鉄道唱歌 山陽・九州編の歌詞(八代市・球磨川・天草の地理・歴史など)について、鉄道に詳しくない方にもわかりやすく解説してゆきます!
↓まずは原文から!
矢よりも早くながれたり
西は天草洋の海
雲かとみゆる山もなし
さらに読みやすく!
矢よりも早く ながれたり
西は天草洋の海
雲かとみゆる 山もなし
さあ、歌ってみよう!
♪やよりもはやくー ながれたりー
♪にーしはあまくさ なだのうみー
♪くもかとみゆる- やまもなしー
八代市(熊本県)を流れる、球磨川
熊本県八代市(やつしろし)まで来ると、南側には球磨川(くまがわ)という、とても流れの速い川があります。
なぜ、川の流れが速くなるのか?
なぜ川の流れが速いのかというと、それは例えば川幅が狭かったり、川の傾斜が急だったりと、様々な要因があります。
日本の川は、とても急で流れが速くなる
日本の山々は急であるため、川の流れがとにかく速くなります。
川の水が地面を削ることで「土砂」が生まれ、その土砂を川が運んでくることで、下流部には「扇状地(せんじょうち)」という、扇形の地形ができるのです。
川をうまくコントロールする、「治水」の仕組み
特に、大雨や洪水ともなると、川の流れはさらに速度が増します。
そのため、川のルートが急カーブだと、川の水が曲がりきれずにあふれてしまい、氾濫や洪水の原因になったりします。
これは例えば、道路でも急カーブが多いと自動車が曲がりきれずに、事故を起こしてしまいやすくなるのに似ています。
これを防ぐために、
- 川の流れは真っ直ぐなルートになるように工事したり、
- 放水路(ほうすいろ)といって、川があふれないよう水を逃がしたり、
- 水門や遊水地(ゆうすいち)、さらにはダムなどを設けて、バッファの役割を果たしたり
と、水があふれないよう様々な工夫がなされています。
例えば水門があれば、門を閉じておけばもし津波が起きても氾濫を防げます。
また、洪水が起きたときに門を開ければ、そちらに水を逃がしてやることができます。
遊水地(ゆうすいち)は、川があふれた時にそちらに一時的に水を溜めておけるようにする、いわゆる「あそび(バッファ)」の役割を果たす場所です。
ダムも、氾濫を防ぐために一時的に大量の水を溜めておくことができますが、この溜めた水によって「飲み水」を確保できるため、水不足の解消にもつながります。
また、ダムの水が大量に落ちてくるときのエネルギーを利用した、水力発電の役割もあり、電力不足の解消に役立てられています。
こうした様々な取り組みを、治水(ちすい)といいます。
東京の荒川(あらかわ)も、かつては「荒れ狂う川」といわれ(荒川の名前の由来)、たびたび氾濫を起こしてきました。
しかし現代の荒川を地図で見てもらえればわかるように、急カーブの少ない綺麗な線形となっていますよね。

これは歴史的に長年の人々の努力によって、川の形を真っ直ぐにする工事がなされてきたからです。
西には天草の海 1637年「島原の乱」の舞台
話を元に戻します。
そして、西は天草(あまくさ)の海となります。
島原の乱
天草(あまくさ)といえば、やはり江戸時代の天草四郎(あまくさしろう)という16歳の少年と、地元の農民やキリシタンによって起こされた「天草・島原の乱」が有名ですね。
鎖国において、キリスト教は禁止されていた
江戸時代は鎖国(さこく)といって海外との貿易を一切していないため、キリスト教を禁止していました。
理由は、江戸時代の日本において一番偉いのは将軍様であり、そんな幕府にとって「神様こそが一番偉い」というキリスト教は都合が悪かったわけですね。
現代の日本のように「信教の自由」は無かったわけです。
これに不満を感じた長崎の人々が、キリスト教の許可と重い年貢の負担の改善を求めて武装蜂起したのが「天草・島原の乱」でした。
反乱の鎮圧には、相当な労力と時間がかかった
この武装蜂起に対して、幕府は12万の大軍を送って鎮圧しようとしますが、戦いは約4か月も続いたといい、相当手こずったといえます。
その後、幕府は二度とこのような乱が起きないよう、キリスト教を禁止し、キリスト教を信仰しないオランダと中国のみとの貿易を許可し、「鎖国(さこく)」が完成されました。
この鎖国状態は、約200年後の1853年、ペリー提督率いる黒船来航まで続くのでした。
八代からは、再び鳥栖駅へ 南九州への旅も有り?
八代市については、以下の記事でも改めてさらに詳しく解説していますので、ご覧ください。

