鉄道唱歌 山陽・九州編 第64番 ついに長崎へ到着 都会的な街並み、広がる港と海の景色

まずは原文から!

千代(ちよ)に八千代(やちよ)の末(すえ)かけて
榮(さか)行く御代(みよ)は長崎(ながさき)の
港(みなと)にぎはふ百千船(ももちぶね)
夜は舷燈(げんとう)のうつくしさ

さらに読みやすく!

千代(ちよ)に八千代(やちよ)の末(すえ)かけて
栄(さか)行く御代(みよ)は長崎(ながさき)の
港(みなと)にぎわう百千船(ももちぶね)
夜は舷灯(げんとう)のうつくしさ

さあ、歌ってみよう!

♪ちーよにやちよの すえかけてー
♪さかゆくみよはー ながさきのー
♪みーなとにぎわう ももちぶねー
♪よはげんとうのー うつくしさー

(大村線)
早岐駅→ハウステンボス駅→南風崎駅→川棚駅→彼杵駅→松原駅→大村駅→諫早駅

(長崎本線)
諫早駅→喜々津駅→大草駅→長与駅→道ノ尾駅→浦上駅→長崎駅

※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ記載
※長崎本線は、長与経由のものを記載

諫早(いさはや)・長与(ながよ)方面から長崎本線を南下すると、現代のショートカット路線である新線と合流し、浦上駅(うらかみえき、長崎県長崎市)を過ぎます。そしていよいよ、今回の鉄道唱歌の旅のゴール地点であり、長崎県の県庁所在地である長崎市の中心駅である長崎駅(ながさきえき、長崎県長崎市)に到着します。

長崎駅(長崎市) 鉄道唱歌 山陽・九州編のゴールの駅でもある
長崎駅のホーム。長崎本線は、ここは終点。ここから先は行き止まりであり、海である

長崎県長崎市(ながさきし)は、入り組んだ地形により防御に適した場所・港であり、天然の良港(てんねんのりょうこう)といえます。かつてより船を造ったりなどで、造船業が盛んでした。

長崎は、1858年に結ばれた日米修好通商条約で開港された、いわゆる「開港5港」のひとつになります。
開港5港とは以下の五つの港のことを言います。

函館
新潟
横浜
神戸
長崎

歌詞では「千代に八千代の末かけて」とありますが、これは「とても長い年月をかけて」という意味になります。「千代(ちよ)」「八千代(やちよ)」という言葉は、比喩的に非常に長い年月を表す昔の表現方法です。そして、「非常に長い年月をかけて、栄えてゆくこのご時世は長い」と、「長崎」という地名を掛けているものと思います掛詞(かけことば)とは、昔の詩などで好んで使われた言葉遊び・洒落のことです。鉄道唱歌 山陽・九州編は、前回・前々回などに続いて、長崎県に入るとこの掛詞がよく多用されている印象があります。作者である大和田建樹(おおわだ たけき)さんの長崎へ近づくにつれて増大するワクワクするような旅の楽しさが伝わってきますね!

港にぎわう百千船(ももちぶね)」とは、長崎の港にとてもたくさんの船でにぎわっている様子を表します。また、舷灯(げんとう)とは船が持っているライトのようなものです。つまり、夜は沢山の船が照らす灯りで美しいという意味になります。

長崎の港

長崎にはかつてトーマス・グラバーという、日本に鉄道をはじめとしたたくさんの技術をもたらした方がおられました。
グラバーさんは、1865年には長崎に日本で初めてとなる鉄道を運転させました。
鉄道は、あくまで営業運転が開始されたのはご存じの通り新橋~横浜間の1872年のことですが、それよりも7年前には長崎で試運転的なものがなされていたのです(人々を乗せるための営業目的ではなく、どちらかというとお披露目に近い感じ)。

長崎には、かつて出島(でじま)という、江戸幕府が埋め立てて造った島がありました。
現在でも出島という地名はありますが、埋め立てで陸続きになっているため、あまり島という感じではないかもしれません。

なぜ出島を設けたのかというと、江戸時代に外国人をそこにまとめて住ませるためです。
まとまって管理統括したほうが、セキュリティ的に安心だからですね。
日本は島国であり単一民族の国のため、どうしても外国人に対しては珍しいと同時にアレルギー反応を示しがちです。
幕末近くには「異国船打払令」などをやってのけるくらいですから、外国人への警戒心は強かったのでしょう。

同じ開港5港の1つである函館(はこだて)にも、外国人の街への出入りが多くなったために、幕府が幕末に「箱館奉行所(はこだてぶぎょうしょ)」を設置しました(当時は「箱館」の表記)。最初は函館山の中腹にありましたが、後にその役割は後に五稜郭(ごりょうかく)に移っています。

また、こうした外国との交易が盛んになる場所には、キリスト教の教会が多くなったり、西洋風の建築物など異国情緒(いこくじょうちょ)あふれる街並みが多くなります。

そういう意味では、函館と長崎は(個人的には)よく似ていると思います

というか、函館と長崎に共通点が多いと思うのは私だけでしょうか?
どちらの街も、山と海に囲まれた風光明媚な景色を持っていますし、開港5港の1つとして西洋風の建築物や教会、また造船のための設備が多く存在します。
他にも山に沿って坂道が多かったり、路面電車が走っていたり、駅が港の方へ向いていて線路がそれ以上続いていなくて行き止まり、など函館と長崎の共通点は多いといえま

また、長崎は江戸時代の鎖国中にオランダのみならず中国とも貿易をしていたので、街中には中華街があり、これは同じく開港5港の横浜と共通しています。

さらに、長崎駅付近はどちらかというと比較的オフィス街的・都会的な雰囲気であり、このビルの合間を路面電車が走るので、広島市紙屋町(かみやちょう)や八丁堀(はっちょうぼり)付近とも似ている気がします。
広島市も、長崎市と同じように1945年8月に原爆投下された街でもあります。

個人的な余談ですが、私(筆者)は
海と山に囲まれた風光明媚な港町
が好きです。

私は静岡県沼津市、北海道函館市が特に好きなのですが、ここ長崎市もとても好きです。

長崎は、駅前にはスタバなど飲食店も多く都会的ですが、海に近く山にも囲まれ、異国情緒あふれる観光地に恵まれるなど、リラクゼーションにも優れた街です。

長崎は都会的に店が多く交通機関も充実していて便利でありながら、一方で自然や風光明媚な景色にも恵まれた、家族で余暇を過ごす場所としても優れた要素もある街、とも感じています。
西九州新幹線が開業し、都会的要素をふんだんに持ち、また海や山に囲まれた美しい景観を持つ街だなと思います。
休日には、海岸近くには家族みんなで楽しむ親子連れが散見されます。

次回は、長崎の観光などの話題になります!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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