鉄道唱歌 東海道編の歌詞を、わかりやすく解説してゆきます!
名古屋・岐阜の地理・歴史などを、初心者の方にもやさしく解説してゆきます!
↓まずは原文から!
名古屋の城の光なり
地震のはなしまだ消きえぬ
岐阜の鵜飼ひも見てゆかん
さらに読みやすく!
名古屋の城の 光なり
地震のはなし まだ消きえぬ
岐阜の鵜飼いも 見てゆかん
さあ、歌ってみよう!
♪なごやのしろのー ひかりなりー
♪じしんのはーなし まだきえぬー
♪ぎーふのうかいも みてゆかんー
浜松駅→舞阪駅→弁天島駅→豊橋駅→蒲郡駅→岡崎駅→南大高駅→大高駅→熱田駅→名古屋駅→岐阜駅→大垣駅→関ヶ原駅→米原駅
※鉄道唱歌に関係ある主要駅のみ抜粋
名古屋(名古屋市)へ到着!
刈谷・大府方面から北上し、
- 金山駅(愛知県名古屋市熱田区・中区)
を過ぎると、窓の周辺は巨大な高層ビルが立ち並ぶ大都会の様相を呈してきます。
名古屋市の中心駅である、
- 名古屋駅(愛知県名古屋市中村区)
に到着です。

名古屋駅(愛知県名古屋市中村区)

名古屋・JRセントラルタワーズ(名古屋市)
豊臣秀吉が生まれた「尾張中村」に位置する、名古屋駅
名古屋駅はすべての新幹線「のぞみ」も止まる大きな駅になります。
また、駅は豊臣秀吉が生まれた「尾張中村」に相当する、名古屋市中村区に存在します。
現在の名古屋駅のやや西が、秀吉の生誕地となります。
秀吉は「豊太閤」と呼ばれていたため、名古屋駅の西口に「太閤口」という出入口があります。
人口230万人の大都市・名古屋市
愛知県名古屋市は、愛知県の県庁所在地です。
また、人口約230万人の大都会です。
東京・名古屋・大阪市の3つの主要都市を総称して、「東名阪」という表現もなされます。
「三府に続く大都会」名古屋
中央線鉄道唱歌 第68番によれば、名古屋は
とあります。
「三府」とは、いわゆる明治時代における東京府・大阪府・京都府のことをいいます。
いわゆる「東京府東京市」は、1943年には現在の「東京都」と「特別区」に改められました。
つまり「市」から、23の特別区に変わったイメージです。
なお当初は、35区存在しており、23区になったのは1947年からになります。
以下の記事にて解説していますので、ご覧ください。

名古屋城の空に輝く、金の鯱しゃちほこ
名古屋は、
- 名古屋城の「金のシャチホコ(鯱)」
で有名です。
シャチホコ(鯱)とは、城の頭上につく二つの飾りのことです。

名古屋城(名古屋市)。頭の上に、2つの金の輝くシャチホコがある
名古屋の名物・名所を楽しもう
名古屋は、たくさんの名物・名所があります。

名古屋駅の待ち合わせ場所の定番・金時計
「手羽先」「きしめん」「金時計」「ナナちゃん人形」
名古屋は
- 「手羽先」
- 「きしめん」
などの名物でも知られます。
さらに、
- 名古屋駅周辺には「ナナちゃん人形」といった名物
- 待ち合わせの定番「金時計」
などがあります。
名古屋では、名古屋駅のことを「名駅」と呼ぶ
名古屋では、名古屋駅のことを「名駅」と呼ぶそうです。
- 西口に広がる、「エスカ地下街」
- 東口に広がる地下街である、ユニモール
など、暇潰しには困らない印象です。
名古屋あたりから関西地方を中心に展開する定食屋「宮本むなし」のエリアにも入ってきます。
「宮本むなし」はおかわり自由ですし、安い値段でがっつり食べられるので、私は昔から大好きでした。(※)
→近年は、人件費の高騰などにより、店舗が減少傾向です。
昔行っていた店は、かなり閉店してしまいました。
名古屋であそぶなら、やはり「栄さかえ」で
名古屋初心者の方がとりあえず名古屋で遊ぶには、名古屋駅から地下鉄東山線でわずか2駅のところにある、栄という街で遊ぶのがオススメです。
栄には、パルコ・ブックオフ・快活CLUB・ヨドバシカメラなどのお店がとにかく充実していて、遊ぶ場所には困りません。
そのほか、
- 地下街の「サカエチカ」
- 久屋大通
- 名古屋テレビ塔
- オアシス21
- SKE48の本拠地となったサンシャイン栄の観覧車
などの名スポットがあります。
名古屋中心部から少し離れたスポットは?
また名古屋市内が人が多くて遊べない場合は、近くの
- 鶴舞公園
- 大曽根駅
- 八事駅周辺
まで遊び行くのも良いでしょう。
この辺りは、中央線鉄道唱歌の終盤に登場する地名ですね。
詳しくは、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

