まずは原文から!
敦賀(つるが)はげにもよき港
おりて見てこん名どころを
氣比(けひ)の松原(まつばら)氣比(けひ)の海
官幣大社(かんぺいたいしゃ)氣比(けひ)の宮
さらに読みやすく!
敦賀(つるが)はげにもよき港
おりて見てこん名どころを
気比の松原(けひのまつばら)気比(けひ)の海
官幣大社(かんぺいたいしゃ)気比(けひ)の宮
さあ、歌ってみよう!
♪つるがはげーにも よきみなとー
♪おーりてみてこん などころをー
♪けひのーまつばら けひのうみー
♪かんぺいたいしゃ けひのみやー
(IRいしかわ鉄道線)
金沢駅→松任駅→美川駅→小松駅→動橋駅→大聖寺駅
(ハピラインふくい線)
大聖寺駅→細呂木駅→芦原温泉駅(旧・金津駅)→福井駅→大土呂駅→鯖江駅→武生駅→南条駅(旧・鯖波駅)→今庄駅→(北陸トンネル)→敦賀駅
(北陸本線)
敦賀駅→新疋田駅→近江塩津駅→余呉駅→木ノ本駅→長浜駅→米原駅
※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記
※北陸トンネル・新疋田駅・近江塩津駅・余呉駅は、鉄道唱歌の当時とはルートが異なります
長い長い北陸トンネルをくぐって外に出ると、やがて敦賀駅(つるがえき、福井県敦賀市)に到着します。
敦賀には2024年に北陸新幹線が開通してくるために、北陸線のこの地域の路線はJR社ではなく「ハピラインふくい」という第三セクターの会社の管轄になります。
また、それに伴っておそらく青春18きっぷは使えなくなると思いますので、2024年以降の旅行にはこれを念頭に置いておきましょう。
敦賀駅は北陸新幹線の開通・開業に伴って、駅舎全体が大きくパワーアップしてリニューアルされてゆきます。
福井県敦賀市(つるが)は、歴史的にも大きな港として栄えた町です。
「げにも」とは、「まさに」等の意味です。
「げに」は漢字で「実に」と書きます。
敦賀の港は非常に入り組んだ地形になっているため、防御にも優れております。
昔は港に大きな防御壁などはなかなか作ることは出来ませんでしたから、こうした非常に入り組んだ地形というのは防御にとても適していたのです。
こうした自然の恩恵を得られた港の事を、「天然の良港」といいます。
こうした地形から防御の拠点として優れているためか、敦賀は海上保安庁の拠点にもなっています。
海上保安庁(かいじょうほあんちょう)とは、海の荒くれ者を退治し、また海での犯罪を防止し、海の平和を守るための組織です。
かつて敦賀からは、「欧亜国際列車(おうあこくさいれっしゃ)」という、遥か遠くヨーロッパ方面へ向かってい鉄道路線がありました。
というのも、明治時代は現代のように航空機(例えば関西国際空港・成田空港などを発着する国際線)がなかったので、船と鉄道による交通手段こそがヨーロッパ方面へ向かう方法でした。
東京から列車で敦賀まで到達しら、敦賀から船に乗り、そしてロシアのウラジオストクという街に到達します。
ウラジオストクは、日本から最も近いヨーロッパとも言われます。
そしてウラジオストクからは「シベリア鉄道」に乗って、約7日間ほどかけてロシアの首都・モスクワ、さらにはヨーロッパ方面へ向かっていたのでした。
このように敦賀は歴史上、国際的にも重要な港だったといえます。
敦賀には氣比神宮(けひじんぐう)という神社が鎮座(ちんざ)しております。
こちらは官幣大社(かんぺいたいしゃ)でございます。
官幣大社(かんぺいたいしゃ)とは近代社格制度(きんだいしゃかくせいど)という明治時代の神社のランク付けにおいて、最も格式の高い神社のことでございます。
氣比神宮(けひじんぐう)では、戦いの神様である応神天皇(おうじんてんのう)、神功皇后(じんぐうこうごう)が祀(まつ)られています。
応神天皇は第15代の天皇であり、第32代である飛鳥時代の推古天皇(すいこてんのう)や、第16代である古墳時代の仁徳天皇(にんとくてんのう)よりも前の天皇になります。
その応神天皇のお母様が神功皇后(じんぐうこうごう)になります。
応神天皇・神功皇后・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)・ヤマトタケルノミコトはどちらかと言うと「戦いの神様」のイメージが強いのですが、それは逆に言うと 「ゲン担ぎ」つまり「厄除けの神様」と言い換えることもでぎす。
気比神宮は、古くから港町として海の商売繁盛・海上の交通安全や、安産祈願などに関してご利益があります。
そして気比の松原(けひのまつばら)は、「日本三大松原」の一つとして数えられています。
その三大松原とは、気比の松原の他に静岡県の「三保の松原(みほのまつばら)」、佐賀県唐津市(からつし)にある「虹の松原(にじのまつばら)」があります。
こうした松原は、昔の人たちによって津波防止のために植えられられてきました。また松原は景観の発展にもつながり、観光客の呼び込みにも使われます。
そして気比の松原には、かつて水戸藩の武士のグループ「天狗党(てんぐとう)」のリーダーだった武田耕雲斉(たけだ こううんさい)の像があります。
こちらは次回解説します!
注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
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