鉄道唱歌 山陽・九州編の歌詞を、わかりやすく解説してゆきます!
初心者の方や詳しくない方にも、楽しめるよう解説してゆきます!
↓まずは原文から!
惜しくも人にそねまれて
身になき罪をおはせられ
つひに左遷と定まりぬ
さらに読みやすく!
惜しくも人に そねまれて
身になき罪を おわせられ
ついに左遷と 定まりぬ
さあ、歌ってみよう!
♪おしくもひとにー そねまれてー
♪みになきつーみを おわせられー
♪つーいにさせんと さだまりぬー
今回も長大な「太宰府」シリーズ
今回も、長大な「大宰府シリーズ編」となります。
大宰府編は、鉄道唱歌 山陽・九州編において41番から48番にまで実に8番もの歌詞が当てられており、とても重要なものとなります。
鉄道唱歌では、
- 作者の大和田建樹さんが、特に思い入れの深い場所
- 歴史的に特に重要な場所
について、多くその歌詞が割りあてられる傾向にあります。
例えば、
- 「京都」(東海道編)
- 「奈良」(関西・参宮・南海編)
- 「松島」(奥州・磐城編)
などがそういった「多くの歌詞が当てられる場所」にあたります。
この「大宰府」も、その一つにあたります。
菅原道真公の生涯と、左遷まで
幼くして天才と呼ばれた、菅原道真公
菅原道真公は、わずか5歳という年齢で詩を読み上げるなど、「神童」と呼ばれていました。
神童とは、幼くして天才ぶりを発揮する人、という意味です。
学問に勤しんで天才ぶりを発揮し続けた菅原道真公は、当時の醍醐天皇の「右大臣」という、ナンバー2の天皇を補佐する地位にまでのぼり詰めます。
ちなみに、ナンバー1は「左大臣」といって、藤原時平という人物が選ばれました。
「右に出るものはいない」の由来
余談ですが、
という慣用句がありますよね。
これは「~はナンバー1だ」という意味になります。
その由来ですが、ナンバー1の左大臣は、
- 天皇陛下から見て左側
- 我々から見て右側
になります。
つまり、我々の視点からすれば、
というわけです。
すなわち、「~の右に出る者はいない」の由来は、左大臣から来ているわけですね。
日本では飛鳥時代以降、「左側が上」という考え方が定着していました。
異例の出世で「右大臣」に登りつめた菅原道真公
左大臣・右大臣という職は、頭がよければ誰でもなれるわけでなく、本来は例えば
- 天皇家に関係する人物
- 生まれながらの血筋がよい、高貴な人物
でしかなることはできませんでした。
一方で、菅原道真公はあくまで「学者」の出身であり、藤原時平ほどいいところ出の人物ではありませんでした。
あくまで実力で出世した、菅原道真公
つまり、菅原道真公は血筋や家系などが特別高貴だったというわけではなく、あくまで実力で出世したわけで、彼の出世は異例中の異例だったのです。
彼の異例の出世を妬んだ、藤原時平
当然ながら、藤原時平はこの菅原道真の異例の出世に対して、面白い感情を抱きません。
つまり、
- 嫉み(そねみ)
- 妬み(ねたみ)
という感情が起きたのです。
いわゆる嫉妬(しっと)ですね。
嫉妬(そねみ)を買い、あらぬ罪を着せられて左遷が決定する
そこで、藤原時平は菅原道真公をなんとか蹴落とそうと画策します。
そこで思いついたのが、菅原道真公にあらぬ罪を着せることです。
などといった嘘の風説を流し、信用を毀損してしまいました。
現代でこれをやると、刑法233条違反の「信用毀損罪」になります。
当時の天皇である醍醐天皇はこれを真に受けてしまい、菅原道真公を九州の太宰府に左遷することを決めました。
左遷(させん)とは?
