道東の旅9 川湯温泉・アトサヌプリ(硫黄山)・摩周湖・屈斜路湖の観光を堪能

屈斜路湖(北海道川上郡弟子屈町)

知床斜里駅から、川湯温泉駅へ

知床斜里駅(しれとこしゃりえき、北海道斜里郡斜里町)を出て清里町駅(きよさとちょうえき、北海道斜里郡清里町)を南下すると、札弦駅(さっつるえき)・緑駅(みどりえき)を経て、川湯温泉駅(かわゆおんせんえき、北海道川上郡弟子屈町)に到着します。

川湯温泉駅(北海道川上郡弟子屈町)

川湯温泉駅(かわゆおんせんえき)は、昭和初期の開業当初は川湯駅(かわゆえき)という駅名でした。
しかし後に地元の温泉街である川湯温泉を観光客にもっとアピールできる駅名の方がいいということで「川湯温泉駅」となりました。
これはかつて斜里駅(しゃりえき)が「知床斜里駅(しれとこしゃりえき)」に、
弟子屈駅(てしかがえき)が「摩周駅(ましゅうえき)」に変更されたのと同じです。

釧網本線(せんもうほんせん)は、元々は当時は昭和初期ということもあり軍事目的などで造られた路線です。周辺で採れた資源を運んだり、北海道の防衛を固めるための兵士や食糧・武器などを運ぶための路線ということですね。当時はまだ自動車や車道が一般的ではありませんでしたから、軍事目的で鉄道が使われることはまだまだ主流でした。

ただ戦後になると世の中は平和になるため、こうした軍事目的での利用・需要は無くなります(もちろん世界が平和になることはとても素晴らしいことですが)。また、1960年代には自動車が普及してくるため、人々は列車を利用しなくなり、これも鉄道にとっては悩みの種になります。
すると釧網本線は生き残りをかけて、観光路線としてシフトチェンジすることを決めます。つまり軍事需要が減った分、また自動車にシェアを奪われた分、観光客の皆さんを載せることで収益を維持していこう、という作戦に切り替えたわけですね。

こうした背景もあり、それまでの駅名を「有名な観光地を冠した駅名」に変更することが行われたのだす。

川湯温泉駅は、後述する摩周湖(ましゅうこ)・硫黄山(いおうざん)・屈斜路湖(くっしゃろこ)などへの観光拠点になります。

「熱い湯」が流れていた川・川湯温泉 温泉街としての歴史

川湯温泉の川湯(かわゆ)とは、アイヌ語で「セセク・ペッ」からの意訳です。

セセク温泉
ペッ

つまり「川の温泉」ということで、「川湯」というわけですね。
川湯温泉は、その名の通り「お湯のような川」が流れるということで、かなりの昔からその存在自体は知られていました。

明治時代初期の1880年代には最初の温泉旅館が建てられています。
しかしこの温泉旅館が、近隣の硫黄山(アトサヌプリ)で働く人々たちが「よからぬ事(ギャンブル・賭博的なやつ)」をするための拠点・巣窟(アジト)のようになってしまったようです。
これではマズいということで、一度はその温泉旅館は廃止となってしまいました。
なぜなら、そのまま放っておくと、各地あちこちから次々に怖い「よからぬ人」たちが集まってきて、そういう「グラサンをした怖いお兄さんたち」が町をウロつくようになり、町のガラが一気に悪くなるからですね。

ちなみに余談になりますが、温泉街にはどうしても「風俗店」などが多くなります。それは働き盛りの若いお兄さんたちが「社員旅行」や「余暇」などで温泉街に泊まりに来たときに、夜にはどうしても●欲を発散したくなるからですね。
そんな男性側の「需要」と、生活に困窮するなどして大金を稼ぎたい女性側の「供給」がマッチするという形で、温泉街にはどうしても風俗店が増えやすくなります。
これにより男性側は「●欲の発散」ができ、女性側も「お金が稼げる」というWin-Winの関係となるわけです。
しかし風俗店が多いと「温泉街のイメージダウン」にも繋がることから、そうしたイメージを払拭するために「町興し」「女性や家族も来やすい町づくり」の取り組みなどもなされています。

ちなみに現代では売春(=お金を払って●行為をさせてもらうこと)は「売春防止法」という法律で禁止されているわけですが、東京の「吉原遊廓(よしわらゆうかく)」や大阪の「飛田新地(とびたしんち)」のように、それに近いことが行われており、そこには様々な日本社会の「」や「大人の事情」が存在しているわけです。
そのあたりは「大人の教養TV」というYouTubeチャンネルで、元東大生のドントテルミー荒井さんという方がわかりやすく解説されています。
ぜひYouTubeで「大人の教養TV 吉原遊廓(または飛田新地)」などで検索してみてください。

