鉄道唱歌 山陽・九州編 第43番 菅原道真公の左遷 あらぬ罪を着せられ、大宰府へ

まずは原文から!

醍醐(だいご)の御代(みよ)の其(そ)のはじめ
惜しくも人にそねまれて
身になき罪をおはせられ
つひに左遷(させん)と定(さだ)まりぬ

さらに読みやすく!

醍醐(だいご)の御代(みよ)のそのはじめ
惜しくも人にそねまれて
身になき罪をおわせられ
ついに左遷(させん)と定(さだ)まりぬ

さあ、歌ってみよう!

♪だいごのみーよの そのはじめー
♪おしくもひとにー そねまれてー
♪みになきつーみを おわせられー
♪つーいにさせんと さだまりぬー

今回も、長大な「大宰府シリーズ編」となります。

大宰府編は、鉄道唱歌山陽・九州編において41番から48番にまで実に8番もの歌詞が当てられており、とても重要なものとなります。

鉄道唱歌では、作者の大和田建樹(おおわだ たけき)さんが特に思い入れの深い場所、そして歴史的に重要な場所について、多くその歌詞が割りあてられる傾向にあります。

例えば、「京都」「奈良」「松島」などがそういった「多くの歌詞が当てられる場所」にあたり、この「大宰府」もその一つにあたります。

菅原道真(すがわらのみちざね)公は、わずか5歳という年齢で詩を読み上げるなど、「神童(しんどう)」と呼ばれていました。神童とは、幼くして天才ぶりを発揮する人、という意味です。

学問に勤しんで天才ぶりを発揮し続けた菅原道真公は、当時の醍醐天皇(だいごてんのう)の「右大臣」というナンバー2の天皇を補佐する地位にまでのぼり詰めます。ちなみに、ナンバー1は「左大臣」といって、藤原時平(ふじわらのときひら)という人物が選ばれました。

余談ですが、「~の右に出る者はいない」という慣用句がありますよね。それは「~はナンバー1だ」という意味なのですが、ナンバー1の左大臣は、天皇陛下から見て右側になります。
つまり、「~の右に出る者はいない」の由来は、左大臣から来ているわけですね。

左大臣、右大臣という職は、頭がよければ誰でもなれるわけでなく、例えば天皇家に関係する、生まれながらの血筋がよい高貴な人物でしか本来はなることはできません。菅原道真公はあくまで学者出身であり、藤原時平ほどいいところ出の人物ではありませんでしました。つまり、菅原道真公は血筋や家系などではなく実力で出世したわけで、彼の出世は異例中の異例だったのです。

当然ながら、藤原時平はこれに対して面白くありません。つまり、嫉み(そねみ)、妬み(ねたみ)という感情です。いわゆる嫉妬(しっと)ですね。

そこで、藤原時平は菅原道真公をなんとか蹴落とそうと画策します。
そこで思いついたのが、菅原道真公にあらぬ罪を着せることです。
「菅原道真公が醍醐天皇に対して反逆を企てている」
などといった嘘の風説(ふうせつ)を流し、信用を毀損(きそん)してしまいました。
現代でこれをやると刑法233条違反の「信用毀損罪」になります。

醍醐天皇はこれを真に受けてしまい、菅原道真公を九州の太宰府に左遷(させん)することを決めました。

左遷(させん)とは、不祥事を犯した人などを、地方や僻地(へきち)などの不便な地に追いやる、懲戒(ちょうかい。懲らしめる、という意味)的な処置のことをいいます。

現在でも、会社などで成績の良くない社員や不祥事を犯した社員などを、地方の僻地の部署に送る人事を「左遷」「左遷人事」と言ったりしますよね。その逆は「栄転(えいてん)」などと言ったりします。

