ジェームズ・ワットとは?蒸気機関の偉大な発明者を、わかりやすく解説!

今回は、イギリスの偉大な蒸気機関の発明者の一人である、ジェームス・ワットについてわかりやすく解説してゆきます!

今回の内容は鉄道の技術の発明にも大いに関係してきますので、この機会にしっかり学んでいきましょう!

【広告】

蒸気機関を実用化した、ジェームス・ワット

ジェームズ・ワット(James Watt、1736年~1819年)は、イギリス・スコットランド出身の発明家・機械技術者です。

ジェームズ・ワットは、19世紀のイギリスで、世界で初めて蒸気機関を実用化した人物として知られます。

ジェームス・ワットの何がスゴい?

  • いわゆる昔の「自動で動く仕組み」である蒸気機関を、スゴいレベルにまで使えるように実用化した人だよ。
  • 「何でも自動化でき、大量生産が可能になる」という、イギリスの産業革命に大きく貢献した人だよ。
  • 鉄道の元祖となる、蒸気機関車の誕生にも、とても大きく貢献した人だよ。

もしジェームス・ワットが存在していなかったら、世の中の歴史はどうなっていた?

  • 蒸気機関の発展がもっと遅れてしまい、人々の生活は不便なままだったよ。
  • イギリスに産業革命が起きず、イギリスが世界の発展から大きく出遅れていた(取り残されていた)可能性があるよ。
  • もし他の国に産業革命が起きて先を越されていたら、イギリスは価格競争や貿易などで負けていた可能性があるよ。
  • 鉄道の蒸気機関車が登場するのが、もっと遅れていた可能性があるよ。
  • そうなると、日本の鉄道ももっと遅れていた可能性も否定できないよ。

ワットが18世紀後半に出てくる前には、ニューコメンという先輩技術者があらかじめ考えていた「ニューコメン蒸気機関」が、元々存在していました。

ワットはこの「元祖・蒸気機関」を、さらに人々が使えるレベルになるまでに改良(バージョンアップ)を加えてゆき、世の中を変えることができるレベルにまで向上・実用化させていったのでした。

というのも、この「ニューコメン蒸気機関」は、石炭を無駄に消費する・エネルギー効率が悪いなど、色々な欠点・問題点を抱えていたからてす。
ワットは、これらの問題点を何とか改善したいと努力してきたのでした。

現在では彼の功績をたたえて、仕事率などを表す「ワット(W)」という単位の由来にもなっています。

石炭のエネルギー効率が悪かった、従来の蒸気機関

当時の主要エネルギー源だった石炭

当時のエネルギー源といえば「石炭」です。
現代のエネルギー源は「石油」がメジャーだと思いますが、18世紀~20世紀半ばくらいまでは「石炭」が主流のエネルギー源でした。

石炭は、当時としてはスゴく燃えてくれるエネルギー源だったため、とても重宝されていたのです。
それどころか、どんな機械を動かすにも石炭はとにかく重要だったのでした。
そのため石炭は「黒いダイヤモンド」とも呼ばれていました。

大量の石炭を消費していた、従来の蒸気機関車

そんな石炭を、ワットが出てくる前の当従来の蒸気機関は、大量に消費してしまうほどエネルギー効率が悪いものだったため、せっかくいくら石炭を掘り出してもみんな燃やしてしまうというような、無意味な状態が続いていたのでした。

これは例えば、ガソリンを運ぶトラックのエンジンが、ガソリンを大量に消費するほどのオンボロ性能のため、目的地に着くまでに運んでいたガソリンを全部使いきってしまうようなものでした。
これでは本末転倒ですよね。いくらガソリンがあっても足りません。
これを防ぐためには、少ないガソリンでも走れるようにエンジンの性能・効率をげる必要があるわけです。

