佐賀県を走る唐津線について、その松浦川と辿った歴史や、かつて石炭で栄えた歴史などを、初心者の方にもわかりやすく解説してゆきます!
はじめに:今回は、唐津線の旅へ
今回は、いよいよ唐津線を巡る、素敵な旅の始まりです!
佐賀県の内陸部から唐津の海まで、この路線は歴史と自然に満ちています。
すなわち、この路線は、かつての石炭輸送という日本の近代化を支えた重要な役割を担っていました。
したがって、今回は唐津線の地理や歴史を深く掘り下げながら、その魅力をじっくりと学んでゆきましょう!
唐津線の概要と所在地
唐津線は、佐賀県にあるJR九州の路線です。
すなわち、九州地方を走っている路線の一つですね!
この路線は、
- 久保田駅(佐賀県佐賀市)
- 西唐津駅(佐賀県唐津市)
をそれぞれ結んでいます。
唐津線の建設目的と歴史
唐津線は、かつて主に石炭の輸送を目的として建設されました。
当時の佐賀県西部、特に唐津の周辺には石炭がまるで「宝の山」のように掘れる炭鉱が多数あり、これらを売ればめっちゃ儲かる(どこの工場も高い値段で買ってくれる)のでした。
石炭は燃料として、当時どこの工場も欲しがっていました。
そのため、そこで採れた石炭を、港や他の路線へ運ぶ必要があったのです。
もちろん初めから全ての線路が一度に出来たわけではなく、最初に一部の区間のみがようやく開業したのは1898年(明治31年)のことです。
その後、唐津線は路線がどんどん延ばされてゆき、唐津地方の産業を支える重要な役割を果たしました。
したがって、この路線は地域の経済発展と深く結びついています。
炭鉱が閉山した後は、主に通勤・通学の生活路線として活躍しています。
なぜここに石炭があったのか?
まずここには、太古のジャングルがあったという点です。
数千万年前、このあたりは湿地帯であり、たくさんの木々が生い茂っていました。
次に、地層の積み重なりという事象が起きました。
すなわち、その木々が倒れて地中に埋まり、熱や圧力を受けることで「石炭」に変わったのです。
また、専門用語で言うと、相知層群という石炭を含む地層がこの地域に広く分布していました。
相知層群とは: 佐賀県北部から長崎県にかけて広がる、約4,000万年前から3,000万年前にできた地層のことです。
この地層の中に、良質な石炭が何層も挟まっています。
唐津線の車窓風景の魅力
唐津線の車窓からは、佐賀ののどかな風景が広がります。
特に、沿線には田園地帯が多く、季節の移り変わりを感じられる、心安らぐ景色
が魅力です。
沿線:鉄道や道路に沿った場所のことです。
例えば駅の近くは便利なので、お店や家がたくさん集まって賑わいやすくなります。
また、唐津の近くでは、松浦川の雄大な流れを見ることができます。
松浦川:佐賀県を流れる大きな川で、鉄道ができる前は石炭を運ぶためのメインルートとして大活躍していました。
すなわち、この唐津線はまるで自然と歴史の両方を楽しめるような、魅力的な路線と言えますね!
のんびりとした列車に揺られながら、旅情を味わうのは、きっと素敵な体験になりますよ。
唐津線と日本の近代化
明治時代の日本では、動力源の主流はなんといっても石炭でした。
ちなみに、石炭が明治時代に必須だった理由は、例えば蒸気機関車や工場の機械を動かすための「エネルギーの源」として、国の発展には欠かせなかったからです。
蒸気機関車については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

松浦川と唐津線の密接な関係
松浦川は、唐津線のルートを決定づけた、重要な存在です。
なぜなら、唐津線が運んだ石炭の積み出し港が、この松浦川の河口付近にあったからです。
積み出し港:(鉄道などで運んでした)石炭や荷物を船に載せて、他の場所・全国各地へと送り出すための港です。
すなわち、たくさんの石炭などを載せた鉄道が向かう先は、川の流れる先にある港でした。
鉄道ができる以前、水運が主流だった理由
また、鉄道以前は水運が主流だった理由は、まだ貨物列車やトラックも無いような時代、一度に大量の重い荷物を運ぶためには、船に載せて川を下るのが最も効率的で楽だったからです。
このように唐津線は、はじめは松浦川の流れに沿うように敷設されてゆき、地域産業の大動脈として、その歴史を深く共有してきました。
敷設:ここでは、シンプルに線路を引いていくことです。
大きな予算と月日をかけて進める大事業です!
