道東の旅12 根室本線・花咲線 釧路→根室 広大な景色に出会いに

厚岸(あっけし)に広がる海(花咲線の車窓より)(北海道)

釧路からは、「花咲線」で根室へ

釧路駅(くしろえき、北海道釧路市)からは、東の根室(ねむろ)方面へと進んでゆきます。
根室本線、通称・花咲線(はなさきせん)に沿って進んでゆきます。

ちなみに「花咲線(はなさきせん)」とは正式な名称ではなくあくまで根室本線の一部であり、釧路~根室の区間での愛称となります。
かつて2016年まで、根室市に「花咲駅(はなさきえき)」という駅があったため、その駅に由来しているわけです。
花咲駅は現在は廃止となりましたが、「花咲線」という路線名はそのまま引き継がれているというわけですね。

ちなみに「花咲」とは、アイヌ語の「ポロ・ノッ(大きな岬)」という言葉から来ています。

ポロ
ノッ

大きな岬(海に突き出た陸地)」
→「鼻の先にある岬
→「鼻先(はなさき)」
→「花咲(はなさき)」

という風に、時代とともに変化しました。
ちなみ「(はな)」「(みさき)」とは、半島の小さいバージョンのようなものであり、海にちょこっと突き出た陸地のことをいいます。

なお現在でも、東根室駅西和田駅(いずれも根室市)の間に
花咲港」という港町と、
花咲岬」という、
海に突き出た小さな半島があります。
この「花咲岬」こそが「ポロノッ(花咲)」の由来になったものと思われます。

花咲線では、途中、東釧路(ひがしくしろ)・厚岸(あっけし)・浜中(はまなか)・厚床(あっとこ)・東根室(ひがしねむろ)といった駅を過ぎてゆきます。
花咲線の景色は、壮大な湿原原野海の景色が広がり、とても綺麗です。
本州ではまず見られないような広大かつ美しい景色が広がるので、心して見にゆきましょう。

釧路湿原の守り神「タンチョウツル(丹頂鶴)」

釧路湿原(くしろしつげん)は、日本最大の湿原です。

釧路湿原は、タンチョウヅル(丹頂鶴)が有名です。
昔、タンチョウは捕まえると「食肉」としても売ることができたそうなので、歴史的に多くの人々によって(彼らの生活費を稼ぐために)捕獲されてしまい、その乱獲のために絶滅危惧種になるまで陥ってしまいました。

また美しいイメージのあるタンチョウですが、その裏ではトウモロコシなどの農産物を食い荒らしてしまうという「害鳥」とみなされることもあったりすのです。
これはちょっとショックですよね。

他にも「(家畜の)牛さんたちが住む小屋」に侵入し、家畜を怪我させてしまったりする事例までもが報告されているようです。
家畜として買われている牛さんたちは「牛乳」を出してもらって販売するために育てられているため、その牛さんたちがやられると、今度は牛乳の生産量にも影響が出てしまうわけです。
これらもタンチョウさまのイメージや夢を壊してしまうようなエピソードであり、ちょっと残念ではあります。
しかし厳しい自然で生きるタンチョウも立派な野生動物であり、タンチョウもモノを食べないと生きていけないため、それも仕方ないというか複雑な気持ちになります。

タンチョウは日本では1924年に釧路湿原で再発見されるまでは(すっかりその数を減らしてしまい)、絶滅したと考えられていました。その理由は、先述の通りタンチョウは食肉として売れたために乱獲されたきたからですね。

こうして個体数を大きく減らしてきたタンチョウですが、戦後になると人々によって意図的に(えさ)を与える行為が行われてきました。
これによってタンチョウの数は順調に増えていったのですが、今度はタンチョウの方が電線鉄道などに衝突して事故死していまうというケースが増大してしまいました。

