まずは原文から!
奈井江(ないえ)の次の砂川(すながわ)に
おかるゝ三井(みつい)の木工場(もっこうば)
ここは名高き歌志内(うたしない)
炭山(たんざん)ゆきの別れ道
さらに読みやすく!
奈井江(ないえ)の次の砂川(すながわ)に
おかるる三井(みつい)の木工場(もっこうば)
ここは名高き歌志内(うたしない)
炭山(たんざん)ゆきの別れ道
さあ、歌ってみよう!
♪ないえのつーぎの すながわにー
♪おかるるみついの もっこうばー
♪こーこはなだかき うたしないー
♪たんざんゆきのー わかれみちー
(函館本線)
小樽駅→(熊碓トンネル)→銭函駅→手稲駅→
琴似駅→札幌駅→厚別駅→野幌駅→江別駅→幌向駅→岩見沢駅→峰延駅→美唄駅→奈井江駅→砂川駅→(神居古潭)→旭川駅
(歌志内線/1988年廃止)
砂川駅→(沿線5駅)→歌志内駅
※鉄道唱歌に関係ある主要駅のみ表示
美唄を出て、空知地方へ 「日本一真っ直ぐ」な道に沿う
美唄市(びばいし)を出ると、前回説明した「日本一長い直線道路」に並行して、砂川市(すながわし)・滝川市(たきかわし)に向かって空知(そらち)地方を一直線に走ります。少なくとも、美唄駅~砂川駅間は道路のみならず線路まで真っ直ぐなのですから驚きです。
この辺り一帯を「空知(そらち)総合振興局」といいます。
「振興局(しんこうきょく)」というのは、北海道を細かく分けたエリアのことです。
これまでも説明してきましたが、北海道はとても広大なので、道庁所在地の札幌までは全土の面倒はみきれないのです。そのため、北海道は全部で14の振興局に分かれているのです。
例えば、
札幌→石狩(いしかり)振興局
倶知安→後志(しりべし)総合振興局
室蘭→胆振(いぶり)総合振興局
函館→渡島(おしま)総合振興局
旭川→上川(かみかわ)総合振興局
網走→オホーツク振興局
稚内→宗谷(そうや)総合振興局
帯広→十勝(とかち)総合振興局
岩見沢→空知(そらち)総合振興局
江差→檜山(ひやま)振興局
浦河町→日高(ひだか)振興局
留萌→留萌(るもい)振興局
釧路→釧路(くしろ)総合振興局
根室→根室(ねむろ)振興局
といった具合に分かれています。
なお、上記自治体名は、すべて振興局所在地です。
空知総合振興局の所在地は、岩見沢市です。
「総合振興局」と「振興局」の違いについては、総合振興局は「隣の振興局の行政業務を担当できる」ということにあるようです。これは北海道の振興局に関する条例で定められています。
例えば、札幌市擁する石狩振興局は業務量がとても多いですから、隣の空知総合振興局が業務を一部担当することができるわけですね。逆に石狩振興局はただでさえ業務量が多いですから、隣の振興局の面倒までみきれません。だから石狩振興局は「総合振興局」ではないわけですね。
奈井江駅、砂川駅を過ぎ行く
話がだいぶ逸れてしまって申し訳ありません。
鉄道唱歌の話題に戻りましょう。
奈井江駅(ないええき、北海道空知郡奈井江町)から2駅行くと、砂川駅(すながわえき、北海道砂川市)に到着します。
現在では奈井江駅と砂川駅間に豊沼駅(とよぬまえき、北海道砂川市)がありますが、この豊沼駅が一般の旅客を扱う駅となったのは1947年であり、鉄道唱歌が出来た年(1906年)よりずっと後なので、歌詞では奈井江駅の次は砂川駅ということなのですね。
空知川の水運と木材で栄えてきた、砂川市
北海道砂川市は、古くから旭川方面へ向かう陸路と、歌志内(うたしない)方面へ向かう陸路の分岐点、そして交通の要所として栄えた街です。
歌詞では砂川に「三井の木工場」が置かれていたとありますが、ここでいう三井(みつい)とは、三井グループの1つである三井物産のことです。
三井物産が当時砂川に木工場を置いていたことは鉄道唱歌の歌詞にある通りですが、砂川には大量の木材が空知川(そらちがわ)を経由して運ばれてきており、砂川は街全体に木材の臭いが漂っていたそうです。
空知川(そらちがわ)は、南富良野町(みなみふらのちょう)・富良野市(ふらのし)・芦別市(あしべつし)・赤平市(あかびらし)・滝川市(たきかわし)を経由して、滝川市と砂川市の境辺りで石狩川に合流する大きな川です。現在の根室本線と並行して流れる川といっていいでしょう。