松浦川が持つ歴史的な価値
松浦川は、佐賀県を流れる、歴史の深い川として知られています。
古くから水運に利用され、唐津地方の人々の生活や物流を支えてきました。
したがって、鉄道がなかった時代から、重要な交通ルートとして活躍していたのです。
また、河口にある唐津港は、古くから大陸方面との交易の玄関口としても、重要な役割を担ってきました。
交易:自分たちの持っている物と、相手の持っている物を交換することです。
これによって、自分たちの町では入手できないものが入手できます。
その代わり、お金または相手の町にない商品を提供する必要があります。
すなわち、松浦川の歴史は、唐津という街の発展の歴史そのものと言っても良いですね。
鉄道(唐津線)と水運の競合、そして結末
また、唐津線のような鉄道ができると、松浦川の舟運と激しい競争が起こりました。
なぜ舟で働く人々が、鉄道に反対したのか?
舟運が鉄道に反対した理由は、もし鉄道ができてしまうと、自分たちの船の仕事が奪われてしまう恐れがあったため、生活を守るために強く抵抗したのです。
鉄道は舟に比べて、より大量の物資を、より速く・より正確に運ぶことができます。
すなわち、特に石炭のような重い荷物の輸送においては、従来の舟よりも鉄道の利便性の方が圧倒的優位でした。
したがって、松浦線の舟運は徐々に衰退し、最終的には、唐津線が主要な輸送手段としての地位を確立しました。
これは、時代の流れとともに、交通の主役が移り変わった歴史であるとも言えるでしょう。
トラック輸送の普及により、やがて貨物列車も衰退へ
しかし、その貨物列車も、やがてトラックに置き換えられ、衰退していくこととなりました。
戦後、高度経済成長期になると自動車がどんどん普及してゆき、道路が整備されていくと、人々はより便利な自動車を利用するようになってゆきます。
すなわち、目的地まで小回りが利いて直接荷物を運べるトラックが主流になってゆき、やがては貨物列車も(かつての舟運と同様に)衰退していったのでした。
したがった、今後はもし大量の荷物を運べる「巨大などこでもドア」でも出来ない限り、高速トラック輸送の時代はほぼ永久的に続くことでしょう。
独特な駅名「鬼塚駅」の由来 (唐津線の旅)
唐津線の途中にある鬼塚駅(佐賀県唐津市)は、やや印象に残るかのような、独特な駅名ですよね!
その名の由来には、興味深い伝説が残されているようです。
駅名の由来は、かつてこの地に偉大な教師ではなく、鬼のような恐ろしい人物がいて、とある英雄が鬼を倒し、この地に葬ったという伝承から来ているそうです(諸説あり)。
したがって、駅名「鬼塚」は、伝説と歴史が混ざり合っているわけですね!
わかる人にだけわかってほしい「関連駅」
- 反町駅(神奈川県横浜市神奈川区上反町):「そりまち」ではなく、「たんまち」です。
- 松島駅(宮城県宮城郡松島町):日本三景・松島のある町への駅です。「松嶋」とは少し字が違います。
以上、全然関係ないネタかもしれませんが、
にさせてください(このネタわかる人います?)