ジェームス・ワットは、こうした従来の石炭の効率が悪かった蒸気機関を、改善していく必要があると考えたわけですね。

ジェームズ・ワットのもたらした「産業革命」「鉄道」への貢献

ワットの功績によって、蒸気機関世の中を大きく変えるレベルにまで実用化され、

  • それまで苦労していた「炭鉱での作業」
  • それまで苦労していた「工場での生産」

などがどんどん自動化されてゆき、やがてはイギリスや世界の歴史を変える産業革命がおこりました。

こうして蒸気機関が「問題なく使えるレベル」「むしろもっと役に立つレベル」にまで進歩・進化すると、さらには蒸気船蒸気機関車といった、新しい交通手段もできてゆきました。

蒸気機関で動く「蒸気船」の発明

蒸気船は、それまでの「風まかせ」の帆船(はんせん)を置き換えるものでした。

帆船(はんせん)の場合は強い「順風(じゅんぷう:追い風のこと。対義語は「逆風」)」が来ない限りは速く動くことができませんでしたが、蒸気船ならば「自身のエネルギー」でどんどん前に進むことができます。

ペリー提督が乗ってきた黒船も、当時の日本にはまだ存在しなかった蒸気船だったため、当時の日本人は見たこともない巨大な船にあまりにも驚いたのでした。
現在では、ディーゼル船が主流になっています。

蒸気機関で動く「蒸気機関車(SL)」

鉄道の蒸気機関車は、世界で最初の鉄道という位置付けになるため、ジェームス・ワットは鉄道の歴史にも、大きな影響を与えたということになるのです。

蒸気機関の登場で、世の中はどう変わった?

そもそも、「蒸気機関」とは?

蒸気機関は、イギリスで1700年代(18世紀)に発明された、いわゆる「機械を自動で動かすためのしくみ」です。

蒸気機関では、石炭を燃やしてお湯をわかし、その時に発生する水蒸気のエネルギー動力によって動くしくみとなっています。

蒸気機関は、まず大量の水を沸(わ)かし、大量の水蒸気を発生させます。
その水蒸気のエネルギーによって動くという仕組みになっています。

蒸気機関を動かすには、大量の石炭が必要

蒸気機関において水を沸かすためには、石炭を大量に燃やす必要があります。
そのため蒸気機関には、必然的に石炭が大量に必要となります。

その石炭は、「炭鉱」とよばれる山から掘り出してくるわけです。

蒸気機関により、さまざまな作業が自動化・効率化へ

蒸気機関により、それまでは手でやっていた作業も、蒸気機関の発明によって色んな大変な作業が機械によって自動化されてゆきました。
これにより、工業による大量生産が可能になったのでした。

これにより、産業革命が起こります。

蒸気機関がもたらした、産業革命

産業革命により、「大量生産」「低価格化」が可能に

こうして産業革命が起こり、大量生産が可能になると、「値段を安くする」ことが可能になります。
つまり「低価格化」が実現できるようになるため、決してお金持ちではない世の中の大半の人(大衆)にも買ってもらえるようになるのです。
逆に「手作り」で時間がかかってしまった製品は、それだけで「貴重さ」が増してしまうため、安くすることはできないわけですね。

これによりイギリスは他国と比べて「価格競争」に勝ちやすくなり、輸出をすることによって莫大な利益を挙げることが可能になりました。

産業革命で世界最強となった、ヴィクトリア朝のイギリス

こうして、イギリスは19世紀のヴィクトリア朝のときに、世界最強の地位を得るようになったのです。

1837年~1901年のイギリスは、ヴィクトリア女王の時代であったため、「ヴィクトリア朝」と呼ぶわけです。
このヴィクトリア朝の期間におけるイギリスは、先述の産業革命が起こったこともあって、世界最強だったと言われています。
もちろん、今でもイギリスは世界のトップクラスの先進国です。

なお、ヴィクトリア朝の時代には、アーサー・コナン・ドイルによる小説「シャーロック・ホームズ」シリーズも登場しています。

蒸気機関と産業革命により、人々の暮らしが豊かに

石炭などを掘り出す「鉱山」「炭鉱」においても、掘り出した石炭やゴールド(金)などは、蒸気機関車(鉄道)によって大量かつ効率的に運ぶことができるようになったのでした。

