鉄道唱歌 北陸編 第56番 金沢に到着!北陸最大の都市、そして加賀百万石の城下町

鉄道唱歌 北陸編の歌詞について、わかりやすく解説してゆきます!
金沢の観光と歴史について、初心者でも楽しめるよう解説してゆきます!

金沢城の観光(画像はあくまでAIによるイメージです。実際の景色・人物とは無関係です。)(鉄道唱歌:金沢関連)

金沢城の観光(画像はあくまでAIによるイメージです。実際の景色・人物とは無関係です。)

加賀百万石の大名・前田利家(画像はあくまでAIによるイメージです。)(鉄道唱歌:金沢関連)

加賀百万石の大名・前田利家(画像はあくまでAIによるイメージです。)

↓まずは原文から!

津幡つばたにかへり乘のりかへて
ゆけば金澤かなざわステーシヨン
百萬石ひゃくまんごくの城下じょうかとて
さすが賑にぎわふ町まちのさま

さらに読みやすく!

津幡つばたにかえり 乗のりかえて
ゆけば金沢かなざわステーション
百万石ひゃくまんごくの 城下じょうかとて
さすが賑にぎわう 町まちのさま

さあ、歌ってみよう!

♪つばたにかーえり のりかえてー
♪ゆーけばかなざわ ステーション
♪ひゃくまんごくの じょうかとて
♪さーすがにぎわう まちのさまー
(七尾線)
和倉温泉駅→七尾駅→津幡駅

(IRいしかわ鉄道線)
津幡駅→金沢駅

※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記

現代語訳のまとめ(金沢)

まずは、現代語訳から確認していきましょう。

  1. 七尾線などの旅から、再び津幡つばた駅へと戻り、ここからまた北陸本線の列車へと乗り換える。
  2. そうして進んでいくと、いよいよ臨場感あふれる金沢駅(金沢ステーション)に到着する。
  3. ここは、かつて加賀百万石とうたわれた、非常に大きな加賀藩の城下町である。
  4. したがって、駅に降り立つと、まさにその歴史にふさわしく、多くの人々や店で大変活気に満ちあふれている街の様子が目に入ってくるのである。

ステーションとは、英語の「Station」のことで、すなわち「鉄道の駅」という意味です。
明治時代、新しくできた近代的な駅のことを、ハイカラな響きを込めてこのように呼ぶことがよくありました。

百万石ひゃくまんごくとは、お米の収穫量を表す単位で、江戸時代に前田家が治めた加賀藩(現在の石川県や富山県など)の財力の大きさを表しています。
全国の藩の中で、徳川将軍家をのぞけばダントツでトップの規模を誇る、ものすごい大富豪の地域でした。

能登半島の観光を終え、津幡駅へ戻る

能登半島の旅を終えると、

  • 和倉温泉駅わくらおんせんえき(石川県七尾市)
  • 七尾駅ななおえき(石川県七尾市)

から再び七尾線を折り返し、

  • 津幡駅つばたえき(石川県河北郡津幡町)

に戻ります。

津幡駅からは、IRいしかわ鉄道線へ乗り換えて、金沢へ

津幡駅からは、

  • IRいしかわ鉄道線

の区間に入ります。

金沢駅(金沢市)に到着

やがて、石川県の県庁所在地・金沢市の中心駅である、

  • 金沢駅かなざわえき(石川県金沢市)

に到着します。

金沢駅(石川県金沢市)

金沢駅(石川県金沢市)

金沢駅の東口・兼六園口

金沢駅の東口である兼六園口けんろくえんぐちは、金沢を観光するときの主要・メインな玄関口となります。

金沢駅前の大きな鼓門(つづみもん)

また、金沢駅の兼六園口けんろくえんぐちには、とても大きな鼓門つづみもんがあります。
その高さは、13.7mにも及びます。

また、兼六園口には名物の噴水時計ふんすいどけいがあり、

「ようこそ金沢へ」

などの、ユニークな文字が映し出されます。

筆者、金沢駅前兼六園口噴水時計より(2019年頃)(鉄道唱歌の旅)

筆者、金沢駅前兼六園口噴水時計より(2019年頃)(石川県金沢市)

石川県の県庁所在地・金沢市

石川県金沢市(兼六園)の観光(画像はあくまでAIによるイメージです。)

石川県金沢市(兼六園)の観光(画像はあくまでAIによるイメージです。)

