あたりから摩周湖(ましゅうこ)の東を通り、小清水町あたりを結ぶというルートでした。
八王子千人同心(はちおうじせんにんどうしん)とは、江戸幕府のおサムライさんたちのグループです。
現在の東京都八王子市(はちおうじし)にて結成され、八王子を本拠地にしていたため、八王子市千人同心といわれるわけです。
八王子市については、以下の記事でも解説しているため、ご覧ください。
中央線鉄道唱歌 第9番 日野や豊田も過ぎて、八王子に到着!織物で栄えた都市
ではなぜ八王子の武士たちが、江戸時代にこの北の大地・オホーツク海沿岸の地域にやってきたのか。
それはここまでずっと読んできてくれてくれた方には大体想像つくかとは思いますが、それは「ロシアの脅威」に備えるためです。つまり北海道の警固にあたるためでした。
江戸時代も後半になると、「日本と貿易がしたいロシア」と、「鎖国(さこく)を頑(かたく)なに貫いて貿易をしようとしない日本」との間で、度々軍事衝突が起きていました。
また江戸時代後期にもなると、ヨーロッパの各国は蒸気船をどんどんパワーアップさせてゆき、船の性能が向上してゆき世界中の色んな国へ進出するようになっていました。それに伴って日本の近海にも外国船が出没するようになってきたため、「異国船打払令」を出して悉(ことごと)く外国船を追い払おうとするなど、江戸幕府はとにかく外国船を警戒していたような時期でした。
江戸時代、「武士」には現代でいうところの「自衛官」のような国防の役割もあったため、八王子千人同心の武士たちは幕府に命じられて蝦夷地(北海道)にまでやってきていたのでした。
そして現在の北海道苫小牧市(とまこまいし)が、八王子千人同心の蝦夷地防衛・開拓における拠点となっていました。なので、八王子市と苫小牧市は、姉妹都市の関係にあります。
しかし八王子千人同心の武士たちは、北海道という極寒の慣れない土地にかなり苦しめられ、衰弱して倒れていったりもしたそうです。かなり過酷な蝦夷地(北海道)防衛の任務だったのではないかと思われます。
知床斜里駅へ
やがて止別駅(やむべつえき、北海道斜里郡小清水町止別)を過ぎ、知床斜里駅(しれとこしゃりえき)に到着します。
今回はここまでです!お疲れさまでした!
【注意】
この記事は、「旅行初心者に教える」ことを目的地として書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
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