鉄道唱歌 北陸編 第48番 佐渡(真野)に残る、順徳天皇の歴史の跡 今や松風が吹くのみ

鉄道唱歌 北陸編の歌詞を、わかりやすく解説してゆきます!
佐渡・順徳天皇の歴史などを、初心者でも楽しめるよう解説してゆきます!

↓まずは原文から!

佐渡さどには眞野まのやまふかく
順徳院じゅんとくいん御陵ごりょうあり
まつふくかぜにしみて
たもとしぼらぬひともなし

さらに読みやすく!

佐渡さどには真野まのの やまふかく
順徳院じゅんとくいんの 御陵ごりょうあり
まつふくかぜは にしみて
たもとしぼらぬ ひともなし

さあ、歌ってみよう!

♪さどにはまーのの やまふかくー
♪じゅんとくいんの ごりょうあり
♪まつふくかーぜは みにしみてー
♪たーもとしぼらぬ ひともなしー
(佐渡汽船)
新潟港→両津港

※新潟港から佐渡島(両津港)へは、船での移動

かつて順徳天皇が流されてきた、佐渡島

佐渡の海(相川地区より)(新潟県佐渡市)

佐渡の海(相川地区より)(新潟県佐渡市)

佐渡島さどがしまはかつて、承久じょうきゅうの乱で敗れた、順徳天皇じゅんとくてんのうが流されてきた場所でもあります。

鎌倉幕府から、政権を取り戻そうと戦った「承久の乱」

承久じょうきゅうの乱とは、鎌倉時代の1221年に起こった、朝廷が鎌倉幕府から政権を奪い返そうとして起こった戦いのことです。


源頼朝が1192年(現代では1185年と教えられているようです)に開いた鎌倉幕府は、初めての武家政権でありました。
詳しくは、こちらの記事(当サイト)でも解説していますので、ご覧ください。

これは逆に言えば、天皇をはじめとする公家(くげ)や朝廷から政権を奪ったことにもなります。


これを不服とする朝廷の後鳥羽上皇ごとばじょうこうは、鎌倉に対して兵を挙げて攻撃します。

この時の鎌倉の執権しっけんが、あのドラマ「鎌倉殿の13人」でお馴染みの北条義時ほうじょうよしときです。

執権しっけんとは、将軍に代わって政治を行う代役のようなものです。
しかし、鎌倉時代は徐々に将軍よりも「執権」の方が権力が大きくなってゆき、またその職は北条氏によって独占されてゆきました。

鎌倉幕府の団結力 上皇の軍を破り、承久の乱に勝利

この時の鎌倉の武士たちは、朝廷という天皇が率いる軍を敵にすることに、かなりを恐れて慌てふためいていました。
それに対して、頼朝よりともの妻であった北条政子まさこがうまくまとめます。

北条政子のリーダーシップと説得力のある言葉によって鎌倉軍は一致団結し、迫り来る後鳥羽上皇の軍に対して見事勝利します。
ここに鎌倉幕府は、承久の乱に勝利しました。

承久の乱に勝利した鎌倉幕府の武士たちは、西国さいごくつまり西日本に元々あった天皇や公家の土地をどんどん獲得して、一時的にお金持ちなったのでした。

後鳥羽上皇は隠岐島に、順徳天皇は佐渡島に、それぞれ配流へ

しかし、敗れた後鳥羽上皇は残念ながら島根県の隠岐おきの島に流されてしまいました。

後鳥羽上皇の息子の順徳天皇も、佐渡に流されてしまいました。


順徳天皇は、佐渡において、現在の佐渡市泉(※)にあたる場所に「黒木御所くろきごしょ」を構え、約22年間をそこで過ごしました。

※黒木御所の位置は、前回解説した、佐渡島西部にあたる佐和田さわだ地域の、やや北あたりの地域です。


黒木御所くろきごしょは、佐渡島に配流された順徳天皇が、亡くなるまでの22年間を過ごした場所として知られています。
御所ごしょとは、天皇がお住まいになる場所のことを言います。

黒木(ほとんど何も施されていない木材のことだそうです)で作られた御所であることから、この名前が付けられたのでした。

それは木材としてのていしていないようなテキトーな木材で建てられた、なんとも粗末な御所であったと言われています。
それは、京都の御所での暮らしとは比べ物にならないほど、惨めな生活だったことでしょう。

順徳天皇は和歌を愛好していたため、普段は和歌を詠むなどして過ごしていたといいます。


順徳天皇は、結局京都に戻ることはできず、佐渡にて46歳でその生涯を閉じたと言われています。

このようにして、佐渡の真野まの地域には、順徳天皇をまつるための真野神社まのじんじゃが存在します。


御陵ごりょうとは、つまり天皇の墓のことです。

歌詞の意味としては、今や

松風が、今やのどかに吹いてるだけ

などという、ちょっと切ない意味になります。

そして「たもとをしぼる」とは、「涙を流す」という意味になります。
 
「涙を流ない人もいない」、つまり順徳天皇の天皇のことを思うと

ついみんな、涙を流してしまう

などのような意味になるでしょう。

佐渡の海(相川地区より)(新潟県佐渡市)

佐渡の海(相川地区より)(新潟県佐渡市)

佐渡の海(相川地区より)(新潟県佐渡市)

佐渡の海(相川地区より)(新潟県佐渡市)

佐渡の観光を終えたら、直江津または新潟へ

佐渡の観光を終えたら、直江津なおえつまで戻ります。

直江津へと戻る道順については、

  • 鉄道唱歌の旅のように、佐渡島の南端にある小木港おぎこうまでゆく
  • オーソドックスに両津港りょうつこうまでバスで戻り、新潟港まで戻ってから、鉄道などで直江津に向かう

などの方法があります。

直江津に戻る詳細は、次回扱います!

ちゅうい!おわりに

この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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