岐阜県可児市の観光・歴史(東濃鉄道から始まった鉄道の歴史、明智光秀ゆかりの地など)について、わかりやすく解説してゆきます!
岐阜県可児市とは?
織田信長も愛した?可児市の歴史と地理の魅力

太多線・可児駅(岐阜県可児市)
岐阜県可児市は、歴史の表舞台に何度も登場する、まさに「隠れた主役」のような街ですね!
すなわち、山々に囲まれながらも交通の要所として栄えてきたこの街には、思わず誰かに話したくなるようなエピソードが、たくさん詰まっています。

筆者、可児駅より(岐阜県可児市)
岐阜県可児市とは?どこにある?
岐阜県可児市は、岐阜県のやや南東部、いわゆる東濃地域に存在する街になります。
東濃地域とは、岐阜県における美濃地方の「東側の地域」という意味です。
岐阜県は大きく、2つの地域に分かれます。
- 美濃地方:岐阜県南部
- 飛騨地方:岐阜県北部
この美濃地方のうち、東側の地域を東濃地域といいます。
今回メインの可児市は、この東濃地域にある街ということになります。
可児市と鉄道の歴史
可児市を通る太多線(たいたせん)とは?
まず、可児市を通る太多線は、岐阜県の
- 多治見駅:(岐阜県多治見市)
- 美濃太田駅:(岐阜県美濃加茂市)
をそれぞれ結ぶという、全長約17.8kmの鉄道路線です。
「太多線」の名前の由来は、多治見と太田(美濃太田)の頭文字をそれぞれ一文字ずつ取って名付けられました。
また、太多線はかつて生糸や陶磁器の輸送で多くの貨物列車が走るほど賑わいました。
そんな太多線の歴史について詳しくは、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