さて、ここで列車は再び折り返し、佐賀県の鳥栖駅(とすえき、佐賀県鳥栖市)まではるばる戻ってくることになります。
当時はまだ、八代以南の鉄道は延びていなかった
鉄道唱歌のできた明治時代は、まだ八代駅から南(水俣・川内・鹿児島方面)への鉄道は開通していなかったのでした。
そのため、再び鳥栖駅に戻るというストーリーになっています。
鉄道唱歌の旅にこだわらない場合は、このまま肥薩おれんじ鉄道または九州新幹線に乗って、
- 水俣(みなまた)
- 川内(せんだい)
- 鹿児島(かごしま)
の方面へと向かうのもアリでしょう。
水俣市

九州新幹線・新水俣駅(熊本県水俣市)

水俣市より(熊本県水俣市)
水俣市については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

薩摩川内市
薩摩川内市(さつませんだいし)については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

鹿児島と「桜島」
鹿児島には桜島(さくらじま)や、西郷隆盛の終焉の地である城山公園(しろやまこうえん)があります。

桜島(鹿児島県)
指宿枕崎線
また、鹿児島中央駅からは指宿枕崎線(いぶすきまくらざきせん)に乗り、
- JR最南端の駅である、西大山駅(にしおおやまえき、鹿児島県指宿市)
- JR最果ての駅であり、稚内駅(わっかないえき、北海道稚内市)から最も遠い駅である枕崎駅(まくらざきえき、鹿児島県枕崎市)
に寄っていくのもよいでしょう。
なお、稚内市と枕崎市は「最果ての駅同士」というつながりにより、友好都市関係にあります。

薩摩富士・開聞岳(指宿枕崎線・西大山駅より)(鹿児島県指宿市)
指宿枕崎線については、以下の記事でも改めて解説していますので、ご覧ください。

八代から鳥栖へ戻る、いくつかの選択肢
鉄道唱歌の旅に沿って鳥栖駅に戻るには、
新八代駅→新鳥栖駅 さくら号 3駅 約36分 5,060円
八代駅→鳥栖駅 青春18きっぷ使用 約2時間26分
※本記事執筆時点の2022年の情報です。古い可能性がありますので、ご了承ください。
つまり、新幹線さくら号であれば、ちょっと値段はかかりますが5,060円払えば約2時間のショートカットになります。
また、八代駅から鳥栖駅まで普通列車(在来線)のみで帰るには2時間以上ずっと乗りっぱなしはさすがにきついです。
なので、熊本駅あたりで1時間ほどコーヒー・軽食休憩などをすることを考えると、普通列車のみの移動は3時間半~4時間以上は見積もっておかなければなりません。
なので、新八代駅からうまく新幹線さくら号に乗られれば、5,060円の出費で最低でも約3時間以上の短縮が期待できます。
途中で5,000円~6,000円のホテルに泊まってもう一日宿泊できるのであれば、値段的には変わらないため、自身のスケジュールや「行きたい場所」に合った旅行計画を立てましょう。
一方、ホテル代が8,000円程度かかるのであれば新幹線で戻った方が安く上がりますし、移動の負担も減ります。
また、新八代駅は昼間の時間帯は1時間に一本(さくら号)というダイヤなので、うまく乗り換えできるようにスケジュールを立てましょう。
次は、再び鳥栖駅へ
では、次回からは再び鳥栖駅に戻り、今度は佐賀・佐世保・大村・諫早、そして長崎方面へ向かっていきましょう!!
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