福岡県北九州市・門司港の観光・歴史を、わかりやすく解説してゆきます!
異国情緒あふれる貿易港しての歴史を、やさしく解説してゆきます!
はじめに 門司港・門司港駅の観光・地理・歴史
今回から全二回にわたり、門司港と、その玄関口である門司港駅の、観光・地理・歴史について学んでいきましょう。

門司港駅(福岡県北九州市門司区)
門司港は、かつて九州の近代化を支えた石炭輸送の一大拠点でした。
すなわち、関門海峡を挟んで本州と向かい合う、非常に重要な地理的位置にあります。
したがって、門司港レトロの美しい街並みだけでなく、当時の熱気あふれる歴史背景を知ることは、とても興味深いですよ!

筆者・門司港駅より(福岡県北九州市門司区)
そもそも、「門司港」とは?

門司港から眺める関門海峡と、向こう岸の下関(福岡県北九州市門司区)
門司港は、福岡県北九州市にある港町です。
すなわち、関門海峡を挟んで、本州の下関と向かい合う「九州の玄関口」として栄えてきたのでした。
関門海峡:本州と九州の間にある、とても狭い海峡のことです。
海峡とは、陸と陸に挟まれて、細長くなっている海の部分のことです。
関門海峡については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

下関:山口県の南端にある、関門海峡に面した港町です。
ふぐが有名です。
かつて馬関とも呼ばれた下関については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

国際貿易港・九州鉄道の起点としての門司港
また、門司港は
- 国際貿易港
- 九州鉄道の起点
として、それぞれ明治時代の日本の発展(近代化)を支えてきた歴史を持っています。
国際貿易港とは?
ちなみに国際貿易港とは、
- 外国の船が、港へ荷物を運び込んできて、
- そこからやり取り(商売・両替・検査など)を行う
ための大きな港のことです。
したがって、ここ・門司港には世界中の新しい文化やモノが集まってきたのでした。
九州鉄道とは?
また、九州鉄道とは、明治時代に九州において最初に作られた鉄道会社のことです!
すなわち、今のJR九州の鹿児島本線などの原型・基礎を築いた、とても歴史のある会社であるというわけです。
レトロ感あふれる門司港の歴史
九州鉄道の起点・門司港駅
門司港駅は、かつて九州鉄道の起点として、1891年(明治24年)に開設されました。
すなわち、この駅は九州全体の鉄道網のスタート地点であったというわけです。
したがって、九州の物流や人々の移動を支える、まさに大動脈の玄関口としての役割を果たしました。

門司港駅(福岡県北九州市門司区)
ネオ・ルネサンス様式の駅舎
現在の駅舎は、ネオ・ルネサンス様式の重厚な建物で、国の重要文化財に指定されています。その美しさは一見の価値がありますよ!
ネオ・ルネサンス様式:15〜16世紀のイタリアで栄えたルネサンス建築の要素を取り入れた、重厚で古典的な建築様式のことです。
重要文化財とは?
ちなみに重要文化財とは、日本にある建造物や美術品の中で、歴史的、芸術的に特に価値が高いとして、国(文部科学大臣)が指定したもののことです。(←説明がムズい!!)
重要文化財についてさらに詳しいことは、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

門司港にある「門司港駅」の駅舎も、国からその価値が認められて、重要文化財に指定されていますよ!
すなわち、重要文化財に指定されているということは、門司港駅は私たちが未来の世代にずっと伝えていかなければならない、日本の宝物だということですね。
「生きた駅」門司港駅
このように、門司港駅が重要文化財として、今でも現役の駅舎としてずっと使われ続けているスゴさは、すなわち
- 100年以上前の姿をそのまま残しつつ、今でも毎日電車が発着している
という点です。
すなわち、この駅は単なる歴史の「展示品」というわけではなく、いまでも
- 「生きた駅」
- 「100年前から現役の駅」
として呼吸し続けているのは、世界的に見ても非常に珍しく、素晴らしいことであるというわけですよ!
門司港レトロの名前の由来
現在の門司港は、レトロな建物が美しい「門司港レトロ」として整備されており、観光地としてとても人気があります。
そもそも「レトロ」とは?
レトロとは、英語の「Retrospective(レトロスペクティブ)」の略で、
- 「懐古的な」
- 「過去を振り返る」
というような意味合いがあります。
「レトロ」には、元の英語では「振り返る」という意味が含まれています。
ちなみに懐古的とは、昔のことをまるで懐かしく思い出すような、独特の雰囲気のことですね!
異国情緒あふれる門司港の歴史
当時の建物が多く残されている門司港
門司港の周辺には、明治時代から大正時代にかけて栄えた当時の建物が、数多く残されています。
すなわち門司港レトロは、こういった建物たちや街並みの全体が醸し出してくる、
- 「懐かしい雰囲気」
- 「港」
といった要素組み合わせて命名されたのでした。
したがって、門司港レトロは、
- 過去の栄華を、現代に伝える
という、魅力的な観光地としてのイメージにぴったりの名前であるというわけですね。
「ルネサンス建築」とは