名古屋は徳川御三家の一つ「尾張徳川家」の拠点
名古屋城はいわゆる尾張徳川家の城のひとつです。
いわゆる徳川三家とは、
- 尾張徳川家
- 和歌山の「紀州徳川家」
- 茨城県の「水戸徳川家」
の三つのことを言います。
紀州徳川家については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

水戸徳川家については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

なぜ、このように家系が分散しているのか?
なぜ、これだけ家系が分散しているかと言うと、いざという時の家系のバックアップの時のためです。
昔の子供というものは、生まれた時にすぐ病気などで死んでしまうことも珍しくなかったのでした。
そのため、家系を途絶えさせないように、このように分家されているわけです。
実際に、徳川家の嫡流は7代将軍家継の時に8歳の時に亡くなっています。
そして、8代将軍の徳川吉宗は、紀州徳川家から就任しました。
なお「嫡流」とは、本来の家系の筋のことを言います。
また、最初に
- 名古屋の「尾張徳川家」
- 和歌山の「紀州徳川家」
- 茨城県の「水戸徳川家」
がそれぞれできた時に、徳川家康の子を藩主に就任させていますので、愛しいわが子に対して花を持たせる意味もあったでしょう。
製造業にとても強い「中京工業地帯」の中心地
名古屋には機械や製造メーカーなどがとても強く、中京工業地帯の中心ともいえます。
中京工業地帯は、
- 名古屋
- 豊田
- 刈谷
- 桑名
- 四日市
あたりの、愛知県・三重県などの工業都市からなる工業地帯です。
中京工業地帯は、全国の工業地帯で1位の出荷量を誇り、それは関東地方の京浜工業地帯をも凌ぎます。
それはなぜかと言うと、自動車メーカーのトヨタの関連会社がたくさんあるからです。
また、名古屋が東京と大阪のちょうど間にあるため、交通の要としても流通面で都合が良いからです。
また中京工業地帯には、
- 木曽川
- 長良川
- 揖斐川
という、いわゆる木曽三川とよばれる三つの川があり、これらの川によって水が大量に豊富だったことからも、工業地帯が栄える要因となりました。
名古屋駅を出て北上、岐阜方面へ
庄内川を渡る
名古屋駅を出ると、庄内川を渡ります。

庄内川(愛知県)
庄内川は、岐阜県では土岐川と呼ばれます。
愛知県に入ると「庄内川」と名前を変え、名古屋の海に注ぎます。
清洲城
やがて
- 枇杷島駅(愛知県清須市西枇杷島町)
を過ぎます。
窓の右側には、清洲城があります。

清洲城(愛知県清須市)
何度も城を変えた、織田信長
清洲城は、元々は織田信長の居城だった場所です。
織田信長は、
- 清洲城
- 小牧山城
- 岐阜城
- 滋賀県の安土城
と、4回もお城を変えています。
なぜ織田信長は、城を何度も変えたのか
お城を様々に変えた理由は、
- 小牧山や金華山に安土山など、それぞれ防衛に適しており、城を建てるのに相応しい山であったこと
- 経済や交通の流通に便利がよかったこと
などが挙げられるでしょう。
織田信長の「時代の変化に応じて、次々に変化・進化を実行に移す」という、本人の能力・特性もあったかもしれません。
清洲会議
その織田信長が本能寺の変で亡くなった後、彼の残した領地を豊臣秀吉や柴田勝家らがどう配分するかを決めるための会議である「清洲会議」も、ここで行われました。
清洲会議の結果は、
- 豊臣秀吉にとっては、有利な条件
- 柴田勝家にとっては、不利な条件
となったため、柴田勝家の不平不満が募ることとなりました。
そして、豊臣秀吉と柴田勝家は、琵琶湖の北東にある「賤ヶ岳」という所で戦うことになるのです。
この「賤ヶ岳の戦い」は、豊臣秀吉の勝利となり、天下統一へ向けてさらなる躍進をするのでした。
賤ヶ岳の戦いについては、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

