まずは原文から!
しのぶもじずり摺(す)り出(い)だす
石(いし)の名所も程近ちかく
米澤(よねざわ)ゆきの鐵道(てつどう)は
此町(このまち)よりぞ分かれたる
さらに読みやすく!
しのぶもじずり摺(す)り出(い)だす
石(いし)の名所も程近ちかく
米沢(よねざわ)ゆきの鉄道は
此町(このまち)よりぞ分かれたる
さあ、歌ってみよう!
♪しーのぶもじずり すりいだすー
♪いしのめいしょも ほどちかくー
♪よねざわゆーきの てつどうはー
♪このまちよりぞー わかれたるー
(東北本線)
宇都宮駅→西那須野駅→那須塩原駅→黒磯駅→黒田原駅→新白河駅→白河駅→泉崎駅→矢吹駅→須賀川駅→郡山駅→日和田駅→本宮駅→二本松駅→安達駅→松川駅→福島駅
※鉄道唱歌に関係ある主要駅のみ抜粋
福島の「石の名所」信夫文知摺石(しのぶもちずりいし)
歌詞に「石の名所」とありますが、この石は何かというと、「信夫文知摺石(しのぶもちずりいし)」のことをいいます。
信夫文知摺石(しのぶもちずりいし)は、福島市・福島駅の東へ5kmほどいった場所にある、文知摺観音(もちずりかんのん)というお寺の境内にある、大きな石のことです。
なお、信夫(しのぶ)とは福島市のこの地域の地名であり、福島駅の北1kmのところにある信夫山(しのぶやま、標高275m)にその名前があります。
さて、この大きな石、何に使われてきたのでしょうか。
それは着物などの布に色をつける、「染め物(摺り衣)」です。
昔は服や着物に色を塗って模様をつけるとき、「染色(せんしょく)」という技法を用いていました。
つまり、布や衣をこの石につけて、その時に表れる模様によって色の染めものをしていたわけです。
こうした染色方法によって色や模様をつけられた衣を、「摺り衣(すりごろも)」といいます。
かつての観光名所となった、信夫文知摺石
また、この石の価値は染色や摺り衣だけではありません。
鎌倉時代あたりから、多くの旅人や歌人が福島(みちのく)にあるこの石を求めてやってきました。さらに、多くの歌や詩にこの「しのぶもちずり石」というフレーズは使われてきました(というか、鉄道唱歌のこの歌詞にも使われていますね)。
こうした、歌や詩に頻繁に使われる観光名所などの名物を、「枕詞(まくらことば)」といいます。
色んな歌や詞にたくさん登場するので、多くの人々がそれらを通じて「しのぶもちずり石」を知り、さらに多くの旅人や詩人がやってくることになります。
あの松尾芭蕉や正岡子規などもそれに当てはまります。
現代でいうと、様々な鉄道系YouTuberが秘境駅や観光地を紹介して、そのファンや視聴者たちがそこへやってきて有名になり、さらに彼らがSNSなどで情報発信してさらにその秘境駅や観光地などが有名になる、といったイメージです。
奥羽本線との分岐駅でもある、福島駅
さて、福島駅は、奥羽本線(おううほんせん)との分岐点でもあり、また現在は山形新幹線との分岐点でもあります。
奥羽本線(おううほんせん)は、福島駅を西へ出発し、山形県→秋田県→青森県へ至る長大な鉄道路線です。
群馬県・長野県「碓氷峠」、広島県「瀬野八」に匹敵する、「板屋峠」
奥羽本線は、福島駅を出発すると、碓氷峠(うすいとうげ)や、瀬野八(せのはち)に匹敵する「板谷峠(いたやとうげ)」という難所を超えます。
なお、碓氷峠(うすいとうげ)とは群馬県と長野県の県境をなす峠であり、江戸時代の中山道(なかせんどう)の時代から、多くの旅人たちを苦しめてきた難所です。
鉄道が開かれてからも、勾配が非常にきつく、当時画期的な技術だった「アプト式」という、線路の真ん中に歯車を付けて登る方式を用いていました。また、トンネルを26も掘ったり、「めがね橋(碓井第三橋梁)」のように山と山をつなぐ長大な橋を作ったりと、当時の人々の物凄い苦労によって鉄道路線(信越本線)が作られました。
