まずは原文から!
扇(おうぎ)おしろい京都紅(きょうとべに)
また加茂川(かもがわ)の鷺(さぎ)しらず
みやげを提(さ)げていざ立たん
あとに名殘(なご)りは殘(のこ)れども
さらに読みやすく!
扇(おうぎ)おしろい京都紅(きょうとべに)
また加茂川(かもがわ)の鷺(さぎ)しらず
みやげを提(さ)げていざ立たん
あとに名残(なご)りは残(のこ)れども
さあ、歌ってみよう!
♪おーうぎおしろい きょうとべに
♪またかもがわのー さぎしらずー
♪みやげをさーげて いざたたんー
♪あとになごりはー のこれどもー
(京都市営地下鉄烏丸線)
京都駅→五条駅→四条駅→烏丸御池駅→丸太町駅→今出川駅
→(至・国際会館駅)
(京都市営地下鉄東西線)
烏丸御池駅→京都市役所前駅→三条京阪駅→東山駅→蹴上駅→御陵駅
→(至・山科駅)
長かった京都観光編ですが、これにてようやく最後になります。
ここまで頑張って話題についてきてくれた皆様、あなたはもはや高い意識を持つ優秀な上級旅行者です!!
こうした歴史や地理などの知識を生かしながら旅行をすることで、旅行から多くのことを学び、また新たな人生のヒントが得られ今後の人生に繋がるステップとなるでしょう。
今回はいよいよ京都を発つので、京都のお土産編になります。
歌詞の意味は、だいたい以下のようになります。
「扇(おうぎ)、おしろい(化粧品)、京都紅(化粧品)、そして鴨川の鷺知らず(お菓子)などの土産もみな買ったので、これら土産を提げていよいよ京都を出発だ。
何だか名残惜しいなあ。。」
扇(おうぎ)・扇子(せんす)とは、うちわの風情ある高貴なバージョンのようなものですね。
昔の平安時代などは、女性は扇や「すだれ(簾)」などで顔を隠していました。
女性の顔を見れるのは、約束された男性だけです。それくらい、平安時代は女性は顔を男性に見せなかったのです。
「おしろい」とはお化粧品の一種になります。
また、京都の口紅にもまた歴史があります。
江戸時代の女性も化粧はしていたのですが、京都の口紅は江戸に住む女性にとっての憧れの的でした。
なので江戸時代には、京都の口紅は江戸に持って帰る土産としては適切なものでした。
「鷺知らず(さぎしらず)」とは、かつて鴨川(かもがわ)の付近で販売されていたお魚の佃煮(つぐたに)のお土産品のことをいいます。
また、他にも歌詞にはない京都の代表的なお土産品について簡単に触れておきます。
生八ツ橋(なまやつはし)は、京都の代表するお菓子の名前です。
その生八ツ橋の誕生したのは江戸時代の元禄年間、つまり1680年代にさかのぼるといわれています。
生八ツ橋の名前の由来は、八橋検校(やつはし けんぎょう)という京都の音楽家に由来するといわれています。
八橋検校(やつはし けんぎょう)とは、箏曲(そうきょく)を演奏する人物として知られます。
箏曲(そうきょく)とは、箏(こと)をつかって演奏する曲です。ただし、箏と琴は似ているようで別物らしいです。
京都のお土産品は、調べたところやはり和菓子やお茶系が固いようです。お土産品を買ったら、京都を発つために京都駅へ向かいます。鉄道唱歌では、この先の山崎駅(やまざきえき、京都府乙訓郡大山崎町)や島本駅(しまもとえき、大阪府三島郡島本町)が重要になってきますので、山崎駅や島本駅で降りたい場合は新快速や快速ではなく、普通列車に乗られることをおすすめします。
そしていよいよ、
「みやげを提げていざ立たん あとに名残は残れども」
です。
お土産品も買ったし、名残惜しくもいよいよ京都を出発しよう、ということですね。
おそらく作者の大和田建樹(おおわだ たけき)さんは、鉄道唱歌の旅において複数日に渡って京都に滞在したのでしょう。
これだけ観光するには、複数日は絶対必要です。それだけに思い入れも深くなり、それによってとても名残惜しかったのだと思います。
なお個人的な趣味の話で申し訳ないのですが、私(筆者)は静岡県沼津市と、北海道函館市が大好きなので、私は沼津駅と函館駅を出るときは
「みやげを提げていざ立たん あとに名残は残れども」
のフレーズがいつも頭に浮かんできます(^^;)
皆さんは、何駅を出発するときにこのフレーズが浮かんでくるでしょうか。
京都駅を出ると、右には京都鉄道博物館があります。
京都鉄道博物館には、0系新幹線や500系新幹線の静態保存(せいたいほぞん) など、珍しい展示物がたくさんあります。
京都鉄道博物館はあまりにもそのサイズとスケールが大きすぎるので、とても一日で回るのは大変だと思います。それくらい充実しており、マニアにはたまらない場所です。いや、マニアだけでなく大人にも子供にも楽しめます。
やがて列車は長岡京駅(ながおかきょうえき)に到着いたします。
長岡京とは、かつて桓武天皇が平安京に遷都する前の10年前に移転した都のことです。
なぜ桓武天皇が長岡京や平安京に次々と遷都したのかと言うと、これまで何度も説明した通り奈良の仏教勢力から逃れるためだったと言われています。
また長岡京付近には桂川(かつらがわ)があり、水運にも優れていたからという理由もあります。桂川は、京都駅を出てから間も無く渡る川です。
もちろん、平安京に遷都した理由も桂川と鴨川の水運に恵まれていたので、それらのメリットがあったことも大きいです。
昔はトラックもない時代に水上交通を利用していたのは船に荷物を乗せて運ぶ方が効率がよかったからです。
また長岡天満宮は、菅原道真(すがわらのみちざね)公が九州・福岡の大宰府(だざいふ)に左遷(させん)になった時に、途中に立ち寄った場所でもあります。
菅原道真公は醍醐天皇(だいごてんのう)の平安時代に、間違った罪を着せられて、大宰府に送られてしまいました。
その途中で立ち寄った天満宮は大阪 、長岡京のほかに、山口県の防府(ほうふ)などに点在しております。
そして列車はこの辺りから、阪急電車とも並行して行きます。
JR線は阪急線とも競合しているので、このあたりの速度スピードはとにかく早く、値段も安めに設定されています。
そして京都府は大体ここまでで、徐々に大阪府に近くなっていきます。
次は、山崎駅(やまざきえき)に止まります!
注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
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