鉄道唱歌 関西編 第45番 高野山の入口・不動坂と女人堂 次第に心は浮き世を離れてゆく 

まずは原文から!

木隱(こかげ)をぐらき不動坂(ふどうざか)
夕露(ゆうつゆ)しげき女人堂(にょにんどう)
みれば心もおのづから
塵(ちり)の浮き世を離れけり

さらに読みやすく!

木隱(こかげ)おぐら(小暗)き不動坂(ふどうざか)
夕露(ゆうつゆ)しげき女人堂(にょにんどう)
みれば心もおのず(自ず)から
塵(ちり)の浮き世を離れけり

さあ、歌ってみよう!

♪こーかげおぐらき ふどうざかー
♪ゆうつゆしげきー にょにんどう
♪みーればこころも おのづからー
♪ちーりのうきよを はなれけりー

(和歌山線)
高田駅→大和新庄駅→御所駅→掖上駅→吉野口駅→五条駅→隅田駅→橋本駅→粉河駅→舟渡駅→田井ノ瀬駅→和歌山駅

(南海高野線)
橋本駅→九度山駅→高野下駅→極楽橋駅

(南海鋼索線)
極楽橋駅→高野山駅

※正式名称は「鉄道唱歌 関西・参宮・南海編」です。記事タイトルの便宜上、このようなタイトル(関西編)とさせていただいております。ご了承ください。

今回も、和歌山県の高野山(こうやさん)の話題となります。

南海電鉄・高野線に乗って、極楽橋駅(ごくらくばしえき、和歌山県伊都郡高野町)で降ります。
そして、極楽橋駅からはケーブルカーである南海鋼索線(なんかいこうさくせん)で高野山駅(こうやさんえき、和歌山県伊都郡高野町)まで登ってゆきます。

高野山は昔から大坂・京都方面から有名どころの貴族や武将をはじめ、多くの人々による参詣者でぎわってきました。
今は「南海高野線」で大阪から高野山まで行くことができますが、江戸時代までは鉄道は存在しなかったため、「高野街道」を(徒歩または馬で)通ってきました。
大阪府河内長野市(かわちながのし)の三日市駅(みっかいちえき)周辺では、江戸時代からの高野街道の宿場町(三日市宿)の面影を残しています。

あの豊臣秀吉も、高野山に参拝したのです。

現代では前回話した通り、南海高野線で極楽橋駅まで行きます。

極楽橋(ごくらくばし)とは、「この橋を渡れば極楽の世界へ行けるよ」という意味が由来の橋です。
昔は飢餓や疫病・戦争・犯罪などの社会不安が絶えない時代でしたから、人々が仏さまの力を借りることにより、せめて「極楽浄土」など苦しみのない世界へ行きたがったのもわかる気がします。
というか人類の歴史をみても、人々が不安に陥った時代ほど宗教が流行りやすい傾向にあります。

現代ではケーブルカーで一気に高野山を登ってゆきますが、当時は歌詞にある「不動坂(ふどうざか)」をはじめとする「七つの入口」より高野山に入り、自力で坂を登って頂上までゆきました。

かつては「高野七口」といって、高野山には合計七つの入口がありました。
また、昔はこの「七つの入口」すべてに「女人堂」がありました。「女人堂」とは、(後述するように)女人禁制だった高野山に入れない女性たちが滞在していた場所です。
しかし現在は「不動坂口」以外の六つの女人堂はすべて廃止されており跡が残るのみで、今は(歌詞にもある)不動坂口の女人堂が現存するのみとなっています。

歌詞にある「小暗い(おぐらい)」とは、うっすらと暗いという意味です。
「木陰小暗き(こかげおぐらき)」とは、木々に囲まれて昼でも薄暗い、のような意味になるでしょう。
 
不動坂(ふどうざか)からは、高野山の金剛峯寺(こんごうぶじ)まで、どんどん登ってゆきます。
ちなみに「高野山」とは、元々は金剛峯寺(こんごうぶじ)そのもののことをいいます。お寺のことを「山」と言ったりします。お寺を開くことを「開山」、宗派のトップのお寺を「総本山」などという用例がありますよね。
現代では、高野山の山全体が宗教都市となっています。
そこではお寺で働く人々や修行をする人々、そして参拝に訪れるたくさんの観光客などをもてなすためのお土産店や飲食店、宿泊施設などが建ち並ぶといったモデルの町となっています。
言い換えれば、宗教関係者によって成り立つ町といってもいいでしょう。

そして先述の通り、高野山の七つの入口のうちの一つ・不動坂(ふどうざか)の入口には、女人堂(にょにんどう)があります。

女人堂(にょにんどう)とは、かつて女性が立入禁止だった高野山において、女性が滞在するために置かれた場所のことです。

ではなぜ「女人堂」が存在したのかというと、高野山は「女人禁制」といって、女性は入っていけなかったのです。
それはいわゆる「女性差別」というわけでは決してなく、単純に男性の修行僧が「性欲」に惑わされないように、つまり煩悩(ぼんのう)に惑わされないようにするためです。
女性(特に若い女性)の肌や体を見ると興奮するのが男性の本能ですから、こうした性欲(煩悩)に惑わされると、修行に集中できなくなるためです。

現代でも、男性が仕事や勉強などに集中したい場合は、女性の肌を見なくて済むワーキングスペースやネットカフェの個室などを利用することになると思います。

そのため、高野山には女性が滞在するための「女人堂」があったわけです。

また、高野山を開いた弘法大師(こうぼうだいし)空海(くうかい)自身も、地元である香川県善通寺市(ぜんつうじし)からやってきたお母さんが高野山に立ち入れないため、(お母さんは)ふもとの九度山(くどやま)という場所に居を構えていました。
そこへ空海が9回お母さんに会いに行っていたことから、「九度山」という地名の語源になっています。

そして和歌山の高野山は、標高800mを超えていることもあって、夏でも少し「ひんやり」涼しいです。
というか、私(筆者)が高野山に初めて行ったときは「秋」だったのですが、既に冬のように寒かった記憶があり、その時高野山で飲んだ暖かいお茶がすごく美味しかった記憶があります。

また、標高約800mというのは、標高約700mぐらいの長野県の諏訪湖(すわこ)よりもやや上回るぐらいの高さです。
同じ長野県の松本市(標高592m)や木曽路の旅(奈良井宿周辺で標高900m前後)もかなりの標高であり、松本市や木曽路は秋でも結構寒くなります。
標高が高い高原地帯の旅行は、東京や大阪とは気候がまるで違うので、防寒など注意が必要です。

高野山にいると、塵(ちり)の浮き世(うきよ)を、つまり世俗(せぞく)からちょっと離れていきますよね。
私も、仕事に集中したいときは、ちりの浮世を離れてやることもあります。
世の中(浮き世)がなんとなく嫌になったときに高野山のうっすら暗い木々に囲まれた参道を訪れると、なんとなく気分が騒がしい日常から離れられて、癒される気分になるのではないかと思います。

次は高野山を降り、紀ノ川を渡り、吉野(よしの)方面へ向かってゆきます!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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