北海道・帯広~新得~トマム~占冠~新夕張~追分~千歳の鉄道旅について、鉄道に詳しくない方にも、わかりやすく解説してゆきます!
新得駅からは新夕張方面へ 「特例」で特急列車に乗れる区間
新得駅からは、石勝線で
- トマム
- 占冠
- 新夕張
- 追分
- 南千歳
の方面へと向かいます。
なお新得~新夕張の区間は、7日間を11,300円で乗り放題となる「北海道&東日本パス」を利用している場合、なんと「特例」で特急列車に乗ることができます。
これはあくまでこの区間のみの特例措置になります。
※他にも、奥羽本線・新青森駅~青森駅など特例措置で乗れる区間があります。
そのため、旅行前に是非とも調べられることをオススメします。
というのも、この区間は普通列車が無い(オール特急列車である)ため、ある意味での救済措置というわけですね。
この区間を通行する列車は、ほとんどは貨物列車か、札幌~釧路間を遠距離輸送する役割を担う特急列車がメインになります。
そのため、短距離輸送がメインの普通列車の出番は存在しないというわけですね。
この区間は、北海道の背骨ともいうべき険しい日高山脈を貫く区間となります。
そのため、民家や利用者もほとんどなく、普通列車を設定する理由もないからということでしょう。
なお余談ですが、「青春18きっぷ」を利用しているときも、
- 九州・日豊本線の延岡~佐伯の区間(いわゆる「宗太郎越え」とよばれる難関区間)
に限り、もし同じように特例で特急列車に乗れるという救済措置があれば、青春18きっぷユーザーの難易度も一気に下がるでしょう。
しかし「宗太郎越え」の区間にはこのような特例・救済措置は存在しないため、多くの青春18きっぷユーザーは、
- この区間だけ「特急料金」を別途支払って移動する
- あるいは、根性で1日1本(佐伯方面は2本)しかない普通列車を待って移動する
の、いずれかの選択肢をとることになります。
まぁ、余談でした。
石勝線の旅:トマム駅(占冠村)に到着
やがて、トマム駅(北海道勇払郡占冠村)に到着します。

トマム駅(北海道勇払郡占冠村)
勇払郡は「ゆうふつぐん」 占冠村は「しむかっぷむら」 と読みます。
トマムとは、アイヌ語で湿地(tomam)という意味です。
リゾート地・トマム
トマムは、いわゆる「リゾート地」として有名です。
つまり「スキー場」や「リゾートホテル」などからなる、レジャー・休暇を楽しむための場所ということです。
日本が今と違ってとても裕福だった昭和の後半(高度経済成長期~バブル期)には、冬の長期休暇や土日休みなどにおいて、
- 男女でスキーなどの高級でおしゃれなレジャーを楽しみ、
- その日の夜はリゾートホテルやペンション等に泊まって、
- 星空と「雪の幻想的な世界」を眺めながら、優雅なお休みを満喫する、
ということが普通に行われてきました。
現代の日本では、そういった豪華なレジャーを楽しむことができるのは一部の裕福層くらいなので、羨ましいと思う人も多いかもしれません。
それだけ高度経済成長期~バブル期にかけては、多くの日本人、若者であってもお金を持っていたわけです。
バブルの時代には、非常にスキーが流行った
約35~45年前の当時は若者(つまり現在の50代~70代の年齢層の方々です)が多かった上に、スキー場にいけば「出会いがある」とされていたのでした。
そのため、多くの若い男女がスキー場を目指してレジャーの旅に出かけていました。
特にバブル期ではスキーが大流行であり、「私をスキーに連れてって」という映画まで流行したほどでした。
当時はアルバイトでも多ければ月40万、社員の初任給でも多ければ月100万円はもらえたそうですから(しかも社員旅行・住宅補助費などの手厚い福利厚生つき)、今では考えられないくらい待遇が良く、若者ですらもお金を持っていたのです。
そんな世の中だったため、みんな休み(バケーション)になれば「スキー場」「リゾートホテル」なのという、オシャレで豪華な趣味と週末を楽しむことができたわけですね。
バブルの時期、たくさんのスキー場が建設されていった
そうして若者たちの間でスキーが大ブームとなると、全国の各地に「スキー場」や「リゾートホテル」などが次々に建設されていくことになります。
つまりお金持ち(資本家)たちが私財・お金をかけて投資してゆき、次々にスキー場やリゾートホテル、ペンションなどを建設してゆくわけです。
そうして人々に楽しんでもらい、多くのお金を落としてもらい、さらに資本家たちはお金持ちになる、といった効果が期待され、実際にそうなっていったわけです。
バブル崩壊後、一気に衰退へ
しかし昭和が終わり「バブル崩壊」とともに、こうしたスキー場・リゾートホテル等にはお客様が徐々に来なくなり、衰退の一途をたどることとなりました。
世の中が不景気になると、旅行やレジャーなどの娯楽費は真っ先に削られることになってきます。
そうなってくると、人々がスキー場に来られなくなるのは仕方ないのです。
そもそもスキー場に行くまでの多大な交通費や、ホテル代、そしてスキーの用具を買うための費用なども軽視できないですからね。
余談:越後湯沢の10万円のマンション
ちなみに余談ですが、新潟県・越後湯沢のスキー場にあるマンションは、バブル崩壊に伴って価値が大暴落したことから、なんと「10万円」で売られていたりします。
「家賃」が10万円なのではなく、(本来は何千万円もするはずの)マンションの部屋が「わずか10万円」で売られているということになります。
それは、バブル期に勢い余って建てすぎたため、今やほとんど誰も買い手がつかなくなったことで、このような非常に安い値段で売られているわけですね。
ただし「えっ、10万円で買えるの?ラッキー!」と単純に喜ぶわけにもいかず、固定資産税や管理費などの経費が他にたくさんかかることも考えられるため、そこは充分注意しなければなりません。
険しい日高山脈を越える
日高山脈は、北海道の「背骨」ともいうべき、北海道を南北に貫くとても険しい人脈峠になります。
そしてこのような巨大な山脈を貫くわけですから、鉄道にとっても一苦労の難所になります。
ヘアピンカーブが続く、日高山脈の区間
そのためヘアピンカーブ(Uの字やかつ)や、長大トンネルの連続する区間になります。
特急列車で走っていても、かなりの難関・難所になります。
占冠駅に到着
やがて占冠駅を過ぎてゆきます。