その後も「日本野鳥の会」などの有志の人々によって積極的に餌がタンチョウに与えられてゆき、タンチョウたちは順調に数を増やしていきました。
しかしそれは、あくまで「人の手」によって人為的に増えたことになるので、逆に今度は数が増えすぎて住む場所に困ったり、他の鳥類との共存で縄張り争いが起きたり、また他の鳥類との接触機会が増して(距離が近くなったことにより)感染症までもが増大する、という別の問題も起きてしまいました。
さらにタンチョウ向けに与えられたを狙って、キタキツネ・エゾシカなどといった他の動物までタンチョウの生息地に(餌を奪おうとして)侵入してくるという、さらに別の問題まで起きてしまいました。

やはり、人の手によって(乱獲によって)不自然に減らされ、また逆に人の手によって意図的に増やされたりすると、ある意味では自然界のルールに従っていないことにもなるため、様々な問題が起こってしまうのは仕方ないことなのかもしれません(なお誤解なきように付け加えておきますが、もちろん、タンチョウに積極的に餌をあげて保護する人々の取組み自体はとてもよいことです)。
こうした人間の「おこない」と、自然界・地球のルール・秩序との「共存」については、なかなか一筋縄(ひとすじなわ)ではいかないことも多く、複雑な思いになり考えされられます。

根室と「千島列島」

根室(ねむろ:現在の北海道根室市)は、歴史的に千島列島(ちしまれっとう)と近く、千島列島との関わりで非常に重要な役割を担っていました

なぜならこの地域はロシアとの距離も近いため、歴史的にロシアとの関わりが親密な地域だったからです。
千島列島(ちしまれっとう)とは、いわゆる択捉島(えとろふとう)などの北方領土よりも、さらに北東に連なる列島になります。日本に最も近い島はウルップ島(得撫島)になります。

さらに、千島列島の北東には「カムチャッカ半島」「ベーリング海」があり、その東には「アリューシャン列島」が連なり、そのさらに東にはアメリカ合衆国・アラスカ州が存在することなります。
まさにこの地域は、「国境に近い地域」と呼べますね。

釧路川と東釧路駅

前置きが大分長くなりましまが、ここからは実際に花咲線の沿線に沿って話を進めてゆきます。

釧路駅を出ると釧路川を渡り、徐々に市街地を離れてゆきます。

釧路川(北海道釧路市)

そして東釧路駅(ひがしくしろえき)に着きます。

東釧路駅(北海道釧路市)

東釧路駅までは、周辺にまだたくさんの民家があり、また市街地という印象です。
なので釧路駅間~東釧路駅、さらには別保駅(べっぽえき。釧路町の中心駅です)くらいまでの区間は人々がたくさん住む場所・地域であるため、この区間は移動需要(通学・通勤需要など)が比較的多いような印象を受けます。

東釧路駅を出ると、左側へ釧網本線(せんもうほんせん)と分岐してゆきます。
つまり、前々回まで網走(あばしり)・知床(しれとこ)方面からここ・釧路まで通ってきた線路ですね。

釧路町・別保駅に到着

やがて釧路町(くしろちょう)の中心駅である、別保駅(べっぽえき、北海道釧路郡釧路町)に着きます。

釧路町(くしろちょう)は、西隣の釧路市同じ名前の町になります。そして釧路市とは歴史的に様々なイザコザがあり、残念ながら両者の関係は良くないそうです。
それはかつて1920年に釧路市(当時は釧路町)から「釧路村」として弾き出されてしまい、しかも釧路町が「釧路区(後に釧路市に)」へと昇格したため、釧路村は釧路区の発展になかば置いていかれる形となったのでした。そのため、釧路村(後の釧路町)は、釧路区(後の釧路市)に対して、長年にわたって負の感情を持ってしまうことになるのです。

しかし時代はさらに進み、今度は釧路市の方から釧路町の方へなんと合併を持ちかけました。しかし先述の過去の経緯があり、釧路町からは合併を拒否されてしまいました。
かつて自分たちを突き放した側が、いざ自分たちが人口減で窮地に陥ったら合併してくれというのは、さすがに「虫が良すぎる」と思ったのでしょう。

こうした両都市間のイザコザは、もちろん釧路市と釧路町のみに限らず、全国各地に存在しており、現在に至る根深い問題が残っていたりするのです。酷いときには「~町の人間とは結婚するな」という「結婚差別」まで起きていたりするのです。

釧路に限らず、こうした過去のイザコザからくる両都市の根深い問題が、いつか解消されるときが来ることを願うばかりですね。

別保~上尾幌を通過 エゾシカが大量出現!?