空知川流域は、炭鉱のみならず林業も盛んだったようで、この辺一帯で採れた大量の木材が空知川上を船(水運)で運ばれ、砂川で陸に上げられ、現在の函館本線を経由して貨物列車で各地に運ばれていたようです。
なぜ林業や木工場が必要なのかというと、我々の生活に木材は必要不可欠なものだからです。木材は様々な家具を作るために用いられるだけでなく、当時の日本の建築物は木造建築が一般的でしたから、なおのこと木材が重要だったわけですね。
砂川はそうした人々の生活に欠かせない、空知川を伝って運ばれてきた木材を保管する場所として、重要な拠点だったわけですね。先述した通り、街は木材の臭いが漂っていたようです。
保管された木材は、需要があれば貨物列車に積まれて、小樽方面、そして海を伝って本州以南へ運ばれていたのでしょう。
そして、木材と同様に当時非常に重要だった資源について話をしなければなりません。
その資源とは何か。言うまでもなく、石炭です。
かつて歌志内方面への別れ道だった、砂川市
かつて砂川駅からは、1988年まで「歌志内線(うたしないせん)」という路線がありました。歌志内線は、沿線の鉱山から採れた石炭を運ぶことを目的とした、歌志内市(うたしないし)にある歌志内駅(うたしないえき)にまで至る鉄道路線でした。
日本一人口の少ない市・歌志内市
北海道歌志内市(うたしないし)は、日本で最も人口の少ない市(約2,700人)として知られています。
かつては歌志内市も炭鉱業で栄えたために4万人ほどの人口がいたそうですが、1960年代以降に主力エネルギーが石炭から石油に変わるにつれて、炭鉱が衰退したことで人口は減少、現在の人口となったようです。
余談ですが、現在では「市」となる条件は、人口5万人以上と法律で決められています(地方自治法第8条)。他にも、市と呼ぶに相応しい街の機能となっているか、さらには各都道府県の条件ではインフラ、水道、図書館、学校、工場などの設備が市と呼べるに相応しいか、他の市と比べて劣っていないかなど、市となるためには様々な厳しい条件が定められているようです。
現在では少子高齢化の影響で、全国どこの町や村も人口減少傾向ですから、市になるための敷居はかなり高いといえるでしょう。
「砂川」と「歌志内」は、語源が同じ
ちなみに「砂川(すながわ)」と「歌志内(うたしない)」は、語源が同じです。
どちらもアイヌ語で、「ペンケ・ウタシュ・ナイ(砂の多い川の上流)」に由来しています。
ペンケ:上流の
ウタシュ:砂の多い
ナイ:川
です。
歌志内~砂川を流れる川に「ペンケウタシナイ川」というものがあるのですが、砂川市の上流域に歌志内市があるため、「ペンケウタシュナイ」と呼ばれるわけです。
この「ペンケウタシュナイ」から「歌志内(うたしない)」という地名が生まれたというわけです。
また、「砂の多い川」という意味であることから、「砂川(すながわ)」という地名が生まれたわけです。
ペンケウタシナイ川は、やがて石狩川(いしかりがわ)と合流します。
ちなみにアイヌ語で「下流の」は「パンケ」になります。
こちらも北海道を旅行するときに覚えておくと便利なアイヌ語です。
滝川駅からはるか根室に続いていた、根室本線
鉄道唱歌の歌詞にはありませんが、次にくる滝川駅(たきかわえき、北海道滝川市)は、根室本線(ねむろほんせん)との分岐点です。
根室本線は、滝川駅を出ると赤平、芦別、富良野、新得(しんとく)、帯広(おびひろ)、釧路を経由して根室に至る日本最東端の非電化単線区間です。なお、釧路~根室間は「花咲線(はなさきせん)」の愛称がつけられています。
※2016年の豪雨により富良野~新得の区間が断絶してしまい、2024年3月にそのまま復旧することなく廃止となってしまいました。なので現在の根室本線は、滝川~富良野、新得~根室の区間に分かれています。
北海道滝川市(たきかわし)は、岩見沢市と旭川市のちょうど真ん中辺りの位置にあり、砂川市同様にこの二都市間を結ぶ交通の要所として歴史的に発展してきたことと思います。
私は滝川駅ホームの自販機コーナーにある「いい日旅立ち」の表記が好きです。
なお「いい日旅立ち」とは1970年代に国鉄が行っていた鉄道旅行誘致キャンペーンの1つであり、また山口百恵(やまぐち ももえ)さんが1978年に発表した曲です。東海道・山陽新幹線の車内チャイムでも流れているあの曲ですね。
「日本一早い終電」だった、新十津川駅