門司港駅(福岡県北九州市門司区)
また、門司港駅にも使われているルネサンス建築とは、かつて15世紀初頭にイタリアで始まり、ヨーロッパ全土へと広まっていった建築様式のことです。
建築様式:建物の形やデザイン、または構造の特徴のことですね。
ルネサンス→回帰・再生
ちなみにルネサンスとは、14世紀から16世紀にかけてヨーロッパで起きた、文化や芸術の大きな再生運動のことです。
そして門司港駅の建物は、まさにこの時代のデザインをお手本にしたという、「ネオ・ルネサンス様式」というスタイルにて造られています!
ルネサンス:「再生」という意味。
すなわち、本来の人間中心の明るく美しい文化を「取り戻そう」とした動きのことです。
すなわち、古代ギリシャ・ローマの古典的な建築を規範とし、左右対称や調和、さらには均衡を重視したのが特徴です。
規範:行動や判断の基準となる手本のことです。
古代ギリシャ・ローマとは?
ちなみに古代ギリシャ・ローマとは、今から2000年以上前、ヨーロッパの文化の基礎を作った文明のことです。
ルネサンスのデザインは、この時代の柱や彫刻の美しさを理想としていたのですね。
したがって、門司港駅を眺めると、遠いヨーロッパの歴史の息吹を感じることができるのです!

