只見線の観光・歴史について、わかりやすく解説してゆきます!
ダム建設にはじまる人々の激動の歴史をやさしく解説してゆきます!
今回は、只見線の話題

只見線・只見川の景色(福島県~新潟県)
今回は只見線が持つ、雄大な地理的背景や、さまざまな困難を乗り越えてきた感動的な歴史について、今回は深く掘り下げてみましょう!
只見線の魅力は、その風景だけでなく、この路線が地域にもたらした大きな影響についても、少しずつ知識を深めていきましょう!
只見線の基礎!
そもそも、「只見線」とは?

只見線・只見川の景色(福島県~新潟県)
只見線は、
- 福島県の会津若松駅
- 新潟県の小出駅
をそれぞれ結ぶ鉄道路線です。
起点・会津若松駅(福島県会津若松市)
会津若松駅は、福島県側にある、只見線の始発駅となる駅です。
この駅がある会津若松市は、鶴ヶ城(会津若松城)への玄関口でもあります。
鶴ヶ城:幕末の歴史で有名な、福島県会津若松市にあるお城のことです。
終点・小出駅(新潟県魚沼市)
一方の小出駅とは、新潟県にある只見線の終着駅です。
この小出駅は、上越線への乗り換え地点ともなっています。
上越線:群馬県と新潟県をそれぞれ結ぶ鉄道路線のことです。
上越線・小出駅については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

只見川の「美しい景色」

只見線・只見川の景色(福島県~新潟県)
この只見線の沿線は、只見川の美しい流れに沿っており、四季折々の豊かな自然景観が魅力です。
四季折々:春でいう桜、夏でいう緑、秋でいう紅葉、そして冬の雪。すなわち、春夏秋冬それぞれの季節のことです。
季節ごとに表情を変える絶景は、何度訪れても新しい発見があるわけです!
只見川とは、線路に沿って流れる、エメラルドグリーンの美しい川です。

只見線・只見川の景色(福島県)
第一只見川橋梁とは
第一只見川橋梁とは、川の上に架かる巨大なアーチ状の鉄橋で、世界中の鉄道ファンが憧れる絶景スポットです。
四季折々の景色に溶け込むその姿は、あまりに美しくて、ずっと眺めていたくなりますね!
冬場は深い雪に覆われる、只見線の苦労とは
只見線は、路線の大部分が豪雪地帯に含まれる地域を通っています。
そのため、冬場にはとても深い雪に覆われることになります。
日本有数の豪雪地帯を走るため、除雪作業や凍結対策には並々ならぬ努力が必要となってくるわけです。
そのため、雪に負けず列車を走らせようとする鉄道作業員の皆さんの熱い思いには、本当に頭が下がりますね!
豪雪地帯:冬の間に、非常にたくさんの雪が降り積もる地域のこと。
このため、只見線は、日本の山間部の雄大で厳しい、しかし美しい自然を肌で感じられる、特別なルートになっていますね!
只見線の豪雨・災害との戦い
只見線は豪雨に弱い?
また、山奥深くを通る只見線は、これまでもしばしば土砂災害による運休を繰り返してきました。
只見線は、線路が険しい山奥の川のすぐそばを走っているため、大雨でひとたび川が氾濫すると、橋が流されてしまうなどの大きな被害を受けやすいのです。
このように、只見線には絶景と隣り合わせの厳しさがありますが、それこそが自然と共に生きる只見線ならではの強さかもしれませんね。
2011年の新潟・福島豪雨の影響
また、2011年の新潟・福島豪雨の影響による猛烈な雨により3つの大きな鉄橋が流され、会津川口から只見の間が11年もの間、通れなくなってしまいました。
一時は廃線の危機もありましたが、地元の方々の熱い思いと努力により、2022年に全線復旧することとなりました。
このように、地元の熱意と多くの支援の結果、2022年に全線の運転が再開されたのは、本当に素晴らしい出来事でした。
只見線とダム建設の歴史
そもそも、只見線は何のために作られた?

