鉄道唱歌 奥州・磐城編 第17番 ついに福島県へ!黒磯駅を過ぎ、栃木県と福島県の県境を越える

まずは原文から!

東那須野(ひがしなすの)の青嵐(あおあらし)
ふくや黒磯(くろいそ)黒田原(くろだはら)
こゝは何(いず)くと白河(しらかわ)の
城の夕日は影(かげ)赤し

さらに読みやすく!

東那須野(ひがしなすの)の青嵐(あおあらし)
ふくや黒磯(くろいそ)黒田原(くろだはら)
ここは何(いず)くと白河(しらかわ)の
城の夕日は影(かげ)赤し

さあ、歌ってみよう!

♪ひーがしなすのの あおあらしー
♪ふーくやくろいそ くろだはらー
♪こーこはいずくと しらかわのー
♪しーろのゆうひは かげあかしー

(東北本線)
宇都宮駅→西那須野駅→那須塩原駅→黒磯駅→黒田原駅→新白河駅→白河駅→泉崎駅→矢吹駅→須賀川駅→郡山駅→日和田駅→本宮駅→二本松駅→安達駅→松川駅→福島駅

※鉄道唱歌に関係ある主要駅のみ抜粋

「東那須野」とは、現在の那須塩原駅のこと

歌詞にある「東那須野(ひがしなすの)」とは、実は現在の那須塩原駅(なすしおばらえき、栃木県那須塩原市)のことです。

東那須野駅は、明治時代の1898年に日本鉄道(当時)の駅として開業したときから存在しましたが、温泉の行楽地である塩原温泉郷に行くには一つ手前の西那須野駅(にしなすのえき)で降りた方が便利ですし、また那須高原に行くには一つ先の黒磯駅(くろいそえき)で降りた方が便利だったため、やや不利な状況にあったようです。

「那須塩原駅」の名称決定には、かなりの議論・論争が重ねられた

しかし、1980年代に東北新幹線が開業したとき東那須野駅は新幹線の駅となり、駅名も「那須塩原駅」となりました。
当初は「新那須駅」という仮称がつけられていたそうですが、地元の人々から駅名に「塩原」を入れて欲しいなどの要望も多くあり、駅名についてはかなり議論が交わされ揉めたそうです。やはり観光地・塩原温泉郷(しおばらおんせんきょう)のネームバリューを生かしたいことから、「塩原」のフレーズを入れて欲しいという地元の人々の要望があったわけですね。

那須塩原駅(那須塩原市)

「那須塩原市」の市名は、駅名からつけられた

栃木県那須塩原市(なすしおばらし)は、那須町黒磯市西那須野町が2005年に合併してできた街です。
那須塩原市の市名の由来は、ずばり「新幹線の駅名(那須塩原駅)から」ということで、まさに「新幹線の駅名が地名に採用された」という例といえるでしょう

余談ですが、私(筆者)が最初に那須塩原駅に来たときは、は元々那須塩原市という地名があって、そこに新幹線がきたから那須塩原駅と自然につけられたものと思っていました(つまり、上記のような複雑な理由があったとは知りませんでした)。

歌詞にある青嵐(あおあらし)とは、文字通り木々の青葉に向かって吹く風や嵐のことです。

宇都宮方面からの終着駅・黒磯駅へ

黒磯駅(くろいそえき、栃木県那須塩原市)は、現在でいう宇都宮線(うつのみやせん)の終着駅であり、ここから北は東北本線として、運転系統が分かれていきます。
もちろん、正式には東京~黒磯間も東北本線ではあるのですが、便器上この区間は「宇都宮線」という愛称がつけられています。
「宇都宮線」というネーミングは、歴史的にかなり揉めたそうです。特に沿線の埼玉県域に住む利用者の人々にとっては宇都宮は関係ないため、反感を買ったことがあるそうです。

「直流」と「交流」の境界点・黒磯駅

黒磯駅は、いわゆる「直流」と「交流」の変換点でもあります。黒磯駅より南側は直流、北側は交流ということになります。

直流(DC)」は、電圧が常に一定の電流のことです。逆に言えば、途中で電圧を変えることができないわけです。

発電所から送られてくる電圧は数十万ボルトという超がつくほどの高圧で流れてきます。しかし、家電製品はせいぜい100ボルトです。
つまり、発電所から流れる数万ボルトの電気をそのまま家電製品に使うと、あっという間に壊れてしまいます。