別保駅(べっぽえき)を出ると、ここからはもはや市街地どころか集落・建物の景色すらも影を潜め、早速北海道らしい広大・雄大な原野山林の中を走っていくことになります。
そして別保上尾幌(かみおぼろえき)の区間は、とても駅間距離が長くなります。

私が乗ったときには、なんとエゾシカの集団がいました。しかも集団で7頭くらい集まっていました。というか、この区間は本当にエゾシカが多く生息するエリアのようです。
しかも北海道のシカはとてもサイズが大きいです。奈良や宮島のシカよりも1.5倍くらい大きい印象です。人間よりも少し大きいくらいなので、近くで見たらちょっと恐怖すら感じます。
エゾシカが大きい理由としては「北へ行けば行くほど個体は大きくなる」という「ベルクマンの法則」が関係しています。

とても長い駅間距離を経て、上尾幌駅(かみおぼろえき、北海道厚岸郡厚岸町)に到着です。

上尾幌駅(北海道厚岸郡厚岸町)

そして、「可愛らしい駅舎」の尾幌駅(おぼろえき、北海道厚岸郡厚岸町)に着きます。

尾幌駅(北海道厚岸郡厚岸町)
尾幌駅(北海道厚岸郡厚岸町)

尾幌駅可愛らしくて特徴的な駅舎は、もちろん「使わなくなった車両」を転用したものになります。

厚岸(あっけし)に到着

尾幌(おぼろ)・門静(もんしず)の駅を過ぎると、右側の厚岸(あっけし)の海が素晴らしい眺めになります。

厚岸の海(花咲線の車窓より)(北海道)

やがて厚岸駅(あっけしえき、北海道厚岸郡厚岸町)に着きます。

厚岸(あっけし)の町名の由来は、もちろんアイヌ語になります。
しかし「アイヌ語由来」だということを知らないと、普通に「あつきし」「あつぎし」みたいに読めてしまうので、おそらく北海道に来てみて初めて「アイヌ語由来」だということを知ることになるかと思います(^^;

厚岸の町の中にある遺跡からは、既に縄文時代には人々(アイヌ民族の祖先?)の人たちが住んでいたと思われる住居の跡が見つかっています。
つまり約6,000年前、つまり縄文時代という大昔から、アイヌの先祖とも言うべき人々がこの地域で暮らしていたことが、その遺跡の存在から判明するわけです。遺跡から見つかった物的証拠から、「これは縄文時代のものだ!だからここには縄文時代から人が住んでいたんだ!」ということが専門家が調べたらわかるわけですね。
そして彼らは、時にはロシア方面とも交流しながら、魚・アザラシなどを採って食べていたわけですね。

そして江戸時代には、厚岸の各地においてにアイヌ民族たちが集落をなして暮らしていたことがわかっています。
それは、江戸時代に幕府に命じられて北海道を探検した人達や、北海道を明治時代になって探検した松浦武四郎(まつうら たけしろう)といった人物をはじめとする和人(=日本人)らによるさまざまな記録が残されているからです。ちなみに松浦武四郎は、明治時代に「北海道」という名前を考えた、名付け親でもあります。

松浦武四郎については、以下の記事でもわかりやすく解説していますので、ご覧ください。

道北・宗谷本線の旅4 名寄→美深→音威子府 天塩川沿いをゆく

江戸時代には、幕府に命じられて蝦夷地を探検した人達が多くいました。地図を作成した伊能忠敬(いのう ただたか)や、間宮海峡を発見した間宮林蔵(まみや りんぞう)たちですよね。

