(原文)
こげや/\いざ船子(ふなこ)
鏡(かがみ)なせる海の上
波に浮かぶ八百(はっぴゃく)の
島の影もおもしろや
見るがまゝに變(かわ)りゆく
松のすがた岩のさま
前に立てる島ははや
あとに遠く霞(かす)みたり
雪のあした月の夜半(よは)
あそぶ人はいかならん
みれど/\果てもなき
二子島(ふたごじま)の夕げしき
五大堂(ごだいどう)を右にして
瑞嚴寺(ずいがんじ)の森ちかき
磯(いそ)に船は著(つ)きにけり
暫(しば)しといふ程もなく
(現代仮名遣いに変換)
こげや/\→「こげやこげや」
見るがまゝに變(かわ)りゆく→見るがままに変わりゆく
みれど/\→みれどみれど
瑞嚴寺→瑞巌寺
著きにけり→着きにけり
暫しといふ→暫しという
現代意訳(間違っている可能性あり!)
「さあ、船をどんどんこいでいこう。
まるで鏡のように透き通る海の上を。波に浮かぶ、800の島の影は、とても趣(おもむき)があるなあ。」
「島に浮かぶ松や岩の様子は、船が進むたびに、見るがままに変わっていく。さっきまで前にいた島も通り過ぎて、あっという間に後ろに過ぎ去っていったよ。」
「雪が降る朝も、月が出る夜明けも、松島で戯(たわむ)れる(楽しそうに遊んでいる)人々はどう思ってるのだろうか。見ても見ても果てしない、二子島のこの夕景色を。」
「早くも船の旅も終わり、とうとう五大堂を右にして、目の前の瑞巌寺(ずいがんじ)にほど近い桟橋に、あっという間に着いてしまったなあ。」
※三番の「雪が降る朝も、月が出る夜も」という訳は、自信ないです!
鉄道唱歌の付録「松島船あそび」
今回は、鉄道唱歌 奥州・磐城編の付録である「松島船あそび」について解説します。
鉄道唱歌では、作者である大和田建樹(おおわだ たけき)さんにとって思い入れの深い場所や、歴史的に重要な場所に多くの歌詞が割りあてられる傾向があります。
例えば、東海道編の「京都観光」、山陽・九州編の「太宰府」、関西・参宮・南海編の「奈良めぐり」などがそれに該当します。
「松島船あそび」は、奥州・磐城編の付録にあたります。
なお、音源化されたものでは「松島船あそび」は省略されることが多いため、もしかしたら知らない方もいらっしゃるかもしれませんが、「松島船あそび」について勉強しておくことで、松島の海の周遊がより面白く充実したものになります。
日本三景「松島」の観光!船での遊覧旅へ
松島(まつしま)は、宮城県宮城郡松島町にある、とても美しい数多くの島々からなる、景色の勝れた景勝地であり、観光地です。
松島は、広島県にある「宮島(みやじま)」、京都府にある「天橋立(あまのはしだて)」とともに、いわゆる日本三景(にほんさんけい)の一つに数えられています。
およそ260の島からなる、松島
松島は約260の島々からなります。
歌詞では800の島からなるとありますが、これは実際の数ではなく、あくまで比喩表現になります。
その理由として、日本では歴史的に「8」のつく数字は縁起のよい数字と考えられてきた傾向にあることが考えられます。例えば、「八百万の神(やおろずのかみ)」や、「八千矛(やちほこ)」、「八千代(やちよ)」などのように、日本は古くから「8」という数字が縁起良い数字とされてきた傾向があるため、おそらく比喩的に「松島は800の島がある」という表現になっているのだと思われます。
800の島というのは、それだけ多くの数の島が存在する、という比喩表現になります。
また、「八千矛(やちほこ)」とは大国主神(おおくにぬし)の別名であり、「八千代(やちよ)」とは非常に長い年月、という比喩表現になります。
かつては山の頂上だった、松島の島々
なぜ松島が数多くの島からなるのかというと、昔は沢山の山の頂上にあった部分が、海面が高くなったことで頭だけが出てしまい、それらがまるで島のようになったと言われています。
地球の長い歴史において、海面が上昇したり下降したりすることは、よくある話であるといえます。
松尾芭蕉「おくの細道」で、美しすぎて詩が詠めなかった!?