占冠駅(北海道勇払郡占冠村)
占冠は、かなりユニークな地名だと思います。
もちろんアイヌ語由来です。
「シモカプ(shimokap)」で「とても綺麗な上流の場所」という意味だそうです。
鵡川の上流の場所・占冠
占冠村には、末は日高半島の南西にある「むかわ町」に流れる
- 鵡川
が流れています。
そのため、まさしく鵡川の「上流にある美しい場所(シモカプ)」だというわけです。

占冠駅(北海道勇払郡占冠村)
不思議な泣く木
占冠駅の少し手前には、なんと「不思議な泣く木」という木があります。
なぜか泣いてしまう木
なんとその「不思議な泣く木」は、なんと伐採しようとすると「うえーん」と泣くという木だそうです。
まさに心霊現象というべきであり、不思議なことですね。
この木を道路建設のために伐採しようとしても泣き出すため、なかなか道路建設が思うようにいかなかった、というエピソードがあります。
アイヌの女の子の魂が宿っている木
なぜこの木が泣くのか?というと、昔のアイヌ民族の女の子の魂が宿っているからだそうです。
アイヌ民族はまだ日本人が蝦夷地に進出してくるずっと昔から存在していたわけですが、その頃にはアイヌ同士の紛争がありました。
つまり、敵のアイヌ民族との恋愛はできないのです。
許されなかった恋
しかし、その若い男女は許されない恋に落ちてしまい、彼氏は敵に捕まってしまいました。
しかし彼はなんとか命からがら脱走して、この場所で待つ彼女のところへと向かったのですが、彼女は既にこの木の下で力尽き倒れてしまっていたそうです。
その彼女の無念の魂が、この木に宿っていて、「不思議な泣く木」となったということですね。
「石勝線脱線火災事故」の起きた、清風山信号場
占冠駅を過ぎると、2011年5月27日に起きた石勝線脱線火災事故の起きた、
- 清風山信号場
を過ぎます。
信号場とは
信号場とは、列車の行き違いを行うためのスペースのことです。
線路が1本の「単線」の場合、対向の列車とぶつからない(衝突しない)ためにも列車を退避させるスペースが必要になります。
それが信号場というわけです。
この清風山信号場において、なんとも痛ましい脱線・火災事故が、あの東日本大震災とほぼ同時期に起きたのでした。
なぜ、この事件が起きたのか
では、なぜこの事件が起きたのか。
以下、できるだけ簡単にまとめてみました。
- 2011年5月27日の夜、釧路発・札幌行きの、「特急おおぞら」が夜21時頃、石勝線のこの区間を走行中だった
- その「特急おおぞら」は、出張帰りのサラリーマン等でほぼ満席だった
- 清風山信号場にかかったとき、突き上げるような衝撃音がした
- JR北海道の車両整備体制が杜撰だったため、列車の各部品が走りながらポロポロと線路に落ちてしまった
- 落ちた部品によって燃料タンクが損傷し、さらにそこから燃料がこぼれ落ちて引火した
- 引火した炎で、すべての車両が丸焦げになってしまった
- 危険を感じた乗客は速やかに退避し、暗い夜道を携帯電話の明かりなどを便りに無事避難した
- 負傷者こそ多く出たものの、幸いにも死亡者は皆無(0人)だった
- その後、JR北海道はその「杜撰な車両点検や保守体制」などについて、世間から猛バッシングを受けた
- 国からもJR北海道に対して「業務改善命令」が出されるほどの事態となり、国から厳しい監視の目に置かれるようになった
- これに責任を感じたJR北海道の中島社長が、その年11月に「遺書」を残して突然消息を絶ち、小樽市の沖合いの海で遺体となって発見された
- 2年後の2013年にも、函館本線・大沼駅で貨物列車の脱線事故が起きた
- その原因は、線路の点検結果を「改ざん」して報告しており、整備されていない「ズタボロ」の線路の上を走ってることにあった
といつた具合でしょうか。
二度と悲惨な事故を起こさないために
あと脱線の理由については、車両から垂れ下がった部品が、列車がポイント(線路の分岐点)にさしかかった時に引っ掛かってしまい、車両が乗り上げたことから脱線に繋がったものと思われます。
亡くなった中島社長の思いは、ただ
- 「二度と痛ましい事故が起きないこと」
- 「JR北海道が、より良い会社になること」
であり、あれから「国の監視」「国民の厳しい目線」のもとで様々な改善策が重ねされていった結果、現代の我々の安全・安心はこうした過去の過ちと反省からきているのだなぁ、と痛感させられます。
夕張方面への入り口・新夕張駅
険しい日高山脈の長大トンネルをいくつも潜り抜けると、やがて新夕張駅(北海道夕張市紅葉山)に着きます。