江戸時代には「凍らない港」と「日本との貿易」を求めて、度々ロシアが日本と接触してきて、軍事衝突を起こすなどのトラブルが起きていました。特に北海道(蝦夷地)はロシアとの国境に近い地域なので、どうしても軍事トラブルや衝突が起こりやすくなっていました。
こうなると、幕府としては蝦夷地の防衛を固めないといけません。しかし、当時の蝦夷地はどんな形なのか、全く把握できていませんでした。
なので伊能忠敬に地図を作らせ、間宮林蔵らに蝦夷地の探検・調査をさせたわけです。

伊能忠敬については、以下の記事でもわかりやすく解説していますので、ご覧ください。

冬の【東京→北海道】鉄道旅10 函館山の夜景を眺めに、ロープウェイで函館山へ

房総半島一周の旅19 佐原の街並みを探訪 そして干拓の歴史・印旛沼

間宮林蔵についには、以下の記事でもわかりやすく解説していますので、ご覧ください。

道北・宗谷本線の旅7(最終回)日本最北端の地・宗谷岬へ

こうした北海道・蝦夷地を探検した和人(日本人)により、当時の厚岸の記録が残っていたりするわけです。

千島方面との商売・交易の拠点となった「アッケシ場所」

江戸時代には、「アッケシ場所」とよばれる商売・交易の拠点が厚岸(あっけし)に存在していたことが、さまざまな文献に記録として残っているようです。

場所とは、簡単にいうと松前藩(日本人)とアイヌ民族が、物々交換・トレードを行う「商売の拠点」のようなものです。
松前藩(まつまえはん)とは、函館の南西にあった松前町(まつまえちょう)を拠点にしていた藩です。この松前藩が、江戸時代には蝦夷地全体の管理・統括をしていました。

松前藩は、当時は本州でしか採れなかった「お米」などをアイヌ民族に渡し(売り)、一方のアイヌ民族は蝦夷地でしか採れない「おいしい魚」や「毛皮」などを松前藩・日本に対して渡して(売って)いたわけです。つまり「物々交換」のような形で、商売が成り立っていました。
このように「場所」で商売・トレード(交易)を行うことを、「場所請負制」といいます。

場所請負制」については、以下の記事でもわかりやすく解説していますので、ご覧ください。

冬の【東京→北海道】鉄道旅15(帰り)札幌→小樽→倶知安

厚岸の様子は、なんとはるか遠く・ヨーロッパの国・オランダにもその記録が残されてきます。
というのも、江戸時代初期にオランダの会社である「オランダ東インド会社」の艦長らが、ここ厚岸に立ち寄ったという記録があるのです。当時は航空機などあるわけがないので、世界の旅は「船」での長~い航海が主流でした。そのため、途中で宿泊・休憩・食事・補給などをするための港が必要だったからですね。

オランダ東インド会社とは、簡単にいうとオランダが東南アジア等と貿易をすることで、利益をあげる為の会社です。
16世紀にもなると、世界中で船の性能が向上してゆき、しかも航海の技術・スキルまでもが向上したことで、世界中を航海・探検して「夢とロマン」を求めるような時代になっていました。もし大量の資源が眠っている島を発見しようものなら、本国に報告して多大な褒美や勲章をもらえて「英雄扱い」されたり、また会社を立ち上げて大儲けすることもできます。そうすればたくさんの女子からもモテモテです。航海の技術が向上すれば、世界中のオトコたちがそんな夢を見て船出(ふなで)するのは当然のことですね。
そうした流れの中で、1492年にはコロンブスアメリカ大陸を発見しています。
このときコロンブスはアメリカ大陸のことをインドだと勘違いしたため、アメリカの先住民は「インディアン(インド人)」と名付けられたのです。

そしてヨーロッパの国々が目を付けたのが、東南アジアに大量に眠る資源と、「香辛料(こうしんりょう)」と呼ばれる資源です。
香辛料(こうしんりょう)とは、食べ物にまぜて「うまい」「あまい」「からい」「しょっぱい」などの要素を意図的につけることで、味を強化させるためのものです。「胡椒(こしょう)」は、その代表例です。香辛料は、英語でスパイス(spice)といいます。
こうした香辛料があると、それまでの「ただ生きるための食事」から「楽しむための食事」という具合に食事の目的も変わり、人々の消費活動に多大な影響が出ます。そもそも食事の目的が「ただ生きるため」だけであれば、「グルメ」や「食レポ」などの文化は生まれませんからね。