また、「瀬野八(せのはち)」とは、広島県の八本松駅(はちほんまつえき、広島県東広島市八本松町)と、瀬野駅(せのえき、広島県広島市安芸区瀬野)にまたがる、険しい峠道のことをいいます。
山陽本線が明治時代当初に開通したときは、なるべく勾配を抑えるために山間部と川に沿うようにカーブの多いルートが取られたのですが、瀬野八は例外的に直線的なルートを優先した結果、勾配のきつい難所となってしまいました。
勾配がきついため、何台もの補助機関車をつけて峠を登ってゆき、八本松駅で外していた、という歴史があります。
板屋峠を越えた先にある、山形県米沢市
板谷峠を越えると山形県に入り、歌詞にあるように米沢駅(よねざわえき、山形県米沢市)に着きます。
また、現在は「山形新幹線」といって、新幹線で東京から福島を経由し、米沢・山形・新庄まで乗り換えなしで直通できるようになっています。
「ミニ新幹線」という形で様々な問題を克服した、山形新幹線
山形新幹線は、東京駅→福島駅までは東北新幹線と線路は共通です。
福島駅からは在来線の奥羽本線の線路を使って、米沢→山形→新庄と進んでゆきます。
これは、フル規格(つまり、一般的な新幹線のスペック)での線路を作るのが難しく、やむを得ず在来線の線路と共用する「ミニ新幹線」の規格にするしかなかったためです。
しかし、新幹線の線路幅は約1.4mあり、在来線の線路幅は約1.0mと幅が違います。
つまり、新幹線の線路は幅が広いのです。
したがって、そのままでは新幹線は福島駅から在来線に直通することができません。
そこで、山形新幹線の開通とともに在来線の線路幅を新幹線の約1.4m(これを標準軌といいます)に変更し、また在来線の車両も標準軌に対応できるようにして、新幹線と在来線の直通(新在直通)ができるようになりました。
なお、在来線の約1.0mの線路幅を、狭軌(きょうき)といいます。
上杉鷹山公の功績で知られる、山形県米沢市
山形県に入り、米沢駅(よねざわえき、山形県米沢市)に至ります。
山形県米沢市(よねざわし)は、江戸時代に不振に陥っていた米澤藩を立て直した9代藩主である上杉鷹山(うえすぎ ようざん)の功績で知られます。
かつて上杉家は、新潟県(越後)時代の上杉謙信の頃は栄華を極めていましたが、関ヶ原の戦いで徳川家康に敵対する西軍についていたため、江戸幕府が開かれた後は罰として会津から米澤への異動(転封)となりました(秀吉の時代には上杉家は会津に転封していました。こちらはどちらかというと不名誉な異動ではないようです)。そして、米沢に転封となると、石高(藩の財政や収入みたいなもの)も大きく減らされてしまいました。
しかし、上杉家(米沢藩)はかつての栄光だった頃の暮らしを忘れられず、米沢に来ても相変わらず贅沢な生活を送っていたため、藩の財政は困窮を極めるようになりました。
これではイカン、と立ち上がったのが、9代藩主である上杉鷹山公でした。
彼は藩の贅沢な食事をやめさせ、質素倹約に努めました。また数多くいた女中なども減らしたりして人件費の削減をしました。
今の政治で言うと「身を切る改革」です。議員の給料を減らし、また議員の数を減らし、市役所の職員数を減らし、さらには知事や市長みずからの給料も減らす。
これによって自治体の支出を抑える。
しかし、これだけのことをやると、当然ながら様々な人から恨みも買いますし、不満も続出しますので、為政者にはそれだけの覚悟が必要となります。
つまり、為政者は「支出を減らす」だけではダメなんですね。「税収を増やす」努力もしなくてはなりません。
しかし、上杉鷹山公は大規模な田園を開発したりして米の収入を増やしました。
現在の政治(地方自治)のイメージだと、有力な企業や工場を自分たちの自治体に誘致して、雇用を増やし、そこから住民税や法人税、消費税などによる税収を上げるイメージですかね。