温泉街として発展するも、苦境に陥った川湯温泉

話を元に戻します(話が逸脱してしまいすみません・・・)。

その大正時代になって「洋風のおしゃれな温泉旅館」が建てられたわけですが、当時はまだまだ交通網が発達しておらず、あまり川湯温泉までわざわざ来るような客はいませんでした。
しかし昭和に入って釧網本線(鉄道)が開通し、また周辺道路がどんだん整備されていったことから、たくさんの人々が川湯温泉に来るようになりました。
すると次々に温泉旅館が建てられてゆき、しだいに温泉街が形成されてゆきました。

戦後になって川湯温泉は少し伸び悩んでいたのですが、1953年に映画「君の名は」が公開されると「聖地巡礼」でどんどん観光客が増えて行くようになりました。
ただこの地域は冬はとんでもなく雪が降る豪雪地帯のため、冬季はしばしば雪のために列車の運休・通行止めになってしまいました。そのため冬の期間は来るお客さんの数も滞っていました。
しかしその後に除雪作業の技術が進み、路面の改良も次々に行われていった結果、冬でもどんどん川湯温泉まで来られるようになりました。

そしてバブル期にかけて、川湯温泉の観光客数は過去最高のピークに達するのです。

しかしその後の「バブル崩壊」にともなって世間は一気に不景気になり、観光客は減少、現在でも温泉街は苦しい状況下にあるようです。

摩周湖

摩周湖(北海道川上郡弟子屈町)

摩周湖(ましゅうこ)は、川湯温泉駅の東にある湖です。
摩周湖は後述する屈斜路湖と同じで、カルデラによって出来た湖です(カルデラ湖)。
カルデラ湖とは、火山の噴火によって山の中身が噴き出してしまい、凹んだところに水が溜まってできた湖のことです。

昭和を代表する歌手である布施明(ふせ あきら)という方が1966年に発表した「霧の摩周湖」という曲が大ヒットしたことで、一気に摩周湖はメジャーで有名な存在になりました。
するとまるで布施明の「聖地巡礼」のような感じで、多くのファンが摩周湖を訪れるようになりました。

摩周湖(北海道川上郡弟子屈町)

摩周湖に霧がかかると、あたり一面霧だらけになり、湖面の水が全く見えなくなるというものです。
するとまるでカムイヌプリが「天空の城」みたいに見えます。
天空の城」といえば、兵庫県の内陸部にある竹田城やペルーの「マチュピチュ」などが有名ですね。
竹田城は「東洋のマチュピチュ」と呼ばれます。

摩周湖の神の山・カムイヌプリ

摩周湖には、「カムイヌプリ」という壮大な山があります。

摩周湖の向こう側にある、カムイヌプリ(北海道川上郡弟子屈町)

カムイ神の
ヌプリ

なので、カムイヌプリ=神の山という意味になります。

北海道では「ゴールデンカムイ」という漫画がとても有名ですね。

他にも、北海道で覚えておくと便利なアイヌ語を、以下に列挙しておきます。

ワッカ(稚)→
ナイ(内)→
ベツ(別、部)→
ポロ(幌)→大きな
トー沼、湖
サム(寒)、サップ(沙布)→~の傍(そば)に
コタン(古潭/古丹)→村、人々の住む場所

アイヌの人々にとって、お魚が採れるや沼というものはとても神聖だったので、こうした地名が多かったのですね。

硫黄をたくさん掘り出していた、アトサヌプリ(硫黄山)

硫黄山(アトサヌプリ)(北海道川上郡弟子屈町)

硫黄山(いおうざん)は、アイヌ語で「アトサヌプリ」ともよばれます。「ヌプリ」とは「」という意味です。
アトサヌプリからは、腐った卵の臭い、つまり腐卵臭(ふらんしゅう)がします。この臭いは、火山から出る硫化水素によるものです。
そして、アトサヌプリからは、明治時代にはたくさんの硫黄(いおう)を掘り出していた歴史があります。

かつてアトサヌプリの硫黄は、明治時代にたくさん堀り出されました。硫黄はさまざまな化学製品に用いられ、しかも「硫酸」などの化学薬品の原料にもなることから、重要な資源でした。つまり掘り出せば掘り出すほど工場が買ってくれるため、利益につながるわけです。
そして硫黄は、これまで何度も解説してきたように囚人(しゅうじん)による過酷な採掘労働によって掘り出されたものです。
つまり以前解説した網走監獄(あばしりかんごく)などと同じ事情によるものです。

明治時代の当時は「言論の自由」がほぼなく、まだ国民の参政権は充分に確立されたものではありませんでした。例えば高額納税者しか選挙に投票することができず、大多数の国民の意見が政治に全く反映されないという状況でした。こうなると、金持ちばかりに有利で、大多数の層や弱者に対する政治は行われにくくなることにも繋がります。

こうした明治政府への不満のため、人々は「自由民権運動」を起こして明治政府に反対してきました。
しかし当時は先述の通り「言論の自由」が無かったため、政府に反対した人々は「国家に対する反逆者」として次々に逮捕されてゆき、北海道まで無理やり連れて来られたのでした。