自国ではまず採れないような、こうした「香辛料」などの資源に対して、ヨーロッパの資本家・お金持ちたちは欲しくてたまらないという、まさに「目がウルウル」状態になります。
そこで、これらを東南アジアから大量に輸入し(買い取り)、自国の国民に対して「お茶」や「お菓子」などとして売りさばけば、それはもう大バズりして大ヒットします。
いつの時代も、人間は「炭水化物」に対しては中毒になりやすいですからね。
するとヨーロッパの資本家や企業は、どんどん東南アジアに進出してゆき、こぞって儲かるようになるわけですね。お金がある人(資本家たち)は、そのお金をさらに(会社や事業を発展させるために)お金を使っていくので、さらに金持ちになっていくのです。

その東南アジアとの貿易の拠点として作られたのが、「東インド会社」です。
これは「世界初の株式会社」と言われています。
日本はこの頃まだ室町時代でしたから、世界がいかに先に進んでいたかがわかります。

その東インド会社が、厚岸にやったきたという記録が、現代のオランダにも残されているということです。

「天然の良港」厚岸

厚岸は「天然の良港」です。
なぜなら入り組んだ海の地形である「入り江」が、とても防御力が高く、周囲の山々が自然のバリアーの役割を果たしているからです。

なので他の地域の漁村に比べたら、人々は安心して漁業に専念でき、また敵(海賊や外国船など)が海から攻めてきたところでまず複雑な地形に阻まれるため、その間に防御体制を固め、反撃の時間稼ぎをすることができます。
なので、歴史的に「厚岸のような地形の場所」は人気であり、多くの人々が集まってきます。
このようにして、厚岸といった町は発展していったわけです。

そして厚岸は、
本州~津軽海峡~松前・箱館(函館)~根室~千島列島
という一大ルートの、まさに中継地・休憩地などとしての重要な役割がありました。
昔は飛行機や特急列車・高速道路などは無いため現代のように一気に移動ということはでないため、何ヵ月もかけて長距離移動をしていました。そのため、途中の宿泊地・食事等の休憩地はとても重要だったわけです。
厚岸はまさに日本と千島・ロシア方面が交流をするための、重要拠点だったというわけです。

浜中町・霧多布湿原

厚岸駅を出ると、別寒辺牛湿原(べかんうししつげん)を過ぎて、茶内(ちゃない)・浜中(はまなか)・姉別(あねべつ)の順に過ぎてゆきます。つまり、浜中町(はまなかちょう)のエリアに入ってゆきます。

茶内駅(北海道厚岸郡浜中町)
姉別駅(北海道厚岸郡浜中町)

浜中町(はまなかちょうは)、霧多布湿原(きりたっぷしつげん)が有名です。

霧多布湿原(きりたっぷしつげん)は、日本で5番目の湿原になります。

霧多布湿原は、主に泥炭(でいたん)によってできています。
泥炭(でいたん)とは、大昔に植物が死んだあとに長年かけて出来た化石の塊です。
ちなみに「石炭」は元々は大昔の植物たちが、「石油」は大昔のプランクトンたちが死んで長い年月をかけて化石となって出来たものになります。それらがよく燃えてくれるため「燃料」として重宝されてきたわけです。
この泥炭は石炭ほどではありませんが、よく燃えるため、もしひとたび火事が起きると延焼(燃え移る)の原因ともなってしまい、危険だったりします。なので、その扱いにはある程度の注意が求められます。

泥炭はそもそも不純物が多くて燃料としてはあまり燃えにくい(なかなか使えない)のですが、それでも第二次世界大戦のときは、貴重な燃料として使われた経緯があります。というのも、太平洋戦争(大東亜戦争)のときには日本は世界各国から石油の輸出を制限されてしまっていますから、常に燃料不足の中での戦争を強いられたのです。もちろんそんな状態では大国アメリカには勝てるはずもなく、根性論に任せた結果、1945年8月に敗戦となってしまいました。

