まずは原文から!
末は銚子(ちょうし)の海に入る
坂東太郎(ばんどうたろう)の名も高し
みよや白帆(しらほ)の絶間(たえま)なく
のぼればくだる賑(にぎわ)ひを
さらに読みやすく!
末は銚子(ちょうし)の海に入る
坂東太郎(ばんどうたろう)の名も高し
みよや白帆(しらほ)の絶間(たえま)なく
のぼればくだる賑(にぎわ)いを
さあ、歌ってみよう!
♪すーえはちょうしの うみにいるー
♪ばんどうたろうの なもたかしー
♪みーよやしらほの たえまなくー
♪のぼればくだるー にぎわいをー
(東北本線)
上野駅→王子駅→赤羽駅→(荒川)→浦和駅→大宮駅→蓮田駅→久喜駅→栗橋駅→(利根川)→古河駅→間々田駅→小山駅→小金井駅→石橋駅→雀宮駅→宇都宮駅
※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記
栗橋駅を過ぎて、日本一の流域面積を誇る川・利根川を渡る
栗橋駅(くりはしえき、埼玉県久喜市)を過ぎると、どんどん高架を登ってゆき、社会の教科書で誰もが知る、日本一の流域面積を持つことで有名な利根川(とねがわ)を渡ります。
利根川(とねがわ)は、群馬県の北にある、利根郡みなかみ町の山奥から流れて、群馬県の県庁所在地である前橋市付近からずっと東へ東へ流れて、やがては千葉県の最東端の銚子(ちょうし)へと注ぐ川です。(後述)
歌詞にある「銚子(ちょうし)」とは、千葉県の最東端にある千葉県銚子市(ちょうしし)のことで、現在の利根川はここへ向かって東へ東へと流れてゆき、太平洋に注ぎます。
千葉県銚子市については以下の記事でもわかりやすく解説しているため、ご覧ください。
「坂東太郎」と呼ばれた、洪水で暴れる「暴れ川」としての歴史
利根川はかつては散々洪水などで溢れまくる、いわゆる「暴れ川」とも呼ばれており、九州の筑後川(ちくごがわ)、徳島県の吉野川(よしのがわ)と合わせて「三大暴れ川」と呼ばれます。
この「三大暴れ川」は、それぞれ以下のような異名を持っています。
利根川→坂東太郎(ばんどうたろう)
筑後川→筑紫次郎(つくしじろう)
吉野川→四国三郎(しこくさぶろう)
坂東(ばんどう)とは、はっきりとはわかりませんが、関東地方の古い言い方であり、いわゆる栃木県や茨城県のあたりをさすようです。まさに利根川のこの地域のことですね。
「太郎」「次郎」「三郎」とは、昔の日本人によくあった名前の付け方で、それぞれ「長男」「次男」「三男」にあたります。
そもそも「流域面積」って何?利根川は、「日本一長い川」ではない!
利根川は、社会科の教科書では「日本一の流域面積を持つ川」と暗記することが多いと思います。そして、引っかけ問題として「日本一長い川を答えよ」と出題されて、「利根川」とドヤ顔で回答したら「ブーッ。はずれ。答えは信濃川でした」とやられるのが定番(?)です。
じゃあ、流域面積って何?長さとどう違うの?って疑問を持つことになると思います。なかなかこの違いを説明できる大人はそう多くないのではないでしょうか。
私も受験生時代はこの違いをほぼ知らず、恥ずかしながら暗記だけでセンター試験を突破した経験があります。長い→信濃川、流域面積→利根川、みたいな暗記方法です。具体的な説明は、大人になるまで知りませんでした。
流域面積(りゅういきめんせき)とは、一言でいうと、「その地域に降った雨の水が地下を経由して川に注ぐ面積の合計」です。いや、この説明だとわけがわかりませんね。
例えば、群馬県は、県の全域が利根川の流域面積に数えられます。つまり、群馬県内に降った雨は、地下を経由してすべて利根川に注ぐというわけです。
この「雨水が利根川に注ぐ面積の合計」が、日本一というわけです。
この流域面積が大きいということは、流域の経済や人々の生活に大きな影響を与えます。
川の水は、飲み水や風呂や洗濯、農業用水としても使われますから、利根川の流域面積に降った雨水はみな利根川の水になり、そこから人々の生活に必要な水に変わるわけです。
それが日本一というわけですから、利根川が日本一の流域面積を持つ川というのは非常に意義が大きいわけですね。
少なくとも、利根川が流れる近辺の群馬県、埼玉県、栃木県、茨城県、千葉県の各地域にとってはそれだけ利根川は人々の生活に大きな影響を与えているということです。
日本一長い川・信濃川についても覚えておこう
一方、「日本一長い川」である信濃川(しなのがわ)についても触れておきます。
信濃川(しなのがわ)は、長野県の軽井沢(かるいざわ)の南の山奥のあたりから流れる川であり、小諸市(こもろし)・上田市(うえだし)・坂城町(さかきちょう)・千曲市(ちくまし)、長野市(ながのし)を経由する、大きなCの字(三日月の形)を描く川で、長野県内では「千曲川(ちくまがわ)」と呼ばれます。
新潟県内に入ると「信濃川」という名称に変わり、やがては新潟県の県庁所在地である新潟市を流れ、日本海に注ぎます。
鉄道唱歌に詳しい方なら、北陸編 第23番でも歌われていますのでわかりやすいかもしれませんね。以下の記事で解説しておりますので、ご覧ください。
鉄道唱歌 北陸編 第23番 御代田・小諸へ 佐久平地域をゆく
利根川は、江戸時代に工事によって、東の銚子に流れるルートに変更された
そして、利根川は元々は(江戸時代以前は)東京湾に注ぐ川でした。つまり、銚子に流れる現代のルートとは異なっていたのです。
江戸時代に入り、江戸にたくさんの人々が住むようになると、先述のとおり散々洪水などで暴れまくる利根川に、人々は散々苦しめられるようになります。
そのため幕府は、利根川の流を東方向に変える工事事業を起こし、人々の努力によって約60年かけて現代の銚子へと流れるルートとなりました。これを「利根川東遷事業(とねがわとうせんじぎょう)」といいます。
利根川の歴史、そして利根川がもたらす人々の暮らしについて理解していただけたでしょうか。
利根川を渡ると、茨城県・栃木県へ
利根川を渡ると、茨城県に入り、ほどなくして栃木県に入ります。次回は、そのことについて解説します!
注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
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