尾張国の国府があった、愛知県稲沢市
そして、清須市のやや北西に隣接する自治体に、稲沢市があります。
愛知県稲沢市は、尾張国の国府があったところです。
尾張国とは、現在の愛知県の名古屋市を含む北部のことをいいます。
国府とは、現在の県庁のようなものです。
なお、愛知県の南部は「三河国」の領域でした。
歌詞にある「地震のはなしまだ消えぬ」とは?
歌詞には
とありますが、この「地震」とは何でしょうか。
これは明治時代の1891年10月28日に起きた、「濃尾地震」というものです。
この地震は東日本大震災には及ばないものの、それに近いくらいの猛威をふるい、
- 美濃地方(岐阜県)
- 尾張地方(愛知県北部町)
を、壊滅的な被害に追い込みました。
- 「美濃」
- 「尾張」
からそれぞれ1文字ずつ取って、「濃尾地震」です。
濃尾地震の当時は、
とそんな報道もなされ、岐阜の町が、壊滅的に火災で燃えてしまいました。
現在の岐阜市のやや北に、濃尾地震の原因となった断層である、根尾谷断層というものが存在しています。

根尾谷断層。中央のちょっと盛り上がった段差が、濃尾地震で出来たもの。(岐阜県本巣市)
木曽川を渡り、岐阜市街地へ

木曽川(愛知県・岐阜県)
木曽川を渡ると、やがて、列車は岐阜県の県庁所在地・岐阜市の中心部へと入ってゆきます。
新快速・特別快速列車ならば、
- 名古屋駅→尾張一宮駅→岐阜駅
と停車駅数が少ないため、この区間は快適に移動できるでしょう。
金華山・岐阜城の姿も
岐阜駅に近づくにつれ、窓の景色は再び都会的になってきます。
また、列車は高架の上を走るため、遠くには岐阜城のある金華山が眺められます。

金華山の上にある岐阜城(岐阜県岐阜市)
岐阜駅(岐阜市)に到着
やがて、列車は岐阜県の県庁所在地・岐阜市の中心駅である
- 岐阜駅(岐阜県岐阜市)
に到着します。

岐阜駅(岐阜県岐阜市)

岐阜駅に到着!(岐阜県岐阜市)
織田信長によってつけられた「岐阜」の名前
岐阜という名前は、織田信長が作った名前と言われています。
岐阜はかつて、岐阜城の城下町として栄えました。
岐阜城はかつて稲葉山城ともいわれました。
稲葉山は、またの名を金華山というふうにも言います。
美濃のマムシ・斎藤道三
かつて、岐阜県・美濃国は斎藤道三という人物の天下のお膝元でした。
斎藤道三は、かつては「美濃のマムシ」という風に言われていました。
なぜ「美濃のマムシ」というのかというと、あくまで「油売り」という出身から実力で天下人に成り上がったからです。
まさに「下克上」ですよね。
その斎藤道三が織田信長に倒されてからは岐阜城が乗っ取られ、そして信長は美濃のこの地を「岐阜」と名づけました。
かつて岐阜に存在した、中山道・加納宿
岐阜にはかつて美濃最大の宿場町と言われた、中山道加納宿がありました。
加納は、現在の岐阜駅のやや南東に行ったところにある場所です。
加納宿にはかつて、あの和宮さまもお泊りになられました。
和宮親子内親王とは、幕末に徳川第14代将軍・家茂のお嫁さまになるために、中山道経由で江戸に向かわれた女性皇族の方です。
「板垣死すとも自由は死せず」 岐阜城のふもと
岐阜城・金華山の麓には岐阜公園があり、市民の憩いの場になっています。
岐阜公園には、かつての
の名ゼリフで知られる、「岐阜事件」があった場所があります。
それは、板垣退助が岐阜で遊説中、金華山の麓で何者かに襲撃され、倒れる間際に放った台詞に由来します。
岐阜駅前の織田信長像 歴史のスーパースター・信長