その大量の石炭などの資源を使って、「さらに産業が発展して、さらに大儲けができる」ようになるという、まさしくプラスの循環が生まれるようになったわけです。
こうして、人々は多くのお金を持つことができるようになり、人々の暮らしは豊かになっていったのです。

ジェームズ・ワットの功績がよくわかりますね。

ジェームス・ワットの人生を、もっと詳しく

では改めて、ジェームズ・ワットの生涯について触れてみましょう。

ジェームス・ワットは、1736年にイギリス・スコットランドで生まれました。

スコットランドとは、イギリスの北部にある国です。

なお、イギリスは、

  • イングランド(グレートブリテン島の南部)
  • スコットランド(グレートブリテン島の北部)
  • ウェールズ(グレートブリテン島の南西の一部)
  • アイルランド(西側のアイルランド島)

の4つの国からなる連合王国(United KingdomUK)になります。
また、イギリスはメインとなる大きな島であるグレートブリテン島(日本でいう「本州」)、そして西側に位置するアイルランド島からなります。

蒸気機関を最初に発明した、トーマス・ニューコメン

蒸気機関の本当の最初の発明者は、冒頭にも述べた通り、ワットではありません。
同じくイギリス出身の技術者であるトーマス・ニューコメン(1664年~1729年)という人物でした。

トーマス・ニューコメンは、世界で最初の蒸気機関を発明し、それを1712年に実用化しました。
これは、後述する炭鉱における「排水」の作業のために使用されました。
この蒸気機関は、これまでも何度か述べてきたように「ニューコメン蒸気機関」とも呼ばれました。

1712年といえば、日本ではこの時まだ江戸時代中期なので、いかに当時のイギリスが先に進んでいたのかがわかります。

炭鉱における「排水作業」のために使われた蒸気機関

ニューコメン型蒸気機関は、先述したように炭鉱における「排水」作業のために利用されました。
それは、炭鉱を掘ってゆくと、どうしても「地下水」というものが噴出してきます。
この地下水を適切に処理(排水)しないと、大量の地下水によって坑内(作業現場)が水浸しになってしまうというリスクがあります。
そうなると、作業員たちが溺れて大事故につながってしまう、などのリスクがあったためです。
そのため、炭鉱では常に「地下水」を吸い出して外へ追い出す「排水」作業が必要だったのです。

この「排水」作業のために、初期のニューコメン蒸気機関は活躍したのでした。

ニューコメン型蒸気機関の改良・バージョンアップ

1763年、ワットは27歳のとき、上記の「ニューコメン型蒸気機関」を修理する仕事をしていたこともあり、蒸気機関にとても興味を持つようになりました。

ワットはこの「ニューコメン蒸気機関」の改良・バージョンアップをさせることに成功したのです。

石炭を採るために、石炭を浪費していたという「ムダ」

それまでの蒸気機関を動かすためには、掘り出す石炭の3分の1を消費する、という欠点がありました
つまり、炭鉱でせっかく10トンの石炭を掘り出したとしても、そのうち3.3トンの石炭を燃やして、再び蒸気機関を動かさないといけませんでした。
そのため、実質的に6.6トンの収穫・利益にしかなりませんでした

当時はまさに、石炭を得るために、石炭を使う(消費する)というような、相反するような状態だったのです。

このように、せっかく掘った石炭も、再び蒸気機関を動かすために、1/3の量の石炭が「目減り」してしまっていたわけですね。
かといって再び(石炭を使って)蒸気機関を動かさないと、排水作業が行えずに坑内が「水浸し」になってしまい、多くの作業員が危険にさらされてしまう可能性もあったわけです。

ジェームズ・ワットは、こうした欠点を改善するために、それまでの蒸気機関に対して改良を加えていったわけです。

従来の蒸気機関の「ムダ」を発見、改良

そこで、当時のそれまでの蒸気機関の設計においては、シリンダーが「冷却と加熱の動作」を、何度も繰り返していることがわかりました。
つまり、この無駄な動作によって「熱量を大量に無駄にしてしまっている」という点に気づいたのでした。
確かに「冷やす」と「燃やす」動作を何度も繰り返していては、効率が悪いですよね。

