鉄道唱歌 奥州・磐城編「松島船あそび」を、わかりやすく解説してゆきます!
日本三景・松島の観光・歴史などを、やさしく解説してゆきます!
(原文)
鏡なせる海の上
波に浮かぶ八百の
島の影もおもしろや
松のすがた岩のさま
前に立てる島ははや
あとに遠く霞みたり
あそぶ人はいかならん
みれど/\果てもなき
二子島の夕げしき
瑞嚴寺の森ちかき
磯に船は著きにけり
暫しといふ程もなく
こげや/\→「こげやこげや」
見るがまゝに變りゆく→見るがままに変わりゆく
みれど/\→みれどみれど
瑞嚴寺→瑞巌寺
著きにけり→着きにけり
暫しといふ→暫しという
現代意訳(間違っている可能性あり!)
まるで鏡のように透き通る海の上を。
波に浮かぶ、800の島の影は、とても趣があるなあ。」
さっきまで前にいた島も通り過ぎて、あっという間に後ろに過ぎ去っていったよ。」
見ても見ても果てしない、二子島のこの夕景色を。」
鉄道唱歌の付録「松島船あそび」

松島の海(宮城県)
今回は、鉄道唱歌 奥州・磐城編の付録である
- 「松島船あそび」
について解説します。
鉄道唱歌では、作者である大和田建樹さんにとって思い入れの深い場所や、歴史的に重要な場所に多くの歌詞が割りあてられる傾向があります。
例えば、
などがそれに該当します。
「松島船あそび」は、奥州・磐城編の付録にあたります。
なお、音源化されたものでは「松島船あそび」は省略されることが多いといえます。
そのため、もしかしたら「松島船あそび」を知らない方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、「松島船あそび」について勉強しておくことで、松島の海の周遊がより面白く充実したものになります。

松島の海(宮城県)
日本三景「松島」の観光!船での遊覧旅へ

松島の海(宮城県)
松島は、宮城県宮城郡松島町にある、とても美しい数多くの島々からなる、景色の勝れた景勝地であり、観光地です。
松島は、
- 広島県にある「宮島」、
- 京都府にある「天橋立」
とともに、いわゆる日本三景の一つに数えられています。
宮島については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

天橋立については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

およそ260の島からなる、松島

松島の海(宮城県)
松島は約260の島々からなります。
歌詞では
とありますが、これは実際の数ではなく、あくまで比喩表現になります。
その理由として、日本では歴史的に「8」のつく数字は縁起のよい数字と考えられてきた傾向にあることが考えられます。
例えば、
- 「八百万の神」
- 「八千矛」
- 「八千代」
などのように、日本は古くから「8」という数字が縁起良い数字とされてきた傾向があったのでした。
そのため、おそらく比喩的に
という表現になっているのだと思われます。
つまり「800の島」というのは、それだけ多くの数の島が存在する、という比喩表現になります。
また、
- 「八千矛」とは、大国主神の別名
- 「八千代」とは、非常に長い年月、
という比喩表現になります。
かつては山の頂上だった、松島の島々

松島の海(宮城県)
では、なぜ松島が数多くの島からなるのか。
それは、
- 昔は沢山の山の頂上にあった部分が、
- 海面が高くなったことで、頭だけが出てしまい、
- それらがまるで島のようになったから
と言われています。
地球の長い歴史において、海面が上昇したり下降したりすることは、よくある話であるといえます。
松尾芭蕉「おくの細道」で、美しすぎて詩が詠めなかった!?