可児駅は元々「広見駅」だった
先述のリンク先(=太多線の歴史)でも述べた通り可児駅は、大正時代には元々は「広見駅」という駅名でした。
また、今の可児駅(太多線)とすぐ隣にある新可児駅(名鉄広見線)の周辺地域は、元々は「広見」という地名でした。
すなわち、大正時代の1918年に、私鉄の東濃鉄道の駅として開業した当初の駅名は「広見駅」だったというわけです。
1982年「広見駅」→「可児駅」へ改称のタイミング
そして時代は進み、1982年の市制施行(つまり、新しく可児市となること)に合わせて、市の中心駅であることをより世の中の人々に対して分かりやすくするために、「可児駅」へと名前が変わったのでした。
すなわち、駅名が変わったのは(鉄道の歴史においては)比較的最近の出来事である、というわけですね!
また、今でも名鉄の路線名に「広見線」という名前が残っているのは、その名残であるというわけです。
太多線の原型と、中央本線の歴史
大正時代の1918年に太多線(東濃鉄道)が誕生した背景には、当時の人々の「何がなんでもウチの地域に鉄道が欲しい!」という、強い願いがありました!
明治時代・中央本線の開通
明治時代に近所の多治見に中央本線が通るようになりましたが、そこから離れた可児・御嵩エリアの人々は、
という、とても強い危機感を抱くようになりました。
当時は自動車などはるはずも無く、もっともまともな交通手段といえば「馬」くらいなので、多治見に鉄道が来たのなら「ウチにも鉄道が欲しい!」と思うようになるのも無理はないでしょう。
明治時代、民間企業による私鉄・東濃鉄道(とうのうてつどう)の誕生
そこで、当時の地域の有力者たち(お金持ちなど)が鉄道建設のための資金を出し合って、晴れて多治見から広見(現在の可児)へ、さらにはやや東の御嵩方面へと線路を引いたのでした。
この1918年に完成した東濃鉄道が、今の太多線や名鉄広見線の一部の原型となりました。
1928年には可児(広見)よりも北の美濃太田まで線路が延ばされました。
すなわち、この地域の鉄道は、地元の発展を願う人々の「情熱」によって作り上げられたものなのです!
可児市の歴史的人物
戦国スター「森蘭丸」と「明智光秀」のゆかりの地・可児市
まず驚くのが、戦国時代の超有名人たち、すなわち
- 明智光秀
- 織田信長の側近(森家)
などの一族が、この地域に深く関わっていたということです。
金山城跡(兼山城)
可児市にある金山城跡(兼山城)は、かつて織田信長から最も可愛がられ信頼されていた側近であった、森蘭丸の生誕地と言われています。
金山城跡:可児市にある戦国時代に築かれた山城の跡で、石垣などが現存している歴史的な遺跡のこと。
現在は、城跡として整備されています。
そして織田信長から信頼されこの城を与えられた森家は、ここを拠点に主君・織田信長のために素晴らしい働きぶりをするなどして活躍しました。
明智光秀の出生地説
また、明智光秀が生まれたとされる「明智城」も可児市にあります。
この城は光秀が約30年間過ごしたと言われる場所になります。
明智光秀にとっては、まさに青春時代を過ごした大切な故郷と言えるかもしれませんね!
最近の研究においてもここは注目されており、光秀ファンにとっては聖地のような場所ですね。
ちなみに、ここでは明智光秀の叔父である明智光安が城主(トップ)を務めていました。
「本能寺の変」で特に知られる明智光秀
あの言わずと知れた明智光秀は、主君(リーダー)であった織田信長を「本能寺の変」で討ったことで知られる武将です。
「敵は本能寺にあり!」信長に反旗を翻した明智光秀
明智光秀は、中国地方で毛利氏と戦っていた羽柴秀吉(豊臣秀吉)の応援にかけつけるため、織田信長に命じられて京都府のやや北西の亀岡城に待機していました。
しかし、そこで一晩明かしたあと突然、
といって、進路を(本来向かうべき中国地方から)やや東の(京都)の本能寺に向けて急に変更し、その前夜に本能寺に宿泊・就寝していた織田信長を大勢の軍で襲ったのでした。
明智光秀の謀反に気づいた織田信長は「是非に及ばず(仕方がない)」といって武器を持って戦いました。
しかし、本能寺は既に敵(明智軍)に包囲されており、燃え上がる本能寺の炎の中で自害し、壮絶な最期を遂げたのでした。
「明智」「明知」をめぐる可児市と恵那市の関係性とは
恵那市の「明知鉄道」との関係
可児市の「明智」と、岐阜県恵那市の「明知」、読み方はそれぞれ同じですが、実は漢字がそれぞれ「智」「知」となっているなど、少し色々な意味で異なっています。
「明智と明知」地名の違い 共通点はある?
岐阜県恵那市の「明知」は、江戸時代に旗本だった明知遠山氏の領地でした。
すなわち、可児市の「明智」とは、ルーツが異なる別の場所である、というわけです。
したがって、観光に行く際は
- 「可児市の明智城」か
- 「恵那市の明知鉄道」か
間違えないように注意が必要ですね!
本当の出身地はどっち?(可児市or恵那市)
光秀の出身地については、実は今でも歴史家の間で意見が分かれています。
- 可児市説:先述の通り明智城があり、光秀が幼少期を過ごしたという記録が残っています。そのため、こちらの説は非常に有力です。
- 恵那市説:こちらも、光秀との縁を感じさせるような強力なスポットや伝承がたくさん残っています。
出生地として有力な可児市・明智
