まずは原文から!
おもへば夢(ゆめ)か時のまに
五三次(ごじゅうさんつぎ)はしりきて
神戸(こうべ)のやどに身をおくも
人に翼(つばさ)の汽車(きしゃ)の恩(おん)
さらに読みやすく!
おもへば夢(ゆめ)か時のまに
五三次(ごじゅうさんつぎ)はしりきて
神戸(こうべ)のやどに身をおくも
人に翼(つばさ)の汽車(きしゃ)の恩(おん)
さあ、歌ってみよう!
♪おもえばゆーめか ときのまにー
♪ごじゅうさんつぎ はしりきてー
♪こうべのやーどに みをおくもー
♪ひーとにつばさの きしゃのおん
(東海道線)
米原駅→彦根駅→能登川駅→近江八幡駅→野洲駅→守山駅→草津駅→南草津駅→瀬田駅→石山駅→大津駅→山科駅→京都駅→山崎駅→高槻駅→茨木駅→吹田駅→新大阪駅→大阪駅→尼崎駅→芦屋駅→三ノ宮駅→神戸駅
※鉄道唱歌に関連する駅と、新快速列車が停車する駅などを表記
※この区間は「琵琶湖線」「京都線」「神戸線」などの愛称あり
神戸駅まで着いたら、いよいよ東海道線の旅も終わりとなります。
思えばあっという間に、新橋駅(または東京駅)を出発して、昔は東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)と呼ばれた険しい道のりを、鉄道でいとも簡単に来ることができました。
江戸時代までは江戸~京都までの全53にもおよぶ宿場町に泊まりながら、徒歩または馬で約20日間もかけて移動していたのでした。
なので、昔の人々からしたら、「神戸の宿に泊まる」という行為自体が難しいことであったに違いありません。
昔の人は、生まれてから死ぬまでの一生の間に、本当に遠くまで行ことはほぼなかったといいます。
ましてや隣の国(現在でいうと隣の県)まで行く事なんて、滅多に考えられなかったでしょう。
それが、東京を出発してから思えばあっという間に今や神戸の宿に身を置いているという事実が、本当に素晴らしく感じられたということなのでしょう。
それができるのも、ひとえに鉄道の技術の発展にあるということです。
私は「べーやん」さんがYouTubeに上げられている鉄道唱歌東海道編の動画が好きなのですが、
「おもえば夢か時のまに~」のところで東京駅から神戸駅までの数々の駅名標が次々に写し出され、また「神戸の宿に身をおくも~」のところで神戸駅の駅名標が映し出されるという粋な演出がカッコいいと思いました。
この動画は本当によく作られていますし、その旅をされるにもかなり工夫されており、とても参考・勉強になる動画です。
そして「人に翼の汽車の恩」。
これはスーツさんもいつも仰られている言葉です。
昔の人(江戸時代まで)は、先程述べたように、本当に大変な思いをしながらかつての東海道を旅していたのでした。
それは途中で山賊に襲われたり、大雨で足止めを食らったり、断崖絶壁の海岸を通ったり、険しい峠道を越えたり、雨で泥濘(ぬかる)んだ道を通ったり、厳しい関所を通過したりと様々な困難があったのです。もちろんそれは、命の危険すらもあったことでしょう。
こうした昔の困難だった交通の歴史を知ることで、我々は現在の「当たり前の幸せ」に感謝することができます。
現代の我々は、戦国時代の大名様よりもお侍さんよりも素晴らしい暮らしをしています。
このことを忘れてはならないのです。
鉄道の技術に、本当に感謝ですね!!
次回で、鉄道唱歌 東海道編はいよいよラストとなります!
注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
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