只見線・只見川の景色(福島県~新潟県)
只見線の建設目的は、主に二つありました!
戦後の電力不足に対応するための「ダム建設」のため
一つは、電源開発のためです。当時は、戦後にかけて人口増加していくに伴い、それぞれの家や工場などに送る電気が次第に足りなくなり、電力不足に陥っていました。
そのため、水力発電所が多く建設されました。
このように、水力発電所を建設していくための資材や、完成後のダムのメンテナンスなどのために必要な人を運ぶためなルートとして、只見線は大変重要な役割を果たしました。
地元の活性化のため
もう一つは、沿線地域の産業と生活の発展です。
会津地方と越後地方を結び、物資や人の交流を促進することで、地域経済の活性化を目指しました。
豪雪地帯にあるこれらの地域にとって、年間を通じて安定した交通手段を確保することは、生活基盤を固める上で不可欠だったわけです。
ダムによってもたらされる「水力発電」とは?
戦後の電力不足と停電
戦後の日本は復興・発展に伴って人口増加すすんでゆき、多くの工場や家庭で使う電気が全く足りなくなってゆき、電力不足に陥っていました。
これにより、東北地方でも毎日のように停電が起きていました。
停電:発電所の故障や電気の使いすぎ・電力不足などにより、電気が止まってしまうこと。
こうした不便な思いをしていた当時の人々にとって、安定した電気はまさに「希望の光」だったのですね!
国の予算とダム建設
こうした電力不足を解消するための一大プロジェクトであった「電源開発」は、とにかく当時の国の最優先事項でした。
電源開発:電気をたくさん作るために、新しい発電所やダムなどの設備を建設していくことです。
そして、この電源開発のために、只見川のダム建設には莫大な予算が投入されました。
この膨大な予算があったからこそ、このような険しい山奥に対して巨大なダムをいくつも作ることができ、また(後述するように)作業員の皆さんに大きな給料を払えたのは、本当にすごい国による決断力ですね!
ダム建設は基本的に危ない作業であったため、作業員に支払われる給料はとても高かったのでした。
ダムが水力発電に使われる理由
水力発電は、高い場所から落ちる水の勢いを利用して、電気を作る仕組みです。
ダムが水力発電に使われる理由は、水をせき止めて「高い壁」を作ることで水をため、高い位置から勢いよく水を落とし、「位置エネルギー」を発生させるためです。
そして、高いところにある水が持つ「位置エネルギー」を、落下する勢いで「電気」に変えるのが水力発電です。
水力発電とは?については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

水力発電のメリット
水力発電のメリットは、なんといっても
- 二酸化炭素を出さないこと
- 水という、無限のエネルギーを使用していること
にあります!
特に火力発電がまだ一般的ではなかった戦前~戦後10年くらいの時期には、この水力発電はとても重宝されました。
水力発電のデメリット:膨大なコストと、できる場所が制限されていること
そして、ダムを作るには莫大な費用がかかる上に、危険な作業もたくさん伴います。
その上、ダム建設に適したV字峡谷などはどこにでも存在するわけではないため、条件に合う場所はごくわずかであるというデメリットがあります。
V字峡谷:川の激しい流れによって山が深く削られ、まるでアルファベットの「V」の字のように深くなった谷のことです。
水力発電のメリット・デメリットについては、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

ダムの資材輸送(鉄道の役割)
また、戦後すぐの当時は今のように道路や大型トラックが一般的ではなかったため、ダム建設に必要な資材である「重いセメント」や「鉄筋」などを運べるのは鉄道だけでした。
すなわち、鉄道がなければダムは完成しなかったと言われるほど、重要だったわけです。
只見線と飯田線の共通点
また、只見線と飯田線は、どちらも「ダム建設の資材を運ぶため」に線路が整備されていったという、非常によく似た歴史を持っています。
飯田線:愛知県・静岡県・長野県にまたがって走る、非常に険しい山道と、ダム湖が美しい鉄道路線です。
飯田線とは?については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

すなわち、発電という大きな目的のために生まれた、まるで似た系統の路線だと思うと(どちらも「秘境路線」として人気があります)、鉄道への愛着がさらに深まりますね!
只見線の建設経緯
かつて東側・西側からそれぞれ順に作られていった路線

只見町の景色(福島県南会津郡只見町)
只見線の歴史は、大正時代末期から始まります。
まずは会津若松側と小出側から、段階的に建設が進められました。
当初の目的は、先述の通りダムによる電源開発と地域開発でした。
只見線ははじめから全線があったわけではなかった?
大正時代には既に建設が始まりまったものの、戦争やダム建設の関係により、少しずつしか線路が伸びてゆきませんでした。
ようやく全ての線路が一本につながったのは戦後の1971年のことであり、本当に長い道のりだったのですね!
全線:その路線の、始まりの駅から終わりの駅までのすべての区間のこと。
只見線は両端から建設していった?
このように只見線は、はじめから一度に建設していかれたわけではなく、あくまで両端から順番に建設してゆきました。すなわち、
- 福島県側の「会津若松」(=東側)
- 新潟県側の「小出」(=西側)
の両方から、真ん中に向かって線路を敷いていきました。
お互いの場所から少しずつ近づいていく様子は、まるで壮大なパズルのようでワクワクしますね!
難所多し・戦時中の工事中断 全線開通は戦後の1971年
しかし、途中の工事は難所が多く、特に
- 只見から大白川
の間は、戦時中の中断もあって、完成までに長い年月を要しました。
ついに全線がめでたく開通したのは、1971年(昭和46年)のことです!
最後に合体した(1つの線路として完成した)地点は?
そして、新潟県と福島県の境目にある「只見駅」と「大白川駅」の間が、最後に開通した区間です。
険しい山々を執念のトンネル工事によって突き抜け、ついには二つの県が結ばれたという瞬間は、きっと大きな感動があったのでしょうね!
ちなみに大白川駅とは新潟県にある、いわゆる山深き「六十里越」ともいうべき険しい峠道の入口に位置する駅です。
六十里越:新潟県と福島県の境にある、非常に険しく急な峠道のことをいいます。
ダム建設における鉄道の重要な駅
田子倉(たごくら)駅とは?
田子倉駅は、かつてダム湖のすぐ脇にあった、民家が一つもない「日本屈指の秘境駅」として有名でした。
2013年に廃止されましたが、今もトンネルの中にホームの跡が残り、当時の面影に胸が熱くなりますね!
秘境駅:周りに民家や道路がほとんどなく、たどり着くのが非常に難しい駅のことをいいます。
田子倉ダムに沈んだ、村々の歴史
そして、ダム建設により、それまで存在していた約50戸ほどの「田子倉集落」が、(彼らが住み慣れた)家も畑も全て「湖の底」へと沈んでいきました。
水没:ダムの完成によって、家や土地が完全に水の下に隠れてしまうことです
当初は(長年にわたりこの土地に誇りを持ってきた)地域住民からの猛反対にあい、なかなか住民の理解を得ることはできませんでした。
しかし当時の福島県知事らによる熱心な説得や、十分な補償金を出して元の生活をきちんと補償するという「田子倉方式」により、住民はそれまでの誇りある地元を離れ、晴れてダム建設・鉄道建設ができるようになったのでした。
このように、今の便利な暮らしがあるのは、故郷を離れるという苦渋の決断をした人々の犠牲があったからこそであり、感謝を忘れてはいけないというわかですね。
只見線の美しい景色の中には、自然の猛威や人々の尊い決断が刻まれているというわけです。
只見町とはどんな町?
路線のちょうど真ん中に位置する、只見町

