沼津・内浦・西浦を探訪【前編】 長浜城跡・長井崎の夢のあとをさぐる

静岡県沼津市内浦長浜および長井崎の観光・歴史について、初心者の方にもわかりやすく解説してゆきます!

沼津・内浦からの富士山(静岡県沼津市)

沼津・内浦からの富士山(静岡県沼津市)

今回は、沼津市・内浦長浜および西浦の話題へ

  • 内浦うちうら長浜ながはま観光案内所

からのスタートとなります。
そして2006年まで西浦にしうらに停泊していたスカンジナビア号の夢のあとを探っていこうかと思います!

沼津駅からバスで南西約35分

内浦・西浦地域は、沼津駅からバスで約35分ほど南西へ向かった地域にある場所になります。
また、沼津市を舞台とするアニメ「ラブライブ!サンシャイン!!」にも深く関係してくる場所(聖地)になります。

内浦・長浜からの富士山・あわしま。(静岡県沼津市)

内浦・長浜からの富士山・あわしま。(静岡県沼津市)

この場所からは、淡島あわしま富士山のコラボが素晴らしいです。

アニメでは、小原鞠莉おはらまりちゃんが泣きながら走っていった方面(西)へ進んでゆきます。

内浦長浜・重須・長井崎方面へ進む(静岡県沼津市)

戦国時代は水上の戦場となった、長浜城跡

長浜観光案内所から西浦方面へ進むと、途中で長浜城ながはまじょうの跡地を通ります。
右側にそびえる小高い山こそが、まさに長浜城のあった場所になります。

この長浜城ながはまじょうは、

  1. 戦国時代に、東側の山の向こう側にある伊豆いずの台地を支配領域としていた後北条氏ごほうじょうし小田原おだわらを本拠地に置いていた北条氏ほうじょうし)が、
  2. 駿河湾するがわんの制海権を握るために、
  3. 甲斐かい・山梨から攻めてくる武田軍の攻撃から守る築かれた

という「海の城」です。

内浦長浜に到着!(静岡県沼津市)

内浦長浜に到着!(静岡県沼津市)

長浜城跡(静岡県沼津市)

長浜城跡(静岡県沼津市)

アニメでは第一期・第6話「PVを作ろう」での舞台となりました。
津島善子ヨハネ)ちゃんの言い放った「」とは果たして、一体何だったのでしょうか。

武田氏と後北条が、戦国時代に戦った場所

伊豆国・長浜城ながはまじょうは、前回解説した武田勝頼かつより後北条氏ごほうじょうしが、戦国時代に戦った場所になります。

長浜城跡(静岡県沼津市・内浦長浜、内浦重須)

長浜城跡(静岡県沼津市・内浦長浜、内浦重須)

甲斐国かいのくに(現代の山梨県)にいた武田勝頼は、偉大な父親・武田信玄しんげんを既に亡くしてしまっていました。

また、1575年の「長篠ながしのの戦い」でも既に織田信長に敗れてしまっており、仲間にも裏切られ続けて味方の離脱が相次ぎ、急速に勢いを失っているところでした。

衰退しつつあった武田氏 駿河でなんとか打開をはかった

切羽せっぱ詰まった武田勝頼は、伊豆にいる後北条氏とは対立関係に陥ってしまったため、駿河湾するがわん内浦湾うちうらわんから水軍すいぐん(船で戦う兵士達のこと)を率いて、海から攻めてきたのです。

内浦長浜・長浜城跡からの景色。(静岡県沼津市)

内浦長浜・長浜城跡からの景色。西側がアニメでの学校のある長井崎、右側が内浦三津。(静岡県沼津市)

海から攻める武田軍は、おそらくですが、

  1. 長浜城(が建っている小高い山)のふもとにある重須おもすという地域にあった、後北条氏の水軍拠点(基地)を滅ぼして、
  2. そこを占領して、伊豆地域に攻めていこうとした

