鉄道唱歌 北陸編の歌詞を、わかりやすく解説してゆきます!
前橋の観光・歴史などを、初心者でも楽しめるよう解説してゆきます!
↓まずは原文から!
汽車にてゆけば十五分
群馬縣廳所在の地
上野一の大都會
さらに読みやすく!
汽車にてゆけば 十五分
群馬県庁 所在の地
上野一の 大都会
さあ、歌ってみよう!
♪きしょにてゆけば じゅうごふん
♪ぐんまけんちょう しょざいのち
♪こうづけいちのー だいとかいー
高崎駅→新前橋駅→前橋駅→伊勢崎駅→桐生駅→足利駅→(至・小山駅)
※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記
高崎からは、両毛線で前橋へ
高崎駅から両毛線へ東北へ進むと、列車で約10分~15分ほどで、群馬県の県庁所在地である前橋市の中心駅である、
- 前橋駅(群馬県前橋市)
に到着します。
群馬県の県庁所在地・前橋市
群馬県前橋市は、群馬県の最大の都市ではありませんが(1位は高崎市)、群馬県の県庁所在地ということで、それなりの大きなスケールの街になります。
また上野国とは、現在の群馬県のことをいいます。
群馬県の県庁所在地は「前橋市」であり、「群馬市」では決してありませんので、ご注意しましょう。
このあたりは比較的テストにも引っかけ問題などで出る場所だったりします。
他にも、間違えやすい県庁所在地の例を以下に列挙します。
- 栃木県→宇都宮市
- 茨城県→水戸市
- 山梨県→甲府市
- 神奈川県→横浜市
- 兵庫県→神戸市
- 愛知県→名古屋市
- 石川県→金沢市
- 宮城県→仙台市
- 岩手県→盛岡市
- 香川県→高松市
- 沖縄県→那覇市
- 福岡市の中心駅→博多駅
- 福岡駅→富山県の駅
この辺りの知識は、鉄道で日本各地を旅行する際にも覚えておくと便利です。
群馬県の交通事情について考察
前橋市のメインの駅である前橋駅は両毛線の駅であり、高崎駅から両毛線に乗り換えて来なければなりません。
そのため、新幹線が停車する高崎駅(高崎市)と比較すると、前橋市は県庁所在地としてはその地位がやや見劣りする印象もあります。
これは、山口県において山陽新幹線のルートから外れている県庁所在地の山口市が、最大の都市・下関市と比べてややその地位が低いのと似ています。
【山口県の場合】
(1)山口市は、新山口駅から山口線に乗り換えて来る必要がある
(2)最大の都市は下関市
【群馬県の場合】
(1)前橋市は、高崎駅から両毛線に乗り換えて来る必要がある
(2)最大の都市は高崎市
こうしてみると、やはり山口市・前橋市の両者に共通している点はいずれも、
- 「新幹線のルートから外れている」
- 「主要幹線から乗り換えて来ないといけない」
ことに起因する、交通の不便さが考えられます。
ただし歴史的には、山口市も前橋市も重要な街として発展してきています。
また戦国時代くらいまでは、現代のように海沿いの地域よりも、むしろ内陸部の方が発展することもありました。
それは、内陸部の方が防御力に優れている面があったからです。
例えば、小高い山に城を築けば、そこを防御の拠点とすることができます。
しかし、戦国時代の末期になると、
- お堀を城の周りにめぐらせることで防御力が上がるため、
- 山に城を築く必要はなくなり、
- より便利のよい平地にも城を築くことが可能
になりました。
そのため、町の発展の中心は内陸部よりも、むしろ海沿いに移っていくことになります。
そして明治・大正・昭和となるにつれて、鉄道や自動車などの交通網が発展してくると、その事情はさらに変わってきます。
簡単にいえば、
- 交通の便がよくなった町は発展し、
- 鉄道や幹線から取り残された町は、衰退する、
という人類の歴史で何度も繰り返されてきた不変の事象が起こるわけです。
さらに新幹線ができると、沿線の地域は新幹線の駅の周りを中心に発展してゆくことになります。
新幹線の駅ができれば、地元に東京などの大都市からたくさんの人々が、乗り換え無しでやってきてくれるチャンスになり得ます。
また、東京の人々は全国の他地域に比べて年収が高い傾向にありますから、東京の人々に来てもらえれば地元にたくさんのお金を落としてもらえる(観光利益が上がる可能性があります。
そのため、新幹線の駅ができれば、街の発展のチャンスです。
逆に、新幹線の駅を誘致できなければ(誘致に失敗すれば、他の誘致に成功した街に客を奪われるリスクもあります。
なので、全国の各地域は、なんとしても地元に新幹線の駅が欲しいわけです。
また、新幹線は時速260kmくらいの高速運転をするため、真っ直ぐなルートの確保が必要です。
そのため、やや内陸部にある山口市や前橋市に新幹線の線路を通すことも難しかったでしょう。
※本記事では、山口市と前橋市の負の側面を書いていますが、決してディスる意図はありません。
