まずは原文から!
おくり迎(むか)ふる程(ほど)もなく
茨木(いばらき)吹田(すいた)うちすぎて
はや大阪(おおさか)につきにけり
梅田(うめだ)は我(われ)をむかへたり
さらに読みやすく!
おくり迎(むか)ふる程(ほど)もなく
茨木(いばらき)吹田(すいた)うちすぎて
はや大阪(おおさか)につきにけり
梅田(うめだ)は我(われ)をむかへたり
さあ、歌ってみよう!
♪おーくりむかうる ほどもなくー
♪いばらきすいたー うちすぎてー
♪はやおおさーかに つきにけりー
♪うめだはわれをー むかえたりー
(東海道線)
米原駅→彦根駅→能登川駅→近江八幡駅→野洲駅→守山駅→草津駅→南草津駅→瀬田駅→石山駅→大津駅→山科駅→京都駅→山崎駅→高槻駅→茨木駅→吹田駅→新大阪駅→大阪駅→尼崎駅→芦屋駅→三ノ宮駅→神戸駅
※鉄道唱歌に関連する駅と、新快速列車が停車する駅などを表記
※この区間は「琵琶湖線」「京都線」「神戸線」などの愛称あり
高槻駅(たかつきえき、大阪府高槻市)を過ぎると、新快速列車は時速130キロの凄まじいスピードで、特急列車にも匹敵する速さで進んでいきます。
そして歌詞にあるように、茨木駅(いばらきえき、大阪府茨木市)・ 吹田駅(すいたえき、大阪府吹田市)の順に過ぎていきます。
大阪府茨木市(いばらきし)は、川端康成(かわばた やすなり)がその幼少期を過ごしたことで知られます。
そのため茨木市には川端康成文学館というものがあり、川端康成に関連する多くのものが展示されています。
なお川端康成は「伊豆の踊子」や「雪国」などの作者で知られます。
大阪府吹田市(すいたし)には、1970年に開かれた万国博覧会(ばんこくはくらんかい)の開かれた、万博記念公園(ばんぱくきねんこうえん)があります。
万博記念公園には、芸術家・岡本太郎(おかもと たろう)の作品で知られる「太陽の塔」があります。
「太陽の塔」は岡本太郎の作品で知られる、一度見たら忘れられないようなユニークなデザインが特徴です。
岡本太郎(おかもと たろう)は、昭和の日本を代表する芸術家です。
私はマコなり社長(元株式会社div代表取締役)の動画で岡本太郎の人生を詳しく知ったのですが、岡本太郎の言葉で最強の言葉に、
「もし迷ったら危険な道を選べ」
という言葉があります。
それは、危険な道というのは、常に「自分の行きたい道」だからです。
また、万国博覧会は大阪でまた2025年にも開かれる予定となっています。
東淀川駅(ひがしよどがわえき、大阪市淀川区)の周辺は、歌手のaikoさんの聖地として知られます。
aikoさんは「カブトムシ」「花火」「ボーイフレンド」などの曲で知られます。
東淀川駅・御堂筋線東三国駅(ひがしみくにえき、大阪市淀川区)・阪急線三国駅(みくにえき、大阪市淀川区)のこの間のエリアは、aikoさんがかつて高校時代に通われた頃のゆかりの地が多いことで知られています。
また、東淀川駅と新大阪駅の駅間距離は、非常に短いことで知られます。
元々の新大阪駅は、現在の東淀川駅の位置になるはずでした。しかし、戦時中の弾丸列車(だんがんれっしゃ)の構想のときに、従来の線路と上手く交差しないために、現在の新大阪駅の位置に決定したそうです。
それに伴い東淀川駅は廃止になるはずでしたが、地元住民の反対により残されたという経緯があります。
そのため、東淀川駅と新大阪駅の距離は非常に短くなっているというわけです。
また、現在の新大阪駅の周辺は多くのビルが建ち並び開発が進んでいますが、開業当初は本当に何もなかったそうです(なんでも「沼しか無かった」とかそんな話も伺ったことがあります)。
これは神奈川県の新横浜駅にも同じことがいえます。新横浜駅も元々は何もない場所で、在来線の横浜線と交差する位置に造られたわけですが、新幹線が出来てから急速に駅周辺の開発が進んだそうです。
新大阪駅を過ぎると淀川(よどがわ)をわたり、そして窓の景色は一気に大都会の高層ビルの様相を呈してきます。
大阪府の府庁所在地である大阪市の中心駅・大阪駅(おおさかえき、大阪府大阪市北区梅田)に到着です。
大阪駅のある辺りの地域のことを、「梅田(うめだ)」と言います。
歌詞にあるように、「梅田は我を迎えたり」ですね!