松島の海(宮城県)
また、松尾芭蕉は「おくのほそ道」の旅で松島に寄った際に、
とされています。
ちなみに、よく知られた有名な
という句は、そんな松島芭蕉が詠んだ句だとされています。
ただし、これは後世に創作だったという説もあります。
それはどういう状況なのか。
例えば、「通常の美しいレベルの景色」の場合であれば、テレビの実況ばりに知識やボキャブラリーをまくし立て、その美しさや状況について解説できるかもしれません。
しかし、あまりにも絶景すぎると
といったような感嘆しか浮かびませんよね。
なんとか目の前の景色について、持っている知識や表現をもって解説しようとしても、「すげえ」以外の感想しか出てこない。
松尾芭蕉の当時の心境は、おそらくそのようなものだったでしょう。
松島の観光は、仙石線「松島海岸駅」がベスト
松島観光の最寄り駅となる松島海岸駅は、仙石線の経路上にあります。
そのため、仙台駅から来る場合は
- 仙石線で(15駅と駅数は多いですが)来る
のが、シンプルでよいでしょう。
途中の駅数を少なくしたい場合は、
- 仙石東北ラインで高城町駅へ行き、
- 仙石線に乗り替えて、
- 少し折り返すような形で、松島海岸駅に到達する
方法もあります。
この場合は、7駅と半分以下になります。
しかし、高城町駅での乗り換え時間を考えると、両者とも大して時間は変わりません(いずれも約30~40分)。
したがって、慣れないうちは、シンプルに仙台駅から仙石線で松島海岸駅に来る、という方がよさそうです。
松島の船めぐりは、上記の仙石線・松島海岸駅から、徒歩約8分のある桟橋から行くことができます。
ちなみに私がかつて松島を遊覧したときは、大人1人約1,000円で、約1時間の遊覧でした。
しかし鉄道唱歌の歌詞では、塩釜港(千賀の浦)からの出港であり、これは前回の歌詞から続いています。
松尾芭蕉も、塩釜港から出港したとされています。
さあ、松島の船旅にスタート

松島の海(宮城県)
船が出発すると、どんどん松島の奥の沖へ進んでいきます。
すると、海に浮かぶ小さな島が次々に近づいてきます。
歌詞には
とありますが、それはまるで海が鏡のように透き通っている、という意味ですね。
船はますます奥の海に進んでいくため、
ことになります。
また、
そのため、いつの間にかかなり後方に消えていく
ことになります。
松島の有名な島には、
- 双子のように仲良くたたずむ、「二子島」
- 仁王のように勇ましく立つ、「仁王島」
があります。
なお、3番の
とあります。
「あした」とは、古語で「朝」という意味です。
「夜半(よわ、よは)」とは、古語で「夜明け」という意味です。
さらに、
とあります。
「あそぶ」は、現代語でもそのまま「遊ぶ」という意味です。
そのため、
二子島の夕景色を、どう思ってるのだろうか
という意味になるでしょうか。
松島の沖の海まで出てくると、波がきつくなり、船もそこそこ揺れるようになります。
船酔いしやすい人は、気をつけましょう。
30分ほどの船旅の後、瑞巌寺の近くへ到着
30分ほど遊覧すると、船は折り返して、ふたたび桟橋の方へ戻ることになります。
桟橋へ着くと、右に五大堂がみえます。
五大堂とは、平安時代に朝廷から蝦夷を征伐せよと命じられて東北地方にやってきた、坂上田村麻呂という人物によって建てられた、「毘沙門堂」を起源とするものです。
江戸時代に伊達政宗によって大きく改築され、「五大堂」となりました。
蝦夷とは、平安時代に東北地方で朝廷に反発していた、朝廷に従わなかった人々のことをいいます。
朝廷からすれば、蝦夷の人々に力をつけられて、朝廷の脅威になられては困ります。
そこで、坂上田村麻呂という武士を東北地方に派遣して、「征夷大将軍」に任命したわけです。
蝦夷を征伐するから、「征夷」というわけですね。
なお、征夷大将軍というと源頼朝や徳川家康などの将軍さまを連想するかもしれませんが、平安時代の征夷大将軍とは意味が異なるので、覚えておきましょう。
そして、坂上田村麻呂はここに「毘沙門堂」を建てました。
毘沙門堂とは、その名の通り、戦いの神様である毘沙門天を祀るわけです。
昔は戦のときは、現代以上に縁起や神様を重要視していましたから、蝦夷と戦うために毘沙門天を祀ることが適切であると判断したのでしょう。
さらに江戸時代になって、毘沙門堂は初代仙台藩主・伊達政宗によって五大堂として、大きく改築されています。
瑞巌寺とは、平安時代に円仁という方によって建てられたお寺です。
円仁は慈覚大師とも呼ばれ、山形県にある「立石寺」を建てたことでも知られます。
立石寺は、松尾芭蕉も「おくのほそ道」の旅で立ち寄った場所です。
そして最後(ラスト)には、
船はとうとう桟橋に着いてしまった
ことになります。
松島の海に浮かぶ多くの島の景色は、とても綺麗なものです。
松島の船旅を終え、次回は小牛田方面へ
松島の遊覧の旅、いかがだったでしょうか。
次は再び列車に乗り、小牛田方面へ向かいます!しかし、松島海岸駅から小牛田方面へ向かうには、ちょっとした工夫が必要になります。
それは次回詳しく解説します!
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