ちょっとデリケートな話題なので、書くのを少し躊躇いましたが、町の発展や衰退の現象についての考察のために敢えて載せることにしました。
もし、山口市と前橋市の方々が不快な思いをされたら申し訳ございません。
なるべく正当な「批評」「言論」の範囲のつもりで(両市の名誉を損なわないように書くように配慮したつもりなので、「法的措置」だけは勘弁してください(^^;)
もし問題あるようでしたら修正・削除しますので、ご指摘願えれば幸いです。
ちなみに「法的措置」といえば、群馬県の山本知事が2021年の「都道府県魅力度ランキング」において第44位という不本意な結果に終わったことを受け、「法的措置を取る」と発言されたことで話題になりました(2022年度も前年と同じ44位でしたが、この時は知事は慎重な姿勢をみせられました。
たくさんある、群馬県の魅力
しかし、群馬県には榛名山とそれを取りまくたくさんの温泉地があり、探せば探すほど魅力がたくさん(宝のように)出てくる場所だと思っています。
本サイトでも、できるだけ(鉄道唱歌の歌詞などを通じて群馬県の魅力を沢山紹介していきたいと思っています。
前橋市は、歌詞では「上野一の大都会」と歌われていますから、昔から
ことはわかります。
両毛線に沿って小山方面へ進むと、赤城山の下に、雄大な前橋市市街地の景色が広がります。

赤城山の麓に広がる、雄大な前橋市の風景(両毛線の車窓より)(群馬県)
私はこの光景に驚き、前橋市は非常に大きな都会だなと思いました!
新前橋駅から分かれる、上越線
新前橋駅からは、新潟県に続く上越線が出ております。

新前橋駅(群馬県前橋市)
かつて明治時代、東京から新潟へ行くには、信越本線を使って
というルートで移動していました。
つまり、鉄道唱歌 北陸編のルートです。
これは、当時11時間ほどかかったそうです。
かつての上越国境は難所だった
この鉄道ルートは群馬~軽井沢間にある碓氷峠という難所がボトルネックではあったものの、江戸時代までは上越国境という険しい山岳地帯を、徒歩で越えなければなりませんでした。
しかも、約10日~20日くらいはかけて江戸から越後えちご。
新潟県のことまで徒歩または馬)で移動していたわけです。
上越国境とは、
- 上野国(現在の群馬県)
- 越後国(現在の新潟県)
の間の国境です。
昔は都道府県ではなく国だったので、「国境」という表現が用いられるわけですね。
現代でいうところの群馬県と新潟県の県境のことであり、また険しい山岳地帯を越えなければなりませんでした。
信越本線の開通により、約11時間で新潟へ
それが明治時代に鉄道(信越本線)ができてからは、長野県経由ではありますが、わずか11時間で(1日で移動できるようになったわけです。
そのため、当時としては非常に画期的で、とても移動のハードルが下がったといえます。
これは鉄道唱歌 北陸編で、まさに長野県経由で新潟へ向かうルートになります。
しかし、かといって西の碓氷峠を越える鉄道ルートは、やはり難所でありボトルネックでした。
また、碓氷峠では全部で26もあるトンネル内で蒸気機関車の吐く煙で窒息するなどの事故も多発し、当時は問題となっていたようでした。
また、約20日間もかかっていた昔と比べて便利になったとはいえ、11時間というのは、やはり不便であることには変わりありませんでした。
上越線の開通により、東京~新潟の距離が短縮
そこで、1930年代に上越線ができました。
これは「清水トンネル」という、群馬県と新潟県の県境をなす約9,700メートルの長いトンネルを掘ることが、この時代には可能になったからです。
鉄道開業当初の明治時代には、トンネルといってもそこまで長いトンネルを掘る技術はまだ無かったと考えられます。
しかし、1930年代になると、約8,000メートル以上の長いトンネルを掘ることが可能となっていました。
静岡県の熱海~三島間を結ぶ丹那トンネルたんなトンネル、約8km)も、1930年代に開通していますよね。
この「清水トンネル」の開通により、上越線を経由した東京~新潟の移動は、約7時間で結ぶことが可能になりました。
それまでは碓氷峠経由で約11時間で結んでいたわけですから、4時間の短縮がなされたことになります。
ちなみに川端康成の小説「雪国」に出てくる「国境の長いトンネル」とは、この上越国境の清水トンネルのことだと言われています。
また、
- 「死者数世界一」のギネスブック認定として知られる、谷川岳
- 「日本一のモグラ駅」として知られる、土合駅(群馬県利根郡みなかみ町)
もあります。
次回は、群馬県の温泉について解説
新前橋駅の近くには、青春18きっぷユーザーの強い味方である「快活CLUB新前橋店」があります。
ただ駅からは徒歩で行くと若干遠いので(徒歩10分くらい、夜は暗い道を注意してゆきましょう。
次は、群馬県の温泉の解説をします!
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