門司港駅(福岡県北九州市門司区)
異国情緒あふれる門司港
門司港は、明治時代に開港されて以来、急速に発展しました。
したがって、多くの外国船が行き交いゆきかい、異国情緒あふれる港町として栄えました。
異国情緒とは、まるで外国にいるような、独特の雰囲気や味わいのことです。
門司港には海外の文化がいち早く入ってきたため、今でも歩いているだけで異国の風を感じることができますね!
この地には、当時の華やかな面影を残す、美しい洋風建築が多く残されています。
なぜ明治時代、洋風建築が珍しかったのか?
洋風建築が明治時代に珍しかった理由は、それまでの日本は木造の平屋が当たり前だったからでした。
しかし、レンガや石で造られた高い建物は、それまでの日本人がまるで見たこともなかったような、全くもって新しい技術だったからです。
したがって、当時の人たちは、キラキラ輝くような西洋のデザインに対しとても驚き、そして憧れたはずですよ!
門司港の開港の歴史
門司港が明治時代に開港した理由、それまでは開港していなかった理由
また、門司港は、明治時代に日本の近代化が進んでいく中で、国際貿易港として開港したのでした。
この当時に国際貿易港がとても重要だった理由は、まだ遅れを取っていた日本が世界に「追い付け追い越せ」と追いつくために、海外の進んだ技術や情報を手に入れるための「玄関口」が、どうしても必要だったからです。
そのためには、単なる港でなく、
- 円とドルなどを交換する施設(それに詳しい専門家も置かないといけない)
- 海外からヤバいものが入ってこないかを検査する「税関」
などの機能も港に備わっていないといけません。
つまり、外国との貿易は、日本人どうしの買い物と比べて特殊というわけですね。
すなわち、石炭を売って外貨を稼ぎ、新しい文明を輸入する場所として、国際貿易港は国の命綱のような存在でした!
外貨
そして、外貨を稼ぐメリットは、外国のお金(外貨)を手に入れることで、海外から最新の機械や武器、知識を買いやすくなることです。
したがって、日本を強く、豊かな国にするための「軍資金」を集められるのが最大のメリットでした!
すなわち、自分たちの資源を売って、新しい未来を買うためのステップだったのですね。
逆に、外貨が無かったらどうなるかというと、海外から最新の機械や技術を買うことができなくなります。
すなわち、日本の近代化が大きく遅れたはずですよ!
門司税関とは?
門司税関とは、
- 輸出入の許可を出す→海外から「ヤバいもの(つまり日本では違法とされてるもの)」を入れないようにする。また、日本から海外へ出してはいけないものも取り締まる。
- 関税を徴収する→安すぎる輸入品が入りすぎて、国産品が売れなくなるのを防ぐため。しかし当時の日本には関税を徴収する「関税自主権」がありませんでした。
などの重要なお仕事をするための、国の役所のことです。
関税:外国から輸入される荷物に対して、かけられる税金のことです。
「安すぎる輸入品に負けて、自国の製品が売れなくなる」ということを防ぐためにかけられます。
門司税関は、明治時代にはまさしく国際貿易としての拠点だった門司港にとって、税関は欠かせないまさに「街の門番」のような存在でした!
関税:外国から輸入される荷物に対してかけられる税金のことです。
門司の地において開港した、主な理由
そして、明治時代に門司港が海外に向けて開港された主な理由は、石炭などの輸出が増加したため(売ればたくさん利益が出る時代だった)、新たな貿易拠点が必要になったためです。
すなわち、門司港は
- 関門海峡という地の利
- 門司港駅は(先述の)九州鉄道の起点である
という、門司港ならではの(他の港には無かった)地理的な優位性があったからです。
地の利:その土地が持っている地理的な有利さや、好条件のことです。
江戸時代までは、長崎以外の港では貿易できなかった
それ以前は、江戸時代の鎖国政策の影響で、限られた港(例えば、長崎など)においてでしか、国際貿易が許されていませんでした。
したがって、門司港は貿易の重要性が高まっていた明治時代になってからようやく初めて、国際的な港として本格的に政府がお金をかけて整備されたというわけです。
海が深くて、大型の船が止めやすかったから
例えば、当時の近くの港(小倉など)は遠浅であり、遠くまでずっと浅い海が続くため、大きな船が入ってきたり止めたりできませんでした。
しかし、門司港は十分な水深(12m~14mほど)と海が深く、大型の貿易船が泊まるのには最適だったのですね!
したがって、この門司の地が、世界とやり取りする国際貿易港として選ばれました。
門司:入り組んだ地形であり、防御力が高かったから
関門海峡は、非常に道幅が狭く、しかも海が山に(守られるように)囲まれています。
したがって、敵の船が侵入してきても、山の上にある砲台から狙い撃ちしやすいという、まさに天然の要塞だったのですね!
砲台:大砲を設置して、敵を迎え撃つための軍事的な施設のこと。
すなわち、港を守ることがそのまま日本を守ることに直結していたのです。
門司:外国に乗っ取られてはいけない重要要衝だったから
また、もしここ(門司港)を外国などに占領されたら、瀬戸内海を通って大阪・東京方面へと通じる「海の道」を許してしまい、さらには完全に封鎖されてしまいます。
したがって、明治政府はここを「要塞地帯」に指定して、強く守ろうとしたわけです。
門司:下関とのセットで「挟み撃ち」をかけられる地理的な位置付け
さらには、門司と下関で海峡を挟み込むことで、まるで「巨大なゲート・バリヤー」のように海を閉じることができます。
すなわち、ここを日本いう国が自らしっかり管理・開港することが、日本の独立および発展していくための、最優先事項だったのですね!
国の予算を多くかけて整備された門司港
門司港を国際貿易港にするために、明治政府はかなりの(相当な)お金をかけました。
すなわち、政府は国の威信をかけて、莫大なお金とエネルギーを注ぎ込んだというわけです。
つまり当時の最新技術を使って、
- 大きな船が泊まれる、立派な岸壁
- 立派な建物
- 鉄道(九州鉄道)
を整備したのです。
したがって、門司港はあっという間に日本を代表する「国の顔」へと成長しました。
下関駅から門司港駅へのアクセス(門司駅で乗り換え)
下関駅から門司港駅へは、
- JR山陽本線と
- JR鹿児島本線
を乗り継いでアクセスできます。
鹿児島本線とは、門司港駅からはるか南の鹿児島駅までを結ぶ、九州を広く縦断するという主要な路線です。
したがって、まずは下関駅からJR山陽本線に乗り、門司駅を目指しましょう。

門司駅(旧・大里駅)(福岡県北九州市門司区)

門司駅(旧・大里駅)より(福岡県北九州市門司区)
まずは門司駅(※門司港駅とは異なり、門司港駅の西側の駅です)おいて、JR鹿児島本線に東(の門司港駅方面)へ乗り換えます。
ここで一回乗り換えが必要となってきますが、それでも関門海峡を渡るわたる旅は、とてもワクワクしますね!

門司駅(旧・大里駅)より(福岡県北九州市門司区)
今回はここまで 続きは次回
おわりに:門司港の国際貿易港や開港、そして異国情緒あふれる景色の歴史などを学んでみて、いかがだったでしょうか。
今回は長くなったため、続きは次回に解説します!
次回は、門司港の石炭輸送の歴史について語ってゆきます!!
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