只見線・只見駅(福島県南会津郡只見町)
只見町は、只見線のちょうど中ほどに位置する、福島県の西部にある自然豊かな町です。
只見川が流れる雄大な自然景観が特徴で、なんと町の面積の約9割が森林に覆われており、日本有数の豪雪地帯としても知られています。
危険なダム労働により高給を稼いだ人たちで、非常に潤った町
命がけで働くダム労働者たちは、現在の価値で言えば驚くほどの高給を得て、町に大金をもたらしました。
そこにはまるで本当に静かだった山あいの町に、突然「ゴールドラッシュ」が訪れたような、物すごい活気だったのでしょうね!
ゴールドラッシュ:新しく金鉱が見つかったような場所に、一攫千金を狙う人が殺到して町が急速に発展することです。
宿舎・住宅・お店なども多く、非常に賑わった
数千人規模の作業員が住むための巨大な宿舎が立ち並び、町はまるで新しい都市のように膨れ上がりました。
商店や食堂も次々と建ち、生活に必要なものが何でも揃ているかのような「ダム城下町」として、驚くほど発展したのですね!
城下町:お城を中心に発達した町のこと。ここではダムを中心に栄えた町を例えています。
豪快な遊びによってもたらされた、町への多大な利益
そして、「宵越しの金は持たない」という威勢の良い労働者たちが、お酒や娯楽に、惜しみなくお金を使いました。
夜遅くまで明かりが消えないような賑やかな店には、莫大な利益がもたらされ、町全体が空前の好景気に包まれていたのですね!
宵越しの金は持たない:その日に稼いだお金はその日のうちに使い切るという、まるで江戸っ子のような気風のことです。
すなわち、当時の只見町は、まるで今の静かな美しさからは想像もつかないほど、朝までずっと灯りがついててワイワイ盛り上がってるような、エネルギーと活気に満ちあふれていたのですね。
ダムに関するお仕事は、只見町の人々に雇用をもたらした?
このように、ダム建設をはじめとする只見川流域の電源開発は、只見町の人々に対して、非常に大きな雇用をもたらしました。
ダムの建設工事が最も盛りあがっていた時期には、町には多くの労働者が移住してきて、町は大変にぎやかになることになりました。
そして建設そのものに携わる仕事はもちろんのこと、彼らの生活を支える宿泊施設や飲食店など、(ダムとは直接の関係はない)関連する産業においても求人が増加しました。
したがって、ダム建設は地域経済の活性化もたらしたといえるわけです。
ダムが出来たおかげで、その水と電気は、誰にどんな影響を与えた?
こうして只見川のダムが作った電気は、主に首都圏や東北地方のといった都市部に送られ、産業や人々の生活に対して多大な影響を与えることとなりました。
つまりここで発電された電気は、工場に対して安定した(決して停電・停止することのない)電力を供給していくことになったわけです。
また、電気の普及は一般の家庭においてはテレビや冷蔵庫などの家電製品の普及を可能にしてゆき、生活を豊かに変化させていったわけです。
いずれも、もし電気が不足していたら使えないものばかりですからね。
一方ダムの水は、こうした発電以外にも、只見川の下流における洪水・氾濫をコントロールするという治水の役割も担い、地域住民の安全を守るという側面もありました。
治水:川の氾濫を防いだり、洪水が起こらないようにしたりすることです。
したがって、只見線によってもたらされたダムの存在は経済の発展と、地元の安全にも貢献したと言えるわけです。
おわりに・まとめ
さて、只見線の地理と歴史を学んでみて、いかがだったでしょうか。
豪雪という困難な環境の中、電源開発という使命を背負って建設されたこの路線の重みが、心に響いたのではないでしょうか。
もし次回只見線の観光をされるときは、より違った視点や思いから、この景色が映ることとなれば嬉しい限りです!
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