ここまで険しい山岳地帯と、とても長いトンネルをいくつも超えてきたので、新夕張駅に着いたときはすごくホッとした気分になります(^^;
新夕張駅は、夕張方面への分かれ道となります。
夕張市と夕張炭鉱の歴史については、以下の記事でも解説しておりますので、ご覧ください。

新夕張駅を出ると追分方面へ進み、千歳も近くなるわけです。
しかし、現在では残念ながら滝ノ上駅が廃止になってしまいました。
鉄道唱歌 北海道編にも歌われている駅なので、残念ではあります。
蒸気機関車最後の地・追分駅
やがて室蘭本線との合流点である、追分駅(北海道勇払郡安平町)に到着します。

追分駅は、日本の鉄道の歴史において、蒸気機関車が最後に走った駅ということになります。
蒸気機関車が追分駅で最後まで走り続けた
蒸気機関車は今は観光路線以外の用途では使われておらず、旅客や荷物を運ぶといった「ガチの理由」として使われることはほば皆無となっていると思います。
しかし、その「ガチの理由」で蒸気機関車が最後まで生き残ったのが、この北海道・追分駅ということになります。
「分かれ道」を意味する追分
追分とは、昔の言葉で「分かれ道」という意味です。
全国各地に追分という地名や、駅名があります。


かつて鉄道に関わる人達で栄えてきた町並みだ。
(北海道勇払郡安平町)
たくさんの鉄道関係者が働いていた、追分駅
また、追分駅にはたくさんの鉄道関連の施設があり、明治時代の鉄道全盛期にはたくさんの鉄道関連の施設で働く人たちがいました。
当時はたくさんの石炭を運ぶ必要があったので、貨物列車たちがたくさん集まる重要拠点でした。
そして、蒸気機関車たちを保管・メンテなどをするための車庫である「追分機関区」もありました。
なのでそこで働く人たちが増えると、町の人口も増えます。
そういった人たちを中心に町が発展してきた歴史があるので、「鉄道の町」とも呼ばれます。
追分駅と室蘭本線については、以下の記事でも解説しておりますのでご覧ください。
https://tetsudou-kyukyoku.com/2022/08/05/%e5%8c%97%e6%b5%b7%e9%81%93%e9%89%84%e9%81%93%e5%94%b1%e6%ad%8c%e3%80%80%e7%ac%ac34%e7%95%aa%e3%80%80%e5%86%8d%e3%81%b3%e5%ae%a4%e8%98%ad%e6%9c%ac%e7%b7%9a%e3%81%ab%e6%88%bb%e3%82%8a%e3%80%81%e5%a4%95/#toc3
南千歳・千歳に到着
追分駅を出ると線路は南へ大きくUの字を描き、北西へ進みます。
やがて新千歳空港方面への分岐駅である
- 南千歳駅
を経て、やがて千歳駅(北海道千歳市)に着きます。

千歳市については、以下の記事でもわかりやすく解説していますので、ご覧ください。
https://tetsudou-kyukyoku.com/2022/08/08/%e5%8c%97%e6%b5%b7%e9%81%93%e9%89%84%e9%81%93%e5%94%b1%e6%ad%8c%e3%80%80%e7%ac%ac37%e7%95%aa%e3%80%80%e5%8d%83%e6%ad%b3%e3%80%81%e6%81%b5%e5%ba%ad%e3%80%81%e6%a8%bd%e5%89%8d%e3%81%ae%e5%90%8d%e6%89%80/#toc11
千歳駅に着くと、もはや札幌都市圏にも充分入ってくるため、なんだかすごい「ホッとする安心感」があります。
それまでずっと北海道の広大な原野や湿原、そして山岳地帯を進んできたわけですからね。
今回はここまでです!次回は最終回で、札幌でゴールとなる予定です。
お疲れ様でした!
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