岐阜駅前・織田信長像(岐阜県岐阜市)
岐阜駅の目の前には、金ピカの織田信長の銅像がいます。
織田信長が進めた「楽市楽座」
織田信長は岐阜を天下に治めたその後、「楽市楽座」をひきました。
それまでは「座」というものを作らなければ人々は商業ができなかったので、それにより新規参入を妨げていました。
つまり、座に加入しそのためのお金を払わなければ、商売に参加するということができないという排他的な仕組みでした。
それ以外の人は、新しい画期的なビジネスも始められないという、ある意味理不尽な仕組みでした。
織田信長は、こうした有様を撤廃することによって、新しい業者の新規参入を促せるようにしたのです。
もちろんそのようなことをすれば、かつて座に独占的に居座って、その座に胡坐をかいていた人々の反感もあったでしょうが、 織田信長にとってはそんなことは全く関係なしです。彼はあくまで自分の正義を貫いたのです。
新しい時代を創造しようと思ったら、古いものをぶっ壊さなければなりませんからね。
そのことを織田信長公はよく分かっておられたと思います。
批判を恐れず、次々に斬新なアイデアで勝ち続けた織田信長
このように織田信長は、
- 当時はいかなる戦国大名もその祟りを恐れて、歯向かうことができなかった仏教勢力と戦った
- 鉄砲の技術を導入したりと、次々に新しいことを批判を恐れず挑戦した
という、織田信長はまさに日本の歴史でもまれに見る革命家でした。
自信の行いに相当な自信がなければ、なかなか真似できるものではないでしょう。
織田信長から学ぶ、成功する人の共通点
織田信長は幼少期は「尾張の大うつけ」と言われ、その非常識ぶり、落ち着きのなさや空気の読めなさから発達障害(ADHDなど) もあったと言われています。
しかし、いつの時代も成功してきた人や偉大な革命を起こしてきた人というのは、常識的な人間よりも、むしろ非常識な人間です。
マコなり社長の「常識人間は成功しない」という言葉がありますが 、これは逆にいえば非常識な人間こそが成功者の素質があることをいいます。
まさに織田信長もの典型だと思います。
なお、マコなり社長も発達障害(ADHD)を自認されています。
非常識な人間は、常識にとらわれない斬新なアイデアを次々から考え考え出すことが得意です。
- 「人が遊んでいる間に勉強する」
- 「人間が空を飛んではいけないなんて決まりはない」
- 「夜が暗いなんて、誰が決めたんだ」
みたいな、非常識かつ逆張りな発想ができないと、「飛行機」や「電気」などの新しい発明や革命は生まれませんでした。
時代の常識は常に変化するため、新しい常識を産む人は、まさに非常識な人の強みであるといえましょう。
岐阜市の美しい景色・長良川の鵜飼い
岐阜市内には、「長良川」という大きく美しい川が流れています。
また、「岐阜の鵜飼い」とは、いわゆる長良川の鵜飼いのことを言います。
「鵜飼い」とは、鵜という鳥を使って鮎を取ることです。
鵜飼いは、織田信長からも絶賛されてきました。
長良川の鵜飼いは、岐阜駅からバスで10分~15分ほどで行くことができます。
とても美しいので、訪れる価値はあります。
ここから先の「関ヶ原越え」に備えて、岐阜駅周辺で休憩
岐阜駅周辺はお店や飲食店も多く、これから先に待ち受ける、青春18きっぷ初心者の難関である
- 「関ヶ原越え」
に備えて、岐阜駅で途中下車して寄っていくとよいでしょう。
駅前の織田信長の金ピカ像をバックに写真を撮るだけでも、岐阜を訪れる価値はあります。
岐阜駅を出発すると、次は大垣方面へ向かいます!
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