石川県金沢市かなざわしは、人口46万人を擁する、

  • 石川県の県庁所在地
  • 北陸地方で最大の都市

です。

金沢市はあくまで「石川県」であり、くれぐれも「金沢県」は存在しないので、注意しましょう。

※ただし、明治時代の廃藩置県のとき「金沢県」は存在しました。

また、テストで間違えやすい似たような勘違いを以下に列挙しておきます。

誤:名古屋県→正:愛知県
誤:横浜県→正:神奈川県
誤:仙台県→正:宮城県
誤:札幌県→正:北海道札幌市
誤:神戸県→正:兵庫県
誤:福岡駅は福岡県福岡市の中心駅
 →正:博多駅は福岡市博多区の駅
 また、福岡駅は富山県に存在する駅。
誤:栃木県の県庁所在地は栃木市
 →正:宇都宮市。ただし栃木市は実在する
誤:山梨県の県庁所在地は山梨市
 →正:甲府市。ただし山梨市は実在する
誤:沖縄県の県庁所在地は沖縄市
 →正:那覇市。ただし沖縄市は実在する
誤:日本一長い川は利根川
 →正:信濃川(千曲川)。
  利根川は流域面積が日本一。

上記はテストで引っかけ問題の定番(?)ですから、惑わされないように覚えておきましょう!
あと、このサイトを社会科の先生方が見られていたら、いじわる目的でこれらをテストに出さないであげてください(^^;)

江戸時代に「百万石」を誇った加賀藩の城下町・金沢

加賀百万石の大名・前田利家(画像はあくまでAIによるイメージです。)

加賀百万石の大名・前田利家(画像はあくまでAIによるイメージです。)

金沢かなざわは、かつて102万石を誇った前田氏まえだしの治めた加賀藩かがはんの城下町です。

また、「加賀百万石かがひゃくまんごくの城下町」としてよく表現されます。

そもそも「百万石」って何?

ただ、「百万石ひゃくまんごく」と言われても果たしてそれが多いのか少ないのかピンとこないかもしれませんし、そもそも「石こく」って何?と疑問に思うかもしれません。

「石こく」とは、簡単にいえば江戸時代でいう「お米の量」であり、江戸時代は現代のように「お金」ではなく「お米」で量を表していました。

1石=1年間に1人が食べるお米の量

1石=1年間に1人が食べるお米の量。(画像はAIによるイメージです)

「石高こくだか」とは、簡単にいえば「土地の広さ」「税収の多さ」などを米の量で表したものです。
もちろん、石高が多い方が(財政力に)優れた大名(藩)ということになります。

江戸時代、多くの大名たちが石高をめぐって競い合った

江戸時代、多くの大名たちが石高をめぐって 競い合った(画像はあくまでAIによるイメージです。)

百万石ってどれだけ凄いのか?について検証

次に、「百万石」がどれだけ大きいのかについて検証してゆきます。

第2位の薩摩藩の場合

まず、第2位の薩摩藩さつまはんは、76万石でした。
薩摩藩さつまはんは現代の鹿児島県に該当し、島津氏しまづしという一族によって治められていました。
薩摩藩は琉球王国りゅうきゅうおうこく(現代の沖縄県の前身となった国)との貿易で大きな利益を上げていたのでした。

しかし、その一方で愛知県と三重県にある「木曽三川きそさんせん」の大規模な治水ちすい工事で多大な費用の負担を余儀なくされるなど、第2の石高を誇っていても藩の財政は常に苦しかったとされています。

第3位の仙台藩の場合

そして第3位は、仙台藩せんだいはんの62万石でした。

まず仙台藩は、現代の宮城県仙台市に該当し、現代でも東北地方最大の都市です。
仙台藩は、伊達氏だてしという一族によって治められていました。

伊達政宗

伊達政宗(画像はあくまでAIによるイメージです。)

また、仙台藩で生産された大量のお米は、太平洋側の、

  • 「東廻り航路」

によって、海上を船で江戸に運ばれ、大きな利益を上げました。

しかし、船で運んでいる途中に、米が海水に侵されるなどの問題もあったようです。

江戸時代の東廻り航路

江戸時代の東廻り航路(画像はあくまでAIによるイメージです。)

