鉄道唱歌 東海道編 第35番 大垣と養老の滝 親孝行の物語

まずは原文から!

父やしなひし養老(ようろう)の
瀧(たき)は今なほ大垣(おおがき)を
三里(さんり)へだてゝ流れたり
孝子(こうし)の名譽(めいよ)ともろともに

さらに読みやすく!

父やしない(養い)し養老(ようろう)の
滝(たき)は今なお大垣(おおがき)を
三里(さんり)へだてて流れたり
孝子(こうし)の名誉(めいよ)ともろともに

さあ、歌ってみよう!

♪ちちやしなーいし ようろうのー
♪たーきはいまなお おおがきをー
♪さーんりへだてて ながれたりー
♪こうしのめいよと もろともにー

(東海道線)
浜松駅→舞阪駅→弁天島駅→豊橋駅→蒲郡駅→岡崎駅→南大高駅→大高駅→熱田駅→名古屋駅→岐阜駅→大垣駅→関ヶ原駅→米原駅

※鉄道唱歌に関係ある主要駅のみ抜粋

岐阜駅を出て、大垣駅へ

岐阜駅を出て、

  • 西岐阜駅(にしぎふえき、岐阜県岐阜市)
  • 穂積駅(ほづみえき、岐阜県瑞穂市)

を過ぎると、やがて大垣駅(おおがきえき、岐阜県大垣市)に着きます。

大垣駅(岐阜県大垣市)

大垣駅北口にはショッピングモール「アクアウォーク大垣店」がありますので、そこで休憩していきましょう。

「おくのほそ道」のゴール・大垣

岐阜県大垣市(おおがきし)は松尾芭蕉による「おくのほそ道」の旅で、最終的なゴールとなった場所です。

おくのほそ道」とは、江戸時代に松尾芭蕉が、東北地方(みちのく)の旅に出たときの記録のことをいいます。
現代の旅人系YouTuberの先駆けみたいなものですね。

おくのほそ道のルート

江戸(東京)→東北・松島

おくのほそ道」ではまず、東京(江戸)の千住大橋(せんじゅおおはし)を出てから奥州街道(おうしゅうかいどう)を北上してゆき、

  • 宇都宮(栃木県)
  • 日光(栃木県)
  • 白河の関(福島県)
  • 松島(宮城県)

などの名所旧跡をまわりました。
松島では、あまりの美しさに、詩を詠めなかったといいます。

松島について、詳しくは以下の記事をご覧ください。

宮城→山形→最上川→象潟

やがて仙山線(せんざんせん)のルートに沿って宮城県から西へ移動し、

  • 山形県の立石寺(りっしゃくじ)を訪ね、
  • 最上川(もがみがわ)を通って西へ進み、

日本海側酒田あたり)に出ます。

山形県と秋田県の県境を越え、秋田県の象潟(きさかた。現在のにかほ市)が最北になります

象潟については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

象潟→日本海沿いを南下→大垣

その後は日本海沿いをひたすら南下し、

  • 新潟県の出雲崎(いずもざき)

を通って北陸地方をさらに南下してゆき、最後には岐阜県の大垣に戻ってきました

大垣→揖斐川→江戸(帰還)

揖斐川(岐阜県)(東海道新幹線の車窓より)

大垣からはさらに揖斐川(いびがわ)を通って桑名(くわな。三重県桑名市)へ戻り、あとは東海道沿いに江戸に戻ったとされています。

なお、松尾芭蕉は三重県伊賀市(いがし)の出身です。伊賀市は忍者の里としても知られます。

伊賀市松尾芭蕉のふるさとについては、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

大垣の南にある、養老の滝

養老の滝(ようろうのたき)は、大垣駅から養老鉄道(ようろうてつどう)に乗り換えて出発します。

歌詞では三里(約12km)とありますが、実際にはそこまでの距離はないと思います。
養老鉄道で南(桑名方面)へ約7駅で、養老駅(ようろうえき、岐阜県養老郡養老町)に着きます。

養老の滝の、「親孝行」の物語

養老の滝は、親孝行だった子供の故事で知られています。
以下が、そのストーリーになります

ある日、山奥に住んでいた子供その滝に行きました。その滝の水は、まるで酒の匂いがしました。子どもは、その酒を持って帰りました。
おじいさんは子供がもってきた酒を、「これは大変おいしい酒だ」と言ってたくさん飲んだそうです。

この親孝行の物語は、居酒屋チェーン「養老乃瀧」の店名の由来ともなりました。
養老乃瀧の創業者の社長さんは、この物語に感動したため、「養老乃瀧」と名付けたそうです。

大垣駅から北へ分かれる、美濃赤坂線

また、大垣駅からは、「美濃赤坂線(みのあかさかせん)」という東海道線の支線が出ています。
支線(しせん)とは、本線とは異なる、補助的に設けられたような線路のことです。

美濃赤坂線は、駅数はわずか3駅で、終点は美濃赤坂駅(みのあかさかえき、岐阜県大垣市赤坂町)になります。
美濃赤坂線のように、これ以上先に線路が続いていない路線のことを、盲腸線(もうちょうせん)といいます。
また、美濃赤坂(みのあかさか)は、中山道の赤坂宿(あかさかしゅく)があった場所です。

美濃赤坂線と、赤坂宿については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください

大垣駅を出て、垂井駅へ

大垣駅を出ると、次は垂井駅(たるいえき)に止まります。
垂井は、美濃国(みののくに)の国府があった場所です。
美濃国(みののくに)とは、現在の岐阜県にあたります。
国府(こくふ)とは、現在でいうところの県庁のようなものです。

北へ大きく迂回する「新垂井線」

大垣駅から関ヶ原駅の間には、垂井町の北を大きく迂回する「新垂井線」というものがあります。

なぜかと言うと、大垣駅~垂井駅~関ヶ原駅の間の勾配は非常にきつく、およそ20~25パーミルという結構きつい勾配があります。
関ヶ原方面から坂を下ってくるときはいいのですが、逆に関ヶ原方面へ登っていくときは、昔の蒸気機関車などにとってはかなりきつい坂だったのです。

列車は坂道に弱く、特に昔の列車では「補助機関車(補機)」というものを連結して列車を引っ張らないと、坂を登れなかったのです。
なお、パーミル(‰)とは説明が難しいですが、例えば

  • 20‰の坂:結構きつい
  • 30‰を超えるとかなりきつくなり、列車がなかなか登らなくなる
  • 60‰を超えるとアプト式(歯車を付けて登る方式)

・・・くらいに思ってもらえればよいです。

補助機関車の取付・取外し作業は、戦時中のボトルネックだった

戦時中は、これらの勾配を克服するために必要だった補助機関車の付け替えをする作業に時間がかかり、軍事輸送上のボトルネックとなっていました。
それらの連結作業を排除する目的で、距離を稼いで勾配を緩くするために、北へ大きく迂回する経路を設けたのでした。
これが新垂井線というわけです。

現代では、列車の性能が向上しているため、基本的には新垂井線を通りませんし、補助機関車の付け替え作業も不要になっています。
現代で新垂井線を通るのは、貨物列車など、ごく一部の列車のみとなっています。

次は、天下の分け目・関ヶ原へ

垂井駅をも出ると、いよいよ天下の分かれ目である関ヶ原(せきがはら)に近づくため、徐々に山岳地域に近づいていきます。

次は、関ヶ原に止まります!

ちゅうい!おわりに

この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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