のでしょう。

1580年、海から攻めてくる武田氏を、後北条氏が長浜城から迎え撃つ

そうして武田氏後北条氏の戦いが勃発したのが、1580年のことでした。
海から攻めてくる武田軍を、長浜城後北条軍が待ち構えて、迎え撃つというイメージです。
結果はどちらが勝ったのかははっきりしていないようですが、少なくとも既に衰退していた武田軍が勝ったということはまず無かったと思われます。

というか、海から攻めてくる側(武田軍)は、基本的には圧倒的不利です。
小高い山から滅多打ちにする側(後北条軍)の方が有利ですからね。

その後、次々に衰退していった武田氏

そして、その後の武田勝頼は、織田信長からずっと地元の山梨県を攻め続けられてゆくことになったのでした。
やがて、最後には誰も味方がいなくなってしまい、山梨県・天目山てんもくざんで自害となってしまいます。

武田勝頼天目山での自害については、以下の記事でもわかりやすく解説していますので、ご覧ください

中央線鉄道唱歌 第18番 逃げ場を失った武田勝頼が滅びた、甲斐大和駅の東の天目山
中央線鉄道唱歌の歌詞を、わかりやすく解説してゆきます!武田氏終焉の地・甲斐大和駅の地理などを、やさしく解説してゆきます!↓まずは原文から!武運ぶうん盡つきたる武田氏たけだしが重圍じゅういの中に陥おちいりし天目山てんもくざんは初鹿野はじかのの...

しかし武田勝頼と戦った後北条氏も、1590年の小田原城(神奈川県小田原市)での戦いにおいて、豊臣秀吉よって敗れてしまうのです。

内浦長浜から、長井崎を経て舞台・西浦へ

アニメの学校の舞台でもある、長井崎を進んでゆく

長浜からさらに西へ進むと、重須おもす長井崎ながいさき方面へと向かって行きます。

すると、アニメの曲「君のこころは輝いてるかい」のPVで、主人公の高海千歌たかみちかちゃんが走っていった坂(学校へ続く坂)が登場します。

アニメで高海千歌ちゃんが走っていった、学校へ続く坂。(静岡県沼津市)

アニメで高海千歌ちゃんが走っていった、学校へ続く坂。(静岡県沼津市)

アニメで何度も登場した、長井崎小中一貫校のバス停前・待合せ場所(静岡県沼津市)

アニメで何度も登場した、長井崎小中一貫校のバス停前・待合せ場所(静岡県沼津市)

Aqoursの学校の舞台・長井崎小中一貫校

アニメでAqours(アクア)のメンバーが通っていた高校は「浦の星女学院うらのほじょがくいん」と呼ばれます。

そのモデルとなった沼津市立長井崎中学校(当時)は、少子化のために近隣の小学校と統廃合したため、2021年より「長井崎小中一貫校ながいさきしょうちゅういっかんこう」として再スタートしています。
つまり、少子化に伴って小学校に通う生徒の数が少なくなりすぎて、学校の数を減らさざるを得なくなったのでした。
そのため、近隣の小学校は廃止して、元々あった中学校と統合させたわけです。

少子高齢化の影響で、全国各地の学校が統廃合の流れへ

ただし、これは沼津だけに限った話ではなく、日本全国、どこの地方都市でも同じ・共通であり、もはや避けられない状況となっています。
すなわち、人口減少過疎化が激しい地域においては、もはや廃校・統廃合は免れない事態となってしまっているわけです。

アニメでも、廃校の危機から学校を救うために、女子高生9人がアイドルグループ(Aqours)を結成して活動するといった物語となっています。

「小中一貫校」とは?そのメリットとは?

