那須をはじめ、栃木県北部の鉄道旅・観光・歴史について、詳しくない方にもわかりやすく解説してゆきます!
冬の北海道への旅シリーズ第2回は、宇都宮駅から那須方面へ向かう行程となります!
栃木県・北部地域のみどころ:明治時代の那須の発展を支えた、那須疎水
那須地域は明治時代、
- 会津(福島県西部)~東京間
の交通の強化を図るため、明治時代に「那須疎水」ができたことにより開拓され、発展してゆきました。
開拓とは、
- 未開の(誰の手もつけられていない)何にもない土地を、
- 人々の手によって土地・畑を耕し、水を通し、
- 生産ができて、利益を上げられるための土地にすること
をいいます。
明治時代までの那須地域は、
- 「手にすくう水なし」
と呼ばれたほど、水不足だったのでした。
そのため、人工的に川を作って、近隣の那珂川という川から飲み水を引っ張ってきたのでした。
あと、この人工的な川(疎水)のもう一つの役割として、「水運」がありました。
鉄道が一般的になる以前の明治時代には、舟に荷物を載せて運ぶのが一番効率が良かったからですね。
しかし明治時代になって、現在の東北本線の原型となる「日本鉄道」という会社が鉄道を敷いていってからは、交通のメインは水運から徐々に鉄道に移っていくこととなりました。
江戸時代の終わりから、蝦夷地(北海道)強化のため、栃木県・那須を往来する人々が増えた
日本は江戸時代の末期(1800年代)からロシアの「南下政策」におびえるようになりました。
南下政策とは、ロシアが凍らない港(不凍港/ふとうこう)を求めて、暖かい南の地域に進出してくることです。
ロシアは真冬はマイナス20度の極寒は当たり前なので、海が凍ってしまって軍艦が出せないからですね(そうなると、ロシアが先に他国の軍艦に攻められてしまう)。
しかし、そうなると日本にとっては脅威となってきます。
そのため、最もロシアに攻められる可能性の高い蝦夷地(北海道)の防衛のために、
- 江戸(東京)~蝦夷(北海道)
の往来が急増するようになります。
すると、この栃木県や福島県を通る人々の数も増えるようになりました。
そうなると、この那須地域も発展させていく必要が出てくるわけです。そのため(さすがに何もない土地じゃマズいですよね)、那須疎水による開拓によって(生活に必要な)水が行き渡るようになり、発展してきました。
栃木県・北部地域のみどころ:左に見える、那須高原と那須の山々
那須塩原駅(栃木県那須塩原市)の辺りから徐々に、窓の左側には白い雪をかぶりはじめた那須の山々が姿を表してきます。
その那須岳の中でも、最も高い茶臼岳は標高1,915mもある、かなり高い山になります。
それだけ高い山だと、冬の時期になると山の上には雪を被ってくるわけです。
新幹線の駅名から決まった、「那須塩原」の市名と、市名決定に至る論争の歴史
那須塩原市は、2005年に合併して出来た新しい市です。
しかし、その新しい市名を決める際に、元々存在した那須塩原駅の駅名が(その周辺の地域のイメージとして)すっかり定着していたことから、
- 「駅名→市名」
になったという珍しいケースになります。
その那須塩原駅も、1982年の東北新幹線開業に合わせて、
ということで出来た名前です。
元々、那須塩原駅は「東那須野駅」という名前だったのでした。
しかし、新幹線が止まる相応しい駅名を考えるときに「那須塩原駅」の駅名に決定するまで、かなり論争に論争を重ねて揉めるという歴史の上に出来た駅名です。
例えば、単に「那須駅」という名前だと「塩原温泉郷」のネームバリューが生かせないから「塩原」のフレーズも駅名に入れて欲しい、などの理由です。
那須塩原の名前決定のエピソードについては、以下の記事でも解説しているため、ご覧ください。

栃木県北部の名所:那須高原の「殺生石」
那須塩原駅・黒磯駅の西にある那須高原の那須湯本には、殺生石という謎の伝説の石があります。
私(筆者)が那須の殺生石に行ったときのレポートについては以下の記事でも解説しています。

