まずは原文から!
まへは海原(うなばら)はてもなく
外國(とつくに)までもつゞくらん
あとは鐵道(てつどう)一(ひと)すぢに
またゝくひまよ青森(あおもり)も
さらに読みやすく!
まえは海原(うなばら)はてもなく
外国(とつくに)までもつづく(続く)らん
あとは鉄道(てつどう)一(ひと)すじに
またたくひまよ青森(あおもり)も
さあ、歌ってみよう!
♪まーえはうなばら はてもなくー
♪とつくにまでもー つづくらんー
♪あーとはてつどう ひとすじにー
♪またたくひまよー あおもりもー
(大村線)
早岐駅→ハウステンボス駅→南風崎駅→川棚駅→彼杵駅→松原駅→大村駅→諫早駅
(長崎本線)
諫早駅→喜々津駅→大草駅→長与駅→道ノ尾駅→浦上駅→長崎駅
※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ記載
※長崎本線は、長与経由のものを記載
鉄道唱歌 山陽・九州編も、間もなくラストに近づいてきます。
思えば新橋を出発して、東海道の線路をはるばると神戸までやってきて、明けてから山陽線をはるばると西へ進み、九州へやってきて、今はここ長崎にいるわけです。
当時の長崎は、日本で最も外国に近い場所でした。
現代の日本の玄関口は言うまでもなく、成田空港や関西国際空港あたりになります。
しかしまだ飛行機のなかった当時は、長崎や佐世保、博多や熊本といった場所が日本の玄関口だったのでした。
長崎という日本の本当の西まではるばるとやってくると、海の向こうはもはや外国となります。歌詞は「前に広がる海原は果てもなく、きっと外国まで続くのだろう」などのような意味になります。「~らん」は推量(すいりょう)で、「~だろう」の意味になります。
そして、歌詞には「あとは鉄道ひとすじに またたくひまよ青森も」とあります。これは「鉄道に乗れば長崎だろうと青森だろうと日本のどこへでも飛んでいける」みたいな意味でしょうが、それと同時に、まるで青森の東北地方への旅をほのめかすような表現ですね。
実際、鉄道唱歌は山陽・九州編が終わると、その次は奥州・磐城編(おうしゅう・いわきへん)と東北地方の旅に続きます。
奥州・磐城編については、本サイトでも全ての番についてわかりやすく解説しておりますので、ぜひご覧ください。
昔の人は、少なくとも鉄道が日本に伝わる江戸時代までは、生まれてから死ぬまでの一生の間に、隣の村以上に遠くまで行くことはほとんど無かったといいます。
昔は「一生に一度はお伊勢参りを」という言葉もあったように、江戸から三重県の伊勢神宮に参拝に旅行すること自体が、一生に一度あるかないかというのが常識でした。
それが鉄道ができてからは、またたく暇に(あっという間に)長崎までも、また青森までも行くことが可能となったのでした。
今や九州新幹線で、また東北新幹線で長崎も青森もひとっ飛びです!!
交通の進歩は、本当に目覚ましいモノがあります。
鉄道唱歌は、その喜びを伝えています。
次回で、鉄道唱歌 山陽・九州編の旅もいよいよラストです!!
注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
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