ルパン三世の作者、モンキー・パンチ先生の出身地・浜中町

浜中町は、「ルパン三世」の作者であるモンキー・パンチ(本名:加藤一彦)先生の出身地として知られます。
花咲線の所々で「ルパン三世」が登場するのは、これに由来するわけですね。
モンキー・パンチ先生は、1937年に浜中町(当時は浜中村)で生まれ、2019年に亡くなられています。

ルパン三世」は1971年からテレビアニメとして放映されました。
当初はなかなか子供ウケせずに視聴率が低迷したそうですが、1977年に第2期シリーズが放映されてからは視聴率が上がり、伸び悩んだ第1期シリーズも再放送によって再評価され、人気が上がっていったそうです。
このあたりは、当初はなかなか人気が出ず打ち切りとなった「機動戦士ガンダム」と似ている気がします。ガンダムの話はストーリーが難解で子供にはわかりにくく、視聴者が年齢を重ねて知識が増えた頃になって再放送により人気が出る、というのはよくわかる気がします。

かつて厚床駅から出ていた「標津線」

姉別駅(あねべつえき)を過ぎると、浜中町のエリアはここで終わり、ここからは根室市(ねむろし)のエリアに入ります。つまり、日本最東端の市に入ってくるわけです。そして、厚床駅(あっとこえき)に着きます。

厚床駅(北海道根室市)

厚床駅(あっとこえき)からは、かつて1989年まで標津線(しべつせん)という路線が出ていました。

標津線(しべつせん)は、かつて厚床駅より北の別海町(べっかいちょう)・標津町(しべつちょう)まで延びていた路線です。昔は車がまだ一般的でなかったため、人々はどこに行くにも鉄道が重要でした。しかし高度経済成長期になり自動車が普及してくると鉄道は苦戦を強いられるようになり、さらに沿線人口の減少もあって次々に鉄道は廃止されていったのでした。

別海町(べっかいちょう)は、牛乳の生産量日本一の町です。また、人口1万4,000人におよぶ町民に対し、さらに4倍もの11万頭におよぶ牛さんたちが飼育され、暮らしています。町内には明治・森永・雪印といった乳業に関する企業が存在し、しかも人口も1万4,000人もあることから北海道の東端にある「町」としてはかなり栄えている方の町だといえます。

ちなみに「標津(しべつ)」は、「士別(しべつ)」と語源が同じです。
アイヌ語で「大いなる川」という意味です。
なお士別市(しべつし)は、宗谷本線上にある、旭川市と名寄市(なよろし)の間にある街です。士別市については以下の記事でも解説しておりますので、ご覧ください。

道北・宗谷本線の旅3 和寒→剣淵→士別→名寄 涼しき夏の農業・牧場の地

別当賀駅~落石駅の景色!国内屈指のスーパー景色!?

花咲線・別当賀~落石間の車窓(北海道)

別当賀(べっとが)~落石(おちいし)の間では、まさに国内屈指の車窓?ともいうべき最強の景色が登場します。巨大な湿原と海の姿です。

この景色に来ると、北海道に来て良かった~!!と心から思えてしまいます。

日本最東端の駅・東根室駅へ やがて根室へ到着

さらに根室方面へ向かうと、昆布盛駅(こんぶもりえき)・西和田駅(にしわだえき)を過ぎてゆきます。

西和田駅(北海道根室市)

そして、日本最東端の駅東根室駅(ひがしねむろし、北海道根室市)に到着します。

東根室駅は、日本最東端の駅になります。「あれ?日本最東端の駅って根室駅じゃないの?」と思うことかもしれませんが、根室駅は西へ大きくカーブした位置に存在するため、東根室駅の方が日本最東端ということになるのです。

東根室駅を過ぎたところで、北西へ線路は大きく曲がり、やがて終点・根室駅に到着します。

今回はここまでです!

お疲れ様でした!

【注意】
この記事は、「旅行初心者に教える」ことを目的地として書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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