鉄道唱歌 北海道編 北の巻第3番 小樽を出発し、札幌方面へ

まずは原文から!

間もなくくゞる熊碓(くまうす)の
トンネル出でゝ廣々(ひろびろ)と 
北に見渡す日本海
末(すえ)は雲路(くもじ)を浸(ひた)すらん

さらに読みやすく!

間もなくくぐる 熊碓(くまうす)の
トンネル出でて 広々(ひろびろ)と 
北に見渡す 日本海
末(すえ)は雲路(くもじ)を浸(ひた)すらん

さあ、歌ってみよう!

♪まもなくくーぐる くまうすのー
♪トンネルいでてー ひろびろとー
♪きーたにみわたす にほんかいー
♪すえはくもじをー ひたすらんー

(函館本線)
小樽駅→(熊碓トンネル)→銭函駅→手稲駅→琴似駅→札幌駅→厚別駅→野幌駅→江別駅→幌向駅→岩見沢駅→峰延駅→美唄駅→奈井江駅→砂川駅→(神居古潭)→旭川駅

※鉄道唱歌に関係ある主要駅のみ表示

小樽観光も終わり、いよいよ札幌方面へ向かいます。
小樽から先は列車の本数が多くなり、快速エアポートなど本数が充実しているので、札幌まではあと少しです。

ここまでの道中は多くても1時間に1本、長万部~倶知安間に至っては1日にわずか4本という難関区間を通って来たと思いますが、小樽から先の札幌方面は1時間に4~5本と多くなり、そのうち2本は快速エアポート新千歳空港行と速い列車が設定されているので、ここから先は一気に移動しやすくなります。快速エアポートの場合、小樽から札幌へは約32~37分です。

朝函館を出発して普通列車のみで小樽に来た場合、夕刻(16時台)に小樽に到着します。従って、小樽で簡易な観光や買い物、コーヒー休憩等をした後、夜には札幌に着くことができます。

1日で函館→札幌へ移動するスケジュール
※青春18きっぷ、北海道東日本パス利用想定
※以下、2024年現在のダイヤにて表記

08:18 函館発 函館本線・長万部行
11:09 長万部着
13:29 長万部発 函館本線・倶知安行
15:02 倶知安着
15:16 倶知安発 函館本線・小樽行
16:26 小樽着
18:30 小樽発 
  快速エアポート166号・新千歳空港行
19:07 札幌着

小樽に着いたら、小樽運河手宮線跡の見学、買い物、コーヒー休憩等を済ませて、約2時間後の18:30に小樽を出発すれば19時過ぎに札幌に着くことができます。
一方、早く札幌に着いて夜ごはんにお待ちかねの札幌ラーメンを喰らうことを優先したいたい場合は、17:30発または18:00発の快速エアポートに乗るなどもできるため、ここから先はいくらでもスケジュール変更に融通が利くのでありがたいです。

小樽駅前の大きな商業施設「長崎屋」には、ダイソー(100円ショップ)がありますし、周辺にはコンビニなどもあり買い物に困らず便利です。

小樽駅を出発すると、かつて手宮線の始発にして分岐駅だった南小樽駅を過ぎ、さらに小樽築港(おたるちっこう)駅を過ぎると、トンネルをくぐり抜け、左側の窓には一気に日本海の素晴らしい景色が見渡せます。

歌詞に出てくる「熊碓(くまうす)トンネル」というのは、小樽築港駅~朝里駅間にある「平磯トンネル」のことではないかと思います。

平磯トンネルを出る(写真左側が小樽方面、右側が札幌方面)
トンネルを出ると、日本海の景色となる(写真奥側は小樽方面)

この平磯トンネルをくぐる前はまだ小樽市街地といった風景ですが、トンネルをくぐると、窓の左側(北)には一気に日本海の景色にさしかかります。

なお、「熊碓」という地名に関してですが、私が調べたところ平磯トンネルの南1kmにある「熊碓神社」にその名前が残っている以外は、現在では「平磯」という地名の方がメジャーであり、熊碓という地名はあまり使われていないのかもしれません。
なお、平磯トンネルの北には「平磯岬」があり、トンネルが出来るまでは険しい海岸道を通る必要があったことから、この辺りは交通の難所であったことが容易に想像つきます。
(現在はこの平磯岬経由の道路は小樽港縦貫線が綺麗に整備され、難所というイメージはあまりありません)
もちろん、かつて北海道の真ん中辺り(幌内など)から石炭を運んでいた貨物列車にとっても、このトンネルは非常に重要だったことでしょう。

さらに余談で恐縮ですが、これと似た話で全国各地でよくあるパターンが、海岸のすぐ後ろが崖っぷちであり、かといって山側を通ると険しい峠道である場合、長い間人が通りにくかった交通の難所だった場所がトンネルがてきてからは交通の難易度が下がった、というケースはよくあるでしょう。

なお、上記の熊碓・平磯関連の交通の話は、私も興味持って色々調べましたが、ネット上にはあまり決定的な情報もなかったため、上記は私の想像や経験則なども多分に含んでいます。小樽市の地元事情に詳しい方からしたら「それは違う!」というのもあるかもしれませんので、誤りありましたらコメント欄で優しくご指摘いただければ幸いです。

こうしたある地域の歴史に関する古い情報って、時代が進むにつれ、わかる人が段々減っていくものなんですよね・・・。昔の事情を知っている地元のご年配の方も亡くなられていきますし、古い資料はどんどん老朽化、腐敗などで判読不能になったり、破棄されていくでしょうし。昔の字を読める人も減っていくでしょう。アイヌ語も今ではほとんどわかる人もいないといいます。

会社や職場とかでも、古い業務や古い設備、システムなどについては、若い人に知識の引き継ぎが適切に行われていないと、昔の人が異動したり退職するなどすると段々とわかる人がいなくなってくる、というのがあると思います。多分、歴史に関する知識もそういうものだと思うんですよね。

話めちゃめちゃ反れてすみません。

そして、歌詞の最後には「末は雲路(くもじ)を浸すらん」とあります。

雲路(くもじ)とは、雲が横に連なる様子をさします。
らん」というのは古い日本語の言い回しで、「~だろう」という推量(すいりょう)の意味です。

つまり、地平線の海が雲にまで到達し、まるで雲を浸してしまう勢いで海が続く、というような意味になるでしょう。現代語に意訳すると、

北に見渡す日本海の景色は、やがて地平線を越えて雲に到達してしまうのだろうか。それほど、広々とした果てしない海の景色である。

みたいな意味になるでしょうか(「到達する」の意訳が微妙です・・・)。

「北に見渡す日本海」(函館本線)左側が小樽方面、右側が札幌方面。
「北に見渡す日本海」(函館本線)左側が小樽方面、右側が札幌方面。

話がだいぶ長くなりましたが、次は銭函(ぜにばこ)、軽川(かるがわ。現在の手稲(ていね))に止まります!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

コメント