また、松尾芭蕉は「おくのほそ道」の旅で松島に寄った際に、あまりにも美しさに歌を詠むことができなかったとされています。
それはどういう状況かというと、例えば、通常の美しいレベルの景色の場合では、テレビの実況ばりに知識やボキャブラリーをまくし立て、その美しさや状況について解説できるかもしれません。
しかし、あまりにも絶景すぎると「すげえぇぇぇー!!」という感嘆しか浮かびませんよね。なんとか目の前の景色について、持っている知識や表現をもって解説しようとしても、「すげえ」以外の感想しか出てこない。
たぶん松尾芭蕉の当時の心境は、おそらくそのようなものだったでしょう。
松島の観光は、仙石線「松島海岸駅」がベスト
松島観光の最寄り駅となる松島海岸駅(まつしまかいがんえき)は、仙石線(せんせきせん)の経路上にあるため、仙台駅から来る場合は仙石線で(15駅と駅数は多いですが)来るのがシンプルでよいでしょう。
途中の駅数を少なくしたい場合は、仙石東北ラインで高城町駅(たかぎまちえき)へ行き、仙石線に乗り替えて少し折り返すような形で松島海岸駅に到達する方法もありますが(この場合は7駅と半分以下)、高城町駅での乗り換え時間を考えると両者とも大して時間は変わらないため(いずれも約30~40分)、慣れないうちはシンプルに仙台駅から仙石線で松島海岸駅に来た方がよさそうです。
松島の船めぐりは、上記の仙石線松島海岸駅から徒歩約8分のある桟橋から行くことができます。
私がかつて松島を遊覧したときは、大人1人約1000円で、約1時間の遊覧でした。
しかし鉄道唱歌の歌詞では、塩釜港(千賀の浦)からの出港であり、これは前回の歌詞から続いています。
松尾芭蕉も、塩釜港から出港したとされています。
さあ、松島の船旅にスタート
船が出発すると、どんどん松島の奥の沖へ進んでいきます。すると、海に浮かぶ小さな島が次々に近づいてきます。
歌詞には「鏡なせる海の上」とありますが、それはまるで海が鏡のように透き通っている、という意味ですね。
船はますます奥の海に進んでいくため、島に生えている松も、岩の形も次々に変わっていきます。
また、さっきまで前にいた島もあっという間に通りすぎていくため、いつの間にかかなり後方に消えていきます。
まるで双子のように仲良くたたずむ「二子島(ふたこじま)」や、仁王のように勇ましく立つ「仁王島(におうじま)」があります。
なお、3番の「雪のあした 月の夜半(よは)」とあります。
「あした」とは、古語で「朝」という意味です。
「夜半(よわ、よは)」とは、古語で「夜明け」という意味です。
さらに、「あそぶ人はいかならん」とあります。
「あそぶ」は現代語でもそのまま「遊ぶ」という意味ですから、松島を観光する、戯れる人々は二子島の夕景色どう思ってるのだろうか、という意味になるでしょうか。(←間違っている可能性あり!)
松島の沖の海まで出てくると、波がきつくなり、船もそこそこ揺れるようになります。船酔いしやすい人は気をつけましょう。
30分ほどの船旅の後、瑞巌寺の近くへ到着
30分ほど遊覧すると、船は折り返して、ふたたび桟橋の方へ戻ることになります。
桟橋へ着くと、右に五大堂(ごだいどう)がみえます。
五大堂(ごだいどう)とは、平安時代に朝廷から蝦夷(えみし)を征伐せよと命じられて東北地方にやってきた、坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)という人物によって建てられた「毘沙門堂(びしゃもんどう)」を起源とするものです。江戸時代に伊達政宗によって大きく改築され、「五大堂」となりました。
蝦夷(えみし)とは、平安時代に東北地方で朝廷に反発していた、朝廷に従わなかった人々のことをいいます。朝廷からすれば、蝦夷の人々に力をつけられて、朝廷の脅威になられては困ります。
そこで、坂上田村麻呂という武士を東北地方に派遣して、「征夷大将軍(せいいだいしょうぐん)」に任命したわけです。蝦夷を征伐するから、「征夷」というわけですね。
なお、征夷大将軍というと源頼朝や徳川家康などの将軍さまを連想するかもしれませんが、平安時代の征夷大将軍とは意味が異なるので覚えておきましょう。
そして、坂上田村麻呂はここに「毘沙門堂(びしゃもんどう)」を建てました。毘沙門堂とは、その名の通り、戦いの神様である毘沙門天(びしゃもんてん)を祀るわけです。
昔は戦(いくさ)のときは現代以上に縁起や神様を重要視していますから、蝦夷と戦うために毘沙門天を祀ることが適切であると判断したのでしょう。
さらに江戸時代になって、毘沙門堂は初代仙台藩主・伊達政宗(だて まさむね)によって五大堂として、大きく改築されています。
瑞巌寺(ずいがんじ)とは、平安時代に円仁(えんにん)という方によって建てられたお寺です。円仁は慈覚大師(じかくだいし)とも呼ばれ、山形県にある「立石寺(りっしゃくじ)」を建てたことでも知られます。立石寺は、松尾芭蕉も「おくのほそ道」の旅で立ち寄った場所です。
瑞巌寺を目の前に、五大堂を横にして、船はとうとう桟橋に着いてしまいました。
松島の海に浮かぶ多くの島の景色は、とても綺麗なものです。
松島の船旅を終え、次回は小牛田方面へ
松島の遊覧の旅、いかがだったでしょうか。
次は再び列車に乗り、小牛田(こごた)方面へ向かいます!しかし、松島海岸駅から小牛田方面へ向かうには、ちょっとした工夫が必要になります。それは次回詳しく解説します!
注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
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