左遷とは、不祥事を犯した人などを、地方や僻地などの不便な地に追いやってしまうという、ある意味懲戒(懲らしめる、という意味)的な処置のことをいいます。
現在でも、会社などで成績の良くない社員や、不祥事を犯した社員などを、地方の僻地の部署に送ってしまうというような人事を「左遷」「左遷人事」と言ったりしますよね。
その逆は「栄転」などと言ったりします。
太宰府へ向け、京都を出発 「飛梅」に最後の挨拶をする
このように左遷が決まった菅原道真公は、京都の家を出る際に、こよなく愛していた梅の花に対して、このような歌を詠んでいます。
これは、
などのような意味です。
そして、京都を出た菅原道真公は、西国街道という、(まだ新幹線も高速道路なども無かった時代に、人々が徒歩または馬で移動していた)昔の道を通って、はるばると大宰府までやってきたのでした。
途中に彼が立ち寄った場所にちなむ神社として、
- 京都の長岡天満宮(ながおかてんまんぐう)
- 大阪天満宮(おおさかてんまんぐう)
- 山口県の防府天満宮(ほうふてんまんぐう)
などが存在します。
やがて、菅原道真公は、九州の太宰府で2年間の惨めな生活の後に、無念にも他界することになるのです。
人生論:いつの時代も優秀な人は、常に妬まれ、叩かれる
ここからは少し人生論、一般論の話になります。
「出る杭は打たれる」という言葉があります。
優れた人は、必ず妬まれます。
どれだけ完全無欠な人であっても、必ず嫌われ、妬まれ、そねまれるという事です。
例えば、優秀な人は、劣等生から妬まれます。イケメンは、モテない男性から妬まれます。
美女は、モテない女性から妬まれます。
誰かが出世すると
おれの方が頑張っているのに!」
と妬む人が必ず出てきます。
SNSなどで、ライバルが自分よりもフォロワーや「いいね」などの数が多いと、
自分の方が魅力的なのに!」
となります。
つまり、どれだけ完全無欠な人であっても、必ず
という事です。
たとえ「神」と呼ばれる人であっても、妬まれアンチに叩かれる
例えば、鉄道系YouTuberであり「神」と呼ばれているスーツさんにも、多くのアンチがいることを私は知っています。
しかし、それらのアンチの発言やコメントの大半は、
- 「妬み(ねたみ)」
- 「嫉み(そねみ)」
からくるものだと思っています。
しかし、スーツさんは無名の頃、
- 服を買う金を惜しんで、
- それで浮いた金は、すべて交通費や旅費に回し、
- 高校時代は学ランのみで、
- 大学に入ってからはスーツのみで旅行する
という苦労をされています。
スーツさんが常にスーツを着用されているのはそうした理由からです。
また、これは故スティーブ・ジョブズが、コスパ重視のためにいつも同じ服だったのと似ています。
この当時のスーツさんは、
- 飲食費もままならず、
- 100円の食パンを買って、朝パン2枚・昼パン2枚・夜パン2枚で過ごし、
- 自販機のジュースも買えず、
- 一日の旅行費が、わずか2,000円
という常人ならぬ苦労と努力を続けてこられた結果、現在のような「神」と呼ばれるスーツさんが誕生したのです。
しかし、スーツさんの過去のこうした苦労や努力を知らない人は、スーツさんの成功を認めることができず、それが「妬み」「嫉み」となり、誹謗中傷へ繋がってしまうわけです。
菅原道真公にしても、もしかしたら現在に伝わっていないだけで、幼少期に
- 「やーい詩オタクめ!」
- 「勉強オタクめ!」
などといじめられたエピソードがあるかもしれません。
また、両親からも
と言われたエピソードもあるかもしれません。
そして、そうした苦労をはねのけて、たゆまぬ努力の結果、菅原道真公は偉大な功績を残されたのかもしれません。
どんな偉人も、必ず過去に「苦労した」エピソードがある
菅原道真公にせよ、スーツさんにせよ、
- 現代では「神」と崇められている人物
- 歴史上の天才・偉人・成功者
なのは、誰でも少なからずこうした幼少期の
- 「いじめられた」
- 「反対された」
- 「落ちこぼれだった」
- 「自分だけ毎日のように怒られた」
- 「苦労した」
- 「変人扱いされた」
などのたくさんの苦労したエピソードを持っているものです。
むしろ、こうした苦労・努力エピソード無しで「天才」「偉人」「成功者」そして「神」扱い方されている人を、私は知りません。
むしろ皆無だと思っています。
成功者の成功の裏には、必ずこうした苦労・努力エピソードが隠れています。
そして、今は落ちこぼれ扱いされて苦労されている人も、誰に何と言われようとブレること無く努力されていれば、いつかは成功される日が来るかもしれません。
次回も、菅原道真公の太宰府でのエピソードへ
次は、菅原道真公の太宰府での生活エピソードについて解説します!
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