まずは原文から!
はや新町(しんまち)も倉賀野(くらがの)も
またゝくひまに行きすぎて
今ぞ上州(じょうしゅう)高崎(たかさき)の
繁華(はんか)の町につきにける
さらに読みやすく!
はや新町(しんまち)も倉賀野(くらがの)も
またたく(瞬く)ひまに行きすぎて
今ぞ上州(じょうしゅう)高崎(たかさき)の
繁華(はんか)の町につきにける
さあ、歌ってみよう!
♪はやしんまーちも くらがのもー
♪またたくひまにー ゆきすぎてー
♪いまぞじょうしゅう たかさきのー
♪はんかのまちにー つきにけるー
(東北本線)
上野駅→田端駅→王子駅→赤羽駅→蕨駅→浦和駅→大宮駅
(高崎線)
上尾駅→桶川駅→鴻巣駅→吹上駅→熊谷駅→深谷駅→本庄駅→神保原駅→新町駅→倉賀野駅→高崎駅
※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記
神保原駅(じんぼはらえき、埼玉県児玉郡上里町)を過ぎると、埼玉県と群馬県との県境を越え、群馬県に入ってゆきます。
このとき、県境となる川を神流川(かんながわ)といいます。
この川を越えると、群馬県(高崎市)です。
そして新町駅(しんまちえき、群馬県高崎市新町)、倉賀野駅(くらがのえき、群馬県高崎市倉賀野)を過ぎていくと、いよいよ上野国(こうづけのくに)・群馬県最大の都市である高崎市(たかさきし)の中心駅・高崎駅(たかさきえき)に着きます。
倉賀野駅(くらがのえき)は、八高線(はちこうせん)との分岐点です。
八高線(はちこうせん)は、群馬県と東京・八王子(はちおうじ)の生糸や織物などを運ぶためにできた鉄道路線です。
群馬県も、八王子も、ともに生糸(きいと)や織物(おりもの)が盛んで有名な街でした。
特に明治時代には、これらを大量生産していかに海外へ輸出して大きな利益を挙げるかが、当時の日本としての大きな課題でした。
八王子で造られた織物などは、横浜線(よこはません)で横浜まで運ばれ、横浜港から船に載せて輸出されていました。
横浜線(よこはません)は、八王子駅をスタートし、途中で将来のリニア建設予定地である神奈川県橋本市(はしもとし)を通ります。その後、神奈川県相模原市(さがみはらし)、東京都町田市(まちだし)を経て、東海道新幹線との交差駅である新横浜駅(しんよこはまえき)を過ぎます。
やがて東神奈川駅(ひがしかながわえき)で東海道本線と合流して、現代の横浜駅から根岸線(ねぎしせん。当時の東海道線)に入り、初代の横浜駅だった桜木町駅(さくらぎちょうえき)に至ります。
ここから当時は赤レンガ倉庫のあたりまで線路が延びていたので、船に荷物を載せ替えて海外へ輸出したのですね。
このように、八王子で生産された生糸や織物は、横浜線を通って横浜港まで運ばれていたのでした。
それも、東京を経由しない縦一直線のルートです。
一方、群馬県で生産されていた生糸や織物は、どのようにして横浜港まで運んでいたのでしょうか。
恐らく、鉄道唱歌の時代(西暦1900年頃)は
高崎→大宮→浦和→赤羽→目白・目黒(現代でいう山手線内回り)→品川→川崎→神奈川→横浜
というルートで運んでいたのでしょう。
当時はまだ田端~品川間がつながっていなく、また、神奈川駅(かながわえき)という当時の東海道・神奈川宿(かながわしゅく)という宿場町の中心だった駅があったという前提です。
神奈川駅は現在は存在しません(ただし京急本線に同名の駅は存在します)。
(初代)横浜駅とは、現代の桜木町駅のことをいいます。
つまり、群馬県で生産された生糸や織物は、明治時代はいったん「東京を経由して」運ばれていたのでした。
しかし、1930年代以降に戦争が激化し、東京がもし戦禍に巻き込まれた場合に東京の線路が使えなくなると、群馬県と横浜港との間での貨物輸送ができなくなる恐れがありました。
そのため、東京を経由せずとも群馬県と横浜港を結ぶことができるバックアップ経路として、八高線(はちこうせん)が1930年代にできたのでした。