可児市の「明智」については、明智光秀の名字と同じ「智」の字を使うのが一般的です。
すなわち、明智光秀ゆかりの地として、この漢字が定着しているというわけですね!
様々な言い伝えが残る恵那市・明知
また、恵那市明智町にも明智光秀の産湯の井戸などがあり、こちらも古くから明智光秀に関する伝承(言い伝え)があります。
さらに、江戸時代にこの地を治めた旗本(すなわち、将軍直属の武士)が「明知遠山氏」と名乗ったため、地名やお城も「知」の字が使われるようになりました。
旗本:江戸時代、将軍に直接お目見え(面会)できる格の高い武士のこと。
また、現在の駅名(明知鉄道・明知駅)も、こちらの「知」の字が使われているのです!
したがって、恵那市の人々にとっても、明智光秀の存在は古くから地域に根付いた誇り高いヒーローなのですね!
結論は?(明智or明知)
すなわち、歴史のロマンとしてどちらも大切にされています!
当時の記録が少ないため、決定的な証拠は見つかっていませんが、どちらも光秀ゆかりの地であることに変わりはありません。
なぜ「可児(明智)」と「恵那(明知)」で分かれているの?
では、なぜ「可児(明智)」と「恵那(明知)」の2つで分かれているのか。
これには、歴史上の「記録の少なさ」が関係しています。
また、もともとはどちらも「明智」や「明知」と混用されていた時期がありました。
名字が同じ、別の家系?明智氏と明知遠山氏
また、
- 可児市の「明智氏」
- 恵那市の「明知遠山氏」
はそれぞれ、どちらも同じ土岐氏という一族の流れをくんで(継承して)います。
土岐氏とは、昔の美濃国(今の岐阜県)の地を長きにわたって治めていた、とても力のある武士の一族のことです。
すなわち、両者はお互いに親戚のような関係ではあるのですが、果たしてどちらの家系から光秀が出たのか、はっきりとした証拠が残っていないというのが実情です。
当時の記録が消された可能性
また、明智光秀は「本能寺の変」を起こしたことにより、当時の記録が消されたり、または隠されたりしたという可能性もあるわけです。
つまりその結果として、複数の場所・地域に対して「ここが故郷だ!」という様々な伝承が残ることになったのかもしれません。
両方の街を楽しむのが正解!可児市・恵那市(明智or明知)
面白いことに、現在では可児市と恵那市はライバルというよりも、むしろ一緒に明智光秀を盛り上げようという協力関係にもあります。
両都市の光秀ゆかりの地ネットワーク
また、岐阜県内のゆかりの自治体が、お互いにそれぞれ連携して、明智光秀のあとをめぐる観光ルートを作ったりしています。
すなわち、決してただ一つの説だけに絞るのではなく、
- 「どちらにも、明智光秀の面影がある」
という様々な角度で考えたほうが、歴史ファンとしては楽しみが広がるというわけですね!
お互いの関係・まとめ
以上のことをまとめる、おおむね以下のようになります。
- 恵那市明智町も、産湯の井戸などの具体的な伝承をもとに、明智光秀の聖地であることを強くPRしています。
- 可児市と恵那市、どちらもかつての明智光秀のルーツとなる一族であった「土岐一族」に関係があります。
- 結論として、明智光秀の出身地は今でも(史料が少ないために)謎に包まれているからこそ、多くの場所において愛されているということになります。
明知光秀ゆかりの地 (可児市・明智光秀つながり)
京都府「亀岡市」と「福知山市」との関係
明智光秀は、かつてリーダーの織田信長から丹波国(現在の京都府北部などのエリア)の攻略および支配を命じられたことで、その地を治めるようになりました。
明智光秀ゆかりの地:京都府亀岡市(亀山城)
そして、明智光秀が現在の京都府亀岡市において築いた亀山城(これは当時の名前。現在は亀岡城)は、いわゆる京都府の北西部分のエリアにあたる丹波統治の拠点となっていました。
そして彼は丹波・亀岡の町並みを整えてゆき発展させていったため、今や亀岡の基礎を作った「街づくりの英雄」として愛されているわけです!

明知光秀像(京都府亀岡市)
つまり、彼は歴史では「本能寺で織田信長を倒した人」のように思われがちであっても、丹波地域においては
というわけですね!
明智光秀ゆかりの地・亀岡については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

明智光秀ゆかりの地:京都府福知山市(福知山城)
明智光秀が、ここに福知山城を築きました。
たびたび氾濫していた由良川の堤防を築くなど、領民(住民)のために尽くした名君として、今でもお祭りが開かれるほど尊敬されているわけですよ。
明智光秀ゆかりの地・福知山については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

明智光秀ゆかりの地を巡るなら、可児市から足を伸ばして京都の福知山や亀岡へ行ってみるのも、物語が繋がって楽しいですよ!
今回はここまで 続きは次回
おわりに:さて、今回は岐阜県可児市における、明智光秀や森蘭丸、そして東濃鉄道(太多線)の発展などの歴史を学んでみていかがだったでしょうか。
今回は長くなりましたので、続きは次回に解説します!
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