鉄道唱歌 奥州・磐城編 第21番 安達太良山の麓をゆく 安達ヶ原の黒塚を探訪

鉄道唱歌 奥州・磐城編の歌詞を、わかりやすく解説してゆきます!
本宮・二本松の地理・歴史などについて、やさしく解説してゆきます!

↓まずは原文から!

日和田ひわだ本宮もとみや二本松にほんまつ
安達あだちはら黒塚くろづか
見にゆく人は下車げしゃせよと
案内記あんないきにもしるしたり

さらに読みやすく!

日和田ひわだ本宮もとみや 二本松にほんまつ
安達あだちはらの 黒塚くろづか
見にゆく人は 下車げしゃせよと
案内記あんないきにも しるしたり

さあ、歌ってみよう!

♪ひーわだもとみや にほんまつー
♪あーだちがはらの くろづかをー
♪みにゆくひーとは げしゃせよと
♪あんないきにもー しるしたりー
(東北本線)
宇都宮駅→西那須野駅→那須塩原駅→黒磯駅→黒田原駅→新白河駅→白河駅→泉崎駅→矢吹駅→須賀川駅→郡山駅→日和田駅→本宮駅→二本松駅→安達駅→松川駅→福島駅

※鉄道唱歌に関係ある主要駅のみ抜粋

郡山駅を出発して、福島方面へ

郡山駅こおりやまえき(福島県郡山市)を福島方面へ向かって出発すると、

  • 日和田駅ひわだえき(福島県郡山市日和田町)
  • 本宮駅もとみやえき(福島県本宮市)
  • 二本松駅にほんまつえき(福島県二本松市)

のように、安達太良山あだたらやま(標高約1,700m)のふもとを走っていきます。

かつての会津方面への分岐点、本宮

福島県本宮市もとみやしは、かつての

  • 二本松→会津若松方面

への主な街道だった、二本松街道の宿場町・本宮宿もとみやしゅくがあった場所です。

鉄道が開通してからは、会津地方への交通の拠点は郡山市となっています。
しかし、それ以前は本宮もとみや会津地方への交通の拠点でした
ここで、

  1. 本宮からやや南西へ、磐梯熱海ばんだいあたみのあたりまで道が延びてゆき、
  2. さらにそこから、会津方面へ至る

というイメージです。

戊辰戦争の舞台ともなった、本宮と二本松

そして、本宮は戊辰戦争とも非常に関連性の高い街です。

戊辰戦争ぼしんせんそうのとき、白河を攻略した新政府軍は、今度は会津地方への交通の拠点だった本宮を手中に収めようとします。
なぜなら、

  1. もし本宮を攻略できれば、
  2. 旧幕府側の奥羽越列藩同盟会津藩のいる、会津地方を攻略することが、
  3. さらに容易になるから

からです。


本宮市には、戊辰戦争の傷跡が、今でも街中に残っています。

例えば、後述する安達太良神社あだたらじんじゃにおける拝殿はいでん(神様を拝むための場所)の柱に、戊辰戦争の時の銃撃戦による、弾痕が残っているということです。


話をもとに戻します。

こうして本宮もとみやを攻略した新政府軍は、さらに二本松街道の重要拠点でもあり、旧幕府側についていた二本松藩を抑えるために、二本松城を陥落させます(二本松の戦い)。

新政府軍が二本松を陥落させた後、二本松と猪苗代いなわしろとの間にある峠であり、また安達太良山あだたらやまの麓である母成峠ぼなりとうげで行われた

  • 母成峠ぼなりとうげの戦い

では、ここでも旧幕府側は、圧倒的数の多い新政府軍に負けてしまい、敗走してしまいます。

やがて、新政府軍は会津若松に到達、会津若松城(鶴ヶ城)は陥落してしまうのでした。


福島県二本松市にほんまつしは、県内有数の城下町になります。

上述した通り、かつて戊辰戦争のときに旧幕府側であった二本松藩が置かれていた街です。
また、先述の通り「二本松の戦い」の舞台ともなった場所です。

安達太良山(あだたらやま)の麓をゆく

本宮~二本松のこの区間を走っていると、窓の左側には

  • 安達太良山あだたらやま(標高1,728m)

の高嶺とその勇姿が登場します。

安達太良山(東北本線の車窓より)(福島県)

安達太良山(東北本線の車窓より)(福島県)

列車は、この安達太良山ふもとをひたすら進むことになります。

先述の福島県本宮市もとみやしの由来は、この安達太良山あだたらやまの神様をまつる、安達太良神社あだたらじんじゃに由来します。
安達太良神社は、安達太良山に「神様が宿っている」と信じて、信仰をするための神社ということになります。

安達太良山に限らず、昔の日本では、

山には神様が宿っている

と信じられていたのでした。
それは、富士山も例外ではありません。

「安達ヶ原の黒塚」妊婦さんを襲った、ヤバい物語の跡

そして、二本松駅は、安達ヶ原の黒塚への最寄り駅でもあります。

安達ヶ原あだちがはら黒塚くろづか」は、安達ヶ原の老婆の伝説で有名な、ちょっとグロテスクな物語で知られる場所です。
それは昔、安達ヶ原の老婆がこの場所を通りかかった妊婦さんを襲っていたというものです。

ちなみに、本当の安達ヶ原の老婆の物語は、もっとグロい話になります。
そのため、心臓の弱い方は、調べないことをお勧めします。
どうしても知りたい方は、自己責任で調べてくださいませ・・・。


なお、「妊婦さんが襲われる」関連の話として、鉄道唱歌に関係するところでは東海道 編24番でも歌われている、いわゆる小夜さよ中山峠なかやまとうげの「夜泣よないし」の伝説があります。

詳しくは、以下の記事をご覧ください。

鉄道唱歌 東海道編 第24番 再びトンネルへ 小夜の中山峠の「夜泣き石」の伝説
鉄道唱歌 東海道編の歌詞を、わかりやすく解説しています!鉄道の知識のみならず、歴史や旅行を楽しむためのノウハウを、鉄道に詳しくない人でも楽しめるよう解説してゆきます!

小夜さよ中山峠なかやまとうげとは、かつての東海道における、現在の

  • 静岡県島田市の、金谷駅かなやえき
  • 静岡県菊川市の、菊川駅きくがわえき

の間にある峠であり、かつてはこの峠は東海道の難所とされていました。
薄暗い峠道で山賊もたくさん出るため、女性はおろか男性ですら怖い場所でしてた。

ここを通りかかった妊婦さんが山賊に襲われ、その妊婦さんの魂が石に乗り移り、毎晩のようにその石は泣くようになった、というものです。
これがいわゆる小夜の中山峠の、夜泣き石の伝説です。

安達ヶ原の黒塚へ行くには「安達駅」よりも、やはり歌詞の通り「二本松駅」の方が良い

なお余談ですが、私はかつて安達ヶ原の黒塚へ行こうとしたときに、間違って(勘違いして)一つ隣の

  • 安達駅あだちえき(福島県二本松市)

で降りてしまい、30分経っても着かずに道に迷ったため、後から調べ直したら二本松駅からの方が便利がよかったと知りました。

鉄道唱歌の歌詞の通り、

見に行く人は(二本松駅で)下車せよ

でしたね・・・。
さすがです。

二本松駅・安達駅を過ぎて、福島方面へ

次は、さらに福島方面へ向かって北上します!

ちゅうい!おわりに

この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。
そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。
再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。
何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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