八高線(はちこうせん)の説明が長くなって、逆にわかりにくくなってしまったら申し訳ないのですが、とりあえず
「八高線は、戦争で万一東京が戦禍に巻き込まれたときに、東京を経由せずに群馬県と横浜港を結ぶためにできた路線」
のように覚えておけば問題ないでしょう。
その八高線との分岐駅である倉賀野駅(くらがのえき)を過ぎると、窓の景色はいよいよ大都会の様相を呈してきます。群馬県最大の駅であり、新幹線も止まる重要駅である高崎駅(たかさきえき、群馬県高崎市)に到着です。
群馬県高崎市(たかさきし)は、県庁所在地ではありませんが人口36万人を誇る群馬県最大の都市になります。
なお、群馬県の県庁所在地は前橋市(まえばしし)であり、人口は約33万人になります。
上州(じょうしゅう)とは上野国(こうずけのくに)、つまり現代の群馬県のことです。
群馬県:上野国(こうづけのくに)
栃木県:下野国(しもつけのくに)
また、群馬県のことを「上毛(じょうもう)」ということもあります。
また、下野国のことを「下毛野国(しもつけのくに)」と書くこともあります。
「下毛」とは一般的に書かないようです。
なので、「両毛線(りょうもうせん)」というと群馬県と栃木県を結ぶ路線という意味になります。
「上毛(じょうもう)」「下毛野国(しもつけのくに)」を結ぶ路線だからですね。
高崎駅からは以下のように、非常にたくさんの路線が分かれています。
(以下、高崎線を除く)
信越本線(しんえつほんせん)
→西へ進み、長野方面へ向かう。鉄道唱歌のルート。
上越線(じょうえつせん)
→北へ進み、新潟県へ続く。
両毛線(りょうもうせん)
→東へ進み、栃木県小山市(おやまし)まで続く。
八高線(はちこうせん)
→南へ進み、東京都八王子市(はちおうじし)まで続く。
吾妻線(あがつません)
→北へ進み、有名な草津温泉(くさつおんせん)や、万座温泉(まんざおんせん)方面へ進む。
上越新幹線(じょうえつしんかんせん)
→北へ進み、新潟県へ素速く向かう。
北陸新幹線(ほくりくしんかんせん)
→西へ進み、長野県・富山県・金沢方面へ素速く向かう。
上信電鉄(じょうしんでんてつ)
→南西へ進み、富岡製糸場(富岡市)の方面へ進む。私鉄路線。
高崎駅はこのように、実に9つもの鉄道路線が分かれています。
それだけ高崎駅は群馬県の中でも特に重要な駅だということができます。
なお、上越新幹線の「上越」とは、群馬県と新潟県を結ぶという意味になります。
上:上野国(こうずけのくに:群馬県)
越:越後国(えちごのくに:新潟県)
つまり、上越新幹線は上野国と越後国をスピーディーに結ぶための新幹線という意味になります。
このことを知らないと、新潟県上越市(じょうえつし)の上越妙高駅(じょうえつみょうこうえき)は、なぜ上越新幹線でなく、北陸新幹線の駅なの?という疑問が生まれてくることになります。
新潟県上越市の「上越」とは、以下のような意味からきます。
上越(じょうえつ):上越市あたり
中越(ちゅうえつ):長岡市あたり
下越(かえつ):新潟市あたり
新潟県はとても広いので、京都に近い順に上越・中越・下越と分かれています。
あくまで「京都に近い順」なので、地図上では上下が入れ代わるので注意しましょう。
(つまり、地図上では下にある方が「上越」となる)
こちらは、新潟県のあたりでまた改めて解説します。
信越本線(しんえつほんせん)は、元々はまだ上越線が無かった時代に、長野県を経由してはるばると新潟県へ向かうための路線だったのです!
とりあえず、高崎駅周辺は大都会なので、ここから先の道中は山岳地帯も多くなりますから、しっかり飲食店や買い物などで休憩したり、旅の準備をしておきましょう。
また、信越本線はここから先、西の碓氷峠(うすいとうげ)も控えているので、横川駅からうまくバスに乗って軽井沢まで行けるよう、高崎駅での信越本線の発車時刻も気をつけましょう。
ただし、鉄道唱歌の旅では一旦、両毛線に寄り道をします!
注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
コメント