鉄道唱歌 奥州・磐城編 第11番 日光線に乗り換え、日光へ

まずは原文から!

いざ乘(の)り替へん日光(にっこう)の
線路これより分かれたり
二十五(にじゅうご)マイル走りなば
一時半(いちじはん)にて着くといふ

さらに読みやすく!

いざ乗り替えん日光(にっこう)の
線路これより分かれたり
二十五(にじゅうご)マイル走りなば
一時半(いちじはん)にて着くという

さあ、歌ってみよう!

♪いざのりかーえん にっこうのー
♪せーんろこれより わかれたりー
♪にじゅうごまいる はしりなばー
♪いーちじはんにて つくというー

(東北本線)
上野駅→王子駅→赤羽駅→(荒川)→浦和駅→大宮駅→蓮田駅→久喜駅→栗橋駅→(利根川)→古河駅→間々田駅→小山駅→小金井駅→石橋駅→雀宮駅→宇都宮駅

(日光線)
宇都宮駅→(6駅)→日光駅

※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記

宇都宮駅からは、日光線で日光へ寄り道

宇都宮駅に着くと、鉄道唱歌ではそのまま東北地方へ向かうことはせず、一旦「日光線」とよばれる路線に乗って、当時は約1時間かけて移動し、日光駅に至るというストーリーになります。

いわゆる「寄り道」であり、鉄道唱歌ではこうした「歴史的に重要な名所旧跡」に対する寄り道が多く歌われる傾向にあります。
鉄道唱歌における有名な寄り道は他にも、東海道編の「鎌倉・横須賀方面への寄り道」などがありますよね。

私(筆者)も、青春18きっぷや北海道&東日本パスで旅行するときは、気になった場所や名所旧跡のある場所に結構「寄り道」しますので、作者の大和田建樹(おおわだ たけき)さんの気持ちはよくわかります!

宇都宮駅(栃木県宇都宮市)

宇都宮駅に着いたら、降りて駅の外で少し休憩し、日光線に乗り換えて日光へ向かいましょう!

かつてから山岳信仰の都市として栄えてきた、日光

日光(にっこう)は、那須(なす)と並んで、栃木県を代表する名所の1つです。

日光は古くから、いわゆる「山岳信仰」の拠点として、また宗教都市として栄えてきました。
昔は「山には神様がいる」と信じられており、多くの山々が信仰の対象とされてきました。
あの富士山も、コノハナサクヤヒメという女性の神様が宿ると信じられてきており、富士山は信仰の対象とされてきました。
こうした山岳信仰だけでなく、山は常に修行の場としても選ばれてきました(修験道)。

徳川家康が神様として祀られている、日光東照宮

そして、江戸時代になって徳川家康が日光に祀られるようになり、彼を尊敬してやまなかった三代将軍徳川家光によって1634年に現在のような豪華かつ壮麗な神社に建て替えられ、日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)となると、日光へ参拝することはとても尊い行事となり、江戸から「日光街道(にっこうかいどう)」という幕府が整備した街道を通って、多くの人々が参拝するようになりました。

日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)は、徳川家康を神様として祀っている神社です。

徳川家康は江戸時代の始め、将軍職を息子に譲って退いたあと、晩年を駿府(すんぷ、現在の静岡県静岡市)で過ごしました。
そして徳川家康は、遺言として、もし彼が亡くなったときは、現在の静岡県静岡市駿河区にある久能山東照宮(くのうざんとうしょうぐう)に祀ることを命じました。
そして、その1年後に日光東照宮に祀るように命じ、自身をこの国を護る神様として祀るように命じました。
そうしてできた神社が、日光東照宮というわけです。

昔の人々は、「奥州街道」「日光街道」を通って参拝をしてきた

多くの人々は、この日光参拝のために、江戸から続く奥州街道・日光街道を使って、何日も徒歩または馬車で旅をしてきたのでした。

奥州街道と日光街道は、江戸~宇都宮間は共有の道でしたが、宇都宮からは分岐して分かれてゆきます。この分かれ道のことを「追分(おいわけ)」といいます。

また、宇都宮の宿場町である宇都宮宿では、これから日光に向かう旅人や、奥州に向かう旅人に寝床を提供し、食事を提供し、歓談や談笑の場所を提供するなどして、旅人をもてなしてきた歴史があります。

明治時代に鉄道が出来て、日光参拝のハードルが一気に下がった

明治時代に入ると、鉄道唱歌にもあるように日光までの鉄道が敷かれたため、東京からの日光参拝へのハードルが一気に下がり、日光参拝への旅がより容易なものとなりました。
それに伴い、外国人観光客の参拝も一気に増大することとなり、日光は国際的にも有名な観光地として一気にメジャーな存在となりました。

後の時代になって、国鉄と東武日光線(とうぶにっこうせん)は激しい競合関係にありました(東武日光線は1929年の開業)。そして、総じて東武日光線の方が優位という立場にありました。

東武日光線は、東京から日光に延びる線路が比較的まっすぐに北上していくのに対し、国鉄(現在はJR東日本)では宇都宮駅で一旦スイッチバックという形を取らないといけません。
なお、スイッチバックとは、いわゆる「人」の形をした線路のことで、一旦先頭から突っ込んで、その後にバックして進む線路の形状のことです。

東武日光線と協力することを選んだ国鉄(JR東日本)

このように様々な事情から、国鉄(JR)としては東武日光線に勝つのは無理だと判断し、また東武日光線としてもJRと協力する方がメリットが大きいと判断したたことから、2006年に栗橋駅(くりはしえき、埼玉県久喜市)にJR線と東武日光線との連絡線路が作られ、これによってJR線と東武日光線の直通運転が可能になりました。
つまり、東京~栗橋間はJRの線路で移動し、栗橋~日光間は東武日光線の線路で移動する、ということが可能になったわけです。
このため、JRと東武鉄道は競合関係から協力関係に変わったといえます。

現在では40分で着く、日光線での日光への道のり

なお、現在の日光線は計6駅あり、宇都宮駅からは約40分少しで着きます。鉄道唱歌ができた明治時代の当時は、歌詞の内容から判断するに蒸気機関車で約1時間半かかっていたわけですから、鉄道の技術の進歩とは素晴らしいものですね。
また、宇都宮駅~日光駅は、距離にして約40.5kmです。
歌詞では「二十五マイル走りなば」とあります。
1マイルは約1.6kmですから、

25 × 1.6 = 40(km)

で、大体計算が合います。

さらに余談ですが、この距離って大体マラソンの距離(42.195km)と同じですよね。
世界トップクラスのランナーは、時速約20kmで約2時間少しかけて42.195kmを走破します。
現在の最新鋭のランナーでも約2時間かかる距離を、当時の日光線は1時間半で走ったわけです。それまで(江戸時代まで)は飛脚などが全力で走る速度よりも、それよりも速く移動できる鉄道の技術が、当時としてはいかに斬新で画期的なものだったかわかりますね。

日光駅(栃木県日光市)

次も、日光の解説をします!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
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