左遷が決まった菅原道真公は、京都の家を出る際に、こよなく愛していた梅の花に対して、このような歌を詠んでいます。

「東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅の花 主(あるじ)なしとて 春な忘れそ」

これは、

「たとえ主人である私(菅原道真公)がいなくなったとしても、春が来たら必ず花を咲かせるんだぞ」

などのような意味です。

そして、京都を出た菅原道真公は、西国街道(さいこくかいどう)という、まだ新幹線も高速道路も無かった時代に人々が徒歩または馬で移動していた昔の道を通って、はるばると大宰府までやってきたのでした。
途中に彼が立ち寄った場所にちなむ神社として、京都の長岡天満宮(ながおかてんまんぐう)や、大阪天満宮(おおさかてんまんぐう)、そして山口県の防府天満宮(ほうふてんまんぐう)などがあります。

やがて、菅原道真公は、九州の太宰府で2年間の惨めな生活の後に、無念にも他界することになるのです。

ここからは少し人生論、一般論の話になります。

「出る杭は打たれる」という言葉があります。
優れた人は、必ず妬まれます。
どれだけ完全無欠な人であっても、必ず嫌われ、妬まれ、そねまれるという事です。

例えば、優秀な人は、劣等生から妬まれます。イケメンは、モテない男性から妬まれます。
美女は、モテない女性から妬まれます。

誰かが出世すると「なんであんな奴が出世するんだよ!俺の方が頑張っているのに!」と妬む人が必ず出てきます。

SNSなどで、ライバルが自分よりもフォロワーや「いいね」などの数が多いと、
「なんであんな奴が!自分の方が魅力的なのに!」
となります。

つまり、どれだけ完全無欠にしても、必ず誰かから嫌われ、妬まれ、そねまれるという事です。

例えば、鉄道系YouTuberであり「神」と呼ばれているスーツさんにも、多くのアンチがいることを私は知っています。
しかし、それらのアンチの発言やコメントの大半は、「妬み(ねたみ)」「嫉み(そねみ)」からくるものだと思っています。

しかし、スーツさんは無名の頃、服を買う金を惜しんで、それで浮いた金はすべて交通費や旅費に回し、高校時代は学ランのみで、大学に入ってからはスーツのみで旅行するという苦労をされています。
スーツさんが常にスーツを着用されているのはそうした理由からであり、故スティーブ・ジョブズがコスパ重視のためにいつも同じ服だったのと似ています。
この当時のスーツさんは飲食費もままならず、100円の食パンを買って朝パン2枚、昼パン2枚、夜パン2枚で自販機のジュースも買えず、一日の旅行費がわずか2000円という常人ならぬ苦労と努力を続けてこられた結果、現在のような「神」と呼ばれるスーツさんが誕生したのです。

しかし、スーツさんの過去のこうした苦労や努力を知らない人は、スーツさんの成功を認めることができず、それが「妬み」「嫉み」となり、誹謗中傷へ繋がってしまうわけです。

菅原道真公にしても、もしかしたら現在に伝わっていないだけで、幼少期に「やーい詩オタクめ!」「勉強オタクめ!」などといじめられたエピソードがあるかもしれません。
また、両親からも「勉強ばかりしてないで、少しは友達と遊びなさい!」と言われたエピソードもあるかもしれません。
そして、そうした苦労をはねのけて、たゆまぬ努力の結果、菅原道真公は偉大な功績を残されたのかもしれません。

菅原道真公にせよ、スーツさんにせよ、現代では「神」と崇められている人物や、歴史上の天才・偉人・成功者は、誰でも少なからずこうした幼少期の「いじめられた」「反対された」「落ちこぼれだった」「自分だけ毎日のように怒られた」「苦労した」「変人扱いされた」などのエピソードを持っているものです。
むしろ、こうした苦労・努力エピソード無しで「天才」「偉人」「成功者」そして「神」扱い方されている人を、私は知りません。むしろ皆無だと思っています。

成功者の成功の裏には、必ずこうした苦労・努力エピソードが隠れています。
そして、今は落ちこぼれ扱いされて苦労されている人も、誰に何と言われようとブレること無く努力されていれば、いつかは成功される日が来るかもしれません。

次は、菅原道真公の太宰府での生活エピソードについて解説します!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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