また、本来ならば身分的には武士である家臣たちに農業もさせました。なぜなら、この時代には平和な世の中だったため、武術よりも農業を学ばせた方が後々大きなリターンがあると考えたからでしょう。
さらに、藩校を設立し、後進育成にも努めました。しかも、武士や農民など身分に関係なくです。
また、上杉鷹山公自身も農業について積極的に学ぶなど、これまでの常識にまったく縛られない新しい斬新的な試みを次から次へ行いました。
様々な積極的な改革を行い、米沢藩の財政を立て直した、上杉鷹山
上杉鷹山公は、何度も何度も失敗と挑戦を繰り返しながら、困窮していた藩の財政を立ち直らせることに成功しました。
藩の人々の給料を減らしたり、武士にも農業を学ばせたり、身分関係なく藩校で学ばせるとあう、それまでの常識では考えられなかった、ある意味「非常識」なことをやってきたわけですから、当然ながら反発も多かったでしょう。
しかし、大きなことを成し遂げるには、それまでの常識に縛られない、新たな常識を作り出す必要があります。
マコなり社長の言葉に「常識人間は成功しない」という言葉がありますが、それまでは非常識とされてきたことを、次から次へと失敗を繰り替えしながら、または人々に嫌われながら挑戦し、行動していく。これこそが本当の成功への道です。上杉鷹山公は、江戸時代にまさにこれを実行してみせた人物といえるでしょう。
「なせば成る」上杉鷹山公から学ぶ、成功のためにまずは行動することの必要性
そして、上杉鷹山公のあの有名な言葉です。
「なせば成る なさねば成らぬ 何事も
成らぬは人の なさぬなりけり」
これは、何事も挑戦すれば、必ず達成できるという意味です。
成功への秘訣は、何が何でも「やる」「挑戦する」「行動する」ということ。
今ではどんな成功者やインフルエンサーの方も異口同音に言われてい言葉です。
しかし、後半の文章は、残念ながら「成功できないのは、お前が何もしなかったからだ」という、ちょっとマウントを取るようなニュアンスとなってしまっています。
いわゆる経営者体質の優秀な人は、「なせばなる~」のフレーズを好む傾向にあるため(あくまで私の予想)、自分の会社に「なせばなる~」の書かれたポスターなどを貼りまくり、従業員に自分の価値観を押し付ける・・・となると、従業員からすると重荷(プレッシャー)に感じてしまい、パワハラとか洗脳と言われる可能性があるので、経営者体質の優秀な方はこのフレーズを使うときは気をつけなければなりません(^^;)
私(筆者)も、優秀ではありませんが、どちらかというと従業員体質ではなく経営者体質なため、「なせば成る」のフレーズは大好きです。(^^;)
「何もできないのは、お前がやらなかったからだ、努力が足りないからだ」というマウントは、言われている側からすれば大きな重圧となり、余計にやる気を削いでしまうかもしれません。
なので、誰かがうまくいったときに「よくやった!それはあなたが一生懸命努力した結果だ!」という褒めてあげるニュアンスが、モチベーションを上げる第一歩かもしれません。
「あなたの成功は、あなたの努力の結果です!」
こうした誉め方が、できるようになりたいものですね!
私(筆者)も、まだ色々なことに対して失敗を繰り替えしながらも挑戦中の、道半ばの身です。
「なせば成る」の言葉を信じて、頑張りましょう!!(もちろん、私も頑張ります!)
福島駅を出発して、伊達・白石・仙台方面へ
次は、福島駅を出発して、伊達市、国見町、そして白石市方面へ向かいます!
注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
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