そこで、「交流(AC)」という仕組みを使います。
交流は、周期的に電圧を上げたり下げたりすることができます。
つまり、2万ボルト→100ボルト→0ボルト→-100ボルト→-2万ボルトのように、電圧を上げたり下げたり、また逆方向(-)に変えたりできます。

実際にはマイナスのボルトなんてのはないのですが、電気の流れる方向を逆向き(-)に変えることができます。
直流だと常に同じ電圧で同じ方向(+)にしか流せませんが、交流だと電圧を調整でき、また逆方向にも流せます。

高校のときに「三角関数」って習いましたよね。
サイン(sin)、コサイン(cos)、タンジェント(tan)のアレです。
例えば、sin0度=0、sin90度=1、sin180度=0、sin270度=-1、sin360度=0みたいなイメージです。
あの波形を思い出してください。
周期的に電圧が上がったり下がったりする交流の理論です。

高校のとき、サインコサインなんか覚えて何の役に立つんだ?と思われた人も多いかもしれませんが、実は電車を走らせるために役に立っているんですよね。

「直流」「交流」は、それぞれ難易度やコストが異なり、長所・短所がある

ここまで書くと、まるで電圧を変えられない直流はメリットなしで、電圧を変えられる交流の方がいいんじゃない?と思うかもしれませんが、決してそうではありません

直流は仕組みがシンプルですが、その分変圧(電圧の変更)などの過程で様々な機械や設備が必要となるため、トータルではコストが上がってしまいます。それなりの設備も用意しなければなりませんし、それらの仕組みを理解できて、なおかつ維持管理もできるだけの人材も必要になります。

一方、交流は仕組みが複雑ですが、変圧が容易のため、トータルではコストは下がります。

それぞれに一長一短あるため、時と場合によって直流と交流を使い分ける必要があります

ちなみに19世紀のアメリカでは、直流送電をゴリ推しするトーマス・エジソンと、交流送電をゴリ推しするニコラ・テスラとの間で、激しく攻撃し合うというバトル・論争が繰り広げられたこともあります。

ちょっと難しい、鉄道の交流電化の話

鉄道の場合も、直流電化で走らせた方がコスト的に良くなる場合は直流で走らせますし、交流電化の方がコスト的に良くなる場合は交流で走らせます。

それは変電所の数によって関係してくるのですが、この辺りの話はややこしいので、以下の記事で詳しく解説しています。

冬の【東京→北海道】鉄道旅2 宇都宮へ到着!そして那須方面へ

また、交流電化のメリットとして、例えば常磐線(じょうばんせん)のように「直流だと地磁気の観測に影響する」といった事情もありますが、ここはまた常磐線のところで解説します。

鉄道唱歌 奥州・磐城編 第60番 筑波山からの常陸国の景色はまるで地図のよう そして、千葉県へ

クレヨンしんちゃんの「黒磯さん」と黒磯駅は関係ある?

なお、「クレヨンしんちゃん」に登場する、早乙女あいちゃんのボディーガードであり、カラオケで鉄道唱歌を熱唱したことでも知られる黒磯さんの名前は、黒磯駅に関係するんでしょうかね?

クレヨンしんちゃん2002年放送「先生たちの合コンだゾ」で、黒磯さんは鉄道唱歌の東海道編を66番すべて熱唱しました。
なお、クレヨンしんちゃんに登場する人物は、「川口」「上尾」「桶川」など、埼玉県の地名に由来するものが多い気がするのですが、気のせいですかね?

黒磯駅で乗り換え、新白河方面へ 黒田原駅を過ぎ行く この辺りから少し寒くなる?