この川湯温泉駅がある弟子屈町(てしかがちょう)の南・釧路市の北に、標茶町(しべちゃちょう)という町があります。
この標茶(しべちゃ)に釧路集治監(くしろしゅうじかん)という監獄施設があり、ここに上記の囚人たちが収容されていました。集治監(しゅうじかん)とは、囚人たちを収容するための施設で、監獄の初期バージョンといった感じの施設です。

そして囚人たちは、アトサヌプリの硫黄採掘の労働に駆り出されたというわけです。もちろんその労働は過酷で、囚人たちはどんどん倒れていったといいます
「どうせ囚人なんだから、給料も与えなくていいや」などのような雰囲気であり、ほぼ人権無視のような使役が行われていたわけです。

このアトサヌプリで掘り出された硫黄は、「釧路鉄道」と呼ばれる今や伝説的な明治時代の鉄道によって運ばれました(現在は廃止)。山の中を、たくさんの硫黄を載せた蒸気機関車が走っていったわけです。
その釧路鉄道は先述の標茶(しべちゃ)まで続いていたのですが、当時は釧路湿原に鉄道建設することは難易度が高かったため、仕方なく釧路川の水運によって釧路まで運び出されました。つまり船に大量の硫黄を載せて運んだわけです。当時は高速トラック等存在しなかったので、この水運が最も効率が良かったわけですね。

日本一のカルデラ湖・屈斜路湖

屈斜路湖(北海道川上郡弟子屈町)

屈斜路湖(くっしゃろこ)は、日本で6番目に大きな湖です。
また屈斜路湖は、日本最大のカルデラ湖として有名です。
カルデラ湖とは、火山の噴火で吹き出して凹んだところに、雨などの水がたまってできた湖です。

カルデラは熊本県の阿蘇山(あそさん)、そしてカルデラ湖は神奈川県・箱根の芦ノ湖(あしのこ)、同じ北海道の洞爺湖(とうやこ)などが有名です。

日本の湖の大きさランキング・TOP10

1位 琵琶湖(びわこ)・滋賀県
2位 霞ヶ浦(かすみがうら)・茨城県
3位 サロマ湖・北海道
4位 猪苗代湖(いなわしろこ)・福島県
5位 中海(なかうみ)・鳥取県、島根県
6位 屈斜路湖(くっしゃろこ)・北海道
7位 宍道湖(しんじこ)・島根県
8位 支笏湖(しこつこ)・北海道
9位 洞爺湖(とうやこ)・北海道
10位 浜名湖(はまなこ)・静岡県

屈斜路湖(くっしゃろこ)と似た名前の湖に、道北の「クッチャロ湖」があります。
クッチャロ湖は、稚内の南東・オホーツク海側にの浜頓別(はまとんべつ)にある湖です。
もちろん両方ともアイヌ語由来であり、語源はまったく同じです。
「クッチャロ」とはアイヌ語で「喉口(のどぐち)」という意味です。つまり「沼の水(=川)が流れ出る口」のことであり、ここからアイヌ民族たちにとって貴重な川が流れ出るわけですね。

実際、屈斜路湖からは、釧路川(くしろがわ)という川が流れ出ています。
釧路川は、先述の通り明治時代に硫黄を運ぶための水運で栄えました。アトサヌプリ(硫黄山)で取り出した硫黄を運ぶためですね。

また、クッチャロ湖からも「クッチャロ川」という川が流れ出ており、北のオホーツク海に注いでいます。

屈斜路湖の「クッシー」

屈斜路湖には、「クッシー」という恐竜がいるそうです。
イギリス北部にある「ネス湖」に「ネッシー」という恐竜がいるのと同じですね。
琵琶湖にも「びわっしー」という恐竜がいるそうです(^^;♪
マリオの「ヨッシー」は、「ヨス湖」の出身という設定です。

クッシーは、1970年代頃から多くの目撃証言のある、未確認生物(UMA)です。

屈斜路湖の周辺にある「アイヌコタン」 アイヌ民族たちの暮らす村

屈斜路湖(北海道川上郡弟子屈町)

屈斜路湖の近くには、アイヌコタンというアイヌ民族が暮らしていた集落(村)があります。
コタン(古丹/古潭)とは、アイヌ語で「土地・村・集落」などの意味になります。

アイヌ民族にとって、クマ神様のような存在でした。アイヌ民族の長い歴史において、こうした動物などを捕まえて食糧にしたりすることによりアイヌ民族たちは生きていけたわけなので、魚・クマ、そして(魚釣りができる)川に感謝するという意味でアイヌ民族による儀式が伝統的に行われていたわけですね。

川湯温泉駅を出発 次は摩周・標茶・釧路へ

再び川湯温泉駅に戻り、次は摩周(ましゅう)・標茶(しべちゃ)・釧路(くしろ)方面へと向かいます。

今回はここまでです!
お疲れさまでした。

おまけ:筆者の自撮り写真

摩周湖にて(北海道川上郡弟子屈町)

摩周湖に来た時は、その大きさに本当に驚きました!

【注意】
この記事は、「旅行初心者に教える」ことを目的地として書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
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