まずは原文から!
伊勢(いせ)と志摩(しま)とにまたがりて
雲井(くもい)に立てる朝熊山(あさまやま)
のぼれば冨士(ふじ)の高嶺(たかね)まで
語り答(こた)ふるばかりにて
さらに読みやすく!
伊勢(いせ)と志摩(しま)とにまたがりて
雲居(くもい)に立てる朝熊山(あさまやま)
のぼれば富士(ふじ)の高嶺(たかね)まで
語り答(こた)ふるばかりにて
さらに読みやすく!
伊勢(いせ)と志摩(しま)とにまたがりて
雲居(くもい)に立てる朝熊山(あさまやま)
のぼれば富士(ふじ)の高嶺(たかね)まで
語り答(こた)うるばかりにて
さあ、歌ってみよう!
♪いーせとしまとに またがりてー
♪くもいにたてるー あさまやまー
♪のぼればふーじの たかねまでー
♪かたりこたうるー ばかりにてー
(紀勢本線)
亀山駅→一身田駅→津駅→阿漕駅→高茶屋駅→松阪駅→多気駅
(参宮線)
多気駅→田丸駅→宮川駅→伊勢市駅→二見浦駅(→至・鳥羽駅)
(近鉄鳥羽線)
伊勢山田駅→五十鈴川駅→朝熊駅(→至・鳥羽駅)
※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記
※正式名称は「鉄道唱歌 関西・参宮・南海編」です。記事タイトルの便宜上、このようなタイトル(関西編)とさせていただいております。ご了承ください。
列車は、既に三重県伊勢市(いせし)に到達しています。
今回は、伊勢神宮の裏側にある山の一つである、朝熊山(あさまやま)の話題になります。
朝熊山(あさまやま、標高555m)は、歌詞にある通り伊勢(いせ)と志摩(しま)に跨がる山です。
標高555mは、志摩半島最高峰と呼ばれます。
伊勢国(いせのくに)とは、三重県北部~中部のことをいいます。
志摩国(しまのくに)とは、三重県東部のことをいいます。
志摩半島(しまはんとう)とは、三重県の右側(東側)に突き出た半島です。
また、三重県南部は紀伊国(きいのくに)の一部です。
さらに、三重県西部は伊賀国(いがのくに)の領域です。
朝熊山(あさまやま)の語源・由来には、色々と説が考えられます。
私は最初、同じ読みの浅間山(あさまやま。長野県の軽井沢近辺にある火山)と同じではないかと思ったのですが、どうも違うようです。
「あさま」は古い日本語で「火山」という意味であり、朝熊山は火山ではないため、関係ありません。
そもそも、「あさま」ではなく元々の読み方は「あさくま」だったようです。
それが時代とともに読み方が簡略化され、「あさくま」→「あさま」に変化したようです。
伊勢市にある「朝熊神社」は、「あさくまじんじゃ」と読みます。
元々は、「朝熊」ではなく「浅隈(あさくま)」とも書いたようです。
また、弘法大師(こうぼうだいし)空海(くうかい)が、朝に熊を見た(熊と出くわした)ことに由来するとも言われているそうです。
しかし、朝熊山の由来について正確なことは不明となっています(諸説あり)。
これに関しては多分、現代の日本では誰も正確なことを答えられる人は極々少数だと思いますので、これ以上深追いはしないようにします。
会社でも、大昔の業務マニュアルの内容を答えられる人は社内に誰も残っていないということがありますよね。あれと同じ原理です。
弘法大師・空海は(現在の)香川県善通寺市(ぜんつうじし)の出身であり、平安時代に和歌山県の高野山(こうやさん)にお寺を開いています。
弘法大師ゆかりの地は、北海道や東北地方を除き、日本のありとあらゆる各地に存在します。
それは、空海があちこちに布教をするために、全国各地を廻(まわ)ったからです。
なので、例えば「空海がこのお湯(温泉)を発見した」という開湯伝説(かいとうでんせつ)が全国各地の温泉地にありますので(例:静岡県伊豆市の修善寺(しゅぜんじ)など)、覚えておきましょう。
歌詞によれば、朝熊山の頂上に登れば遠く富士山の頂上まで見渡せるようです。
ここで鉄道唱歌 東海道編 第15番を思い出して欲しいのですが、
「高さは一万数千尺(約3,776m)
十三州(じゅうさんしゅう)もただ一目(ひとめ)」
ってありましたよね。
つまり、富士山の頂上からは十三州、つまり武蔵国(むさしのくに)や信濃国(しなののくに)など、13もの国が広範囲に見渡せるという意味になります。
そして今回の歌詞のように、
「朝熊山から富士山を見渡せる」
「朝熊山は伊勢国と志摩国にまたがっている」
「十三州もただ一目」
という条件であれば、
富士山の頂上からも伊勢国や志摩国も見渡せる、ということになるのでしょう。
それだけ富士山は高いということですね!
伊勢志摩地域では、「伊勢志摩サミット」が行われたのは記憶に新しいことです。
伊勢志摩サミットとは、2016年に行われた、7カ国の首脳(しゅのう。国のトップ)が集まった会議となります。
この主要7カ国のことを「G7(ジーセブン)」といいます。
各国首脳は、伊勢湾や英虞湾(あごわん)のおいしい海鮮料理をふんだんに味わったそうです。
では伊勢志摩サミットがなぜ伊勢志摩で行われたのかというと、警備面で非常に優れていたからです。
伊勢志摩の海岸は、複雑に入り組んだ構造をしているため、古くからとても防御に優れていました。そのため、海賊などの拠点にもなりやすく、九鬼義隆(くき よしたか)率いる「九鬼水軍(くきすいぐん)」が有名です。
これだけ防御面や警備に優れた地形に加え、三重県警は皇族の伊勢神宮参拝の警備など、要人の警備に慣れています。
以上のことから、伊勢志摩地域がサミットの現場に選ばれたわけです。
また、各国の首脳は日本で最も尊い場所ともいえる伊勢神宮にも訪れています。しかし、他国の大統領や首相はキリスト教など異教徒であるので、参拝はせずあくまで訪問という形となりました。
それでは、次回は朝熊山を下り、二見浦(ふたみのうら)の夫婦岩(めおといわ)の観光になります!
注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
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