また、滝川駅から南西2kmほどの位置に、2020年に廃止された新十津川駅(しんとつかわえき、北海道樺戸郡新十津川町)の駅跡があります。新十津川駅は札沼線(さっしょうせん)の当時の終着駅で、新十津川駅は廃止直前の時点では午前10時00分発の列車のみ、1日に1本のみで日本一早い終電の駅として知られていました(なお、九州の秘境駅・宗太郎駅の最終は佐伯方面の20時35分。しかし延岡方面は、始発にして最終の列車がなんと06時54分。2022年現在)。それでも長年地元の人々の交通手段として愛され続け、2020年5月に惜しまれつつ廃止となってしまいました。
北海道ではこうした廃駅・廃線になった路線や駅があまりにも多く、「ここにも昔は駅があったの!?」「ここにも昔は路線があったの!?」と驚かされる事が多いです。
例えば、名寄本線(なよろほんせん)・深名線(しんめいせん)・羽幌線(はぼろせん)といった路線ですね。
こうしたかつての北海道の路線などについて調べたりするのも、とても面白くて興味深いことです。
「ウルトラセブン」モロボシ・ダン役を演じた、森次晃嗣さんの出身地・滝川市
以下余談・雑談。
ここから先は個人的な趣味の話で申し訳ないのですが、私は幼少期から「ウルトラシリーズ」の大ファンで、特に「ウルトラセブン」の大ファンです。
ウルトラセブンに変身するモロボシ・ダン隊員を演じる森次晃嗣(もりつぐ こうじ)さんが、北海道滝川市出身なのです。
「ウルトラセブン」とは、円谷プロダクションによる1967年から1968年にかけて放送された特撮ヒーローもののテレビドラマであり、また劇中で地球を狙う侵略者(宇宙人や怪獣など)と戦う正義のヒーローの名前です。ウルトラセブンに変身するモロボシ・ダン隊員は、侵略者から地球を守るために結成された防衛軍である「ウルトラ警備隊」の一員です。
ウルトラ警備隊のフルハシ隊員が北海道出身という設定で、ウルトラセブン第24話「北へ還れ!」、第25話「零下140度の対決」など、北海道のこの地域とウルトラセブンとの関連性は何かしらあるんじゃないかと(個人的に)思っています。
第24話でフルハシ隊員はウルトラ警備隊を辞めて北海道に帰って牧場を継ぐよう母親に促されたり、任務中にとんでもないピンチに見舞われたものの、不屈の精神力とウルトラセブンの活躍で任務を全うします。最後のシーンでフルハシ隊員が北海道上空をパトロールし、美しい北海道の夕焼けに感動する彼の姿は印象的でした。あのタイミングで北海道上空のパトロールを命じたキリヤマ隊長の優しさも印象的でした。
第25話でポール星人の策略で地球防衛軍基地が零下112度の異常寒波に包まれ、フルハシ隊員が「そんな馬鹿な!わが故郷北海道だってせいぜいマイナス40度だってのに!」と叫んだシーンは印象に残っています。なお、マイナス40度というのは旭川の観測史上国内最低気温のことを言ってるのではないかと思います。
なお、第25話でウルトラセブンが寒さに弱いということが露呈してしまい、それまでカラータイマーが無く時間無制限だったウルトラセブンの活動時間に制限が設けられてしまいました(額のビームランプが点灯)。
ウルトラ戦士が寒さに弱いという設定は、出身地である光の国・M78星雲には冬がないためだそうです(第25話・ポール星人の言葉より)。ただウルトラ戦士に限らず、普通の人間でも、本州以南の暖かい地域から北海道に来たら、真冬の寒さはかなり厳しいものがあります。
真冬の北海道は体感温度で-10度~-20度は普通にいきますから、充分な寒さ対策をしていきたいものですね!
鉄道唱歌とウルトラシリーズの関連は、奥州・磐城編第19番の須賀川駅(すかがわえき、福島県須賀川市)でも登場します。
福島県須賀川市(すかがわし)は、ウルトラシリーズ生みの親である円谷英二(つぶらや えいじ)さんの生まれ故郷です。
ここは別途、奥州・磐城編で解説しています!
鉄道唱歌 奥州・磐城編 第19番 須賀川、郡山、猪苗代 多くの偉人のゆかりの地
次は、神居古潭(カムイコタン)に止まります!
注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
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