殺生石に関しては、以下の記事でも既に紹介していますので、ご覧ください。

黒磯駅でちょっと休憩!
宇都宮駅から約1時間かけて北上してきた列車も、黒磯駅止まりとなります。
そして、ここで乗り換えのために一旦降りることになります。

黒磯駅にて少し休憩!(栃木県那須塩原市)
黒磯駅(栃木県那須塩原市)では、ちょっと乗り換え待ちの休憩時間があります。
そのため、待合室で少し自販機休憩をします。
ここから福島県・新白河駅までは、飲み物を買う機会があまりないため、ここで購入しておきます。
黒磯駅は直流・交流の切り替え点
黒磯駅は、いわゆる「直流」「交流」の切り替え点となります。
東北本線では「交流」の区間となるからです。
電車はいうまでもなく「電気」で走っているわけですが、その電気には「直流」「交流」の二種類があります。
それぞれ長所・短所があるため、その状況や地域によって使い分けられているわけです。
首都圏からここ(黒磯駅)までの区間は「直流」方式でやってきたわけですが、ここから北の、東北地方では「交流」となります。
直流電化のメリット・デメリット
直流電化では、たくさんの「変電所」を必要とすることになります。
そのため、その変電所の(設備や人件費などの)ために維持・管理コストがかかります。
変電所とは、直流の電圧を下げるための設備のことをいいます。
発電所で作られた電気は、約50万ボルトという、ありえない高さの電圧で送られてくるわけです。
そのため、まともにこの電圧で使うとら感電や大火災などの事故につながってしまいます。
なぜこんな高い電圧で送るのか?
ちなみに、なぜこんな高い電圧で送るのかというと、それは遠ければ遠くなるほど電圧が弱くなるという「電圧降下」という現象が起こるからです。
これは水道を流れる水に例えると、初めは勢いよく(高い水圧で)流さないと遠くまで流れてくれない、というのと同じです。
最初はそれだけ高い電圧で流すため、
- 各地の「変電所」とよばれる設備で徐々に電圧を下げ、
- 数百~数千ボルトなどの実用的な電圧に下げて、
- 家庭・家電や電車などに供給されている
というわけです。
交流電化のメリット・デメリット
一方、交流電化は変電所を(直流電化ほどは)必要としません。
なぜかというと、トランス(変圧器)で電圧の増幅が行えるいじれるため、直流に比べて電圧のロス(電圧降下)の影響を受けにくくできるためです。
したがって、交流電化は、変電所をたくさん建てたり維持管理しなくてよい分、コストがかかりません。
しかし車両本体に変圧器を積む必要があるため、車両一体あたりのコストが上がるというデメリットが(交流電化には)あります。
結局、直流と交流、どっちがいいの?
したがって、列車本数がめちゃくちゃ多い都市部では、車両コストを下げられる直流電化が向いています。
変電所の数も増えますが、利用者の多い都市部では充分に(設備投資の)元が取れるため、問題ありません。
一方、人や列車本数が少ない都市部以外では、交流電化の方がコスパが良いといえます。
なぜ黒磯駅以北は、交流電化なのか
東北地方(黒磯駅以北)では、鉄道の歴史としては比較的遅い1959年になって、ようやく電化(交流電化)がなされました。
つまり、それまでは気動車が走っており、東北地方の電化はずっと遅れていたのした(直流電化すらなされていなかった状況でした)。
やはり、気動車よりも電車の方が(加速・坂道登りの面で)性能がいいですから、輸送量が増える東北本線では、なるべく電化したいところでした。
ちなみに、海外では早い段階(20世紀前半くらい)から交流電化の研究は進められていたのですが、日本で交流電化の研究が進んだのは1950年代に入ってからであり、やや遅れていた感はあります。
1950年代に入って、ようやく東北本線でも電化しようと思ったときに、直流電化にすると変電所をたくさん作ることで、コストがかかるため、ちょうど研究も進んできた交流電化を採用しよう、ということになったわけですね。
黒磯駅の「デッドセクション」
黒磯駅は、ここまで解説してきた通り、直流・交流区間の境界地点であるため、「デッドセクション」と呼ばれる設備が存在します。
デッドセクションとは、そこだけ電気が通らないという区間になります。
また、デッドセクションは、直流区間と交流区間の境目に位置するため、そこだけ電気が供給されないという区間となります。
したがって、デッドセクションの区間では、電気が通ってない状態(※)で走ることになります。
※電車に電気が供給されないためです。
また、その区間では惰性(加速でスピード出したままの勢い)といいます。
また、「慣性」とも。
黒磯駅を出発、福島県・新白河方面へ

黒磯駅より(栃木県那須塩原市)
黒磯駅を出ると、
- 那須町の黒田原駅
- 栃木県最北端となる、豊原駅
を過ぎます。

栃木県と福島県の県境・豊原駅付近(東北本線の車窓より)
豊原駅(栃木県那須郡那須町)を過ぎると、
- 福島県との境となる、黒川
にさしかかります。
この峠は東北本線最高地点となり、その標高は400mにもおよびます。
豊原駅と黒川については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。


東北本線・移動中の筆者

東北本線・移動中の筆者
ようやく北関東・栃木県の北部に来て、冬であればこのあたりから辺り一面には徐々に雪の景色も出てきます。
そして、北国らしく気温も徐々に下がってゆき、福島県に入り、東北地方に入ってきます。
やがて、白河の関をも過ぎます。
白河の関については、以下の記事で分かりやすく解説していますので、ご覧ください。

やがて終点・新白河駅(福島県白河郡西郷村)に到着します。

新白河駅(福島県白河郡西郷村)
今回は長くなったので、新白河駅以降は次回に解説します!
終わりに:新白河駅に到着 今回は長くなり過ぎすみません!
今回は一段と長くなりましたが、栃木県の那須・塩原の歴史をたくさん調べてたら面白くなって、夢中になっていました!
栃木県北部の旅・地理・歴史は、たくさん調べてみるとかなり奥が深いことを、改めて思い知らされました。
ではまた次回お会いしましょう。
コメント