まずは原文から!
見よや徳川家康(とくがわいえやす)の
おこりし土地の岡崎(おかざき)を
矢矧(やはぎ)の橋に殘(のこ)れるは
藤吉郎(とうきちろう)のものがたり
さらに読みやすく!
見よや徳川家康(とくがわいえやす)の
おこりし土地の岡崎(おかざき)を
矢作(やはぎ)の橋に残(のこ)れるは
藤吉郎(とうきちろう)のものがたり
さあ、歌ってみよう!
♪みーよやとくがわ いえやすのー
♪おこりしとちのー おかざきをー
♪やはぎのはーしに のこれるはー
♪とうきちろうのー ものがたりー
(東海道線)
浜松駅→舞阪駅→弁天島駅→豊橋駅→蒲郡駅→岡崎駅→南大高駅→大高駅→熱田駅→名古屋駅→岐阜駅→大垣駅→関ヶ原駅→米原駅
※鉄道唱歌に関係ある主要駅のみ抜粋
蒲郡を出て、名古屋方面へ 岡崎に到着
蒲郡(がまごおり)から「新快速」などの列車で北上すると、岡崎方面へ向かっていきます。
豊橋駅からは快速列車が増えるので移動が快適になるかとは思いますが、途中の停車駅が少ない分、次の停車駅までの時間も長くなります。快速列車だからといってすぐに次の駅に止まるわけではありませんので、たっぷりある車内での時間はスマホ・ゲーム・音楽・勉強などで有意義な時間を過ごしましょう。
やがて、岡崎駅(おかざきえき、愛知県岡崎市に到着します。)
徳川家康の出身地・岡崎市
愛知県岡崎市(おかざきし)は岡崎城があり、また岡崎城は徳川家康の出身地として知られます。
これは歌詞にある通りですね。
徳川家康とは、ご存知の通り江戸幕府を開いた人物です。1600年の関ヶ原の戦いに勝利して、1603年に江戸幕府を開きました。
徳川家康が生まれた時は、「竹千代(たけちよ)」 という名前でした。
そして幼少期は今川家の人質という扱いになっていました。
その人質となったいた幼少期は、静岡県の駿府(すんぷ)という場所で過ごしました。駿府とは駿河国(するがのくに)の国府(こくふ。現在の県庁のようなもの)という意味で、現在の静岡県静岡市になります。
しかし1560年の桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)で今川氏が織田信長に敗れてからは、その後今川氏は急速に衰退しました。
今川氏が滅びてから徳川家康は人質から解放され、自由の身となりました。
岡崎宿にあった「二十七曲がり」
かつての東海道・岡崎宿には、防衛上の観点から、「27の曲がり」と呼ばれるカーブの連続があります。これは、曲がり角の数を多くして、敵をなるべく惑わせ、城に到達させる時間を遅らせるわけですね。
もちろん堀や石垣などの防御設備も重要ですが、さらに敵の侵入の時間稼ぎをするため、こうした曲がり角の連続は重要だったのでしょう。
岡崎の名物「石工」
愛知県岡崎市は石工(せっこう)でも有名な場所です。石工とは、墓石や常夜灯(じょうやとう)などを石材から造った数々の工作物で、様々に渡ります。
常夜灯(じょうやとう)とは、電灯の無かった時代に旅人たちに灯りを照らすための設備になります。
岡崎市は、歴史的にこうした石工の盛んな地域になります。
そして岡崎市ではたくさんの良質な石材が採れることでも知られます。
昔は現在のように遠隔地や海外から原材料を仕入れることが難しかったでしょうから、近くに材料が採れる産地があったことは大きなメリットとなったことでしょう。
岡崎駅から出ている「愛知環状鉄道」 豊田市や瀬戸市を通る路線
岡崎市の中心部や岡崎城までは、愛知環状鉄道(あいちかんじょうてつどう)で行くことができます。
愛知環状鉄道は、豊田市(とよたし)や瀬戸市(せとし)などを経由して高蔵寺駅(こうぞうじえき、愛知県春日井市高蔵寺町)まで至る路線です。
愛知県豊田市(とよたし)は言わずと知れた世界のトヨタ(トヨタ自動車)が知られる企業城下町です。
企業城下町とは、その町の大半の住人がその企業の従業員または関係者(家族)となっている街のことです。
