鉄道唱歌 北陸編 第5番 赤羽駅からは、目白・目黒の不動尊へも 当時の品川への分かれ道

鉄道唱歌 北陸編の歌詞を、わかりやすく解説してゆきます!
赤羽の地理・歴史などを、初心者でも楽しめるよう解説してゆきます!

↓まずは原文から!

まもなくきたる赤羽あかばね
品川しながわゆきの乘替塲のりかえば
目白めじろ目黒めぐろ不動ふどうへも
よれやついでみちなれば

さらに読みやすく!

まもなくきたる 赤羽あかばね
品川しながわゆきの 乗替場のりかえば
目白めじろ目黒めぐろの 不動ふどうへも
よれやついでの みちなれば

さあ、歌ってみよう!

♪まもなくきーたる あかばねはー
♪しながわゆきのー のりかえばー
♪めーじろめぐろの ふどうへもー
♪よーれやついでの みちなればー
(東北本線)
上野駅→田端駅→王子駅→赤羽駅→蕨駅→浦和駅→大宮駅

(高崎線)
上尾駅→桶川駅→鴻巣駅→吹上駅→熊谷駅→深谷駅→本庄駅→神保原駅→新町駅→倉賀野駅→高崎駅

※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記

王子を出て、赤羽に到着

王子駅おうじえき(東京都北区)をさらに北上すると、

  • 東北本線の駅としては、東京都における北限の駅
  • また埼京線さいきょうせんとの分岐駅

である、赤羽駅あかばねえきに到着します。

赤羽駅(東京都北区)

赤羽駅(東京都北区)

赤羽駅は先述の通り、東北本線では東京都最北端の駅となります。
ただし、緯度的には東京都23区では日暮里・舎人とねりライナーの見沼代親水公園駅みぬまだいしんすいこうえんえきの方が、東京都最北端の駅となります。

東京都全体としての最北端の駅は、青梅線おうめせん古里駅こりえきになります。

かつて目白・目黒・品川へのメインルートだった赤羽駅

かつて赤羽駅は、歌詞にある通り

品川方面

つまり

  • 目白めじろ
  • 目黒めぐろ

方面への分かれ道でもありました。

当時はまだ、

  • 駒込こまごめ
  • 巣鴨すがも
  • 大塚おおつか

方面、つまり山手線やまのてせんの路線が無かったので、いわゆる「環状線」という感じではなかったのです。

現代のように山手線が環状となったのは、鉄道唱歌より3年後の1903年のことです。


赤羽あかばねという名前は、関東ローム層の土から出来た赤い埴輪はにわから生まれました。
ただしこれには諸説あり、赤羽はアイヌ語由来という説もあります。

北海道のみならず、東日本や東北地方になると「アイヌ語由来なのでは?」とされる地名は、結構多いです。

目黒の不動尊「瀧泉寺」

目黒区に存在する不動尊は、瀧泉寺りゅうせんじといいます。


目黒の不動尊は、以下のような伝説が伝わります。

かつて、慈覚大使じかくたいし円仁えんにんという、下野国しもつけのくに:栃木県)出身の僧侶がいました。
その慈覚大使・円仁が、近江国おうみのくに:滋賀県)にある比叡山延暦寺ひえいざんえんりゃくじの、伝教大師でんきょうだいし最澄さいちょうの元へと向かう途中でした。