分岐点として重要な山本駅 (唐津線の旅)
唐津線の山本駅(佐賀県唐津市)は、交通の要衝となる非常に重要な分岐点です。
この駅で、列車は
- 久保田・佐賀方面へと向かう唐津線
- 伊万里方面へと向かう筑肥線
に分かれます。
伊万里:かつて有田焼などを全国各地へ輸出するための港町として栄えた場所です。
また、ここからたくさんの美しい陶磁器が、海を渡ってゆきました。
すなわち、有田焼などで有名な伊万里に行くためには、この山本駅を経由する必要があります。
有田焼:佐賀県の有田町で作られる、日本を代表する磁器のことです。
華やかで丈夫な器は、世界中の人々を魅了し続けています!
このように、唐津線はかつては石炭輸送の要かなめでもあったため、山本駅は昔から佐賀県の鉄道ネットワークにおいて不可欠な、まさに中核のような役割を果たしてきた、歴史的な駅と言えますね!
炭鉱の歴史と深く関わる多久駅
唐津線の多久駅(佐賀県多久市)の周辺には、かつて大規模な炭鉱が多数ありました。
したがって、多久市は石炭産業で非常に栄えた街として知られています。
危険ゆえに高給 豪快な男たちで賑わった街
当時の炭鉱での労働は、危険であるがゆえに、とても高給だったのでした。
すなわち、ガス爆発や落盤などの危険な作業と常に隣り合わせのような過酷な仕事だったため、そこで働く彼らのお給料は、他の仕事よりもずっと高かったそうです。
そのため、多久駅の周辺では、かつて石炭産業の現場でバリバリ働いていた筋肉モリモリの男性たちが、豪快に遊んで盛り上がっていたのでした。
近くには映画館や商店街があり、仕事終わりの(たくさんの高給を持った)働き盛りの男性たちが、豪快にお金を使って賑わっていたのでした!
かつてエネルギッシュな男性たちで盛り上がった、炭鉱の街
当時の多久駅周辺は、夜も明るくて本当に賑やかだったみたいですよ。
まるで「一寸先は闇(つまり、一歩間違えたら大惨事)」というような厳しい環境で働いていたからこそ、彼らはパーッと金を使って遊んで、明日への活力を蓄えていたのかもしれませんね。
そんなエネルギーに満ちた時代を想像すると、なんだかこちらまで元気が湧いてきます!
したがって、今の静かな多久の街並みも、実はその熱い時代の上に成り立っている大切な歴史の一部というわけですね。
今も歴史的遺構が残る街
このように、この多久周辺は、唐津線が建設された最大の目的と深く結びついたかのような、歴史的なスポットとなっているのです。
そして、多久駅の周辺には、これらの炭鉱が全盛期だった頃の名残を感じさせる、歴史的な建物や遺構が今も残っています。
そこはまさに当時の活気や、人々のワイワイバリバリ働いて夜は遊びに熱中していたという経済の営みに思いを馳せられるかのような、興味深い場所になっているものと思われます。
炭鉱衰退と、多久市の人口への影響は
しかし、石炭産業が時代とともに衰退してしまうと、多久市の人口は大きく減少してしまいました。
石炭が衰退した原因:1960年代ころから石油という新しいエネルギーが出てきて(エネルギー革命)、石炭が売れなくなってしまったからです。
すなわち、こうして炭鉱が閉山するようになったことで、そこで働いていた多くの人々が職を失ってしまうこととなり、市外へと移り住んでいったのでした。
炭鉱で働いていた人々はその後どうなった?
また、炭鉱衰退後のみんなの再就職先としては、まず多くの人は工場や土木関係などがメインであり、または新しい産業を誘致した企業などで働き始めました。
このように、かつて石炭景気で活気あふれていた街も、時代の変化とともに大きな影響を受けました。
現代でも、AIによって代替されてしまった仕事は、新しいスキルを学び直す(リスキリングする)ことで、新たな職種へと転職する必要に迫られているわけです。
したがって、産業の衰退は、地域の経済
だけでなく、人々の生活にも大きな変化をもたらしたきた歴史があるのです。
窓の横にそびえる天山(てんざん) (唐津線の旅)

天山(唐津線の車窓より)(佐賀県)
天山は、佐賀県の中央部にそびえる、標高1,046メートルの美しい山です。
佐賀県のシンボル的な山
唐津線に乗っていると、その雄大な姿を車窓から眺めることができます。
すなわち、佐賀県のシンボル的な山として、多くの人から親しまれています。
また、天山は古くから信仰の山としても知られ、山頂からは佐賀平野や有明海まで見渡せるような絶景が広がっているといいます。
したがって、天山は地元の自然や景色を象徴するかのような、大切な存在であったと言えますね!