その他の藩の場合

そして、江戸時代の各藩や大名の平均的な石高というのは10万石~20万石くらいが相場でした。
そして、この層に該当する藩や大名が、最も多かったといえます。

したがって、20万石~30万石もあれば、むしろ十分多いほうでした。

江戸時代は石高が多いほど、多くの領民たちを養うことができた(画像はあくまでAIによるイメージです。)(鉄道唱歌:金沢関連)

江戸時代は石高が多いほど、多くの領民たちを養うことができた(画像はあくまでAIによるイメージです。)

以上、加賀藩の百万石はやはり大きい

加賀藩かがはんの100万石というのが、いかに大きかったかがわかりますね!
2位の薩摩藩と30万石近い差をつけています。

余談ですが、3万石に満たない大名は、城を持つことができませんでした(幕府から許可されなかった)。
その代わり、「陣屋じんや」という城の代わりとなる館やかたのようなものを築いて(構えて)いました。

江戸時代の陣屋

江戸時代の陣屋(画像はAIによるイメージです)

石高を上げるために切磋琢磨した、江戸時代の大名たち

石高を上げようと思ったら、並大抵のことではありません。

  • 新しい田んぼを、大規模かつ効率的に耕す
  • 農耕のための新しい技術を開発する
  • 効率的に水を引いてくる
  • 江戸などの大都市へ、効率的に運搬する(東廻り航路や、西廻り航路などの海運など)

などの、様々な努力が必要でした。

江戸時代の稲作

江戸時代の稲作(画像はあくまでAIによるイメージです。)

江戸時代の人口増加などに対応するための、大量の米の生産という課題

江戸時代の各藩や大名たちは、それぞれお互いに競い合っていました。
そのため、いかに大量の米を生産できるかが、重要課題でした。

そんな中で、農民に頑張らせるだけでなく、藩主や武士たちも頑張っていた藩は、とても財政的に強かったのです。

江戸時代は石高が多いほど、多くの領民たちを養うことができた(画像はあくまでAIによるイメージです。)(鉄道唱歌:金沢関連)

江戸時代は石高が多いほど、多くの領民たちを養うことができた(画像はあくまでAIによるイメージです。)

これは現代でも、一流の社長や経営陣がいる会社が利益を確保できるのに似ています。

石高を増やすための努力は、並大抵ではない

もちろん、藩や大名がこうした努力をせずに、農民に対して「おい、お前らが取った米を全部年貢で納めろ」などと言えば、まず農民が可哀想です。

というか、農民の不満が溜まって、下手をすれば、

  • 反乱を起こされる(鎮圧には多大な費用や労力がかかる)
  • 田んぼを放棄して逃げられる(田んぼが荒廃して、生産できなくなる)
  • 農民の意欲がますます低下して、さらに年貢が低下する

などの恐れがあります。

もしそうなると、幕府から目を付けられ、藩の統治能力がないとみなされ、藩主は容赦なく交代させられてしまいます。
これはブラック企業に全く生産性がなく、倒産しやすいのと似ています。

江戸時代は、こうして農業の効率や生産性が、従来と比べて飛躍的にアップした時代でもあったのでした。

北陸新幹線の開通より、東京からのアクセスが向上した金沢

金沢は現代では北陸新幹線の開通により、東京から乗り換え無しでスピーディーに素早く来られるようになり、観光地として大きな盛り上がりを見せるようになりました。

北陸地方の雪の大地を走る新幹線(鉄道唱歌:金沢関連)

北陸地方にも新幹線が通り、一気に関東地方からの利便性が高まった(画像はあくまでAIによるイメージです。実際の景色・車両ではありません)

金沢駅周辺~兼六園けんろくえん・金沢城にかけてのエリアは商業施設も多く、さすがに都会だけあって不便さは感じさせません。

北陸地方の旅にあたっては、これだけ便利のよい金沢は、決して避けては通れない(利用不可避な)土地だといえるでしょう。

次回は、金沢・兼六園の話題へ

金沢の歴史的な町並みの観光(画像はAIによるイメージです)

金沢の歴史的な町並みの観光(画像はAIによるイメージです)

おわりに:​「さすが百万石の城下町だ!」と、当時の旅人が駅に降り立った瞬間に、その大都会っぷりに圧倒されている様子がリアルに想像できますね!
古い伝統と、鉄道という新しい近代文化が融合した金沢の街のエネルギーを感じられて、なんだかこちらまで晴れやかな気分になりますね!

金沢の観光についてさらに詳しくは、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

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次は、兼六園けんろくえんの観光となります!

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