宇都宮から来た人は大抵が黒磯止まりとなっているため、黒磯駅で東北本線・新白河行きに乗り換えるのが一般的かと思われます。
黒磯駅は待合室が充実しており、自販機で飲み物やアイス等を購入できるため、宇都宮駅で買い忘れた人はここで買い足しておきましょう。

黒磯駅を出ると、いよいよ栃木県の最北部に向かって北上していきます。
黒田原駅(くろだはらえき、栃木県那須郡那須町)を過ぎ、栃木県と福島県の県境をなす山岳地帯に入ってきます。

夏の時期にここの山岳地帯を通ると、少しひんやりした空気になる印象が上がります。
東北地方への旅は、北上するごとに気温が下がっていき、また徐々に雪景色となっていきます。
これが東北地方への旅の面白いところです。

栃木県最北の秘境駅?豊原駅へ

この県境の険しい山岳地帯をしばらく行くと、栃木県最北端の駅にして、関東地方最北端の駅でもある豊原駅(とよはらえき、栃木県那須郡那須町豊原甲)に着きます。

豊原駅は、個人的には秘境駅だと思っています!最北感がいいですし、とうとうここまで来たか~って気になります。

なお、豊原という地名は、現在のサハリン最大の都市である「ユジノサハリンスク」の旧日本名でもあります。

日露戦争においてロシアから樺太(サハリン)の南側、つまり南樺太を勝ち取った日本は、資源が大量に取れるサハリン(樺太)との交易を活発にするため、現在の宗谷本線(当時は天塩線)から北海道の稚内へ至り、さらに宗谷海峡の海を渡り、大泊(おおどまり。現在のコルサコフ)を経由して、豊原ユジノサハリンスク)に至る鉄道路線を引きました。

この時に、1908年に樺太の「豊原駅」ができ、長らく同名の駅名が共存していた状態だっため、栃木県最北端の豊原駅は「下野豊原駅(しもつけとよはらえき)」に駅名変更になりました。「下野(しもつけ)」とは、栃木県の古い国名である「下野国(しもつけのくに)」から来ています。昔は、駅名が重複した場合は旧国名を頭につけて、駅名重複を回避するという風習があったのです。

しかし、戦後になって南樺太は再びソ連領(現・ロシア領)となったため、豊原駅は「ユジノサハリンスク駅」に変更となり、下野豊原駅も元の「豊原駅」に名称変更となった経緯があります。

黒川を越えて、みちのくの国・福島県へ

豊原駅を過ぎると、「黒川」という大きな川を渡ります。ここが、いわゆる栃木県と福島県の県境となります。

福島県境となる川・黒川。写真右側が福島県

黒川を渡ると、関東地方を抜け、ここからいよいよ東北地方・福島県に入ります!
みちのくの国へようこそ。

福島県に入り、白坂駅を過ぎて、新白河駅へ

福島県に入ると、かつての奥州街道の宿場町・白坂宿のあった白坂駅(しらさかえき、福島県白河市)を過ぎ、東北地方の実質的な入り口である新白河駅(しんしらかわえき、福島県西白河郡西郷村)に至ります。

なお、個人的に白坂ときいて思い出すのが、私はかつて白坂慎太郎(しらさか しんたろう)というYouTuberの方の経済学入門をよく観ていました。
特に資本主義の仕組みや、貨幣経済の仕組みなどが経済初心者にもわかりやすく解説されているので、経済の基本を学びたい方は是非ご覧になってみてください。

私は白坂駅を通り過ぎるたびに、白坂先生の経済学入門の授業の内容をよく思い出します(^^;)

新白河駅で東北本線は郡山行きに乗り換えとなりますが、乗り換え時間がわずかのときはダッシュで東北本線の乗り場へ向かうか、待ち時間が空くときは改札外の白河ラーメンのお店に行くことになると思います。
東京を朝出発すると、新白河駅に着く頃には昼時になっているので、ぜひここで白河ラーメンを食しておきたいものです。
また、駅前の松尾芭蕉の銅像前で写真を撮るのもいいでしょう。

白河にそびえ立つ、白河小峰城

白河小峰城(福島県白河市)

歌詞の最後にある「城」とは、いわゆる白河小峰城(しらかわこみねじょう)のことです。
幕末の戊辰戦争(ぼしんせんそう)における重要局面である「白河口の戦い」や「会津戦争」に関係してきます。
これは次回解説します。

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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