天山と山岳信仰
また、天山のような高く雄々しい山は、昔から神様が宿る、神聖な山として信じられていました。
すなわち、雲が湧き、まるで自然の力を感じさせるかのようなその大きな山は、人々からの畏敬の念を集めるかのような、もはや「山そのものが神様」と信じられるような対象だったというわけです。
この信仰を山岳信仰と言います。
この天山にも神社が建立され信仰のための場となり、さらには昔からここは修行の場としても重要視されてきました。
今でも多くの人が天山を訪れており、人々はみなその壮大な力を感じていますね!
小城市(おぎし) (唐津線の旅)
佐賀県小城市は、唐津線沿の沿線にある街です。
佐賀藩の支藩・小城藩
この地域は、江戸時代に佐賀藩の支藩であった小城藩の城下町として栄えてきました。
城下町:お城を中心に作られた町です。
そのため、人が集まってきやすく、商売や文化がとても発展しやすくなるという利点があります。
すなわち、ここには歴史的な武家屋敷や文化財が今も多く残されています。
小城市の名物「小城羊羹」
また、小城市は特に小城羊羹という銘菓でも、全国的に有名ですね。
銘菓:その土地で古くから愛されている、特別な名前がついた立派なお菓子のことです。
お土産の定番ですね!
ここは豊かな水と自然に恵まれ、まるで昔ながらの情緒までをも感じられるような、そんな魅力的な街であるというわけです!
小城藩と鍋島氏の関係
小城藩は、佐賀藩の支藩でした。
支藩とは、大きな藩(本藩。ここでは佐賀藩)から領地を分けてもらった小さな藩のことです。
そして、この二つの藩を治めていたのは鍋島氏となります。
鍋島氏とは、江戸時代に佐賀を治めていた、エラいお殿様の一族のことです。
すなわち、佐賀藩の初代藩主である鍋島勝茂の子孫が、小城藩主となった歴史があるというわけです。
したがって、小城藩は本家の佐賀藩とは密接な関係にありました。
そして小城藩は、メインの佐賀藩と同じく鍋島家の一族が代々にわたって治めてゆき、その上で佐賀藩を支える役割を果たしたという、まさに重要な藩であったと言えます。
唐津線の旅の終わり
久保田駅(佐賀市)と、長崎本線への合流
唐津線の旅も終盤を迎えると、やがて
- 久保田駅(佐賀県佐賀市)
到着します。
この駅は、唐津線が長崎本線という主要な幹線と合流する地点です。
すなわち、ここからは佐賀や長崎方面への大動脈に乗り換えることができます。
佐賀駅または佐世保方面へ
また、久保田駅で長崎本線へと合流した列車は、やがて県都である
- 佐賀駅(佐賀県佐賀市)
へと進んでいきます。
したがって久保田駅は、唐津線が佐賀県の中心部へとつながってゆく、大切な玄関口であるというわけです!
また、西へ進めば、長崎県の佐世保・長崎方面へ向かってゆくわけですね。
おわりに・まとめ(唐津線の旅)
唐津線の旅・地理そして歴史を学んでみていかがだったでしょうか。
炭鉱と舟運の激しい歴史や、天山や松浦川といった豊かな自然を感じていただけたなら嬉しい限りです。
すなわち、この路線は佐賀県の重要な歴史そのものを、今に伝える貴重な存在
ですね。
したがって、次に唐津線に乗る機会があれば、きっと車窓の景色がより特別なものに見えてくることでしょう。
この知識が、あなたの旅をさらに深めるきっかけとなれば嬉しい限りです!
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