私は学生時代に初めて大阪に観光に来た時に、大阪駅を降りてから地下鉄「大阪駅」はどこにあるかわかりませんでした(^^;)
地下鉄に「大阪駅」は無く、後述するように「梅田駅(うめだえき)」がメインの駅となります。
梅田(うめだ)はかつて「埋田(うめだ)」という漢字で書いていました。それは梅田がかつて海に近い低湿地であり、ヌルヌルで地盤が安定していなく、建物が崩れやかったり、また農業や稲作にも適さなかったため、豊臣秀吉の命令で埋め立てたからです。埋め立てて作った田んぼ、ということで「埋田(うめだ)」です。
しかし「埋田」って、どことなく縁起の悪い漢字ですよね。なので、より縁起が良く美しい感じのする「梅」に漢字が変わったと言われています。
ではなぜこの「梅」の字になったのかは諸説あります。その1つに、菅原道真公が愛した「梅の花」に由来するとも言われています。
菅原道真(すがわらの みちざね)公は、西暦900年の平安時代に、都で天才として尊敬されていました。しかし、その天才ぶりに嫉妬され、ありもしない罪で九州・福岡の太宰府(だざいふ)に左遷(させん)されてしまいました。
そして彼が京都を後にするとき、
「こちふかば 思い起こせよ梅の花 主(あるじ)なしとて 春な忘れそ」
(春風が吹いたならば 私を思い出すのだぞ、梅の花よ。主である私がいなくなったからといって、春が来たのを忘れるでないぞ。)
と詠っています。
なお、その「梅の花」が、太宰府に向かった主である菅原道真公を追いかけて太宰府に飛んだ言われているのが、いわゆる「飛び梅(とびうめ)」です。
飛び梅については、鉄道唱歌山陽・九州編第41番でも歌われていますね。
上記の「梅田の梅の字は、菅原道真公に由来する説」は真偽のほどは定かではありませんが、大阪市にある大阪天満宮(おおさかてんまんぐう)は菅原道真公を祀(まつ)ることを目的した神社であり、決してこの話がないわけではないと思います。
なお、京都府の長岡天満宮、大阪天満宮、山口県の防府天満宮、そして太宰府天満宮などの神社は、いずれも学問の神様と言われている菅原道真公を祀る神社です。
なので、初詣(はつもうで)のときに多くの受験生が合格祈願のために訪れます。
また、梅田と同じく「縁起が悪い漢字」のために変更した地名として、北海道千歳市(ちとせし)があります。
千歳市の地名の由来となった川は千歳川(ちとせがわ)というのですが、元々はアイヌ語に由来する「シコツペッ」→「支笏川(しこつがわ)」という名前でした。
しかし、「支笏(しこつ)」は「死骨(しこつ)」とも書けるため、縁起が悪いということで、当時支笏川に多くいたツル(鶴は千年生きる(千歳)といわれる、長寿の象徴)にちなんで、支笏川は千歳川に名前変更され、また地名も千歳(ちとせ)となった経緯があります。
昔の大阪市の中心はどちらかと言うと難波(なんば)をはじめとする「ミナミ」だったそうですが、現在は大阪駅ができたことで大阪駅周辺も都会的になっています。
梅田や大阪駅周辺、いわゆる「キタ」は、どちらかというと「関西の東京」といったイメージです。
いかにも大阪といったイメージのある街並みは、難波や道頓堀(どうとんぼり)、通天閣(つうてんかく)などのある「ミナミ」の方が近いという印象です。
同じ大阪でもキタとミナミでは、雰囲気や文化もだいぶ異なります。
大阪に着いたら、道頓堀(どうとんぼり)で遊ぶか、心斎橋(しんさいばし)で遊ぶか、難波(なんば)で遊ぶか、通天閣(つうてんかく)で遊ぶか。 はたまた食い倒れか。
人それぞれ自由です!
次回は、大阪市についてさらに深掘りしていきます!
注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
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