トヨタのように大手企業がその街に存在する場合は、街に入ってくる税収も増えて街が発展します。逆に、その企業が閉鎖したり撤退したりすると、多くの住民は再就職先を求めて街から出て行くため、税収が激減するというデメリットもあります。
愛知県瀬戸市(せとし)は古くから瀬戸焼(せとやき)などの陶磁器(とうじき)で有名です。
愛知県瀬戸市のこの地域では、良質な陶磁器に必要な材料が採れたため発展しました。
やはり、近隣で良質な材料が採れることは、現代ほど物流が発展していなかった時代にはメリットだったことでしょう。
豊臣秀吉のエピソードが伝わる「矢作川」
岡崎市には、「矢作川(やはぎがわ)」という川があり、鉄道もこの川を渡っていきます。
矢作川は「やはぎがわ」と読みます。「やさくがわ」ではありません。
豊臣秀吉は幼い頃、木下藤吉郎(きのした とうきちろう)という名前でした。
その木下藤吉郎が矢作川橋での下で寝ていた所 、蜂須賀小六(はちすか ころく)という人物に頭を蹴っ飛ばされてしまい怒ってしまいました。しかし、その度胸を買われて、逆に気に入られてしまいました。
矢作川橋には、この二人の出会いに因んだ「出会いの像」という像があります。
しかし、実は矢作川に橋がかけられた時代というのは江戸時代に入ってからであり、 豊臣秀吉と蜂須賀小六が会ったときは江戸時代よりも前だったので、この物語は作り話だったのではとも言われています。
矢作川の水を最大限に活かした「明治用水」
また、矢作川は治水(ちすい)・利水(りすい)により水を取ってくる場所の人工的な川があります。
治水(ちすい)とは、洪水が起こらないよう堤防や放水路、ダムなどを作るなど、うまく管理したりすることです。
利水(りすい)とは、川の水から生活用水や農業用水を引っ張ってきて、うまく利用することです。
この水をうまく活用する仕組みは「明治用水(めいじようすい)」と呼ばれ、農業や生活などのために必要な水を取ってくるための仕組みです。
明治用水(めいじようすい)は日本でも早い段階でその取り組みが行われ、特に三河地方(みかわちほう。安城市、岡崎市、豊橋市のある地域をいいます)の農業の発展に大きく貢献しました。
明治用水を最大限に活かした「日本のデンマーク」安城市
その明治用水の恩恵を大きく受けた愛知県安城市(あんじょうし)は、「日本のデンマーク」と呼ばれます。
デンマークとは、農業先進国として知られる、北ヨーロッパにある国です。
またデンマークは、幸福度の高い国であることも知られています。
このように人工的に作った疎水には、他にも例を挙げると京都の「琵琶湖疏水(びわこそすい)」などがあります。
琵琶湖疎水(びわこそすい)とは、明治時代に京都の水不足を解消する目的で琵琶湖から水を取ってくるために造られた人工的な川のことをいいます。
他にも栃木県の那須高原(かすこうげん)は、かつて「手にすくう水なし」と言われたほどに水不足が深刻だったようですが、「那須疎水(なすそすい)」を造ったことで水に恵まれるようになりました。那須疎水は那珂川(なかがわ)という、末は茨城県水戸市に流れる川から水を引いています。
福島県郡山市(こおりやまし)でも、同じように「安積疏水(あさかそすい)」を作って水が恵まれるようになりました。安積疎水は、近隣の猪苗代湖(いなわしろこ)から水を取ってきたものです。
そして、これら「琵琶湖疎水」「那須疎水」「安積疎水」は、合わせて「日本三大疎水」と呼ばれます。
新幹線で名古屋へあと1駅の、三河安城駅
新幹線で「のぞみ号」に乗っていると三河安城駅(みかわあんじょうえき、愛知県安城市)を通過したあたりで、「列車は三河安城駅を定刻通り通過しました。あと10分ほどで名古屋に到着します。」という車内メッセージが印象的ですよね。
私は毎回このアナウンスに対して、「新幹線って本当に正確なダイヤで走ってるんだなあ」と感銘を受けてしまいます。
新幹線三河安城駅と在来線三河安城駅(みかわあんじょうえき、愛知県安城市)は、同じ駅名であり直結こそしていませんが、徒歩で近い距離になります。