また、「小中一貫校しょうちゅういっかんこう」とは、小学校と中学校が一体となった、文部科学省でも認可されている比較的新しいスタイルの学校です。

すなわち、小学校中学校が一緒になることで、

  • 小6の終わりに我々がよくやった「卒業準備」「入学準備」や、
  • 中1のはじめに行う「入学オリエンテーション」など

の行事などが省略でき、スムーズに中学の授業にとりかかれる、というメリットがあります。

また「小学校のときに仲良かった友達と、離れ離れになってしまう」という寂しさも解消されるでしょう。

その代わり、「わずか6歳の児童」と「15歳の(大人の体格にも近い)生徒」が同じ学校で活動することになるため、慣れるまでは色々ギャップもあるかもしれません。

地元の努力により、廃校を免れた長井崎小中一貫校

そんな中、アニメの聖地となった長井崎中学校は、やはり廃校にせず残しておきたいという、地元民の皆様の強い想いもあったことでしょう。

「一番大切なのは、出来るかどうかじゃない。やりたいかどうかだよ!」

ここへ来るといつも、Aqoursの「ユメ語るよりユメ歌おう」の曲がずっと脳内再生されます(^^;
2024年現在の沼津駅舎・南口にあるAqoursの大きなイラストも、「ユメ語るより~」からのワンシーンです。

長井崎からの富士山の眺め(内浦長浜→長井崎→西浦)(静岡県沼津市)

長井崎からの富士山(静岡県沼津市)

学校へ通われる生徒さんたちには、主人公・高海千歌たかみちかちゃんの有名なセリフ

一番大切なのはできるかどうかじゃない。やりたいかどうかだよ!

の精神で、頑張っていただきたいと思います!(私も頑張ります!)

長井崎の歴史

長井崎からの富士山の眺め(内浦長浜→長井崎→西浦)(静岡県沼津市)

長井崎からの富士山の眺め(静岡県沼津市)

実は、内浦湾うちうらわんを挟んで、

  • 西に長井崎城ながいさきじょう
  • 東に長浜城ながはまじょう

という2つの城が、対になるように存在していました。

​どちらも後北条氏ごほうじょうし小田原おだわら北条氏ほうじょうし)が築いた城です。

​なぜ2つも城が必要だったのか?

では、なぜこのように、2つも城が必要だったのか。

それは​一言で言うと、

  1. 北の沼津方面から攻めてくる敵(武田軍)を、
  2. 両方からブロック(挟み撃ち)するため

だったのでした。

​まず先述の通り、長浜城(東側)は水軍(海で戦う武士たち)の本拠地であり、こちらは北条水軍のメインベース(基地)です。

長浜城・長井崎の両方から、武田軍を「挟み撃ち」できる立地だった

そして、​長井崎城(西側)は、見張りと牽制けんせいのためのとりでという役割を果たしていました。
すなわち、長浜城から見て湾の対岸に突き出した長井崎は、沼津方面から(海から・北から)やってくる敵船(武田軍)を、いち早く察知するためのレーダーサイトのような役割を果たしていたのでした。

そして、後北条氏の軍はここ(長井崎)にも兵を置いておくことで、長浜城へ向かってくる敵の軍(武田軍)を横から攻撃したり、挟み撃ちにしたりすることができたわけですね。

「​天然の良港」を生む地形の長井崎

また、​長井崎は、駿河湾に(北へ)突き出した小さな半島のような形をしています。

このため、この岬(小さい半島)が西からの強い風を遮るような、まるで巨大な壁のような役割を果たしています。
そのため、内浦湾は非常に波が穏やかになっています。船も揺れにくくなるため、漁師さんたちにもありがたい地形ですね。
だからこそ、古くから漁業や養殖が盛んなんですね。

長井崎から西へ 西浦・木負地域に到着 (内浦長浜→長井崎→西浦)

富士山をバックに長井崎を進む(静岡県沼津市)

富士山をバックに長井崎を進む(静岡県沼津市)

内浦長井崎よりもさらに西へ行くと、

  • 西浦にしうら木負きしょう

といった地域に出てきます。

長井崎から、西浦地域へ(静岡県沼津市)

長井崎から、西浦地域へ(静岡県沼津市)

西浦にしうらには、木負きしょうみかん農園があり、アニメでも描写があるようにあたり一面がみかん畑になります。

沼津・西浦のみかん畑(静岡県沼津市)

沼津・西浦のみかん畑(静岡県沼津市)

今回はここまで 次回はステラ・ポラリス号(スカンジナビア号)の歴史へ

それでは、今回はここまでになります。 
次回は、かつて沼津・西浦の海に停泊していたステラ・ポラリス号(スカンジナビア号)の歴史についてとなります!

ちゅうい!おわりに

この記事は、「旅行初心者に教える」ことを目的として書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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