慈覚大使じかくだいし円仁えんにんとは、現在の栃木県出身の平安時代の僧侶です。

  • 宮城県・松島にある「瑞巌寺ずいがんじ
  • 山形県の「立石寺りっしゃくじ

といった寺院を建てた僧侶としても知られます。

伝教大師でんきょうだいし最澄さいちょうとは、比叡山延暦寺を建てて、天台宗てんだいしゅうという宗派を開いた僧侶です。

伝教大師・最澄は、(当時の中国の王朝)に海を越えて渡り、当時としては最新の仏教を学んで日本に持ち帰り、比叡山延暦寺を開きました。

比叡山延暦寺は、先述の円仁を始め、多くの偉大な僧侶を輩出したことで知られます。

その円仁が、比叡山延暦寺へ向かう途中、目黒のこの地域に立ち寄りました。

その時、円仁の夢の中に、不動尊ふどうそんという、それは見た目は怖いけど優しい神様が登場し、円仁に対して以下のように伝えました。

我をこの地(目黒)にて崇拝せよ。
さもすれば、お主を幸せでハッピーな方向・人生に導くであろう。

円仁が恐怖でハッと目が覚めたとき、その恐ろしいけど慈悲深く優しい神様のお姿を、彼の記憶を元に造ったのが、本尊ほんぞん不動尊像になります。

そして、円仁はこの地域に堂宇どうう(ここでは「お寺」のこと)を建立しようとしました。

そして円仁が獨鈷どっこというアイテムを投げると、なんといずみが滝のように湧き出たといいます。

それが瀧泉寺りゅうせんじの名前の由来です。

獨鈷どっことは、仏教(密教)における、煩悩ぼんのうを捨て去るためのアイテムのことです。

煩悩ぼんのう」とは、例えば、

  • あー女の子にモテてえ~
  • あー金持ちになりてえ~
  • あーあれもこれも欲しいなあ~

みたいな、人々を不幸せ欲求不満などに導くような本能のことです。


人間はこうした煩悩物欲ぶつよくに支配されると、常に欲求不満と満たされない感覚に支配され、不幸になりやすくなります。
すると、常に他人と比較してしまい、落ち込んだり、また他人の失敗や不幸を喜んだりするようになるのです。

逆にいえば、

我々は毎日食べるものがあって、住む場所があって、寝る場所があればいいじゃないか。
それだけで幸せじゃないか
。」

と、最低限の幸せに満足できることに気付けば(悟れば、煩悩から解き放たれる、といった感じの考え方です。

いわゆる「るを」の精神であり、「マズローの欲求段階説」みたいな考え方ですね。

他にも存在 江戸五色不動尊

また、不動尊は「目黒めぐろ」の他にも、

  • 目白めじろ
  • 目青めあお
  • 目黄めき
  • 目赤めあか

の五つの色の不動尊が存在し、江戸五色不動尊ごしきふどうと呼ばれます。

このうち、「目黒」と「目白」は山手線の駅名になっています。

山手線で唯一他の乗り入れ路線がない、目白駅

目白駅めじろえきは、新大久保駅しんおおくぼえきと並んで、東京メトロや他社の鉄道路線との乗り換えがない、単独駅となります。

また、皇族の方々への教育を目的として明治時代に建てられた学習院大学がくしゅういんだいがく目白駅近くにあります。

※1877年当時の名称は「学習院」。
現在の名称になったのは1949年から。

東北新幹線の騒音不満緩和のために作られた「埼京線」

話を赤羽駅に戻します。

赤羽駅からは、東北本線の他に埼京線さいきょうせんが分岐しています。


埼玉県における東北新幹線の建設は、騒音などの問題から反対されていました。
元々は上野~大宮間の区間は地下に建設するつもりだったのですが、地盤や予算などの問題で実現しませんでした。

こうして地下に建設することは不可能となったため、やむをえず現代のような高架方式こうかほうしきで建設されることとなりました。

しかし、高架方式は埼玉県の沿線の住民から猛反対に遭ってしまいました。
それは騒音を懸念する声が多かったからです。


建設を許可・賛成してもらう条件として、

「通勤ラッシュを緩和するため、新たな路線、つまり埼京線を建設すること」

というアイデアが住民に対して提案されたのでした。

これならば、住民にとってもメリットが生まれます。


高度経済成長期の東京はとにかく人口が爆発的に増大し、それに従って東京~埼玉間の通勤ラッシュも甚大なものになっていました。
それを少しでも緩和するため、埼京線が造られました。

これによって東北新幹線の建設反対運動もなくなり、平和的に現代に至るわけです。

赤羽の次は、荒川を渡り埼玉県へ

赤羽駅を過ぎると、荒川あらかわを渡り、次は埼玉県に入っていきます!

ちゅうい!おわりに

この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。
そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。
再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。
何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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