赤と青が印象的な「ニチバンセロテープ」
三河安城駅には、青と赤の色合いのある「ニチバンセロテープ」の工場があります。
なお、「セロテープ」というのはあくまで商品名であり、正式な一般名は「セロハンテープ」といいます。
なお、「セロテープ(R)」「セロテープ(TM)」とはニチバンセロテープの登録商標になっておます。
商標(しょうひょう)というのは、登録された商品名で他の企業が同じ商品名で販売できなくするための権利です。
例えば、他の会社が家庭用ゲーム機を作っても、「ファミコン」という名前で販売することはできません。それはファミコンは任天堂の登録商標だからです。
つまり、他の会社が似たようなセロハンテープの製品を作っても、「セロテープ」という商品名で販売すると商標権の侵害となり違法となります。
知ってましたか!?(^^;)
「R」とはRegisteredの略で、「登録された」ことをいいます。
「TM」はトレードマークのことで、つまり「商標権」のことです。
「R」「TM」ともに商品名に併記することに関しては特に法的義務はないそうです。
あと、「パワーショベル」も小松製作所(こまつせいさくじょ。石川県小松市が発祥の重機制作会社)の登録商標です。正式には油圧ショベルといいます。
刈谷・大府を過ぎ行く 名古屋へはあと少し
安城駅からさらに快速で飛ばすと、刈谷駅(かりやえき、愛知県刈谷市)に到着します。
刈谷駅前にはコメダ珈琲店があり、またスーパー「バロー刈谷店」があり、休憩に便利です。
愛知県刈谷市(かりやし)はトヨタ発祥の地としても知られています。
トヨタ自動車は、元々は1926年に刈谷市で創業した「豊田自動織機(とよたじどうしょっき)」という、織物(おりもの)の機械を作る会社でした。
それが1933年に自動車開発部門という部署が誕生し、そこが発展してトヨタ自動車となりました。
現在でも刈谷市の周辺ではトヨタグループの会社がたくさんあるようです。
刈谷駅から名鉄三河線に乗り換えると、かつて東海道編五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)の池鯉鮒宿(ちりゅうしゅく)のあった愛知県知立市(ちりゅうし)に到着します。
池鯉鮒宿(ちりゅうしゅく)は現在の知立市とは漢字が違うのですが、かつて御手洗池という池に鯉(こい)がいたことから、こういうふうに名付けられたそうです。
刈谷駅を出ると、武豊線(たけとよせん)との分岐駅である、大府駅(おおぶえき、愛知県大府市)に着きます。
知多半島への入口・武豊線との分岐駅・大府駅
大府駅からは武豊線(たけとよせん)が分岐していきます。
武豊線(たけとよせん)は、知多半島(ちたはんとう)方面へ向かう鉄道路線です。
知多半島(ちたはんとう)とは、愛知県の伊勢湾方面へ向かって延びる半島で、中部国際空港があります。
知多半島(ちたはんとう)には、かつて源頼朝(よりとも)の父だった源義朝(よしとも)の墓があります。
源義朝は1160年に残念ながら、「平治の乱(へいじのらん)」で平氏に敗れてしまいました。そして京を脱出して関東地方において復活を試みましたが、逃げる途中で仲間の裏切りにあい、名鉄知多新線・野間駅(のまえき、愛知県知多郡美浜町)のあたりにて最期を遂げました。
なお、息子の源頼朝(よりとも)は、この時に伊豆半島に流されてしまいましたが、20年もの長い期間を温存し、1180年から平氏打倒のために挙兵しました。その後平氏を滅ぼし、鎌倉幕府を開いたのはご存じの通りです。
大府駅を出て、次は大高へ
大府駅を出ると、列車はさらに大高(おおだか)・熱田(あつた)・名古屋方面へ進んでいきます!
注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
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