鉄道唱歌 関西編 第12番 伊賀上野(伊賀市)に到着! そして春は梅の花の月ヶ瀬へ

まずは原文から!

上野(うえの)は伊賀(いが)の都會(とかい)の地
春はこゝより汽車(きしゃ)おりて
影もおぼろの月が瀬(つきがせ)に
梅みる人の数おほし

さらに読みやすく!

上野(うえの)は伊賀(いが)の都会(とかい)の地
春はここより汽車(きしゃ)おりて
影もおぼろの月が瀬(つきがせ)に
梅みる人の数おほし

さあ、歌ってみよう!

♪うえのはいーがの とかいのちー
♪はるはここよりー きしゃおりて
♪かーげもおぼろの つきがせにー
♪うめみるひとのー かずおおしー

(関西本線/大和路線)
木津駅→加茂駅

(関西本線)
加茂駅→笠置駅→(木津川橋りょう)→大河原駅→月ヶ瀬口→伊賀上野駅→佐那具駅→柘植駅→(鈴鹿峠のトンネル)→関駅→亀山駅→四日市駅→桑名駅→長島駅(→至・名古屋駅)

※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記

※正式名称は「鉄道唱歌 関西・参宮・南海編」です。記事タイトルの便宜上、このようなタイトル(関西編)とさせていただいております。ご了承ください。

大河原駅(おおかわらえき、京都府相楽郡南山城村)を過ぎて月ケ瀬口駅(つきがせぐちえき、京都府相楽郡南山城村)を過ぎると県境を過ぎ、伊賀国(いがのくに)・三重県(みえけん)に入ります。

やがて、伊賀上野駅(いがうえのえき、三重県伊賀市)に到着します。

伊賀上野駅(三重県伊賀市)

三重県伊賀市(いがし)は伊賀地方(いがちほう)中心として発展してきた街であり、2004年までは「上野市(うえのし)」と呼ばれていました。東京の上野(うえの)と区別するために、伊賀上野(いがうえの)とも呼ばれます。
伊賀市のある盆地を、上野盆地(うえのぼんち)といいます。

伊賀国(いがのくに)とは、かつての三重県西部のことをいいます。

伊勢国(いせのくに)とは、かつての三重県東部のことをいいます。さらにその先には志摩国(しまのくに)もありました。

(くに)」とは、奈良時代の律令制における、日本のエリア分けのことで、現代の都道府県に該当します。「藩(はん)」は江戸時代におけるエリア分けです。

なお、かつて江戸時代の伊賀では、藤堂高虎(とうどう たかとら)という築城の名手が支配していました。藤堂高虎はとてもクオリティの高いお城を作るため、江戸幕府からも非常によく評価されていました。その藤堂高虎が東京都台東区(現在の上野)に移り住んだことから、現在の上野公園寛永寺(かんえいじ)がある一帯は「上野」となったそうです。つまり、元々の藤堂高虎の拠点が伊賀の上野で、その移り住んだ先が江戸(の上野の地域)だったので、東京側も上野という名前になったそうです。

東京の「上野」は、この「伊賀上野」が由来だったのです!先述通り藤堂高虎が、東京の上野に移り住んだからですね。

伊賀市は、大和街道(やまとかいどう)を通って奈良~伊勢間を(徒歩または馬で)移動する人々の重要な宿泊・途中休憩地点になっていたと思われます。
一度に長距離を移動するのはきついですから、その中間地点にこうした盆地があり、なおかつ休憩したり宿泊したりできるのは、旅人たちにとって伊賀上野のこの町の存在はとてもありがたかったことと思われます。

また伊賀市は、松尾芭蕉(まつおばしょう)の出身地でもあります。
松尾芭蕉とは言うまでもなく、江戸時代に「おくのほそ道」の旅にて東北地方を探検・冒険したあの人です。
また、琵琶湖あたりを巡る「野ざらし紀行」という作品も書いています。

伊賀上野城(いがうえのじょう)は、先ほど述べた藤堂高虎(とうどう たかとら)という人物が江戸時代に改修した城でもあります。
藤堂高虎(とうどう たかとら)は、あの徳川家康が認めた(高く評価した)築城の名手といわれ、高度な技術によってお城を造ることで知られていました。
そのお城には、江戸城をはじめ和歌山城、そして後に解説する津城(つじょう。三重県津市)などがあります。
伊賀上野城は元々は藤堂高虎が改修するずっと以前からありましたが、徳川家康の意向により改修されたのでした。
江戸時代には城の改修(つまりバージョンアップ、アップグレード)は、無駄に軍事力を付けられると幕府にとって脅威となるため、無断で行うことは厳禁であり、必ず幕府の許可が必要でした。これは江戸時代の武士に向けた法律ともいえる「武家諸法度(ぶけしょはっと)」において、無断での新規の城の建築や城の改修は禁止されていたからです。
逆に言えば、城の改修が認められた藩は、幕府に反逆を行う心配のない、信頼できる藩だとみなされていたといえます。
藤堂高虎は徳川家康から信頼を得ていましたから、とても素晴らしいお城を造っていたのだと推察できます。

伊賀上野城(三重県伊賀市)

月ヶ瀬(つきがせ)とは、伊賀市のやや南西にある、梅の林(梅林)として有名です。
春にはたくさんの梅の花が咲き並び、とても美しい景色となります。

おぼろ」とは、月に雲がかかってぼんやりしているような様子をいいます。

なので、歌詞は「影もおぼろの月」と、「月ヶ瀬(つきがせ)」という地名を掛けているものと思われます。
これを「掛詞(かけことば)」といい、古くから日本の歌・詩ではよく用いられてきた洒落・言葉遊びの一つです。
鉄道唱歌では、この掛詞が非常によく登場します。

次は、月ヶ瀬の解説をします!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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