ワットは、こうした様々な問題点を改善していくことによって、蒸気機関の出力・効率や費用対効果(コスパ)を、著しく高めていったのでした。

新しい仲間を迎え入れ、起業・大金持ちに

ワットは、この自身で作った新しい蒸気機関を「商品化」しようと試みたのでした。
しかし、39歳になる1775年にマシュー・ボールトンという新しい協力者を得るまでには、資金面で大きな苦労をしました。
確かに、いくら優れたノウハウがあっても、資金力が無ければ、材料の調達や工場を動かすこともままならなくなってしまいますからね。

こうしてボールトン氏という新しい味方を率いれて建てた会社が、ボールトン・アンド・ワット商会でした。
つまり、先述のボールトンと、ワットの名前をそれぞれつけた会社名ですね。
この会社は、最終的に大成功を収めました。
これによって、ワットは資産家・大金持ちになっていったのでした。
産業革命を起こすほど世の中をガラリと変え、イギリス本国に大きな富をもたらしたのだから、スゴいですよね。

引退後・晩年

1800年、64歳のときに事業を引退した後もワットは発明を続けてゆき、色々なものを作ってゆきました。
しかし、蒸気機関ほどの世の中に大きな影響を及ぼすような発明品は、完成できませんでした。
まあ、蒸気機関のような世の中をまるごと変えてしまうほどの発明なんて、そんなに出来るものではないですからね。

ワットは1819年、83歳で死去します。

彼の栄誉をたたえて、「仕事率」などを表す単位に「ワット(W)」という名称がつけられたのでした。

蒸気機関車の発展・鉄道の発展

そして、蒸気機関の発展は、鉄道の発展の歴史にもつながっていくことになります。

1804年に、イギリスの技術者であるリチャード・トレシビックによって「世界初の蒸気機関車」が発明されました。

1814年になると、同じくイギリスの技術者であるジョージ・スチーブンソンによって「石炭をバンバン積める蒸気機関車」が発明されました。

ジェームズ・ワットだけでなく、当時のイギリスの技術者たちが、本当に世界の最先端をいっていたのかよくわかります。

また、1825年にはジョージ・スチーブンソンにより「ロコモーション号」が発明され、鉄道が本格的に営業運転されています。
これは日本で1872年に新橋~横浜間で鉄道が営業運転する、約50年近くも前のことでした。

機関車」について詳しくは、以下の記事でもわかりやすく解説しているため、ご覧ください。

ジョージ・スチーブンソンについては、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください

まとめ

いかがだったでしょうか。以下に今回の要点をまとめておきます!

  • ジェームズ・ワットは1736年に、イギリス・スコットランドに生まれた。
  • 彼が登場する以前には、ニューコメン蒸気機関というものが存在していた。
  • ニューコメン蒸気機関は、鉱山における排水作業のために使われていた。
  • しかし、石炭の消費が大きくエネルギー効率がとても悪かったため、ジェームズ・ワットはこれに改良を加えていった。
  • 会社を立ち上げたジェームズ・ワットは、改良した蒸気機関で大成功をおさめた。
  • 彼が開発した蒸気機関は、世の中を大きく変え「産業革命」を起こした。
  • 産業革命により、ヴィクトリア朝のイギリスは「世界最強」と呼ばれるまでに成長した。
  • この時発展した蒸気機関は、やがて蒸気船蒸気機関車にもつながり、現代の鉄道の基礎にもなった。
  • 彼の栄光をたたえて、仕事率を表す単位に「ワット」という名前がつけられた。

今回はここまでです。

お疲れ様でした!

ちゅうい!おわりに

この記事は、「旅行初心者に教える」ことを目的地として書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

この記事が良いと思った方は、よかったら次の記事・前回の記事も見てくださいね!

コメント